1歳2ヶ月 9 ―――黒き陰謀
どうやら明星派と久遠派は拠点としている建物も異なるらしく、この数日で私が度々足を運んでいた修道院から、帝都大教会を挟んだ反対側にある修道院が久遠派の居城みたいでした。
当然、久遠派の最高指導者であるカルキザール司教に呼ばれた私は、その建物を訪れることになります。
向こうから出向かずに私を呼びつけるということは、まず間違いなく私を“勇者”と認める気はないようですね。
その時点で、彼らの呼び出しを無視する理由にはなるのですが……というか実際、明星派の皆さんからは強く止められたのですが、それでも私はカルキザール司教に会ってみたいと思ったのです。
派閥間のいざこざのせいで明星派の人間が久遠派修道院に入ると色々面倒なことになるらしく、私に連れ添うことができないようです。そのため必然的に私は単身で彼らの根城を訪問します。
とはいえ幾重もの魔術的プロテクトを自身に施しているので、襲われたりする心配は全くしていませんがね。
むしろ考えなしに手を出してくれるような連中だったら、吹っ飛ばす大義名分ができるというものです。
実際は、そう簡単には行かないでしょうけれど。
私が久遠派の修道院を訪れると、院の門前に立っていた騎士の青年が、やや緊張した面持ちで中へ導いてくれました。
さすがに同じ宗派の修道院というだけあって、内装は明星派とそう大差ないみたいです。ただ内壁の劣化具合から見て、こちらの建物の方がはるかに歴史があるみたいですので、もしかしたら分裂して独立したのは明星派のクルセア司教たちなのかもしれませんね。
私は修道院の皆さんからなんとも言えない視線を浴びながら、騎士さんの先導に従って、とある一室の前へと案内されました。
「セフィリア卿がお越しになられました」
ノックと一緒に騎士さんがそう呼びかけると、室内からは「どうぞ」という男性の声が聞こえてきました。
騎士さんが開けてくれた扉から一歩室内へ入ると、私はピンと背筋を正して敬礼します。
「ていこくぐん、ちゅうおうしれいぶ、まじゅつばくりょうちょう、セフィリア。ただいま さんじょういたしました」
室内で執務机に着席して私を待ち構えていたのは、柔和な笑みを湛えた白髪の老人でした。
間違えても他人を貶めたり利用したりなんてするようには見えない、人の良さそうなお爺ちゃんです。
……この人が、私の悪評を広めた首謀者?
「よくぞおいで下さいました、セフィリア殿。そう畏まらず、楽にしてください。堅苦しいことは、無しにいたしましょう」
「はっ」
私は敬礼を解きますが、だからと言って本当に楽にすることはありません。
私は貴族として列せられてはいますが、所詮は男爵。そして軍人としては特務曹長級。目の前の司教様の方が、圧倒的に格上なのです。
私が勇者として見られていない以上は、単なる一軍人でしかないわけで、相応の礼儀というものは弁えなければなりません。
ましてや彼は現状、帝都における私の唯一にして最大の敵です。うっかり無礼を働いて、こちらを攻撃する理由を与えるわけにはいきません。
かかとを揃えて“気をつけ”の姿勢で静止している私に、カルキザール司教はやや困ったように笑います。
「やれやれ、本当に……。レグザーブ君、外していただけますか?」
レグザーブ君と呼ばれた騎士の青年は、私に視線を向けて少しだけ逡巡した後、部屋を退出しました。
そうしてこの部屋……恐らくは司教室であろうこの空間には、私とカルキザール司教だけとなります。
大きな窓を背負うカルキザール司教は、その穏やかな顔に深い影を落としながら、柔らかい笑みを引っ込めて口を開きます。
「……回りくどいことは、無しにいたしましょう。単刀直入にお尋ねします。……あなたは、いったい何者なのですか?」
カルキザール司教から発せられたその問いに、私は思いっきり面食らいました。
質問が抽象的すぎるということも困惑の理由ですが、それ以前に、どういう意図の質問かも測りかねるような問いだったためです。
それは司教も承知しているようで、彼はゆたかな髭を撫でながら、質問を補足しました。
「あなたが初めて魔法を使用したのは、半年ほど前と聞きます。本来、魔術師となることは大変に難しく、生まれ持っての才能だけでなく、長年の研究や、幅広い知識が必要となるそうです。……それを、本来は自我も形成されていないはずの乳幼児が会得するなど、普通では考えられません」
司教の口にしたド正論に、私は黙って口を噤むことしかできません。
そう、うっかり忘れがちになってしまいますが、私は本来まともな会話さえおぼつかない年齢の幼児なのです。
私があまりにも当然みたいに会話をしているので、帝都の人たちもだいぶ感覚が麻痺してきてるみたいですが、一歳児が理路整然と会話をするなんて、冷静に考えてみれば恐ろしいことです。
しかも、その気になれば街の一つや二つ簡単に滅ぼせるような、戦略兵器じみた能力まで備えているとなれば、私に対する迫害もそう理不尽なものとは思えません。だからこそ私は、クルセア司教に唆されるまでは我慢を決め込んでいたのです。
そしてカルキザール司教は穏やかな目を細めると、低い声でとんでもないことを言い放ちました。
「……私は、あなたが人間とは違う、恐ろしい何かに思えて仕方がないのです」
は……?
