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愛情が攻撃になっているだけなんだ!

 明良は紳士だったので、女性が寝ている顔をまじまじと見るのは失礼と思い、自分に割り当てられた自室から一端出ることにした。

 花蓮先輩が悪戯の発覚が免れた悪童のような安堵の溜息を吐いていたが、あれはなんだったのだろう、と思ったが詳しくは追求しないことにする。

 明良は、自分にくっつく美千穂に困ったような、あるいは『やれやれ、仕方ないなぁ』と苦笑するような微笑を向けた。


「えへへ、明良兄ちゃん……」

「相変わらず甘えただなぁ、美千穂ちゃん」


 ぎゅー、と肩を抱きかかえてくる美千穂に苦笑しながら、明良は彼女の背を撫でてやる。

 大きくなった。背丈も、体型も。

 言葉遣いは元気一杯。声も明るく、異性である明良にも男女の境目なく甘えてくる姿は、まだ恋愛とは無縁な印象を抱かせる。

 だけれども……その胸元の豊かさと、細く括れた腰周りの細さはまるで蜂のような完璧な砂時計体型。

 恵まれた長身とスタイルを併せ持つ癖に……その心は甘えただった幼少期と大差ない。

甘えるように抱きついて、無意識のうちに自身の豊満さを相手に教えてくる。


 だが、明良は我慢できた。

 自制や精神鍛錬の賜物でもあるだろう。 

 だが、彼女に抱きしめられると共に、肉体の中でみしみしと軋む筋骨の悲鳴が、ただの抱擁でもたらされる無意識のベアバッグによる痛みが、明良の性的な欲望よりも激しく生命の危機を訴えていたのであった。



 七瀬美千穂は、親友である七瀬淳一と同じく幼少期を共に過ごした幼馴染の一人になる。 

 大変な甘えん坊で、子供の頃は、兄である淳一はもちろんだったが、近所に住んでいた薫や明良にもすぐに懐き、毎日のようにハグをしたがる子であった。

 一人っ子である明良からすれば、自分を探してちょこちょこ歩きまわり、姿が見えないと泣きそうになる妹同然の幼馴染のことは大変に可愛がっていたのである。

 ただ、ひとつだけ美千穂は普通の人と違うところがあった。

 生まれついて、力が強かったのだ。

 祖父である一徹老人は、柔和な笑顔と仏のような糸目の老人であったが、その中身は明らかに武術狂いであったため、孫娘のその天性の膂力を歓迎した。

 しかし……何かと甘えたり引っ付いたりするのが大好きな美千穂は、幼い頃まだ力加減が効かず……よく、大事にしていた玩具やぬいぐるみを壊してしまったことを覚えている。


 明良や淳一が、七瀬一徹老人から教えを受けたのは、その身の動きがより鋭く正確になっていく快感を知ったからだ。

 だが、一番最初の動機は、この甘えたがりな妹同然の娘に抱きしめられても、微笑んで、やせ我慢ができるようになりたかったからだった。



 頭を、撫でてやる。

 それだけでむず痒そうにする美千穂に、明良は笑いかけた。


「いきなりで驚いたぞ、美千穂ちゃん」

「ごめんなさいッス。でも淳一兄ちゃんが、明良兄ちゃんが困っているって教えてくれて」


 なるほど、と明良は思った。

 これから色々と針のむしろになるであろう明良の事を気遣ってくれたのだ。

 親友の気遣いを思い、明良は感謝する。




「えへへぇ」


 七瀬美千穂は、明良兄ちゃんにまたぎゅーとする。

 子供の頃とは違う。ちゃんとある程度は力加減もできるようになった。

 彼女が自分の天性の膂力を自覚したのは、ひとつ上だった天羽薫おねえちゃんの持っていたぬいぐるみを力余って引き千切ってしまった事がきっかけだった。

 ぬいぐるみのお腹からこぼれた真っ白な綿は、幼心にも大変な事をしてしまったと否応なしに自覚させた。

 いつもはご本を読んでばかりで無表情な薫おねえちゃんが、ほんの少しだけ嬉しそうに口元を綻ばせていたお人形。

 そんな大事なものなのに、壊してしまった。自分が大変な事をしてしまったと思ってわんわんと泣いたのだ。


 それから後、美千穂は誰かに引っ付きたがり、甘えたがる癖を我慢する子になった。

 友人と手を繋ぐ際のほんの一瞬の顔のこわばりが、自分の天性の膂力によるものだと自覚すると、とかく他人と触れ合うことに臆病になったのである。

 美千穂は、自分が無自覚な怪物であると思った。



 その頃……幼い時分の美千穂にとっては、淳一兄ちゃんは『同じ家に住んでるお兄ちゃん』であり、薫お姉ちゃんと明良兄ちゃんに対しては『違う家に住んでるお姉ちゃんとお兄ちゃん』という認識だったのである。

