2歳6ヶ月 6 ――― 信じるもの
//間が開いてしまって申し訳ありません!(><)
レグペリュムの太守であるダルニアさんへの事情聴取を終えた私たちは、そのまま太守館の応接間でしばらく待機することになりました。
というのも、もしかしたらリュミーフォートさんの失われた記憶を取り戻すきっかけになるかもと、ダルニアさんがヨグペジョロト遺跡……いえ、遺跡ではなく寝殿でしたか? とにかく勇者を保存しておくための施設へと、リュミーフォートさんを案内してくれることになったためです。
レグペリュムの住人達の中でも遺跡に入れる者は限られており、太守であるダルニアさんと、『祭司』と呼ばれる儀式の責任者、それから遺跡の復旧や管理を担当する人たちしか立ち入りは許されないそうです。
もちろんそんな場所に、完全なよそ者である私たちが入れるはずもありません。リュミーフォートさんがダルニアさんに遺跡を案内されている間、私たちは待っていることになったわけです。
「……はぁ」
「ちょっとセフィリア、辛気臭いため息はやめなさい。べつにアンタのせいじゃないんだから」
先ほど衝撃的な事実を聞かされたことで、私はかなりグロッキーになっていました。特に私が『獣王の陵墓』を攻略してしまったことで、ロクスウォードの計画が大幅に進展してしまったことについてです。
ルルーさんがそんな私の意気消沈を慰めてくれますが、やっぱりショックなことには変わりありません。
……よし、こういう時は家族成分を摂取するに限りますね。
私は隣に座っていたネルヴィアさんに、スススと近づいていきます。
「お姉ちゃぁん……慰めて?」
「は、はい! お任せください!」
私は現在中学生くらいの外見となっていますが、それでも構わずソファに座るネルヴィアさんの膝の上にまたがって、彼女に抱き着きました。……でかい。何がとは言いませんが。
嬉々として私を抱き返してくれるネルヴィアさんに触発されてか、隣に座ってきたレジィが心配そうに私へ擦り寄ってきて、反対側からはケイリスくんが私の手に優しく触れながら、「悪いのはすべてロクスウォードじゃないですか」と囁いてくれます。それからルローラちゃんがソファの後ろに回って、心配そうに私の頭を優しく撫でてくれました。
よし、完璧な布陣ですね。私の心労メーターがぎゅーんと下がっていくのを感じます。
私が無敵の癒されフォーメーションに大満足していると、そんな私の様子を見ていたダンディ隊長が意外そうに目を丸くさせます。
「セフィリア殿も、そのように甘えたりするのだな」
「……甘えるくらいしますよ。まだ二歳ですもん」
「に、二歳か……そうか、そうだったな。しかしその、なんだ……以前の男装姿とは違って、そのような格好をしていると……」
ダンディ隊長は、私の露出した太ももにチラチラと視線を向けていました。
現在私はリバリー魔導隊の隊服である、スカート丈の短いセーラー服のようなものを纏っています。そんな姿で美少女であるネルヴィアさんの膝にまたがって抱き合っているのですから、客観的に見ると少しアブナイ世界かもしれません。
しかし外見はともかく一応は男子である私の太ももに目を奪われているダンディ隊長は、ちょっと色々と反省すべきだと思います。
私はちょっと考えてから、この場面において効果的と思われる言葉を選び、口を開きました。
「……えっち」
私がからかい半分でダンディ隊長に苦言を呈すると、彼は「ぐぬっ!?」とよくわからない呻き声を上げてから、血相を変えました。
「ま、待ってほしい! 年頃の娘……ではないが……と、とにかく無暗に肌を露出するものではないと言いたかったのだ!」
ふと気が付けば、私の仲間やリバリー魔導隊の女性陣一同が、冷たい目でダンディ隊長を見据えています。なんだか年頃の娘に睨まれるデリカシーのない父親みたいですね。
と、私たちがそんな冗談で時間を潰していた時。
