0歳7ヶ月 2
「おにーちゃん! ほん、かえして!!」
「うわっ! いきなりなんだよ、おまえ!?」
私は赤ん坊のフリをするのも半ば忘れて、お兄ちゃんから本を取り返そうと掴みかかりました。
お兄ちゃんの話が本当で、私の考えが正しければ、あの本は ほぼ間違いなく魔導書!
だって文字も読めないお父さんが、わざわざ形見として“本”を受け取るなんて、ちょっとおかしいなとは思ってたんです!
あの本は、お約束とか運命とか補正とか、そういうご都合主義的なパワーが一切味方してくれない私への、神様からの小粋な出生祝いに違いありません!
絶対にあの本を取り返して、解読してみせます!! 神様ありがとうございます!!
私は生まれてこの方、ここまで全力を出したことはないというくらい本気でお兄ちゃんに襲いかかりました。
もうお兄ちゃんを引きずり倒してでも本を奪取せよと、私の全細胞が叫んでいるのです。
……しかし悲しいかな、私は生後七ヶ月の乳児。
五歳児の健康的な男児を相手取るには、あまりに非力でした。
「しつこいぞ!」
そう言ってお兄ちゃんは、腰にまとわりつく私を強引に突き飛ばしました。
まだ頭が重くてバランスの取れない乳児である私は、支えを失って後ろにひっくり返ってしまいます。
しかも後ろにあったデスクの足に背中をぶつけて、その際、頭もゴチンと打ってしまいました。
「あ……」
お兄ちゃんが漏らした声を遠くに聞きながら、私は床に横たわりました。
そしてぐわんぐわんと回る脳みそを抑えるように、ぶつけた頭を両手で抱えます。
……痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!
頭が割れそうに痛い! 死んじゃいそうなくらい痛い! 血が出てるかもしれない痛い!!
なんで!? どうしてお兄ちゃんこんなことするの意味わかんないよ痛い痛い痛いよ痛い!!
お兄ちゃんなんて嫌い要らない酷いお母さんに言いつけてやるみんなに言いつけてやるっ!!
「ひっく……うぐ……ぐすっ……」
痛みと怒り、それから味方だと思っていた家族にひどい事をされた悲しみと、五歳児に簡単に負かされた情けなさで、涙がどんどん溢れ出してきました。
乳児として半年以上も過ごしてきたせいで、精神年齢が肉体に引きずられていたのかもしれません。
私はぶつけた頭を押さえて、床に這いつくばりながら、唇を噛みしめて泣き声をかみ殺すことしかできませんでした。
「うぅぅ、うぇぇええええええん……!!」
けれどもその我慢もすぐに限界が来て、堪えきれずに泣き声まであげてしまいます。
みっともないと頭ではわかっているのに、どうしても抑えきれませんでした。
「うっ……お、おまえがわるいんだぞ! まどーしさまになんて、なろうとするからっ……」
そんな声が頭上から降ってきたかと思えば、バタバタと走り去る足音がそれに続きました。
お兄ちゃんが部屋から飛び出してすぐに、私の泣き声を聞きつけたお母さんが駆けつけてくれました。
痛みと、いろんな感情がぐちゃぐちゃになってパニックになっていた私は、それからしばらくお母さんの胸に縋りついて泣き続けました。
……お兄ちゃんが村からいなくなったことが発覚したのは、それから三〇分ほどが経ってからでした。