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神童セフィリアの下剋上プログラム  作者: 足高たかみ
第五章 【魔族領】
273/284

2歳5ヶ月 12 ――― 竜王ゼルギルガルド

//活動報告に、本作品の表紙絵を掲載しました。

//ご興味ある方は、ぜひご覧になってください!



『おぉ、よぉ来た、よぉ来た。お前さんらが“勇者御一行”じゃな。もっと(ちこ)う来んさい』


 山のように桁外れな巨体から響く、しわがれた猫撫で声に、私たちはやや困惑して立ち尽くしていました。


 緋竜ボガルニアと氷竜アルゴラに連れられて辿り着いたのは、この絶海の孤島における中心部。今も朦々と白煙を立ち上らせている活火山の麓にある、じりじりと熱気を放つ岩盤地帯です。

 始めは、ソレがなんだかよくわかりませんでした。しかし黒い岩山のように見えたソレがおもむろに動き出した時、ようやくそれが巨大な生物であることを理解し、さすがに若干の恐怖を感じないでもありませんでした。


 全長四〇メートルを誇っていた暴竜グラキデリア。その巨体をもさらに凌ぐほどの“山”こそが、私たちを待ち受けていたという“竜王ゼルギルガルド”の正体でした。


『ボガルニアちゃんから、おおよその話は聞いておる。うちの悪ガキどもが迷惑をかけたみたいで、ほんにすまんかったのぉ。この通りじゃ』


 そう言って、竜王ゼルギルガルドはその規格外に大きな頭をゆっくりと下げます。それだけの緩慢な動きで、近くの森がざわめき、地面がビリビリと震えていました。


 なんというか、この優しそうなお爺ちゃんっぽい雰囲気に当てられて、私は彼に責任を追及する毒気を抜かれてしまっていました。もしこれを狙っていたのだとすれば、食えないお爺さんですね。


 けどまぁ、言うべきことは言っておかなくてはいけません。

 私は浮かせた玉座にちょこんと腰かけながら、みんなより少し前に出てぺこりと頭を下げました。


「りゅーおーさん。こんにちは、セフィリアです」

『おぉ、おぉ、お前さんが噂に名高い“シャータン”のセフィリアちゃんかい。儂が山に居れば、是非にも歓待してやりたいところだったんじゃがのぉ……』

「りゅーおーさんは、ここでケガをなおしてるとききましたが」

『そうじゃなぁ、年甲斐もなくはしゃぎすぎての。今は後進に山を任せて、半ば隠居生活じゃな』


 好々爺(こうこうや)然とした口調と雰囲気に騙されそうになってしまいますが、竜王は怪我について言及した一瞬、私たちの中に当たり前のような顔で混じっているネメシィへ、鋭い視線を向けました。やったのはネメシィの半身であるエクスリアのはずですが、結構根に持ってますね……


 まぁ、竜王の巨体を見上げれば、その山のような黒い身体の表面には、至るところに痛々しい傷跡が刻まれています。

 まるで数百年前から戦いの場に身を置き続けてきたかのような勲章みたいにも見えますが、あれはほとんどがエクスリアにボコボコにされたときの傷らしいです。むしろそれまでは竜王が強すぎて、傷一つなかったのだとか。そりゃ怒りますわ。


 私が竜王の深紅に染まる“逆鱗の瞳”を苦笑交じりに見上げていると、竜王はそれに気が付いたかのように紅い瞳を優しげに細めて、


『ああ、これは怒っとるわけじゃぁないんよ。魔力が強すぎるとなぁ、こうなってしまうんじゃて。ほれ、そこのヴェヌスちゃんも、似たようなもんじゃろ』


 竜王に突然水を向けられた竜人少女のヴェヌスは、その真っ赤な瞳をあわあわと泳がせました。

 なるほど、怒ってはいないのですか。まぁその言葉をわざわざ真に受けることもないのでしょうが、一応信じておきましょう。


「あなたがここでゆっくりしてるあいだに、ドラゴンたちはすごいことになってますよ」

『そうさなぁ、ナルガーゾちゃんは腐敗大陸に飛ばされたんじゃったなぁ。生き残るだけならギリギリ何とかなっても、もうこの大陸には帰って来られないじゃろなぁ』


 魔族最強クラスであるはずの竜王もそんな風に言うのですか……腐敗大陸って、ほんとにどんなところなんでしょうか……?


『とはいえ、その場で殺されても文句なんて言えんところに、その処遇。それにやんちゃばっかしよるグラキデリアちゃんも躾けてくれよったそうじゃし、敵の襲撃からも守ってくれたそうじゃな。ほんに、重ね重ね礼を言わんとなぁ。ありがとなぁ』


 ニコニコと目元を細める竜王は、チラリと私の背後に控える仲間たちに紅玉の瞳を向けました。


『あぁ~、と……そこの金髪の騎士が、ネルヴィアちゃんかの?』

「えっ!? は、はいっ!」

『うちの子らを守ってくれたと聞いとる。それにアルゴラちゃんとも仲良うしてくれとるそうじゃな。なんかあったら、その鳴竜刀を鳴らしんさい。きっとうちの子らが駆けつけたるからのぉ』

「えっと、わかりました……その時はよろしくお願いします」


 ぺこりと頭を下げたネルヴィアさんに、竜王は優しげに微笑みます。

 ……ただ、その視線の温度は思いのほか低く、今の一連のやり取りにも少なからず思惑が絡んでいそうだというのは感じました。

 おそらくは……ネルヴィアさんと懇意にしておけば、私やネメシィのように竜族を根絶やしにできるような存在への、抑止力となると見込んでいるのではないでしょうか。狸ジジイめ。