応接間の外から何やら騒がしい声が近づいて来たかと思うと、入口の扉が『ドバン!』と激しく開け放たれました。
「セフィリア! ははは、待たせたな!! この私が来たぞ!!」
そう言って応接間に躊躇なく踏み込んで来たのは、このレグペリュムという街の住人たちに共通した小学生のような体格と、浅黒い肌。短く切りそろえられた前髪は赤みがかった銀色に輝き、ツインテールに結われた長髪は癖っ毛なのか、惜しみなく自己主張して跳ねまくり、さながら針葉樹の枝葉のようです。
赤く爛々と輝く瞳と、快活を絵に描いたような八重歯が特徴的な彼女の名は、メリムナート・ミルファト。かつてロクスウォードが遺跡から現れた際にレグペリュムで暴れた事件の後、共和国首都にいたところを私が見かけて接触した少女です。
そんな彼女のいきなりの登場と、あまりに堂々とした態度に、室内にいた私以外の人たちは呆然と固まってしまいました。
あとここに来るまでに彼女を引き留めようとしていたらしい、レグペリュムの小さいおじさんたちも頭を抱えちゃってます。
そんな彼らの間を当然のように縫って来て私の目の前に立ったメリムナートちゃんは、輝かしいドヤ顔を浮かべました。
「少し見ないあいだに、ずいぶんと大きくなったなセフィリア! 息災で何よりだ!!」
相変わらず声がでかい……。ここは以前私たちが出会った時みたいに、病院じゃないからいいけどさ。
「えっと……メリムナートちゃん―――」
「メリムで良いと言っているだろう! セフィリアよ! 我が盟友よ!! メリちゃんでも可!!」
「あ、うん……メリム。どうして私がセフィリアだとわかったの?」
プラザトスの病院で彼女と出会ったとき、私は二歳児の姿で彼女と接触しました。少なくとも成長後の姿は彼女に一度も見せていないですし、それどころかメリムナートちゃんは私が外見年齢を変えられることすら知らないはずです。
それを「大きくなったな」の一言で済ませてしまうのは、ちょっと大物過ぎるでしょう。
しかしそんな私の当然の疑問に、メリムナートちゃんはドヤ顔のまま首を傾げると、
「白金の髪をした娘が『レーヴァテイン』を持っていたと聞いたのでな! つまりセフィリアということだ! そうだろう!?」
ごめんちょっと意味わかんないな! 途中式をすっ飛ばしすぎて、数学のテストだったら先生に△を貰いそうな解答です。
しかしメリムナートちゃんの中ではすでにその話題は終わってしまったらしく、彼女はその赤く輝く瞳をキラキラとさせながら、『レーヴァテイン』を大切そうに撫でているネルヴィアさんの顔を覗き込みました。
「ほう! ほう!! お前がネルヴィアだな!? セフィリアから聞いているぞ! 大切な家族に剣を贈りたいと言うのでな! そのくせこいつは実用性とかを度外視して意味の分からない注文ばかりするから骨を折ったが、結果として最高の一本を鍛えられたと自負しているぞ!! お前もそう思うだろう!!」
「え、あ、えっと……?」
「私の鍛えた『レーヴァテイン』を大切にしてくれているようで嬉しいぞ! 剣もお前のことをよく慕っているようだし、いい主人の手に渡ったものだ! 鍛冶師冥利に尽きるな!!」
メリムナートちゃんの言葉に驚いた様子のネルヴィアさんが、私に目を向けました。彼女にはレグペリュムの職人に鍛えてもらったと簡単に説明していましたが、まさかこんなに幼い外見の少女だとは思わなかったのかもしれません。
あるいは、人見知りのネルヴィアさんには、メリムナートちゃんの独特な距離感が耐え難いものだっただけかもしれませんけれど。
続いてメリムナートちゃんはレジィの『グレイプニル』に目をやります。
“微塵”という武器としても扱え、その特性により広域を制圧する鉄の網にも変貌するその武器は、普段はレジィの首輪兼サスペンダーとして身につけられています。
「なるほどなるほど、実際に身に着けるとこのような見栄えとなるのだな! これは我ながらいいものだ! それにこの瞳と髪色だ、セフィリアが赤銅色という色合いにこだわっていたのも頷ける! 注文は奇抜で意味が分からないが、その発想と感性だけは芸術的であると評価しよう!!」
