0歳11ヶ月 8
騎士団長は多忙の身でしょうから、次はいつ会えるのかわかったものではありません。
そのため私は、帝国軍前線部隊上層部への挨拶が終わり、皆さんが会議室をあとにし始めたタイミングで、即座に騎士団長の元へと駆け寄りました。
本当は魔術師団長や魔術師の皆さんへの挨拶を先に済ませたかったのですが、時間がないので仕方ありません。
「きしだんちょうさま。さきほどは、あのばをおさめていただき、ありがとうございました!」
そう言ってぺこりと頭を下げると、私の頭の上から「わっはっは! まったく、つくづく子供らしからぬ気の回しようだ」という声が降ってきました。
騎士団長はロマンスグレーの髪を撫でつけながら、嫌味のない豪快な笑みを浮かべます。
「そういえば自己紹介が遅れたな! 私は“ラートロム・グレン・バルルザーク”だ。よろしく頼む!」
「セ、セフィリアともうします。よろしくおねがいいたします。いご、おみしりおきください」
「忘れたくても忘れられまい! わっはっはっはっは!」
たしかにこんな軍人を見たら、そうかもしれませんけども……。
私が苦笑いを浮かべていると、バルルザーク騎士団長は私の顔を覗き込むようにして、
「しかしキミが、かの悪名高い『白金色の悪夢』かね。一見すると『白金色の姫君』といった風情なのになぁ」
「そ、それは、“よじゅうとうぞくだん”のひとたちが、おおげさなんです」
「いやいや、『鮮血の処刑人』とまで称される徹底的な暴虐ぶりは聞き及んでいるぞ? わっはっは!」
……私、これから先ずっとこの異名でイジられ続けるのでしょうか。
私は地味に凹みつつも、ちょうど都合のいい話題になった瞬間を見逃さず、すぐに本題を切り出しました。
「そんなたいそうな なまえは、にあいません。わたしひとりでは、“よじゅうとうぞくだん”からみんなをまもりきることも、できなかったでしょうし」
「ほう? そういえば、騎士修道院の見習いが村の警護に来ていたそうだな?」
「そうです。かのじょはあたまがよくて、きてんがきいて、そのうえ、とうぞくだんのだんちょうをいっしゅんでたおしてしまうくらい、つよいんです」
「なんと、あのベリラーを……それは大したものだ。さすがはルナヴェント家のご令嬢だな」
ルナヴェント家?
私は初めて聞いた名前に、首を傾げました。
「それが、ネルヴィアさんのファミリーネームなんですか?」
「なんだ、知らなかったのかね?」
「ネルヴィアさんはおうちをおいだされて すてられたっていってました。だから、わたしたちには、いちどもフルネームをなのってくれなかったんです」
私がそう言うと、騎士団長は少し複雑そうな表情を浮かべて「……そうか」とだけ答えました。
このまたとない機会に、私は思い切って畳みかけます。
「ネルヴィアさんは、よわくないです。できそこないじゃないです。ただ、とってもやさしいだけなんです」
「それは、知っているとも。騎士修道会はうちの帝国騎士団とそれなりに連携もしている。彼女がボールウルフを殺せなかったという話も聞こえてきたとも」
「でもとうぞくはたおせました! ボールウルフは、むていこうですし、ころすいみがなかったからころせなかったんです!」
私はここぞとばかりに声を大にして、必死に訴えかけました。
騎士団長は鷹揚に頷きながら、エメラルドの瞳に真剣な光を宿して話を聞いてくれています。
「……ネルヴィアさん、“きししゅうどうかい”とか、かぞくのはなしになると、すごくかなしそうなかおをするんです。だから、いちどルナヴェントのおうちにいって、おはなしをしたいとおもっています」
「なぜ、そこまでするんだね?」
「ネルヴィアさんは……おねーちゃんは、ちょくぞくのぶかというだけじゃなく、わたしにとってかぞくみたいなそんざいなんです! おねーちゃんのためにできることなら、なんだってしたいんです!」
……これは、綺麗ごとではなく私の本心です。
今や私は、ネルヴィアさんを勝手に本当のお姉ちゃんみたいに感じているんです。……まぁときどき、妹みたいに思える時もありますけど。
だから、彼女が胸に抱えている苦しみを取り除くチャンスがあるのなら、それをふいにしたくはありません。
そのためなら、使えるモノは何だって使う所存です。
たとえ、それが騎士団長でも……!
