1歳3ヶ月 10 ―――潜入
「えっ!? ちょ、これ……どうしよう!? と、と、とにかく報告しないとっ!!」
そんな女性の声が聞こえたかと思うと、甲高い笛の音がエルフの森に響き渡りました。
即座に森の各所で呼応するかのように笛の音が鳴り響くと、やがて遠くからこちらへ接近してくる足音が聞こえてきました。
じきに足音が私の周囲を取り囲むと、足音の主たちは困惑したような声色で口々に言葉を交わします。
声の感じからして、三人くらいでしょうか。
「これ……人間の、赤ちゃん?」
「どうしてこんなところで倒れているのかしら……」
「さっきの人間の家族……とかかな?」
「髪の色が全然違うけど」
「誰かが捨てていったのではないかしら?」
「ボロボロじゃん。生きてるの?」
「と、とにかく、まだ生きてるなら里に……!」
「族長、怒らないかな?」
「赤ちゃんだし、多分だいじょうぶじゃないかしら?」
そんなやり取りの後、うつ伏せで地面に横たわっていた私の身体が持ち上げられました。
すると私の軽すぎる体重に「えっ」という声が聞こえましたが、私は構わずに目を閉じたまま死んだふりを続行。
どうやら私は誰かの胸に抱かれて、どこかへと運ばれているみたいです。
よしよし、ここまでは計画通りですね。
わざわざ魔法で服を引き裂いて、服も体も土で汚しに汚して、里の周りを巡回しているエルフにギリギリ発見される位置で横たわっていた甲斐がありました。
こちらから発見されに行ったのでは不自然ですので、敢えて向こうに発見させたのです。それにこんな風に意識がなければ、エルフ族と遭遇した時の反応を考えなくていいですからね。
いかにエルフ族といえど、野垂れ死にそうになっている幼児を放ってはおくまいという計略。
さすがにここでトドメを刺そうとするような極悪非道種族だったら、今日この場で滅ぼしてやろうかとも思いましたが……それには及ばなかったようです。
この様子なら、さきほど誰かが口にした『さっきの人間』とやらも酷い目には遭っていないかもしれません。
私は持ち運ばれながらもうっすらと瞼を持ち上げて周囲を観察していると、やがて周囲の景色は森の中から集落へと移ったことが窺えます。
そして私はただ目を閉じているだけではなく、苦しげな表情を浮かべながら脇腹を押さえたり、悪夢にうなされているかのような素振りを見せたり、細かい演技を続行しておきました。
すると私の誘導にまんまと乗ってくれたエルフの一人が私の服をめくり、そして息を呑みました。
じつはあらかじめ空気を炸裂させる魔法を自分の脇腹に打ち込んでおいたため、私の脇腹は青く腫れ上がっているのです。……本当はちょっと赤くなるくらいで良かったのに、うっかり加減を間違えてしまったという経緯があったりするのですが。
しかしこれにより、きっと彼らは私の背景を勝手に悪い方へ悪い方へと考えてくれるでしょう。
そうこうしているうちに、私を運ぶエルフたちは目的地へと辿り着いたみたいです。
どこかの建物の中へと入っていったエルフたちは、私をベッドのような柔らかいところへ下ろしました。
「これ、首輪? こんな子供に……最悪だな」
「おなかにひどい痣があったわ……きっと虐待を受けていたのよ」
「体重も信じられないくらい軽かったよ! もうずっとご飯を食べてないんだよきっと!」
「じゃあこの子は、散々痛めつけられた挙句に森へ捨てられたってことかしら……?」
「こんな小さい女の子を……やっぱり人間は野蛮だな。許せない」
「もしかしたら虐待がイヤで、自分から逃げてきたのかも?」
「それじゃあ尚更、この子を元の家に帰すわけにはいかないわね」
「ああ。きっと今度こそ殺されるぞ」
そんなことをエルフたちが話し合っている間に、私はやや緊張しつつも、機を見てゆっくりと目を開きました。
それから、私を運んできてくれたエルフの人たちへ視線を向けます。
金髪、碧眼。そして“エルフ耳”。見まごうことなき、お手本のようなエルフ族でした。
恐ろしく整った顔立ちはさながら芸術品のようで、これだけの美貌をもっている人たちに私の媚びがどこまで通じるものか、少し不安になってしまいます。
声でわかってはいましたが、私を発見してくれた人たちはみんな女性のエルフでした。
元気そうな中学生くらいのエルフ。勝ち気そうな高校生くらいのエルフ。そして穏やかそうな大学生くらいのエルフです。
もっとも、もしエルフ族が長寿な種族なら、外見年齢なんてあてにはなりませんが。
「あっ」
と、中学生くらいのエルフ少女が、私が目を覚ましたことに気が付いて声を上げました。
すぐに他の人たちも私へ視線を向けてきますが、私は大げさにビクリと肩を震わせると、恐怖に満ちた表情を浮かべ、震えながら頭を抱えて蹲りました。
するとエルフの人たちは慌てたような声色で、
「だっ、だいじょうぶよ? お姉ちゃんたち、怖い人じゃないから……!」
「そうそう、イジメたりなんてしないからさ」
「私たちが守ってあげるからね! もう心配いらないよ!」
……なんというか、この人たち普通に良い人っぽいなぁ。
やることは過激だったりしても、根は良い人たちなのでしょうか? ちょうど、かつての獣人族みたいに人族とは常識が違っているだけで……
それとも街を襲ったのは、一部の過激派エルフとかだったり?
ううん、とにかく今は演技に集中しましょう。
私は蹲りながら、かつて盗賊が私の家を襲ってきた事を思い出します。そしてお母さんが斬りつけられて血まみれになった光景をまぶたの裏に想起。
……よし、涙が溢れてきました。
私はぽろぽろと涙がこぼれる瞳で、エルフ族の女の子たちを見上げます。
そして握ったこぶしをそっと口元に当てて、足はぺたんこ座り。
これぞ篭絡四十八手、『いぢめないで……』。
そんな私の仕草に、彼女たちの中で最年少であろう中学生くらいのエルフちゃんが頬を紅潮させました。
そして彼女は私へと手を伸ばすと、きつく抱きしめてきます。
「これからは、私たちがキミの家族だよ! もうなんにも怖くないからねっ!」
他の子が「ちょっとララ。族長に許可もなく、勝手にそんなこと言っていいの?」と言う声に、「いいのっ!」と返したエルフ少女は私を抱き上げると、
「今から族長の許可をもらって来ればいいだけだもん! ほら、みんな行こっ!」
そうしてララと呼ばれたエルフ少女に抱えられた私は、再び移動を開始します。
彼女たちのやり取りからして、おそらくはエルフ族の族長……つまり一番偉い人のところへ行くみたいでした。
さぁ、ここからが正念場です……!