「ありがとう、メリムちゃん。私もあなたの腕前は信用しているよ。また何かあったらお願いするね」
「うむ、いいだろう!! 次は誰の武器にする!? そこの三つ編みの少年か!? それとも髪の長いエルフか!? じつに楽しみだ!」
メリムナートちゃんは輝かんばかりのドヤ顔をケイリスくんとルローラちゃんへ向けて、早くも創作意欲を刺激されているようでした。
最初は人族である私に武器を造るなんてと渋っていたのに、私が造ってほしい武器のアイデアを話し始めたら一瞬で手のひらを返した、あの職人魂は健在のようですね。
「あはは……ケイリスくんは執事だし、ルローラちゃんも戦闘要員ってわけではないから、武器はべつにいいかなぁ」
「む? そうなのか。その割には、その二人が今かなりガッカリした様子だったが」
「え?」
私がケイリスくんとルローラちゃんに目を向けると、二人は一斉に顔を逸らしてしまいます。顔が少し赤いのは、もしかしたらネルヴィアさんやレジィへにあげたプレゼントを見て、羨ましがっていたのでしょうか?
「ええっと、情報収集ができるルローラちゃんとか、特に執事のケイリスくんなんかは戦う役割じゃないんだから、武器なんてあげるつもりはないんだけど……でも何かしらの便利な魔導具とかはあげようかなって考えてるよ? ほんとだよ?」
「うぅ……お嬢様、なんだかねだったみたいになってしまって、ごめんなさい」
「べつに、あたしたちのことは気にしなくてもいいからね……?」
気まずそうに弁解してくるケイリスくんとルローラちゃんに、私は曖昧な笑みを返しながら決心しました。絶対に何か特別なものをあげて喜ばせてあげよう、と。
私の思いに気が付いたのか、はたまた自分の欲求に従って勝手に都合よく解釈したのか、メリムナートちゃんは私と視線を絡ませると、嬉しそうに頷きました。今度もきっと納得の出来で仕上げてくれることでしょう。
私が二人にどんなものをあげようかと考えていると、メリムナートちゃんがこの部屋に訪れるのを止めようとしていた小さいおじさんたちが進み出てきて、渋い顔を彼女に向けます。
「メリムちゃんよォ、さっきこの娘っ子の剣に『ミルファト』の紋があると聞いたときゃあ、なんかの間違いだと思いたかったが……どういう了見なんだ?」
「この街の外と交流はしない、という暗黙の了解のことを言っているのか? だったら気にすることはない! セフィリアは私の盟友だ! なぜならあの男を倒してくれると約束してくれた! ならば協力は惜しまない! 剣だろうと何だろうと、造ってやる所存だ!!」
まったくもって議論を行うつもりのないらしいメリムナートちゃんの支離滅裂な答えに、おじさんたちは頭を抱えて項垂れてしまいました。
「……あのなァ、メリムちゃん。たしかにレミリ嬢ちゃんが怪我したんだ、気持ちはわかるがな……儂らは『勇者』であるあの御方をお守りする使命を代々引き継いできたんだぞ?」
「それは先ほど聞いた! あの男が『勇者』であるということはな! しかし! 我々が守るのは、その献身でもって世界を守る『勇者』なのだろう! この街を破壊し、姉上に重傷を負わせるような者を守りたいわけではあるまい! ならば私は自らの行いに恥じ入る点など一つもない!!」
腕を組んでドヤ顔を浮かべるメリムナートちゃんは、しかしその声色に明確な怒気を滲ませています。
私が初めてメリムナートちゃんと出会ったのは、ネルヴィアさんへのお誕生日プレゼントを探してプラザトスを訪れた時のことでした。
何か珍しいものでもないかと街を巡っていた際、そこでロクスウォードがレグペリュムで暴れて魔族領へ逃げ込んだ例の事件で、怪我をしてプラザトスの病院に入院しているというレグペリュムの住人の噂を耳にしたのです。
