0歳12ヶ月 6
ボズラーさんに運んでもらって陛下の執務室に辿り着いた私は、ちっちゃな手で重厚な扉を何度か叩きました。
中から響く「入れ」という低い声に、私は頑張って背伸びをすることでドアノブを何とか掴み、扉を開きます。
室内には、相変わらず狼を連想させるような黒く逆立つ長髪と、闇夜を照らすような黄金の瞳をした青年、ヴェルハザード皇帝陛下が待ち構えていました。
「“だんしゃく”セフィリア、ただいまさんじょういたしました」
「うむ、大儀である。『二つ名』も一緒に名乗ると、尚のこと大儀であるが」
誰が名乗るか、あんな不名誉な名誉を。
私が陛下のドSジョークを黙殺すると、ようやく彼は本題に入ってくださいました。
「まず、今回の御前試合における基本的なルールは、『風を起こす魔法』以外の魔法の使用を禁ずる、というものだ」
陛下の説明に、私は「なるほど」と納得します。
この御前試合は帝都の民も見に来ます。そんな場所で爆炎をまき散らしたり、閃光を放ったりなんてしたら、大変なことになってしまいます。
そうでなくとも、あまりにえげつない効果の魔法で敵を殲滅したり、四肢が爆散するようなショッキングな映像をお届けするのはよろしくありません。
ましてや、私は乳幼児。赤ん坊が痛めつけられて血反吐を吐く絵面もマズイですし、逆に赤ん坊が大人を甚振る展開もそれはそれでマズイです。
なので、比較的 怪我をし辛い『風魔法』に限定するのでしょう。
「ただし、セフィリア……貴様、かつて村を襲った盗賊の一人を遠距離から放った風魔法で吹き飛ばし、脊椎骨折の重傷を負わせたことがあったそうだな」
「ありましたっけ?」
「あったのだ……! 何をどうやったのかは知らぬが、そういったものも禁止だ。ルールは相手を闘技場から落下させれば勝ちとなる。故に、必要以上に過激な威力や規模の魔法を用いることは、たとえ『風魔法』であっても禁ずる」
おお、戦闘区域から落とせば勝ちなのですね。
そうなると、先に魔法を発動できる方が問答無用で勝つことになりそうです。
「ちなみに、ぶつりこうげきは、きんしですか?」
「魔術師用の闘技場は、四方五メートルの足場が二つ、十五メートルの距離を置いて設置されている。魔術師はそれぞれの足場に立ち、向かい合って戦闘を行う。そしてその周囲と背後には、深さ一メートルほどの水が張られているのだ」
つまり、両者の距離は最短でも十五メートルもあるから、殴ろうにも殴れないわけですね。本当に、純粋な魔法勝負というわけですか。
水が張ってあるのは落下した時に怪我をしないためなのでしょうが、身長六十センチの私は余裕で死ねますね。
そんな私の視線に、陛下は言いたいことはわかっているとばかりに頷きます。
「貴様が落水した際には、待機させている兵が即座に救出する手はずになっている。安心するが良い」
まぁ、風であおられて水に落っこちて、ばちゃばちゃやってるうちに救出される……ちょっと間抜けですけど、愛嬌のある微笑ましい絵面にはなりそうです。悪くない負けビジョンですね。
とりあえず血で血を洗うような戦いにはなりそうにないので安心しました。
「かんきゃくは、どこからみてるんですか?」
「うむ。両者の戦っている一直線上の左右から挟むように見ることになる。貴様らが互いに魔法を撃ち合ってさえいれば、被害は無かろう」
意図的に観客に魔法をぶっ放すようなことはないでしょうしね。
でも、魔法を撃とうとしたところで相手の魔法によってバランスを崩して……なんてことにならないとも限らないと思いますが、まぁ手加減した風魔法くらいなら大丈夫、という判断なのでしょうか。
……ああ、もしかして魔術師の方々や、あるいは魔導師様たちも来るのかもしれませんね。
御前試合なのですから皇帝陛下が直々にご覧になるんでしょうし、陛下に魔法が当たったり、あるいは別のところから暗殺されるのを防ぐために常駐していることでしょう。
