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また新しい女か!

 どうしてなんだ、絢華さん。

 お願いだ、そっとしておいてくれ。


『あら、あなたわたくしに告白なさったのでしょう? なら好きな人の傍にいられるじゃありませんの。それがどうして嫌なんですの?』


 違う。もう告白して振られたじゃないか。

 恋がかなう見込みがないのに、貴女への恋心をずっと持ち続けるのはつらいんだ。

 姿を見せないでくれ、この恋の炎に油を注がないでくれ。


 貴女の事を忘れなきゃならないんだ。この恋心は切り捨てなければならないんだ。正直この恋を過去のものにしなきゃならないのは……考えるだけで苦しいけど。

 廊下を通り過ぎないでくれ。俺の近くに姿を見せないでくれ。

 どこか遠い場所で幸せになってほしい。俺と貴女の人生を重ね合わせたいなんてもう思ったりしない。

 せめて遠いところで貴女の幸せを願いたいのに……どうして?

 どうして同じ屋根の下で暮らさなきゃいけないんだ?

 絢華さんは、俺と一緒にいても平気なのか?

 告白されたのに平気なのか?! それとも俺の気持ちなど無視しても平気なのか?!

 俺はその程度の相手だったのか?!

 頼むから気持ちを弄ばないでくれ!!


『忘れたんでしょう? わたくしのことはもう好きでもなんでもないんでしょう?

 なら事務的に、職務に忠実に、わたくしの事をお守りなさいな』


 貴女にはわからないのか。

 本当は目を見開いて廊下を行き交う貴女の姿を目に焼き付けたい。

 でも、もうこの恋は適う事はないと思うと、この愛しさが焼けて爛れて胸の中でくすぶって俺の体を内から焼くんだ。

 苦しんだ。苦しいんだ。好きという気持ちが胸に溢れて肋骨を突き破る。

 もうたまらなくなってこの気持ちを言葉にしたんだ。

 

『お気持ちは嬉しいですわ……でも、ごめんなさい』


 ごめん、覚えている。


 この気持ちは埋めて、捨てていく。 


 もう言葉にしない。貴女の事を忘れるように努める。

 だから、お願いだ……。

 振ったことは気にしないでいい。

 でも少しだけでも俺の事を気遣ってくれるなら……もう、ほっといてくれ。

 どうして俺に意地の悪い事をするんだ、絢華さん。

 貴女の事を嫌いになんかなりたくない。それでも、貴女に振られたからには、頑張って忘れようとしているんだ。


『ばかな人。自分の立場もわきまえず、高嶺の花であるわたくしに告白するからですわ!

 告白しなければ、ただの友達でいられたのに。遠くからわたくしを見つめるだけで幸せでいられたろうに』


 ……いやだ。

 振られたことは苦しいけれど、この苦しさもまた愛おしいんだ! 

 


 ……もう絶対に……幸せには……なれない……なれないだろうけれど!

 

 もう貴女に……微笑んでもらえないだろうけれど!!



 後悔する事だけは、絶対にあるもんか!!




「……ん、あ……?」


 ……陽世明良は、じっとりと汗ばんで肌に張り付いたシャツの不快感で目を覚ました。

 未だ夜も明けない電気の消えた闇の中で、小さく、ああ、夢か、と呟くと大きく嘆息を洩らした。




 


