第9.5話 今までの事とこれからの事
私はマヤ・カーライト。
昔はある一行と旅をしていた。
楽しいことも、辛いことも、悲しいことも共有した、あの人たちとの旅が私の最高の思い出。
その仲間達と別れた後は、一人でこの地に来た。
此処は私と、あの人との思い出の場所。今はもう居ない、けれど何処かにいるあの人を待って私はこの場所に住む。
まだ生まれてから数年の私に、この国の王様は、いえ、世界の権力者達は妖精子爵という爵位を私に授けた。正確には高位妖精族となった私の同族全てにこの爵位を与えた。もっとも高位妖精族は数えられる程しかいないけれど。
さらに数年後。私の周りには数多くの人獣族や亜人族が集まって来た。この国の王様は、救世主様が目指した全ての種族を平等にするための一環としてこの村の自治を認めた。これはこの国で唯一、人間族ではない種族が主体となって運営する村になった。
私の静かに暮らしたいという我儘な思いを、この村の人達は守ってくれていた。もともと村の人達が人間族と交流することに消極的だったが、彼らは必要な物資を仕入れる以外では他の村や町とは交流しなかった。
それを見かねた王様は、村へ隊商を送って最低限の交流だけはさせ始めたみたい。私ももう少し交流した方がいいんじゃないのかと思っていたから良かったわ。
さらに百年の年月が経った。誰かと親しくなっては別れ、また親しくなっては別れる事の繰り返し……。最初は辛いと思っていた出会いと別れも、彼らの残した子供や孫を見ていると、これも悪くないかなと思えるようになった。それでも寂しいのには変わりはない。いえ、あの人と別れてから、私の胸に深く沈む寂しさは消える事はないと思う。
――せめて、あの人の子供が見たかった……。
人としては一生の、私にとっては一瞬の時が流れて行った。もうあれから何百年ほど経ったんだろう?
村は最初の頃とは見違えて大きくなっていった。魔物が襲い、人間族が人獣族や亜人族を攫いに来るのを防ぐために、堀を掘り、土塁を作り、柵や門を建てた。村の人口も三百人を超えた。もう村じゃなくて町の規模なんだけど、名前変えないのかしら?
五百年。寂しさに負けて私は何もしなかった、静かに暮らしたかった。それを言い訳にはしない、したくない。救世主様が掲げた人獣族などの差別撤廃は、とうとう夢に終わった。この長い年月で、この国や他の国に人獣族が主体となって出来た村や町などは数えるほどしかない。
さらに一部の人獣族は【イディアナ諸島】に移住した。人間族から逃げるように……。亜人族も人間族に対する警戒は消えていない。辺境にある亜人族の国に身を寄せたまま交流もほとんどしていないみたい。
「このまま終わってしまうのかしら……」
九百七十六歳。気づけばこの歳になっていた。
高位妖精族の寿命は九百八十~千歳。もうそろそろ、私はこの世界から居なくなる。高位妖精族は死なない、ただ魔力として土に還るだけ……。
再び高位妖精族として生まれるなら千年も経てばまた生れ出ると思う。だけどそれは私であって私じゃない。集まった過剰分の魔力が形を成して生まれるだけだから。もしかすると高位妖精族ではない他の精霊族に生まれ変わるかもしれない。
――どちらにせよ、それは私ではないけれど。
まだまだ寒い新の月。私は森へ散歩しに行こうと思う。私の小さな贅沢。一人で行くと止められるけど、森へ猟をしに行く人達と一緒なら大丈夫。
木の香り、森の新鮮な空気。小鳥の囀りに、可愛い小動物たち。周りを見渡して、食べられる物を採取する。明日はポタージュでも作ろうかしら?