 そんな明良兄ちゃん、淳一兄ちゃんが、子供の眼から見てもちょっとどうかと思う荒行を始めたのはいつ頃からだったろう。

 鍛錬を続けている二人の姿を……そっと、祖父である七瀬一徹爺ちゃんに連れられ、物陰から盗み見た。


『良いですか、美千穂さん』


 誰に対しても……実の子や孫に対しても一線を引いたような、敬語を使う祖父は、優しげに微笑んで言った。


『一ヶ月だけお待ちなさい。その後は、好きに引っ付いても構いませんよ』


 だからこそ……美千穂は、三人の事が好きだった。

 甘えたい自分を受け止めてやるために、わざわざあんな荒行を自分に課したその気持ちが嬉しかったのだ。



 そうして、しばらく美千穂にハグされていた明良は、ようやく中から出てきた花蓮に視線を向けた。

 手にはバッグ。明良の私物が纏められている。


「明良くん。一日に二度気絶するお嬢様をまた運ぶのはめんどくさいので、そのままにしておいてください。代わりのお部屋を準備いたしましたので、そちらへどうぞ」

「あ、はい」


 明良は頷いた。今更メイドの花蓮さんの、主人に対する対応の適当さは言うまでもない。

 そして今だ自分に引っ付いたままの美千穂に目をやる。

 顔が赤く、なんだか興奮した様子でほっぺたを擦り付ける姿はやっぱり甘えたがりの大型犬を連想させる。


「こーら、美千穂ちゃん」

「あううっ」


 流石にこれ以上引っ付かれると面倒なので、彼女のおでこを指で押すと素直に剥がれた。

 万力で固定されたかのようなハグの力強さが嘘のようである。

 そんな二人に鍵を渡す花蓮。


「それでは陽世くんはこの部屋に。美千穂さんはご案内させていただきます」

「あ、はい」


 放課後に部屋の間取りを教えてもらっていた明良は、鍵と手荷物を受け取ると、特に迷う様子もなく廊下を進んでいく。

 しかし美千穂はちょっと困ったような……あるいは拗ねたような目で口を開いた。


「え、あの……絢華さんは、明良兄ちゃんのお部屋で寝るんすか?」

「ええ」


 花蓮はそう答え……じっと、美千穂を観察する。

 幼さを残した童顔。その癖にグラビアアイドル顔負けの豊麗な肢体。

 そして、絢華が明良の部屋で寝ると聞いた時に一瞬浮かべた不満げな顔。

 主人である花蓮と違い、相手の心を人並みに察する事のできる花蓮は、もしや、と思いつつ質問した。


「ひとつ、お伺いしてよろしいですか?」

「ういっす。得意の殺法っすか?」

「いえ。それはそれで興味深いのですが……美千穂様は、陽世くんの事をどう思ってらっしゃるのですか?」

「大好きっす!」


 美千穂のなんら臆する事のない、太陽のような無垢な好意に……花蓮は天を仰いだ。

 彼女のこの素直な好意の表し方……!

 美千穂さんのこの素直さの十分の一さえ絢華お嬢様がお持ちであったならば!


 そして何より、また新しい恋敵の出現!

 それも薫様のような凹凸に掛ける体型とは一線を画す肢体!


 花蓮は思った。

 早いとこ告白しないから、また恋敵が増えるのだ。その事を知った絢華がまたどのように拗ねるのか。自業自得ではあるが、きっと面倒くさいことになるに違いない。

 花蓮は早くも頭痛を覚えた。



 がちゃり、と案内されたお屋敷の一室で、美千穂は部屋の中に入り、手荷物を置いてベッドに飛び込んだ。

 そうしてベッドのシーツを掻き抱く。明良兄ちゃんの代わりだ。

 思い起こすのは、先ほど抱きしめた、子供の頃から恋い慕う相手の感触。

 衣服の下に押し込められたのは、しなやかに引き締まった筋骨。臓腑まで鍛え上げていることが分かるような腹筋の引き締まり方。

 最初は自分の為に鍛え上げた体。その完成形。


「うううっ……明良兄ちゃん、明良兄ちゃん……」


 唇からこぼれる声は、まるで喉をくすぐられる猫のように甘ったれたもの。

 美千穂は切なげな溜息を溢して、身をぶるりと振るわせる。

 相手の衣服越しに這わせた明良兄ちゃんの体の感触を思い起こすだけで、ゾクゾクとした妖しげな官能が背筋を走った。

 ふぅふぅと熱っぽい溜息を、枕をかんで押し殺す。

 思い出すのは……護衛対象だという相手の事。

 西園寺絢華。


「うううううぅぅぅ!」


 呻き声だけを聞けば、まるで手負いの牝虎のように、呻き声に殺意が篭っている。

明良兄ちゃんが困っている。

 ぎゅうううぅっ、とシーツを抱き締める手に力が漲る。シーツに巻きついた両足が強く絡みつく。生身が相手なら、締め落としかねないほどだ。

 お昼頃、兄である淳一兄ちゃんから電話で頼みごとを受けた時、美千穂は祖父との推手の真っ最中であったのだけども、明良兄ちゃんが困っていると聞けば一も二もなく飛び出した。


 明良兄ちゃんが告白した!

 そして明良兄ちゃんは振った女の人に意地悪をされてる!


 他人に奪われ泣く泣く諦めた高嶺の花のあの人が、現在の恋人にまるで大事にされていない……そんな様子を見た気持ちだった。


「うううぅ……」


 でもわかってしまったのだ。

 明良兄ちゃんは、見知らぬ女の人をまだ想っている。振り切れた訳ではない。

 そして見知らぬ女の人もまた明良兄ちゃんの事を好いている……美千穂はそう確信していた。

 こればかりは、明良には成し得ない、天性の洞察だった。

 一度告白して明確に振られた……そう想っているからこそ、絢華が明良に向ける恋情の篭った眼差しに気づけない。

 自分は振られたと想っているから、絢華の好意は錯覚であると思い込んでいる。

 ゆえに色眼鏡抜きで美千穂は客観的に物事を見る事ができたし、何より同じ人を好きになった相手は、こう……動物的な直感で分かったのだ。

 明良兄ちゃん、明良兄ちゃん、と心の中で呟く。

 本当は、抱き締めた好きな人をずっとずっと手放したくなかった。

 シーツを、ぎゅーっとする。

 その天性の膂力の正体は、好いたものを絶対に逃すまいとする執着心であるかのようだった。


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