1歳1ヶ月 6 ―――危険な取り引き
私たちは少年の先導に従ってサルフェ村を出ると、近くの森へと入っていきました。
薄暗い森の中を進むこと数分。不意に少年が立ち止まったので、私たちは警戒しながら少し距離を置いて停止します。
私はネルヴィアさんに降ろしてもらい、彼女の邪魔にならないように離れました。
少年はこちらを小馬鹿にしたような笑みを浮かべると、まずはネルヴィアさんに向かって口を開きます。
「そっちの赤ん坊には気づかれてなかったみたいなのに、アンタはどうしてオレ様のことがわかったんだ?」
確かに私は警戒心が薄かったかもしれませんが、それにしても目の前の少年に怪しい点はありませんでした。
強いて言えば、村の中で帽子を深々と被っていることが少し引っかかるかな、とか、注意深く聞いてみれば言葉に訛りがあるかな、とかそんな程度です。
しかし天才騎士ネルヴィアさんの目には、はっきりと違っていたようです。
彼女は少年の問いに、自信と確信をもって答えます。
「ただの子供にしては、動作の一つ一つに隙がなさすぎて不自然だったからです。……しかし普通に村へ溶け込んでいたので、どういうことなのか理解できず混乱してしまいましたが」
……ああ、だからあんなに取り乱していたのですね。油断すれば一瞬でこちらへ致命傷を負わせることのできる存在が、当たり前みたいに人間の村に紛れ込んでいて、しかも突然目の前に現れたから。
まぁ、人見知りであることも無関係ではないのでしょうが。
ネルヴィアさんの答えを聞いた少年は「なるほど、これじゃ帝都は騙せそうにないな」などと呟きながら、深く被っていた帽子と、腰に巻き付けていた上着をおもむろに脱ぎ去りました。
「オレ様はレジィ。他の魔族たちからは、“疾風のレジィ”とか呼ばれてたっけな」
彼の頭頂部には案の定、髪の毛と同色である赤茶色の獣耳が。
さらにお尻からは、途中まで細くて先端がフサフサに広がっている尻尾が伸びて揺れていました。
好戦的な目つきの奥で瞳孔が縦に割れると、薄暗い森の中に赤銅色の瞳が二つ浮かび上がります。
鋭い牙をのぞかせた口で嗤う姿は、紛れもなく私たちの探していた“獣人”そのものでした。
ネルヴィアさんが両刃長剣を抜刀する音を聞きながら、私も広域制圧に特化した呪文を脳内で構築します。
すると、殺気立つ私たちを見た少年は「おいおい、ちょっと待った待った!」と慌てて手を振りました。
「アンタらの目的は、オレ様じゃねーだろ? 村を襲ってる獣人ってのがいるんじゃなかったのかよ?」
その不自然な言い回しに違和感を覚えつつも、私は情報を引き出すために詰問します。
「まさか、じぶんはかんけいない……だなんて、つごうのいいことはいわないよね?」
「そのまさかだっつーの。ああ、いや、関係なくはないのか……?」
レジィは無造作に頭を掻きながら、悩むようなそぶりで首を傾げました。
そんな彼の様子に、私はもう一歩斬り込んでみます。
「どういうこと?」
「いや、なんと言うか……オレ様は、ある目的のために一人で里を抜け出してきたんだけどさ。多分その里のやつらが、オレ様を追って来てるんじゃねーかな」
自分のことのはずなのに、まるで他人事のように話すレジィに不信の目を向けると、彼は困ったように大げさな身振りで弁解しました。
「追っ手が来てることなんて、オレ様もついさっきまで知らなかったんだって! オレ様が人間の村に入ったのだって、昨日の夜が最初だったんだから!」
「……なんのために?」
「帝都に向かって適当に進んでたんだけど、この辺は平地の森ばっかだろ? だから方角が分からなくなって、誰かに道を聞こうとしたんだ。で、人間の匂いを辿ってこの村に着いたら、もう暗いから泊まっていけって言われて……」
