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もう結婚しろよ!

「もうお嫁に行けませんわ……」


 西園寺絢華が、羞恥心が限界突破して気絶し、そして目覚めた時には既に窓の外は真っ暗になっていた。

 気絶した時は制服だったけれども、きちんと寝間着に着替えている。

 花蓮が気を利かせたのか、大人っぽい黒のネグリジェなのは夜這いしろという無言のプレッシャーなのか。絢華は考えすぎですわね……とそんな思考を振り払った。

 

「まったく、もう……」


 絢華は思い出しただけで顔が赤くなる。パンツを洗われてしまった。

 しにたい。

 羞恥でそのまま、ぽすんと枕に頭を預けて、うあああああぁあぁと身悶えながらベッドにパンチを繰り出す。

 あんな風に花蓮が主人である絢華に悪戯をするあたり、全然自分から動かない絢華に苛立っているのだろう。

 言われるまでもなく、絢華自身がそんな自分にあきれているのだから。

 少し気持ちを切り替えるつもりで、絢華は屋敷の中の廊下を少し歩くことにした。

 この学園内部に建築されたお屋敷は、もちろん西園寺の実家と比べると小さいけど、それでも小さな学生寮程度の大きさはある。

 静かに歩いてゆけば……廊下の部屋の一室から僅かに光がこぼれているのが見えた。

 そういえば屋敷で寝泊りする明良のための一室を、花蓮が用立てているのを思い出した。

 どくん、と心音が跳ねる。

 あの部屋に明良くんがいると思うと、どうにも好きという気持ちが我慢できなくなり、絢華はこっそりと部屋に入り込んだ。

 陽世明良は、室内の天蓋付ベッドのあまりの豪華さに少し寝苦しそうにしていたけど、概ね健やかに寝息を立てている。

 着ているものは学生服のまま。

 こちらに来て、洗濯を済ませた後で私物を整理したのだろう。生活の準備を終え、ベッドに体を預け、その布団の柔らかさに抗えずそのまま寝てしまったと見える。


「明良くん」


 返事はない。

 絢華は完全に相手が寝入っているのを確かめると、眠りを邪魔しないようにゆっくりと近づいた。

 はしたないと分かっていても、好きな人の寝顔を見るという欲求に逆らえなかった。


「明良くん……」


 相手は寝ている。

 本来なら明良は七瀬一徹老人に鍛えられただけあり、僅かなりと殺気を感じれば即座に反応する事ができたが、そもそも絢華お嬢様は殺気を出すほど殺伐とした人生を送ってはいない。

 覗きこむ。

 明良は想い人の視線を受けているとも知らず、すやすやと寝息を立てたままであった。


「むぅ……」


 絢華は不満そうに明良の頬を抓る。

 気絶する前の事は覚えている。

 メイドの花蓮の卑劣な裏切りによって彼女は自分のパンツが手もみ洗いされるという恥辱を味わい、あまりの恥ずかしさに気絶さえしたのに。明良は紳士的なまま洗濯を続けたのである。

 釈然としなかった。

 一度は告白した相手とひとつ屋根の下での生活。

 絢華は矛盾する気持ちのまま明良の頬をツンツンと突いた。


「なんでわたくしのパンツを洗って興奮しませんのよ……いいえ、興奮したら駄目ですわね。でもなんだかイライラしますわ……どうしてくれますのよ」


 彼女の心は矛盾している。

 明良がもし絢華のパンツに興奮する変態であったなら幻滅だが、しかしまったく冷静に、作業的にパンツを洗われるとそれはそれでなんだか腹が立つ。

 どうして自分の気持ちが分からないのか! ……いきり立ってから、告白していないのだから当然と落ち込んだ。


 すやすや、すやすや。


 以前、薫に明良の写真を貰ったけども、やっぱり実物を間近に見るほうが良い。

 あの時告白されて、それを断って。

 まぶたに焼きついた、あの泣きそうな顔。慕情を押し殺そうとする表情。かわいそうと思った瞬間、心臓が跳ね上がった。こんなに近づいたのははじめて。


 好き。


「明良くん」


 すやすやと静かな寝息は深く、目覚める様子はない。

 寝ている。何を言っても聞こえない。何を言っても気づかない。

 それなら、今なら、恥ずかしくて恥ずかしくて、恋に臆病な自分がいつもためらう大胆な事ができるかもしれない。


「明良くん、好きですの」


 自分の気持ちを口にする。

 ただそれだけの事なのに、絢華の背中に言いようのない快感と幸福感が突き抜けた。

 顔を赤らめ、ぶるりと自分の身をかきいだく。

 自分の唇から発された告白の言葉は、彼女自身の耳から入って心を甘ったるく蕩かした。

 返事がない事はわかっている。明良は寝ているのだから。

 こんなのは告白ではない。

 告白とは、自分が拒絶され、傷つく事も覚悟し、それでも、胸の内に溢れる慕情が胸にたまって唇からたまらず溢れた気持ちなのだ。

 告白とは、きっと意識してするものではなく、胸の中に溢れる気持ちを口にしないと破裂して爆発してしまうからだ。熱っぽく上ずった声でもう一度。

 

「明良くん……好きです」


 もう一度、言葉を舌に乗せ、味蕾でその恋の甘みを味わうように呟いた。

 こんなのは告白ではない。

 反応しない相手に恋をささやくだけなんて、相手の顔写真を貼り付けた人形にお話しする事と同質の行為だ。

 傷つくリスクも負わずに、慕情を寝ている相手の耳元に囁く今の行為は……きっと快楽のみを追及するだけの、ひどく淫らな行為なのだと絢華は思った。

 少なくとも西園寺のご令嬢が行っていいようなものではない。

 ないのだけど……したい。


 唇を寄せる。

 相手が寝ている事を確認しないと、何も出来ない自分を情けなく思いながらも、近づいた。吐息が触れるほどの距離で見つめた。

 明良くんのその唇を見つめると、絢華は胸の中にイライラと醜い気持ちが湧き上がってくるのを自覚した。慕情と嫉妬が積乱雲の如く吹き荒れる。


 わたくしに告白したのに、薫さんとキスするなんて!


 それがワガママな気持ちであると自覚していても、とうてい治まらない。

 唇を寄せる。触れるぐらいに近づく。

 だからそう、ちょっとだけキスなんですわ、そう自分に言い聞かせる西園寺絢華。

 弁護しようのないある種の犯罪と分かっていても止められない。

 自分に告白してくれたときに震えていたあの唇に、自分の唇が触れようとしている。

 絢華は目を閉じ、罪悪感と慕情に震えながら……。


「ん……?」


 明良の小さな呟きの声――絢華はまるで天地の位置が逆転したような失調感と共に。

 ……気づけば、自分が明良に組み伏せられていることに気づいた。


「……んん? 西園寺さん?」

「ふぇッ……ええぇぇ~~~~~~~~!!」


 あれ。

 西園寺絢華は――今……自分がもしかして貞操の危機にあるのではないかという事に気づき……興奮と羞恥とその他諸々の感情に翻弄され、真っ赤になったまま、上に圧し掛かった明良を見上げた。


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