そこで気になって病室を覗いてみた私は、包帯まみれになってベッドに横たわる小さな少女と、ベッドの脇で拳を握りしめて涙を堪えるメリムナートちゃんに出会ったのでした。
それからしばらくはツンツンしていたメリムナートちゃんでしたが、私がロクスウォードをぶっ飛ばすつもりだと伝えると態度が軟化し、私の目的の助けになるならばと、ネルヴィアさんの剣を鍛えてくれることを渋々了承してくれたのです。
けれども鍛冶師としての性なのか、メリムナートちゃんは私が魔法で生み出した鍛冶道具や、様々な科学知識を披露したところ大興奮してしまい、いまではこうしてすっかり私に懐いてくれたのでした。
「私のやることが気に入らないのなら、この街を出ていく覚悟もある! 私は私の信じる道を進む! 話は以上だ!!」
そう締めくくったメリムナートちゃんに、もうおじさん達はお手上げのようです。「どうしてミルファトの家は問題児が多いのか……」という愚痴が聞こえてきました。
私がメリムナートちゃんに仕事を依頼したことで、最悪の場合は彼女が街を追われる可能性も事前に説明されています。ですから彼女が本当に街を出ていくのなら、原因となった私がしっかり面倒を見てあげましょう。
「はぁ……贅沢なことね」
私たちから少し離れたところで様子を見守っていたルルーさんが、肩をすくめながらそんな呟きを漏らしました。一族から迫害を受けて里から逃げ出したルルーさんとしては、自ら進んで故郷を飛び出しそうなメリムナートちゃんの決断に思うところがあるようです。
そんなルルーさんに、姉であるルローラちゃんは複雑そうな表情を向けていました。
「!」
と、そこで不意にルルーさんが目を見開くと同時に、一瞬で私の目の前に移動してきました。その瞬間移動じみた速度に、メリムナートちゃんが「ぬあっ!?」と小さい悲鳴を上げて尻餅をつき、レグペリュムの小さいおじさんたちも何事かと身構えます。
そんな彼らの反応にも構わず、ルルーさんは私を背中に庇うようにして立ち塞がったまま、鋭い目つきを窓の外に向けていました。
「……ルルーさん? どうしたんですか?」
「リュミィ達の方に、ロクスウォードが現れたわ」
ルルーさんのあっさりとした答えに、私は一瞬聞き間違いかと思って「……は?」と間の抜けた声を漏らしてしまいます。
しかし冗談などでは済みそうにない剣呑な雰囲気を放つルルーさんの様子に、私は少しずつ理解が追い付いて来て、心臓が早鐘を打ち始めました。
「ロクスウォードが、ここに!? リュミーフォートさんは大丈夫なんですか!?」
「今は二人で会話をしているみたいね。他の敵の声は聞こえないから、どこか別の場所に潜んでいるのかもしれないわ。全員気をつけなさい」
警戒を促したルルーさんの指示に従い、ネルヴィアさんが膝の上に乗っけていた私をソファへ下ろし、魔剣フランページュと聖剣レーヴァテインを抜き放ちます。そして同じくソファから立ち上がったレジィが、周囲を警戒をしながら鋭い爪を指先から伸ばしました。
ソティちゃんも腰の短剣に手を伸ばしながら魔法を呟き、ルローラちゃんが右目を覆う眼帯に手をかけています。
ダンディ隊長たち騎士団や、リバリー魔導隊の四人も油断なく身構えるのを横目で見ながら、私は急な展開に狼狽しているレグペリュムのおじさんたちに呼びかけました。
「この街に、魔族はいますか? あるいは皆さんとは違う肌の色をした人は?」
「……いや、おらんはずじゃが」
「じゃあ、肌の黒くないヤツはみんな敵だね。会話をする必要はないから、即座に始末して」
私の指示に、みんなは神妙に頷いて周囲に視線を走らせます。
「ルルーさん! 敵の狙いは、孤立したリュミーフォートさんだと思いますか?」
「あるいは向こうは足止めで、こっちが本命の可能性もあるけど……ただ、あっちの会話を聞く限り、リュミィのことを勧誘しているみたいだわ。今回の接触は戦うことが目的じゃないのかもしれないわね」
話の内容まで聞こえているのですか。いったいどんな聴覚をしているのでしょうか、この魔導師様は。
