1歳1ヶ月 8 ―――大魔王セフィリア……?
私はサルフェ村で三十分ほど仮眠して、魔力を全回復させてから獣人討伐へと乗り出しました。
魔力とはつまり脳の体力なので、魔力が少なくなると思考能力や記憶力も低下してしまいます。つまり戦えば戦うほど加速度的に弱くなっていくのが魔術師なのです。休憩は大事。
私はブラック社畜時代の経験から、短い休憩時間で即座に眠って最大効率の休息をとるテクニックを習得しています。
魔力量や魔力効率も重要ですが、じつは長期的に戦うためには魔力回復効率が最も重要なわけですね。
……まぁ、そこまでやっても過労死したんですけどね、私。
そんなこんなで現在、私はネルヴィアさんに抱かれながら、レジィのあとをついて行っていました。
どうやら彼は、自分が歩いて来た道筋を逆に辿っているみたいです。もしも追っ手の目標がレジィなら、いつかは鉢合わせになるでしょう。
そうしてかれこれ三時間ほど歩いて夕方となり、私が「これ私が走って探した方が早いんじゃないの……?」という疑問を感じ始めた頃。
レジィが突然立ち止まり、「お出ましだぞ」と低い声で言いました。
私は急いでネルヴィアさんに降ろしてもらうと、すぐに前方の茂みがガサガサと揺れて、それらは姿を現しました。
ウサ耳、猫耳、狐耳。
羊のような体毛や、リスのようなふさふさとした尻尾を生やしていたり、馬っぽい顔つきをしたのがいたり。
しなやかな肢体や、頑強ムキムキな肉体を持った、人と獣の狭間に生きる者たちが十数人……一斉に姿を現しました。
「レジィさん! やっと見つけましたぁ!!」
ウサ耳を生やした少女が、喜色満面となってこちらへ駆け寄ろうとして―――その直前に、私やネルヴィアさんの存在に気が付いたらしく、慌てて立ち止まりました。
ウサ耳少女は愕然とした表情で青ざめると、それからわなわなと震えだします。
「そ……その女は誰なんですかぁ……その赤ん坊は、誰と誰の子なんですかぁ!!」
どうやら酷い勘違いをしているらしいウサ耳少女を、レジィは「いや、知らねーけど」と軽くあしらいます。
……あとネルヴィアさん、顔が赤いけど大丈夫? 嬉しいのか怒ってるのかわからない表情してますけど。
人間の騎士を連れて歩いているレジィに、獣人たちは口々に大きな声を浴びせかけます。
「いきなり里を出て行くなんて、どうしたんだ!」
「アンタがいなくなったら、うちの里はどうすればいいんだよ!」
「無責任ですよ! しかも、人間に会いに行くなんて……私たちを捨てるんですか!?」
それらの言葉を受けたレジィは、しかし鬱陶しそうに目を細めるだけでした。
「オレ様は、オレ様の好きなように生きる。だいたい魔族が“責任”なんて女々しい言葉を口にするなよな。強者には、権利はあっても義務や責任はない」
レジィの言い分に、獣人たちは悔しそうに口を噤みます。
どうやら彼らの話を聞くに、レジィは里でも屈指の実力者のようです。
基本的に強者が絶対の風潮があるらしい魔族においては、実力のあるレジィはなにをやっても許されるのでしょう。
……とはいえ今は人族との戦争中なのですから、そんな実力者に里を出て行かれて、あまつさえ人間に会うために敵地へ単身で乗り込むなんて、いくらなんでも許容しがたいものでしょう。
追っ手と言うくらいですから、私はてっきりレジィが何か不祥事を起こして逃げてきて、彼を処断するために追ってきたのかと思っていましたが……実際は、単なるお互いのわがまま合戦のようです。
私はちょっと馬鹿らしくなってきた気分をどうにか抑えつけて、獣人たちに問いかけます。
「あなたたちが、にんげんのむらをおそったんだよね?」
いきなり喋り出した赤ん坊に獣人たちは一瞬ざわめきますが、すぐに気を取り直したみたいでした。
獣は産まれたばかりでも立ち上がったり走ったりしますから、普通の人間よりは受け入れるのが容易なのでしょうか?
