1歳3ヶ月 2 ―――国境の街 ノローセ
私たちは念のために大きく街を迂回して、帝国側ではなく共和国側から『ノローセ』に入りました。
街へ入る際に検問とかがあるのかと思いましたが、ケイリスくんが警備兵のおじさんに「ルーンペディからの巡礼です」と言うと、警備兵っぽいおじさんがチラッと馬車を覗いただけで普通に入れちゃいました。
ちょっと拍子抜けですが、まぁ、全員見るからに子供だったからかもしれませんね。
あと、「ルーンペディ」って何?
そのまま私たちは馬車で街に入ると、馬車が通行するために整備されているらしい大通りを進んでいきます。
そして私とおそろいの赤いマフラーで口元まで隠しているケイリスくんは、私たちを振り返ると声を潜めて言いました。
「ネルヴィア様、言葉の抑揚には気をつけてくださいね。帝国訛りと共和国訛りには結構違いがありますから」
「は、はい……!」
ケイリスくんの言葉に、私はちょっと首を傾げます。そんなに言うほど差があったかな?
ネルヴィアさんも、困ったように首を傾げています。違いがあんまり判らないのでしょう。
私たち二人が困惑していると、あっけらかんとした表情のレジィが口を開きました。
「なぁ、オレ様はいいのか?」
「レジィ様はどこの方言かわからない不思議な訛りですし、大丈夫でしょう」
たしかにレジィって、ちょっとイントネーションが独特な時があります。獣人訛り、あるいは魔族訛りという奴なのでしょうか?
……っていうか、レジィは人前で喋るなっていうのが大前提でしょ! もう忘れてるし!
そんなやり取りをしているうちに、馬車は街の中央へと向かって行きます。
中心街はそれなりに活気にあふれていて、赤レンガ造りの立派な建物が馬車道沿いにずらっと並んでいました。
商人っぽいおじさんが呼び込みをしていたり、お店の中から美味しそうな匂いが漂ってきたり、小さな子供がお父さんに何かをねだって泣いていたり、なかなか賑やかで楽しい街です。
ケイリスくんは馬車道の路端へゆっくりと馬車を止めると、御者座席から無駄のない優美な動きで降りてきて、馬車の扉を開けてくれました。わぁ、かっこいい……
そして私を抱えたレジィが降りたのを確認すると、そのままパタンと扉を閉めてしまいます。自分も降りようと腰を浮かせていたネルヴィアさんが、ポカンとして固まっていました。
「ネルヴィア様は馬車番をしててください」
ケイリスくんはそれだけ言うと、つかつかと商店の方へ歩いて行ってしまいます。
ああ……ネルヴィアさんが膝を抱えて蹲っちゃってる……す、すぐ戻るから待っててね。
私たちがケイリスくんに追いつくと、彼は立ち並ぶお店には目もくれず、一直線に人通りの少ない道へと入っていき、さらにそこから路地裏のような薄暗い道へと進んでいきました。
しばらくそんな道を歩いていると、やがて路地の突き当りにひっそりと佇んでいる建物が見えてきます。
ケイリスくんがその建物へ入ったので後に続くと、室内は随分と寂れており、薄暗くてなんだか不気味です。
そしてその奥では、まるで浮浪者のような外見の男がテーブルの上で胡坐をかいて、ニヤニヤと人の悪そうな笑みを浮かべていました。
うわぁ、私は苦手なタイプの人だなぁ……と若干引いていると、ケイリスくんはまったく臆することなく彼の目の前まで歩いていき、なんと持っていた金貨袋を彼に投げ渡してしまいました。
ちょっ、なにやってるの……!?
浮浪者っぽいおじさん……略して浮浪者さんは、すぐに袋を逆さまにして中身をぶちまけると、一枚ずつ丁寧に数えていき、それらを十枚ずつ積み上げて並べていきました。
そしてすべて数え終えると、彼はそれらの金貨をテーブルの端に押しのけてから、建物の奥にある古ぼけた棚へと歩いて行きます。
浮浪者さんは棚の中から袋を取りだすと、すぐにこちらへと戻って来て、ケイリスくんの前のテーブルに中身をぶちまけました。どうやらそれも金貨みたいです。
ケイリスくんは迷わずそれらを数え始め、そして全部数え終えると「確かに」と小さく呟きました。
それからケイリスくんは空っぽになった金貨袋に、浮浪者さんが持ってきた金貨を詰め直していきます。
けれども彼は、それらの金貨のうち数枚ほどはそのままテーブルの上に残して、
「入りきりませんね。すみませんけど、処分しておいてください」
「……まいど」
ケイリスくんの言葉に、ニヤリといやらしい笑みを浮かべた浮浪者さんは、ケイリスくんが最初に渡した金貨と、今残した数枚の金貨をかき集めると、それぞれ別々の袋に詰めて、再び奥の棚へと戻しました。
そしてケイリスくんは何事もなかったかのように私たちの方へ戻ってくると、「じゃあ、行きましょう」と言って、またつかつかと歩いて行ってしまいます。
私とレジィはわけもわからず、互いに顔を見合わせて……それから、彼の背中を追いかけました。