「あら、いけない……」
夢中になって進んで行ったら、他の人と逸れてしまった。早く戻らないと心配されちゃうわ。
戻ろうとしたその時に、私の後ろから「ドス!」と鈍い音がした、まるで何か重いものが落ちたような。振り向いても誰も居なかった。音のした方へ少し進んでみると小さな子供が倒れていた、体中が傷付いていて、倒れた地面には血溜りが出来ていた。
一瞬の事で驚いてしまったが、早く助けに行かないとこの子は死んでしまう。それ程に悲惨な状態だった。
彼は少し顔を上げると、私を見た。
私も彼を見た。彼の瞳を見た。
何処かで、遥か昔に見たような瞳。
彼は直ぐに顔を伏してしまった。私は走って彼の許まで行き、治癒魔法を使い始める。骨折に傷も治せたけど、地面に溜まった血を見ると貧血になってるはず。
彼を背負って、来た道を戻る。途中で猟師さんや警護してくれた自警団の人達と合流してから急いで村へ帰る。
村に帰って彼を家に運び入れた後も大変だった。魘される彼の様子を見ながら汗を拭く。リィデットさんが持って来てくれた、貧血に効く薬をお湯に溶かして置いておく。
あれから一日経った朝。私はポタージュを作っている。昨日は徹夜で看病していたから少し疲れたけど、あの様子なら今日には目が覚めると思う。何とか助けることが出来てよかった。
そうだ、彼がこの村に住むための許可書を村長さんから貰わないと。
村長の家まで、この事を伝えに行くと少し驚きながらも村に住むことの許可を頂いた。後で彼の様子を見に、村長も家に見舞いに来てくれることになった。
帰りに明日の分の食料を買っていく。彼が弱っているかもしれないから雑炊の方がいいかしら?
あ、火つけっぱなしだから早く帰らなきゃ。
家に帰ると火事にはなってなかった、安心安心。
荷物を置いてから、彼の様子を見に寝室に入ると目が合った。
「っっ結婚してくれ!!!」
彼は私を、じっと見た後にこう言った。え? うん、ありがと。びっくりしたけど、何て返事すればいいのかしら??
「元気になったのね? よかった」
……なんだか無視した感じになっちゃったけど、大丈夫かしら?
この子は、あの人に似ている。見た目は全然違うけれど、彼の持っている雰囲気が似ている。特にその瞳に宿る色は一緒だと思う。
話をしてみると、どうやら魔法を知らないみたい。そんな人っているのかしら?
実際に魔法を実演して見せてみたら、物凄く驚いていた。……あれ、この子もしかして……? いえ、まだその判断をするには速すぎるかしら。
「……記憶は? 何処まで無いの?」
質問してみたけど、返事が無い。何か考え込んでいるみたいね。それに、この子の不思議な雰囲気は、あの時と似ている。記憶喪失ではなくて、異邦人なのかもしれない。
さらに質問をしてみると、彼はこの世界に来てからの事を話してくれた。崖上の教会? 懐かしい所から来たのね。それよりも異邦人だって事は他の人に知られないようにしないと、この子にも危険だから、例え知り合いでも話さないように注意しておかないと。知られたらきっと苦労するから。
どちらにせよこの子をこのまま放置したら苦労するのは目に見えている。――だから私がこの子を育てようと思う。それに、この子はきっと……。
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私がこの子を引き取って一ヶ月。彼もこの村に馴染んでくれたみたい。
後、彼を観察して分かったことだけど、少し変ね。たまに抱きしめたりすると、だらしない顔になってるの。それに添い寝をしていると少し息を荒くしながらギュって抱きしめてくるのよね、寂しがり屋なのかしら? 私も抱きつくのが好きだからいいんだけど。
この前なんか、顔を真っ赤にして過呼吸になってたから「もう一緒に寝るの止めた方がいい?」って聞いてみたら、更に顔を真っ赤にして鼻血を出しながら「そんな! ご無体な!」って力説してたわ。本当に大丈夫かしら? あら、胸に血が付いてたわ。
他にも困った事が一つあるのよね。この子、人獣族の耳や尻尾を見てるの。しかも、気に入った耳や尻尾が生えた人に近づいて行って「さ、触ってもいい!?」って顔を赤くしながら聞いてたわ。
私、その時決めたわ。厳しく躾けようって。でも、触られた人獣族の人は困った反応をしながらもちょっと嬉しそうなのよね。人間族と人獣族が仲良くしてるのを見れるのは嬉しいけど、なんだか腑に落ちないわね。
