1歳3ヶ月 4
次の日。
私はケイリスくん経由で、隣の部屋で一晩中揉めていた二人をこってり絞ってやりました。
……どっちが私と一緒の部屋になるかで揉めてたからケイリスくんと同室にしたのに、これじゃ全く意味がないじゃありませんか。
久々のお仕置きに喜ぶレジィを踏みながら、私は深々と溜息をつきました。
食材とか生活用品は昨日のうちに買ってしまいましたし、この街ですることはもうありません。
うっかり正体がバレてしまうのも面倒ですから、さっさとこの街を発つとしましょう。
宿屋を出たケイリスくんが、馬車庫に入れておいた馬車を取りに行ってくれている間、私たち三人はノローセの街並みを眺めていました。
すると何やら、向こうの通りが騒がしいことに気が付きます。
何かイベントでもやっているのかと思いましたが、ずば抜けて視力のいいレジィがポツリと、
「……なんだあれ。子供が蹴られてるぞ」
レジィの言葉に、私とネルヴィアさんは驚愕しました。
そしてそれが事実であれば、放っておくわけにはいきません。
勝手に待ち合わせ場所から離れるのはケイリスくんに悪いですが、緊急事態です。
私は、私を抱えてくれているレジィをペチペチ叩いて、騒ぎの起こっている方向を指さしました。
「えっと、助けに行くのか?」
私が頷くと、レジィは「んー、わかった」と気乗りしない感じに答えてから、かなりの速度で駆け出しました。ちょっとちょっと! もう少し人間っぽい速度で走って!
あっという間に騒ぎが起こっている場所へ到着した私たちは、そこで十歳くらいの男の子が、小太りな果物屋のおじさんに蹴られてボロボロになっているのを見ました。
私はやや遅れて追いついて来たネルヴィアさんを、ジッと見つめます。
彼女はそれだけで私の意図を察したのか、人だかりに向けて大きな声で呼びかけました。
「こ、子供相手に、何をしているんですか!」
ネルヴィアさんの声に、子供を蹴っていたおじさんや、その周囲の人たちが一斉にこちらを振り返ります。
人見知りのネルヴィアさんはそれだけで「あぅ……」と萎縮してしまいますが、それでも彼女の正義感がそれに勝ったのか、言葉を続けてくれました。
「そ、その子が、一体何をしたっていうんですか……?」
ネルヴィアさんの問いに対して答えてくれたのは、私たちのすぐ近くにいたおばちゃんでした。
「……あの子、帝国の子なのよ」
「帝国の子……って、それだけで、あんな仕打ちをするんですか!?」
ネルヴィアさんの反応に、おばちゃんは面倒くさそうに頭を掻いてから、蹴られていた男の子を指さしました。
「見てよ、あの身なり。あれはね、帝国から“移民”してきた子なのよ」
「……移民?」
「帝国から流れてきた子だね。そういうのが、この街の隅っこにある貧地区にはいっぱいいるんだよ。それでその一部が、あの子みたいに泥棒に走るってわけ」
移民……ですか。なるほど。
何らかの事情で帝国にいられなくなった人たちが、国境を越えてこの街へ流れ込んでくるのですね。
つくづく国境沿いの街には、いろいろと面倒なことが起きるようです。
そして帝国で居場所を追われるような人間は、何かをやらかしたか、あるいは暮らしに窮したか……どっちみち、この街の人たちにとっては厄介者でしかありません。
当然、お金なんて大して持っているはずもありませんから、こうして生きていくために犯罪に手を染める。するとますます移民者の立場が悪くなっていくという悪循環に陥っていると。
もしも刑務所のようなところへ放り込めば、彼らの衣食住を保証することになり、この街の財政に大打撃を与えかねません。
だからこそ、ああやって痛い目に遭わせてスラムへ追い返すという対応をしているのでしょう。
帝国と共和国は同盟関係であり、その上 互いの国境間の行き来にも制限は設けていません。
だからこそ大っぴらに彼ら移民を拒絶することもできないわけで。
それに追い打ちをかけるように、過去の帝国との遺恨まであるとなっては……私にはどうしようもありません。
……こういう複雑な事情って、私の最も苦手とする分野なんですよね。
魔法で吹っ飛ばして解決、みたいなのが一番やりやすくて助かるのですが……
「以前は隣町のトーレットが引き取ってくれてたんだけどねぇ……今はエルフのせいで、もうそれどころじゃないし」
そんな呟きを漏らしたおばちゃんは、そこでふと、私たちの顔を改めてまじまじと見つめながら怪訝そうに眉を顰めました。
「ところであんたたち、共和国民じゃないのかい?」
あっ! もしかして、この移民問題って共和国では常識だったのでしょうか!?
せっかくケイリスくんが両替までして身元を偽ってくれたのに、こんなにあっさり墓穴を掘るなんて……!
いえ、まぁ、もう街を出るところなのでバレてもさして問題はないような気もしますが、しかし今後どこでしっぺ返しが来るかわからないのが怖いところです。
私とレジィは喋れないので、わたわた慌てているネルヴィアさんが上手いこと誤魔化してくれることを期待していると……
私たちの背後から、カツン、と高らかな靴音が響きました。
「勇者様曰く。『貧しきに罪は無し。弱きに罰は無し。等しく隣人に手を差し伸べ、同じき方角を見据えよ』」
突如として聞こえてきた新たな声に、私たちは一斉に振り返りました。
そこには、帽子を目深に被って赤いマフラーで口元を隠したケイリスくんが立っていました。
すぐそこに馬車が停まっているので、待ち合わせの場所にいない私たちを追いかけてきてくれたのでしょう。
たった今彼が口にした語句は……おそらく教典の一説か何かでしょうか?
早足で人だかりをかき分ける彼は、懐から一枚の金貨を取りだし、ボロボロの男の子に投げてよこしました。
「うちのお嬢様の教育に悪いので、今日のところはこれで収めてくれませんか?」
ケイリスくんがチラリと私へ視線を向けると、その場の全員の視線が私へ集中しました。
すかさず私は、クルセア司教直伝・明星流 篭絡四十八手『乱暴しないで……』を発動し、怯えたような表情と仕草で皆さんの同情心を煽ります。
地面に横たわったまま目を丸くする男の子と、目を伏せて深々と溜息をつく果物屋のおじさん。
それからおじさんは男の子の手から金貨を引ったくると、金貨一枚分の果物を袋に詰めて、男の子に押し付けました。
「……また同じことをしやがったら、エルフの森に投げ込んでやるからな」
果物を手にした男の子は、しばし呆然とそれを眺めていましたが……すぐによろよろと立ち上がると、足を引きずりながら薄暗い路地裏へと消えていきました。
それを見届けたケイリスくんは、「……行きましょう」と言って早足で馬車に歩み寄ると、馬車の扉を開けてくれます。
彼に続いて私たちが「お、お騒がせしましたぁ~」と逃げるように馬車へ乗り込むと、すぐに馬を走らせるケイリスくん。
……なぜか馬車を操るケイリスくんの横顔には、怒りとも悲しみともつかない感情が滲んでいるように見えました。