しかし魔導師様のデタラメっぷりは今に始まったことではありません。とにかくこの状況で私にできることを為さねばなりません。
私たちの目的はロクスウォードの征伐。ならばあちらからノコノコと現れてくれた現在の状況は願ってもないものです。
しかし敵には影の中に潜み移動を可能とする吸血女帝アペリーラがいます。もしもこちらから攻撃を仕掛けるのなら、なるべく一瞬で片を付けたいところです。
しかし敵は一定範囲内の魔法を封じる黒い石をまだ所持しているはず。ならば能力の性質上、私とルルーさんは相性が悪いと言わざるを得ません。
ならばまずは、間接的なサポートを行いましょう。
「ルルーさん、レグペリュムの人達を避難させましょう! リュミーフォートさんが戦いやすくなるはずですし、巻き添えにする心配がなければ私も『黒い石』なんて関係なく吹っ飛ばせるようになります!」
「ま、それしかないでしょうね。―――そこのアンタたち、聞いてた!? 死にたくなければ街の人間たちを避難させなさい!」
ルルーさんが大きな声で指示を出しますが、しかしレグペリュムのおじさんたちは互いに顔を見合わせて困惑するばかりで、動く様子がありません。……まぁそもそも彼らにしてみれば、ロクスウォードの襲来が本当にあったのかすら怪しいのです、無理もないでしょう。
そうこうしているうちに、遠くの方で何かが崩れ落ちるような轟音が響き渡りました。
ルルーさんに視線を向ければ、彼女は忌々しげな表情で「始まったわ」とだけ告げます。
くっ、時間がありません! このままでは状況は悪化する一方……多少強引にでも彼らを動かさなくちゃ!!
「この街ごと消し飛びたい人だけ残れ!! 『逆鱗』のセフィリアの名において、今ここを戦場とする!!」
そう叫んだ私は神器グラムの形状を巨大な剣へと変化させ、そのまま屋外に通じる太守室の壁をぶち抜きました。
けたたましい破壊音が鳴り響き、表の通りに面する壁が丸ごと崩落すると、その凶行に驚いたレグペリュムの人たちが慌てふためきながら逃げまどいました。
私はグラムを引き戻すと同時に形状を『魔法の絨毯』に変化させ、その上に飛び乗ります。そうして私の家族たちやルルーさん、ソティちゃんが躊躇なく私に続いて乗り込んでくる中、私は狼狽している騎士団やリバリー魔導隊を振り返って「乗って!」と叫びました。
困惑の表情を浮かべながらも、おずおずと彼らがグラムに乗り込んだのを確認すると、私は先ほどぶち抜いた壁から外に脱出し、そのままグラムの高度をあげてレグペリュムの上空へと昇っていきます。
「ご主人、あそこだ!」
視力を少しずつ失っている私が、ぼやけた視界で周囲を見渡していると、そこでレジィがある一点を指さしました。私は眉間にしわを寄せて焦点を合わせると、たしかにレジィの示した場所で二つの影が向かい合っているのが見えます。
どうやらヨグペジョロト寝殿の一部が崩落しているらしく、もうもうと土煙を上げていました。そしてそこから飛び出してきたらしい二人が、近くの建物の屋根に登って対峙しているようです。
「私たちもあそこに向かうよ! 全員戦闘準備!」
「セフィ様、危険です! 私たちだけで向かいますから、ここで降ろしてください!」
「だめ! 影の繋がっている場所はアペリーラがどこからでも奇襲できる! 街中に降りるのは危険すぎるよ! このまま距離を取って、上空から遠距離で仕留める!」
私はグラムに念じてリュミーフォートさんたちに近づいていきながら、このレグペリュムまで乗ってきた馬車に置いてきてグラムで包んでおいた『黒い石』を引き寄せます。
この石は私の血を吸わせていないので、ロクスウォードたちの持つ石とは違い、効果範囲は約一メートルほどと狭いものです……が、それで十分。取り寄せた黒い石を握ると、私の体にかかっていた年齢操作の魔法が打ち消され、元の二歳児の姿に戻りました。服がだぼだぼになって動きづらいですが、仕方ありません。