 ……その日の朝からずっと、天羽薫は不機嫌そうな顔を隠そうともしなかった。

 以前の絢華の台詞から一日が過ぎた今日。明良には同級生達の視線が突き刺さっている。

 高嶺の花に挑んで破れた敗者に対する視線は優しい。

 しかし教室の角で壁を向いて三角座りで溜息を吐く明良の姿は、心を真っ白に漂白された病人を想像させる。

 彼がなぜそんな状態になっているのか――知っているのは彼の幼馴染である薫、そして……祖父から明良の傷心の理由をメールで知らされた親友の淳一のみであった。

 告白して振られた相手のボディガードという、なんの嫌がらせだと言いたくなる事態。

 精神的ダメージを受けた明良が、刑場に引き立てられるような顔で寮から出て行って、ずっとあんな風に打ちひしがれているのだ。

 薫は忌々しげに爪を噛んだ。


「予想外。まさか絢華がなりふり構わず財力を駆使してくるとは」


 恋愛にルールはない。けれど絢華は学園内で実家の権力を用いてわがままを叶えようとはしない、好ましい生真面目さがあった。

 昨日絢華を挑発するため、薫はキスしているかのようなふりをしたけど、まさかここまでの強硬手段に出るとは完全に読み違えた。


「おかしい話ではあるな。明良の奴をフッたのに、どうしてわざわざ気まずい相手を手元におくのやら」


 淳一の呟きの言葉に、薫は訂正しようとして――そういえば、淳一は絢華が明良に一目惚れした事を知らないのだったと考え直す。

 なんにせよ、恋のライバルの取った強引な手段によって絢華と明良は密接な関係に……いや、ならない、としか思えなかった。


 普通は、フッた人とフラれた人の同居生活はたいへんに、気まずい。

 薫は絢華の取った手段の意味が分からない。

 けれども、と薫は思った。少なくとも絢華と明良の二人の物理的な距離は大幅に縮まった。

 男女が一つ屋根の下で同棲状態とか認められるはずがないけど、そんな倫理も財力というパワーで沈黙させられる。

 何より、薫は面白くなかった。 

 理屈や道理を飛び越えて、薫はなんか腹が立つ、ただその理由一つで邪魔することに決めた。

 相手がそういう手段を使って、明良と同棲といううらやまけしからんイベントを起こそうというなら、全知全能を用いて邪魔してやるぅ、と心に決める。

 そして少し考え、隣の淳一に話しかける。


「淳一。頼みが」

「ああ、明良の苦衷を救うためならば何でもやるさ」

 

 元より親友が――フラれた恋の相手の護衛をやるなんて哀れだ、と思っていた彼は友人を助けるため手は惜しまないつもりであった。


「絢華はボディガードという名目で、明良を自分のお屋敷に連れて行こうとしている」

「ああ。恐ろしい人だぜ。自分がフッた相手を傍に控えさせるなんて」


 薫はこくりと頷いた。


「淳一。明良が可哀想なので、代わりの護衛を用意したという形は可能?」

「なるほど? 確かに……爺様も鬼のような強さだし、時々鬼じゃないかと思うが、たぶん鬼じゃない。事情を説明すれば代わりの護衛をまわすことぐらいはしてくれるだろう」


 淳一は頷き、薫が誰を呼ぶつもりなのか悟った。


「美千穂か」

「そう。淳一の妹の美千穂ちゃん。私も一度七瀬の師匠に手ほどきを受けたけど全然だめだった。淳一も、弱いわけじゃないけど、皆伝には遠い」


 古流武術の伝承者、七瀬一徹老は、弟子を数人取った。

 その中で特に才能目覚しかったのか明良であり……そしてもう一人が淳一の妹である美千穂であった。


「だから私たちの世代で明良の代役が勤められるほどの手練で、かつ……同じ女性という事で明良より自然に絢華の護衛が勤められるのは美千穂ちゃんしかいない。

 呼べそう?」

「ああ。……うん」


 薫の提案に淳一は頷いたが……なぜか、気の進まぬ様子がはっきりと見て取れる。

 