私の問いに、猫……というよりライオンっぽいリーダー格の男が答えます。
「レジィを追わなきゃならんのに、悠長に狩りなんぞしてられんからな」
「……それは、むらをおそうりゆうになってないよ」
「十分な理由だろう? 弱ければ奪われるのは当然のことだ」
ライオン男の良い分に、他の獣人たちも共感を示して頷いています。むしろそんな当然のこともわからないのかと、私に侮蔑と嘲笑の視線すら向けてくる始末。
やはりそこは魔族、ジャイアニズムが染み付いているようですね。これではお話になりません。
……『弱ければ奪われるのは当然』ですって?
「じゃあ、いのちをうばわれても、もんくはないんだ?」
直後、私の背後で大爆発が起こりました。
土どころか、周囲の大木が根っこから吹き飛ばされるような規模の爆発です。
方位指定子によって爆発方向の制御は行っているので、こちらへ残骸が降ってくることはありません。 しかしそれでも、地面が広範囲にごっそり抉れるような爆発に、獣人たちは目を剥いて驚いていました。
「おい! 殺すなって約束、忘れてないよな!?」
同じく爆発に驚いていたレジィの忠告に、私は「おどかしただけだよ」と肩を竦めます。
しかし一気に警戒の色を強めた獣人たちを睨み付けながら、
「でも、あのひとたちは、ころされてもいいらしいよ? ……そうだよね?」
私は努めて感情を排した恐ろしい声色を心掛けて、獣人たちの心を甚振るように語りかけます。
まだ戦おうとしている獣人もいますが、すでに半数以上は、今の爆発を見て戦意喪失しているみたいです。
「あ、赤ん坊が、あんな大魔法を使えるだと……!?」
恐れ戦いているらしい彼らに、私は冷たい視線を向けて答えます。
「……いまのは大魔法ではない……弱魔法だ」
何となく雰囲気とニュアンスで、私の言わんとしていることは伝わったようでした。彼らの表情が絶望に曇っていきます。
へたりと尻餅をついてしまっているウサ耳少女が、ぽつりと呟きました。
「ま……まさか、伝説の『勇者』……」
その呟きに、獣人たちの間で悲鳴を上がります。
ああ、なるほど。魔族にとっての勇者っていうのは、“魔王”とか“歩く天災”みたいな意味を持っているのでしょう。実際、私もちょっとした天災くらいなら起こせますしね。
騎士修道会の手前、勇者扱いされるのはいろいろな面倒が伴うのでイヤなのですが、今回に限っては勇者扱いに便乗してしまいましょう。
「いまごろ きがついても、もうおそい……おまえたちは、わたしをおこらせた」
そう言って私がニヤリと笑うと、彼らの風前の灯火だった戦意は完全に吹き消されてしまったようです。
悲鳴をあげながら逃げ出そうとする彼らに、私はちょっと焦ります。ここで逃がしたら、大人しく魔族の領地まで帰ってくれる保証はありません。
「『非情口』」
周囲の地面が爆発的に盛り上がると、幅三十メートル、高さ三十メートル、厚さ二メートルの土壁が四枚、私たちを囲うように出現しました。
今は夕方なので、これだけ高い壁を生み出すと内側は当然ながら真っ暗になってしまいます。
私は魔法で背後に光源を生み出しつつ、怯える獣人たちを冷たく見下ろしました。
「……しらなかったの……? 『勇者』からはにげられない……!!」
トドメとばかりに私が凄むと、獣人たちは耳や尻尾をへたりと下ろして両手を挙げ、完全な降伏姿勢を取りました。
良く見れば震えて泣いている子もいて、どうやらちょっとやり過ぎてしまったようです。
さて、鞭は与えましたから、あとは飴を与えて故郷へ帰るように促すだけです。
私は背後の光源を上空へ移動させると、彼らに優しい声色で語りかけようとして……
その直前―――嬉しくて仕方がないといった表情のレジィが、私と獣人たちの間に立ち塞がりました。