私はさらに周囲を、グラムで編んだ目の細かい鉄網で覆い尽くします。これで物理的な攻撃はグラムで弾き、魔法的な不意打ちは『黒い石』で防ぐことができるでしょう。
グラムに乗ってリュミーフォートさんとロクスウォードの二人に近づいていくと、民家の屋根の上で言葉を交わしている二人を眼下に捕らえました。周囲に他の敵影はありません。
「……ふん、『逆鱗』か」
漆黒に染まった巨大な大剣を手にしたロクスウォードが、忌々しげに私を睨みつけてきます。
「人間は愚かだ。技術や文明は進歩しても、それに比例して際限なく驕り高ぶり、他者を陥れる」
そう言って私から視線を外したロクスウォードは、憎悪に染まる暗金色の瞳をリュミーフォートさんへと向けました。
対するリュミーフォートさんは臆することなく、その視線を真っ向から受け止めます。
「あなたの事情は聞いた。けれどあなたを裏切った人間たちはもう、みんな寿命で天に還ったよ」
「人間ならばいずれ我らに牙を剥く。どいつもこいつも同じだ。助けてやる義理などない」
「私が信じる人は、私が決める。それによって迎えた結果にも、後悔はしない」
どこまでも澄み切ったまっすぐな瞳でロクスウォードを見つめる彼女は、ほんの少しの躊躇いもなく、胸を張って言い放ちました。
気高さすら感じさせるリュミーフォートさんの態度に、ロクスウォードは表情を険しくさせていきます。
「いずれお前も裏切られ、その選択の愚かさを思い知ることになる……そうなってからでは遅いのだぞ」
「だからといって私が彼らを裏切れば、それはあなたを裏切った人間たちと、やっていることは変わらないよ」
遠回しに、人族を裏切って敵対している現状を糾弾され、ロクスウォードは口を噤みます。
そんなロクスウォードを静かに見つめるリュミーフォートさんは、帝国を担う魔導師として、古の『勇者』として、決して揺るがない心を込めた言葉を紡ぎました。
「彼らは私を裏切らない。だから私も彼らを裏切らない。信じる彼らを、私は守る」
リュミーフォートさんのその言葉に、ロクスウォードは一瞬気圧されたかのように半歩後ずさり……それから手にした黒剣を力の限り握りしめました。
「……どうあっても我々は相容れない定めらしい。いや、思えば昔からそうだったな」
そう言って剣を構えるロクスウォードに対し、リュミーフォートさんも外套の下からスラリと剣を抜き放ちます。かつて『黒い石』によって魔法を封じられた際、それによってリュミーフォートさんは魔剣を呼び出せませんでした。彼女はその反省を生かし、あらかじめ一本だけ剣を呼び出した状態にしていたのです。
それは魔剣としての機能など何も備えていない、ただ重く、ひたすらに頑丈なだけの剣。ロクスウォードの構える黒剣に酷似した、名前すらもないその黒い長剣を、彼女はゆったりと構えました。
「ああ、そうか。記憶がないのだったな。ならば教えてやろう、リュミーフォート」
しかしそんなリュミーフォートさんに、ロクスウォードは退屈そうな目で見据えながら言い放ちます。
「貴様は一度だって、俺に勝てたことはない」
目にも留まらぬ速さでリュミーフォートさんへと肉薄したロクスウォードが、手にした大剣を叩きつけてリュミーフォートさんを吹き飛ばしました。
“ギャリィィインッ!!”という甲高い金属音が響き渡り、凄まじい勢いで弾き飛ばされたリュミーフォートさんは、空中でくるくると回転しながら屋根を蹴って勢いを殺し、音もなく着地しました。
……ロクスウォードが語った内容は、真実なのでしょうか? リュミーフォートさんの記憶がないのをいいことに、好き勝手言っている可能性もないわけではありませんが……
ともあれ、仮に事実であったとしても関係ありません。一対一で勝たなければならない理由などないのですから。
さすがは『勇者』と言うべきか、相変わらず少年漫画みたいに意味の分からない身体能力ですが……私だってこの数ヶ月、遊んですごしていたわけではありません。対抗する手段は用意してあります。