私が、人間じゃない?
え、えっと、それは帝都に広まっていた私の噂の一つである、「獣人を従えていたから魔族なのではないか?」みたいなことでしょうか?
……いえ、そういうことではなく、もっと根本的に……そもそも乳幼児の時分から言葉を介し、魔術を操るその異常性をこそ、司教は非人間的と訴えているのでしょうか。
司教はふざけているわけでも、こちらを試している様子でもなく、至って真面目に、率直な感想を述べているだけのようでした。
言い回しは婉曲的ですが、これってつまり、あの男の子が私に叩きつけた「バケモノ」という言葉と本質的には何も変わりません。
「……すごくひどいことをいっているじかくはありますか」
私は悲しみの感情を隠そうともせず、こちらも回りくどいことは無しで率直な言葉を返します。
カルキザール司教の言い分もわかりますが、だからと言って、こんな小さい子供に「人間じゃないだろお前」なんて暴言を吐くというのは、ちょっと普通じゃありません。
司教は私の問いに言葉を詰まらせつつ、それでも退くことなく私の目をまっすぐに見つめてきます。
「……私は勇者様を信仰して、かれこれ五十年以上になりますが……今日ほど信仰が揺らいだことはありません。教典に記された『生まれながらにして高い知性と教養を持ち、そして魔法を操れた』などという文章が……いざ現実のものとなった時、これほどまでに恐ろしいこととは思いもしなかったのです……!」
司教の枯れ木のような手は微かに震えていて、彼の恐れがとても根深いものであることを物語っていました。
多くの信徒を従える立場の彼がこれだけの恐怖を露わにするのは、それほどまでに彼が多くの人々の命と安全に責任を持っていることを示しているかのようでした。
きっと司教が何の責任もないような、自分のことだけを考えていればいい立場の人間であったなら、ここまで怯えることはなかったはずです。
帝都の人々を守らなければならないという使命と、彼の実直なまでの責任感が、私という圧倒的イレギュラーに対する恐怖へと転じてしまっているのではないでしょうか。
だからと言って他人を排斥するためにありもしない悪評を流すことは感心しませんが、私個人としては、彼の感情には一定の共感と、そして敬意を表したい気分でした。
「……きっとわたしは、あなたのおっしゃるとおり、いじょうなそんざいなのだとおもいます」
私は執務机越しのカルキザール司教の視線を受けながら、けれども胸を張って言い放ちました。
「だけど、おなかはすきます。ねむくもなります。トイレにだっていきますし、つかれたりもします。こわいゆめをみたり、きんちょうしたり、ちょうしにのったり、ないたり、わらったり、おこったりもします。わたしはおかあさんのおなかからうまれてきましたし、それをほこりにおもっています。まだあったことはありませんが、おとうさんだっています。……わたしは……『にんげん』です」
私のその主張に、カルキザール司教はハッとしたように目を見開きました。
司教の枯れ木のような手が、固く握りしめられるのが見えます。
「もっと、ていとのみんなのためにがんばります。ひつようとなれば、せんじょうにもいきます。だからどうか、わたしをにんげんとみとめてください。わたしを、バケモノとさげすまないでください」
そう言って、私は深々と頭を下げました。
異常な存在として生まれ落ちてしまった以上、カルキザール司教の不安や恐怖を完全に取り除く術は、私にはありません。
ですから説得や交渉の余地など最初から存在せず、私にできることは、誠意をもってお願いすることだけ。
「……頭を……お上げください」
司教の声色は非常に沈痛なもので、私はそっと顔をあげて彼の表情を窺うと、司教は耐え難い苦痛を堪えるかのように歯を食いしばり、頭を抱えていました。
噛みしめた歯の間から漏れる荒い息が、彼の取り乱しようを物語っています。
そして司教が震える声で、「セフィリア殿……私は……」と何かを言いかけた―――その瞬間。
「もぉ、司教様ってば、そんなに悩むようなことないじゃないですかぁ」
突如として、私と司教以外には誰もいないはずだった室内に、甘ったるい声が響きました。
私が目を見開くと同時、カルキザール司教の座っていた執務机の向こうから、ひょっこりと女の子が顔を出します。今まで机の向こう側の床に座り込んで、隠れていたのでしょうか。
彼女は黒く艶やかなセミロングヘアーをした美少女で、ゴシックロリータファッションのような黒いドレスに身を包んでいました。
彼女は軽やかな足取りで執務机を迂回すると、そのまま私の方へとずかずか歩いてきます。
そして突然のことで、私が警戒する暇もなく、
「こうすればぁ、リルちゃんたちの目的は達成なんですからぁ♪」
少女はそう言いながら、私の首に素早く何かを装着しました。「カチャン」という音に驚いて首元に手を触れてみると、どうやら装着されたのは金属製の首輪みたいなもののようでした。
私は「なにをするんだ」というような言葉を発しようとして……しかしそこで、さらなる驚きに見舞われます。
「―――っ、―――!?」
声が、まったく出せなくなっていたのです。