うんざりしたように肩を落としたレジィは、しかしすぐに真剣な顔つきになると、
「とにかく、だ。オレ様にも事情があってよ……うちの里の獣人がこんなところで暴れてるってのはマズイんだ。特に奴らが人間を殺したりなんかしたら本当にヤバイ。オレ様が一人で何とかするってのは面倒だけど、かと言って奴らがアンタらみたいなのに殺されても、それはそれで寝覚めが悪い。……そこで、『取り引き』といかねーか?」
「……とりひき?」
私が怪訝な表情を向けると、レジィは胸を張りながらニヤリと笑って頷きます。
「村を襲ってる獣人たちをぶっ飛ばすのに、オレ様も協力してやる。向こうはオレ様を追って来てるはずだし、こっちからも匂いで探せるから迎い撃てる。それに戦闘も一緒に戦ってやる。だから、奴らを殺さないで追い返すのに協力しろ」
思ってもみなかった獣人からの申し出に、私は面食らってしまいました。
……まず真っ先に思い浮かぶのは、この獣人が私たちを陥れるために仕掛けてきた罠であるという可能性です。
たとえば村に潜伏して襲うタイミングを窺っていたところで正体がバレてしまったので、口から出まかせで私たちを仲間に引き合わせて、彼らと協力して私たちを潰してしまおうという魂胆かもしれません。
しかしそれならそれで、そう悪い話でもないかもしれないと思う自分もいました。
むしろ逆に、確実に敵の総戦力と遭遇することができるというのは理想的な展開とさえ言えます。
この獣人少年が単身で私たちに勝つ自信があるのなら、今この場で襲いかかって来てもいいはずです。
それをせずに罠に嵌めようとするからには、仲間たちの力を借りるはず。そこを逆に、こちらが一網打尽にしてやればよいのです。
罠じゃなかった場合は、そのまま彼と協力すればいいですし、彼が危険な存在だと思えばどさくさに紛れて一緒に吹き飛ばしてしまえばいいでしょう。
……あるいはレジィをこの場で拘束して、彼を連れ戻しに来た仲間とやらに引き渡してやれば、それで一件落着となる可能性もあります。
そうでなくとも追っ手の目的は彼である可能性が高いのですから、彼の協力を得なくとも、この村で待っていればいずれ向こうから接触してきてくれるとも考えられます。
こんな怪しさ満点の取り引きに応じるよりも、よっぽど合理的な選択なのではないでしょうか。
けれども、私が出した答えは……
「うん、わかった。いいよ、きょうりょくしよう」
敢えて、その取り引きに応じるというものでした。
驚いた表情のネルヴィアさんと、やや意外そうに、けれども楽しげに笑みを浮かべるレジィ。
確かに、ここで取り引きに応じるメリットはそう大きくありません。
しかし取り引き以外の点において、私は興味を惹かれたのです。
獣人は……ひいては、魔族というものはどんな存在なのか?
どれだけ危険な存在なのか? あるいは本当に危険な存在なのか?
受け入れることはできないのか? 歩み寄ることはできないのか?
譲歩できないか? 利用できないか? 理解できないか? 癒着できないか?
それらを知ることは、私の今後にとって重要で価値のあることだと感じたのです。
そのためなら多少のリスクや非合理は、先行投資だと割り切って甘受しましょう。
きっと魔族とここまで接近できる機会なんて、この先滅多にはない事だと思いますしね。
私は臆することなくレジィの目の前まで歩いて行くと、左手を差し出します。
「わたしはセフィリア。よろしくね、レジィ」
レジィは興味深げに私の顔を覗き込み、赤銅色の瞳をパチクリと見開きました。
そして彼は、私の差し出した小さな手を握ると、
「『あの人』以外にも、面白そうな人間がいるもんだな」
そう言ってレジィは、私たちに初めて無邪気な笑みを見せました。