特に、ミーレルに対する接し方や触り方は犯罪ね。帰ったらお仕置きしなきゃ。
生活の面ではこの子、よく気がつくし、率先して手伝ってくれるから助かってるわ。言われた事を真面目にやっているし、刀剣術や格闘術、魔法も熱心にやっているわね。私が習うように言ったから、嫌々やっているかもとも思ったけど杞憂だったみたい。彼自身が楽しそうにやっているんだから。
年齢の割にはしっかりしていると思うわ。たまに空を見ながら口を開けて放心しているけど……。
さらに時が進んで、この子との出会いからもう四年も経った頃。
彼が長年鍛えた成果が体つきに出始めてきていた。最初の頃とは見違えるほどの成長になんだか私も嬉しくなる。
今日は初めて村の外で狩猟の手伝いをする事になっている、同行者がミリアムだから安心だけど、ミリアムだから不安なのよね。この矛盾、分かる人には分かってもらえると思うわ。
狩猟から帰った最初の報告は森に闘豚族が出たとの事だった。他の地域よりは平穏だった村の周辺でオークが出たことなんて何十年も前の事、何も問題が無ければいいけれど……。
予想では、ヴァーレン要塞から来たオークだと思うわ。直ぐに帰ってくれればいいんだけど。
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今日は彼とお買い物。手を繋いでこの子が知らない道具の使い方や、食べ物の説明をする。これも勉強の一環だったのだけど、もう村に流通している物は大体覚えたみたい。本当は村の外にある物をもっと見せてあげたいんだけど、私が外に出たらちょとした騒ぎになってしまうからどうしたものかしら?
――何時かこの子と一緒に世界を見てみたいわね。
いえ、それも叶わない願いかもしれない。前から感じていた衰えが、今はハッキリと感じられるのだから。
「マヤ。これは何? 初めて見るものだけど?」
何時も来てくれる隊商の商品から、二つ揃って並んでいる指輪を指さして質問してきた。
「コレはね、【想いの指輪】っていうのよ」
懐かしい指輪を見ながら、彼に説明してあげる。
「想いの指輪?」
「そう。これはね、二つで一つなの。対になる指輪を填めた人の場所が、なんとなくだけど分かるようになるのよ」
「へぇ~。便利なんだね。でも、その割には安くない?」
思いの指輪は銀貨五枚。ん? 安くはないと思うんだけど?
「これはね、互いの思いが強くないと効果が発揮しないのよ。だから、ただ知り合いとか親しいぐらいの仲だと相手の居場所は分からないと思うわ」
なにせ、想いの指輪は男女が填める物。所謂恋人とか婚約者同士が身に着ける指輪だから。人によってはそのまま結婚指輪としても使われる事もあるらしいわね。
「……たまにはマヤにプレゼントしないとね」
満面の笑みで私に振り向いた彼に、私は目を奪われた。
――懐かしさと、あの時の想いを思い出して胸が苦しくなる。
彼は、隊商の商人にお金を払うと私に指輪を向けた。何故か私は反射的に左手を出してしまった……は、恥ずかしい。
手を引っ込めようかどうしようか悩んでいた私に対して、彼は一瞬驚きながらも照れた表情をしながら私の薬指に指輪を填めた。
「「…………」」
い、いけない。なにか話さないと。
「ぁ、ありがとう!」
「どういたしまして」
互いに笑い合いながら手を繋ぎ合った。もっとも、たまたま近くに居たミリアムに呆れた顔をされて、通りかかったミーレルが顎を外す勢いで口を開けていたけど、見なかった事にしよう。
それと、嬉しかった事がもう一つ。
想いの指輪はちゃんと効力を発揮してくれた。
この事を日記に書いたら今日はもう寝よう。カイムは私と一緒に寝るまで起きているから、自然と早く寝る生活になっているのよね。そろそろいい歳なんだから、別々に寝た方がいいと思うんだけど。
……。私もまだ一緒に寝たいから後十年後くらいにまた考えよう。
明日は日記を村長さんの家に預けに行かないと。昔の記憶が徐々に思い出せなくなってきている私にとって、日記は掛け替えのない物だから。
カイムと抱き合って、頭を撫でながら眠りにつく。
――明日もカイムが元気でありますように。
――明日も私が傍に居られますように……。
作中の月(一月、二月の)は、この世界だけの特別な呼び方です。