「なので、きしだんちょうさま……おねがいです、そのときになったら、わたしといっしょに、ルナヴェントのおうちにいってもらませんか……?」
「私が、かね?」
「わたしはみてのとおり、こどもです。わたしにつかえているとネルヴィアさんのごかぞくにつたえたら、しんぱいされてしまうかもしれません。ですから……」
「なるほど。私とも繋がりのある、身元の確かな人物であると納得させるため、というわけか。さらにルナヴェント家は優秀な騎士の排出に重きを置いている。だからこそ、魔術師団長ではなく、私に頼むというわけだな」
騎士団長は得心いったように頷くと、不敵な笑みを浮かべました。
「この私を身分証明書代わりに使おうとは、やはり侮れんな。陛下より賜った『二つ名』に反して、キミは相当に思慮深い計略家のようだ」
「しつれいをしょうちで、おねがいもうしあげています……」
「わっはっは! いいだろう! ルナヴェント家とは私も関わりが深い。私が行けば、事はスムーズになるだろう。……それに今の話を聞いて、私もネルヴィア殿の境遇に思う所がある。任せてくれ!」
「あ、ありがとうございますっ!」
安心と喜びで、私はホッと息をつきながら笑みをこぼしました。同時に、ちょっと涙ぐんでしまいます。
これで、もしかしたらネルヴィアさんが抱えている苦しみや痛みを、ほんのちょっとでも和らげてあげられるかもしれません。それを思うと、自然と嬉しくなってしまうというものです。
と、そこで早くも浮かれていた私はハッと我に帰ると、そんな私のことを興味深げに観察している騎士団長と目が合いました。
「わっはっは! なるほど、なるほど。ただ頭の回るだけの子供では、陛下が気に入るはずがない。どうやらその向こう側……そこに陛下は惹かれたのだな」
「……え、っと……?」
「いやなに、気にしないでくれ。それよりも、私はそれなりに忙しい身だ。あまりこうして時間を取れる日は多くない。差支えがなければ、今日これからでもルナヴェント家に出向くというのはどうだね?」
きょ、今日これから? それはちょっと心の準備が……
ですが実際、今日を逃したら次にいつ騎士団長をつかまえられるかわかったものではありません。
せっかく騎士団長が引き受けてくれたのですから、こんなところで私のわがままを主張するわけにはいきませんね。
「わ、わかりました、よろしくおねがいいたします! ネルヴィアさんは、お城の前で待ってくれているはずです」
「よしわかった! それでは行くとしよう!」
騎士団長は椅子から立ち上がると、洗練された瀟洒な所作で会議室の出口まで進み、扉を開けて私を振り返りました。
「さぁ、行くとしましょうか。白金色の姫君」
どうやら騎士道精神に則って、私をエスコートしてくれるようです。
……いや、私、一応男ということになっているのですが……。
しかしこのタイミングで訂正するのもどうなのかと思ったので、とりあえずこの場は黙ってエスコートされておくことにしました。すぐに誤解を解くタイミングはあるでしょう。
私は会議室に残っていた魔術師団長たちに深々と一礼してから、騎士団長と共に会議室を出て、さぁネルヴィアさんを迎えに行こうと廊下を歩き始めた―――その時。
廊下の先から歩いてきた人物を見て、私と、それから騎士団長も少し驚いたようでした。
褐色の体を覆う、黒地に白で模様を描かれたマント。
白銀に輝くショートカットヘアーの襟足だけを伸ばして胸に垂らす独特な髪型の上から、目深に被るのは黒の軍帽。
暗金色の瞳はぼんやり無気力に見えますが、しかしどこか凛とした雰囲気を秘めています。
先端部分だけしかない不思議な靴を履いて、常につま先立ちで足音を立てずに歩く彼女は……
『鍛錬』の名を冠する魔導師、リュミーフォート・ユジャノン、その人でした。