私は『黒い石』をグラムで包んで身体から離し、ソティちゃんを振り返りました。
「ソティちゃん! アレを!!」
「おっけー! ―――『砂鉄時計』! 『負々相乗』! 『完全密室証明』」!!」
ソティちゃんは私の合図に応じて、以前から二人で計画していた通りに魔法を発動してくれます。
彼女が発動した三つの魔法は、私が彼女に術式を教え込んだものでした。私自身が魔法を発動することに健康上のリスクがあるのならば、同じく魔法に精通したソティちゃんに代わりに発動してもらえばいいという発想です。
対象の速度を制御する『砂鉄時計』と、周囲一帯に『黒い石』対策の魔法地雷を生み出す『負々相乗』。そして外部からのあらゆる干渉を防ぐ『完全密室証明』。
そのすべてが並の魔術師では発動さえできないレベルの魔法ですが、ソティちゃんはそれらを同時に展開して見せました。さすがです。
消費する魔力も尋常ではないため、私のように馬鹿みたいな魔力量がなければ厳しい魔法ではありますが、短い間であればソティちゃんにも維持できます。
「ぐっ……やっぱり長くはもたないよ」
それでも苦しげな表情を見せるソティちゃんの様子に、私は慌てず騒がず、けれども決着を急ぎました。
「リュミーフォートさん! えんごします!」
その言葉だけで私の意図を察してくれたのか、リュミーフォートさんは屋根の上を駆け出しました。
同時に私は祈るように両手を組んで『砂鉄時計』の発動条件を満たし、私の肉体の速度を一〇倍に加速します。
私の意思に従い動く神器グラムは、すなわち私の体感速度で制御できる範囲が最高速度となります。ということは私の肉体の速度を一〇倍に加速して体感速度を高めれば、神器グラムも一〇倍の速度と制度で操作できるということ。
私たちの足場となっているグラムの端っこを千切り、剣や斧、槍や鎌を生み出した私は、それらを操作してロクスウォードへと放ちました。
いくら戦い慣れていない私の拙い操作とはいえ、複数の武器が四方八方から高速で襲い掛かってくる状況にロクスウォードは舌打ちします。
すると人間離れした動きのロクスウォードが、わずかな隙を突いて懐から黒い石を取り出し、こちらに投げつけてきました。私たちの周囲の結界魔法をなんとかしてから、本命の攻撃を仕掛けてくる算段でしょう。
その気になればグラムで叩き落とすこともできたでしょうが、しかし私は構わず攻撃に専念します。
黒い石は私たちに向かって一直線に飛来してきましたが、その途中で軌道上の空気が爆発を起こし、黒い石を明後日の方向へと吹き飛ばしてしまいました。
ソティちゃんの発動した『負々相乗』は、大気の物質量を除算し続ける小さな空間をたくさん生み出す術式です。この魔法は単体では何の効果も発揮しませんが、魔法を打ち消す『黒い石』の効果を受けた瞬間、除算されていた空気が一気に元の質量へと戻り、爆発を引き起こす地雷と化すのです。
これによって黒い石や、それを持った者は私たちに近づくことはできません。
そうこうしているうちに、防御をソティちゃんに任せて猛攻を仕掛け続けた私と、その隙間を縫うようにして斬り込んでいくリュミーフォートさん。私たちの波状攻撃によって今度はロクスウォードの方が吹き飛ばされ、民家の壁に叩きつけられました。
……いける。
私が今の攻防に確かな手ごたえを感じたところで、ロクスウォードが壁を背にしたままゆっくりと立ち上がって、私をまっすぐに睨みつけてきます。
「……なるほど、聞きしに勝る実力だ。初代同様、やはり完全な『魔女』を相手にするには、まっとうな方法では勝負にならんな」
気だるげにそう呟いたロクスウォードは、腰に巻いた幾何学模様の腰布に、手にした大剣をずるりと差し込むように収納しました。
あれはやはりリュミーフォートさんの外套のように、四次元ポケットみたいなものなのでしょうか?