「りょうかいしました。ほかに、ちゅういすべきことはありますか?」
「とにかく、殺すな。良いか、殺すでないぞ? 振りではないからな?」
陛下は私をなんだと思ってるんですか。悪夢の処刑人ですか。そうですか。はい。
……今回の御前試合で、私が大したことない赤ん坊だということを帝都の皆さまに知らしめますよ。
「ちなみに、風魔法はボズラーの最も得意とする魔法らしい」
「そうなんですか」
「……だからどうしたと言わんばかりだな」
いえ、そんな事はありませんが。
ですが、いつでもどこでも手に入る空気を用いる魔法は、誰でも重点的に練習するのではないでしょうか。
私も一番最初に練習したのは風魔法ですしね。なので、別に風魔法が得意だからどうということはないと思います。
むしろ、風魔法は苦手だと言われた方が「おおっ」って感じです。ちょうど、ルルーさんがそんな感じだったので、私は戦闘特化の自分がちょっと恥ずかしくなりました。
ところで、この魔術師同士の御前試合は、だいたいいつも風魔法限定の戦いになっているのではないでしょうか。
火も、水も、土も、相手を吹っ飛ばす威力だと、客席への被害が出ちゃいそうですし、怪我や事故だって起きそうです。
邪推かもしれませんが、ボズラーさんが御前試合で勝負を挑んできたのは、自分が風魔法を得意とするからなのでは?
……下衆の勘繰りでしょうか。
私が自分の薄汚れた思考に軽く自己嫌悪に陥っていると、陛下は一つ咳払いをして、
「ときに、ルルーとは上手くやっているか」
「え? あ、はい。レーラかっかには、よくしていただいてます」
「あやつは気難しいように見えるが、誰よりも優しい心の持ち主だ。表面的な部分に惑わされず、仲良くしてやってほしい」
「えっと……は、はい」
「ルルーは貴様のことを甚く気に入っているようであったぞ。ここのところは貴様の話ばかりする程にな」
え? あのルルーさんが、私を気に入っている?
いや、それは無いのでは……? 割と頻繁に、不愉快そうな顔をされますし。それ、愚痴話なんじゃないですか?
……自分で言うのもなんですけど、帝都の人間で私に心底好意的なのって、ネルヴィアさんだけだと思います。
残りは怖がってるか、疎ましがってるか、興味ないかのどれかです。
あれ、目から汗が……
ところで、ルルーさんの話になった途端、いつも鋭い陛下の目が穏やかで優しげな、まるで父親のような光を宿したような気がしました。
まぁ、実力はともかく、見た目はあんなに幼い少女なのですから、まるで親のような目線になってしまう気持ちはわかります。
「……?」
と、その時。ふと足元を見ると、カーペットに長い髪の毛が落ちていることに気が付きました。
普通はそんなもので誰かを特定することなど不可能ですが、しかしこの髪の毛に限っては、容易に特定が可能です。
なんせ、ピンク色でしたから。
そして、私は室内を見渡してみました。
陛下の執務室……なんだか、以前に来た時よりも片付いているような気がします。
気のせいかもしれないですが、私は何となく思いついた可能性を試してみることしました。
「……このおへや、ずいぶんかたづいていますよね」
「む? ……うむ。そうであろう」
陛下がちょっとギクッとしたのを、私は見逃しませんでした。
「せいとんは、ごじぶんで?」
「……どうであったかな。さて、話は終わった。余は忙しい。貴様も帰って明日の準備でもしておくが良い」
陛下は露骨に私から顔を背けると、「あー忙しい忙しい」みたいな仕草で、突然お仕事を開始しました。こ、こいつ……
一瞬でも父親みたいとか感じた私がバカだったようです。
……ルルーさん、あんまり手あたり次第に人を甘やかすのはよくないですよ。
私は、あのショートケーキのような甘い少女によってダメにされてしまった男の部屋を後にしました。