「淳一? 何か不都合でもあった? 美千穂ちゃんが来れない理由があるとか」

「いや……そんな事はない。アイツは明良と久しぶりに会えるとなったら飛んでくるだろう。だろうが……」


 言いよどむ淳一は小さく呟く。


「そもそも……爺様は武術の才能のある美千穂と明良をくっつけて、そのひ孫を鍛える野望を持ってるからなぁ……」

「淳一?」

「何も言ってない。お前に都合の悪いことなんか言ってないぞー?」


 怪訝そうに首を傾げる薫に、淳一は嘆息を漏らして言った。


「……記憶にとどめておいてくれ」

「???」

「俺が、美千穂の招集に難色を示したという事をな。

 ……そんなに実家から遠いわけじゃなし。夕方には来るだろう」


 あ、美千穂かー、と、電話する淳一の言葉を聞きながら。

 薫はなぜか大変嫌な予感を感じるのであった。





 明良は、絢華の気持ちが分からない。

 告白してそれを拒絶して、その後でどうしてわざわざ自分を護衛役などに迎えるのか。

 気まずくないのだろうか。少なくとも明良自身ははらわたが捩れる程度にはつらい。

 流石に明良も絢華の間の悪い一目惚れと、その祖父の大変なおせっかいの内容までは想像できるわけが無かった。

 


「……はぁ」


 気を抜けば溜息がこぼれる。

 見つめる先には、西園寺のご令嬢の為に学園の敷地内に建設されたお屋敷がある。

 何でも師匠が言うにはここでしばらくの間住み込みで護衛に当たって欲しいという事であった。

 しかし……護衛? 

 明良は頭の中で思考を切り替えている。

 もちろん絢華さんは大富豪である西園寺のご令嬢。彼女を誘拐して身代金を要求しようという不埒な輩はいてもおかしくない。

 心を切り替えよう。

 正直告白してお断りされた相手と同じ屋根の下で生活する事を思うと、苦しくて健康を害しそうだが……もし、自分の知らないところで、一度は好きになった女の人が酷い目に合わされたら、今よりももっと辛く苦しい気持ちに苛まれるに違いない。

 そう思うと、総身に力が漲るような気がした。



「あ、先輩」

「お久しぶりです、陽世君」


 玄関先で、メイド服を着てお屋敷の掃除をしている石水花蓮と目が合い、二人は軽く挨拶を交わした。

 陽世明良と、石水花蓮は同じ『洗濯同好会』の部長と部員という上下関係にある。

 それこそ二人の付き合いは、たまたま洗濯同好会で洗濯物を引き取りにきた絢華と明良よりもずっと長いぐらいだ。

 とはいえ、二人の間にあるのは洗濯ものを綺麗にしたいという欲求、洗った衣類をお日様に天日干しする謎の快感に目覚めた同士の関係であった。


「しかし、明良くんがうちのお嬢様に懸想しているとは知りませんでした」

「いけませんか」


 花蓮は首を横に振った。


「いいえ。人が人を好きになる気持ちを邪魔する理由などどこにもありません」


 そう言ってから……しかしどこか悩んでいる様子の明良に気遣わしげな視線を向ける。


「……やはり、お嬢様にお会いするのは気まずいですか」

「そりゃまぁ」


 明良は頷いた。

 絢華を公私にわたってサポートする花蓮は、告白に関しても聞いていたのだろう。

 

「当然ですね。わたしも、一度告白してフッた相手を私的に仕えさせる主には内心腹を立てております」

「ありがとうございます、部長」

 

 実際は可愛い孫娘の恋を応援するために祖父が余計な事をしただけなのだが。

 みんな、振って三秒後に一目惚れした事を黙っていたお嬢様が悪いのであった。

 花蓮は少し考え込むしぐさをみせる。

 彼も、自分も、誰も彼も振り回されているのは全部主人である絢華がヘタレで、自分から告白しようとしないのが悪いのだ。

 それを考えれば、ちょっとぐらい痛い目にあわせてもいいではないか、そんな気持ちが湧き上がってきて……ひとつ、悪戯を思いつく。


「さて。……本日から明良くんには住み込みで護衛として働いてもらうわけですが」

「はい」

「貴方の事は個人的に信頼しておりますが、それでも一つ屋根の下に同世代の男女が一緒に住まう。これが危険な事であるとは存じておりますね?」


 明良はとりあえず頷いた。

 普通に考えたら、不純異性交遊で学校側にしょっ引かれそうな気がしたが、そんな道徳など捻じ伏せる権力が西園寺の家にはあるのだろうか。


「そりゃまぁ」

「ですので」


 花蓮は、邪悪に笑った。


「一つ、試験をさせていただきます」



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