「しかしすでに手札はほぼ揃った。この大陸が歴史を閉ざす時は、もうすぐだ」
そう言って、ロクスウォードは狂気を感じさせる笑みを浮かべながら腕を振るい、背後にある民家の壁を破壊しました。
突然の行動に驚き、何を始めるつもりかと身構えた私たちでしたが……しかしガラガラと崩れる壁や屋根の瓦礫に飲み込まれるロクスウォードを見て、私は慌ててグラムを放ち、瓦礫の山を吹き飛ばします。
けれどもその判断は一瞬遅かったようで、すでに瓦礫の中にロクスウォードの姿はありません。
「……アペリーラか。くそ、にげられた」
瓦礫によって影を生み出すことで、アペリーラの能力で逃げおおせたのでしょう。相変わらずめんどくさい能力です。
私が舌打ち交じりに瓦礫の山を睨みつけていると、魔法を解除したソティちゃんが「ぷはぁ、疲れたぁ!!」と倒れ込み、他のみんなも肩の力を抜きました。
一応まだその辺にロクスウォードたちが潜んでいる可能性を考えて、グラムによる防壁は維持したままリュミーフォートさんへ近づいていきます。
「リュミーフォートさん! だいちょーぶですか!?」
「うん。セフィリア、ありがとう」
名前のない黒い長剣を外套の中にしまったリュミーフォートさんが、いつもの何考えてるのかわからない無表情で頷きました。
最終的には戦闘に雪崩れ込んでしまいましたが、今回のロクスウォードの目的はリュミーフォートさんの勧誘だったのでしょう。ともあれ、彼女に何事もなくてよかったです。
ピンピンしている様子のリュミーフォートさんの様子に安堵して、私はホッと息をつきました。
するとそんな私の様子に、リュミーフォートさんはなぜか不思議そうな顔をしたあと、気のせいかと思うくらい薄っすらと微笑みを浮かべます。
「私を心配できるのは、セフィリアとルルーくらいのものだよ」
その言葉に、ルルーさんは「心配なんてしてないわよっ!」などとツンツンしつつ、プイッとそっぽを向いてしまいました。
けれども私の身の安全を確保しようと動いてくれたルルーさんが、リュミーフォートさんの援護に向かうのを止めなかったということは、それだけ彼女のことを心配していたのではないでしょうか。
……まぁ、睨まれるのは嫌なので口には出しませんが。
「リュミーフォート様ァァァ!! ご無事ですかァァァァ!?」
するとそこへ、ヨグペジョロト寝殿の方から駆けて来る小さいおじさん……もとい、レグペリュム太守のダルニアさんのしわがれた大声が響きました。
そういえば状況から見て、ダルニアさんも一緒に襲われたはずですよね。よく無事でいられましたね。
ダルニアさんはところどころ崩壊しているレグペリュムの街並みを見て、「ああ、せっかく直したってのに、また修復せにゃならん……」と膝から崩れ落ちました。以前ロクスウォードが暴れた際にもレグペリュムの街並みは半壊したそうなので、せっかく綺麗に修復したのをまた壊されてしまったことには同情を禁じ得ません。
……さて、太守館の壁を私が吹っ飛ばしちゃったことは、どうやって伝えましょうか。