 竜王の言葉を額面通りに受け取ったらしいボガルニアやアルゴラは、口々に『任せてくれネルヴィア殿』とか『どこにいても私は駆け付けるよ!』とか、熱心に口説いています。若いな。


 すると、話題に上っていたネルヴィアさんが一歩前に出て、恐る恐るといった風に竜王へと話しかけます。


「あの……ここの温泉についてなのですが、どんな病や怪我も癒すと聞いたのですが……」

『ああ、そうさなぁ。とは言っても、人間には効果が薄いかもしれんけどなぁ』

「そ、それはどういうことですか?」

『この島の地下には“龍脈”っちゅうもんが通っててのぉ。それが湯に溶け込んどるんじゃ』

「龍脈……?」

『たしか今の若者たちは……、そうそう、“ルミニテ”とか呼んどったかの』


 竜王の言葉に、私たちはにわかにざわめきました。

 魔神の渦(ルミニテ)と言えば、ロクスウォード勢力が手に入れようと暗躍している魔力の塊です。

 ではこの島にも、“獣王の陵墓”のような仕掛けや門番が配置されているのでしょうか?


 私たちのそんな疑問を読み取ったわけではないでしょうが、竜王は先回りをするように、どこか遠い目をして語り始めました。


『とはいえ儂がその昔、遊びで地下迷宮に潜り込んだ時に、そこで澱んでいた魔力の塊を吸収してしまってのぉ。それから少しずつ魔力は溜まっていっとるとは思うんじゃが、今はどんくらいになっとるものやら』


 竜王がすでに吸収してしまった……? なるほど、それならまだ魔神の渦(ルミニテ)は再生していないかもしれませんね。あの『囁きの洞』に潜んでいた情報屋も、魔神の渦(ルミニテ)の再生には長い年月を要すると言っていましたし。


『おっと、話が逸れてしまったかのぅ。そんなわけでの、湯には魔力が満ちておる。魔族や、それこそ元々治癒能力の高い竜族ならまだしも、魔力の恩恵が薄い人族には目に見えるほどの劇的な効果なんぞ、ありゃせんと思うんじゃがなぁ』

「ま、魔力……!? あの温泉に浸かると、魔力を吸収してしまうのですか!?」

『そういうことじゃな。なんじゃ、なにかマズいのかの? べつに身体に悪いことはないはずじゃが』


 竜王が不思議そうに巨大な頭部を傾げていると、ネルヴィアさんは立ち眩みでもしたかのようにふらついて、私の座る玉座にもたれかかりました。

 うん、まぁ、魔力が増えすぎてヤバイって病気なのに、魔力の原液みたいなお湯に浸かったら、そりゃ悪化もしますわ。


 ネルヴィアさんがぐったりとうな垂れて再起不能になってしまったので、私が彼女の代わりを引き継ぎました。


「えっと、わたしはまりょくがつよすぎて、からだがたえられないんです。だから、それのちりょうのためにここにきたんですが……」

『ははぁ、なるほどのぉ。それはまた珍しいことじゃ。もしや瞳の色が変わっておるのか?』

「え? は、はい、そうですけど……もしかしてこのびょうきのこと、しってるんですか?」


 私の問いに、竜王はしばし目を伏せて何事か思案したあと、丸めていた山のような体をおもむろに起き上がらせました。

 ただでさえ山と見まごうばかりの巨体が、立ち上がったことでさらにその迫力を増します。ゆっくりと慎重に足を下ろしているはずなのに、踏みしめた岩盤のような大地が沈み込み、バキバキと破滅的な音を響かせていました。


『やれやれ……まぁ、これもまた何かの巡り合わせかのぉ』


 竜王はそう独り()ちたかと思うと、その途轍もない巨体をまばゆく輝かせます。

 驚きに目を瞠る私たちの目の前で、竜王の輝く巨体は少しずつ少しずつ縮んでいって、数十秒もする頃には、そのまばゆい光のシルエットは、私たちの目線の高さくらいにまで小さくなっていました。


 そして、その神秘的な光が止んだ場所には……


「ふぅ。この姿になるのも久方ぶりじゃ」


 白い肌と、黄緑色の瞳。黒く長い髪はうなじの辺りで一つにまとめられ、細長い尻尾のようにお尻の辺りまで垂らされています。

 歳の程は、ざっと十歳に届くかどうかといったところ。あどけなくも老獪さを思わせるアンバランスな表情は、それが先ほどまで話していた竜王ゼルギルガルドと、同一の存在であることを思い知らせてくれました。


「ひっひっ。驚いたかの? 竜族の交愛形態は見たことが無かろうて」


 呆気にとられる私たちを見て愉快げに笑った竜王は、その可愛らしい顔を得意そうに歪めて機嫌よく語り始めます。


「お前さんらも竜の山脈を訪れたのなら、大小様々なうちの子たちを見たじゃろう。グラキデリアちゃんのように大柄な体躯から、ヴェヌスちゃんのような人間ほどの体躯まで様々じゃ。もしその二体が子を成そうとするには、どうすれば良いか? ……その答えが、この姿というわけじゃな」


 そう言って竜王は、自慢げにちっちゃな胸をトンと叩きました。


 なるほど、ちょっとその辺りは疑問に思っていたんですよね。ヴェヌスは強い子を生み出すことができると聞きましたが、あんなデカイ連中と交尾なんてしたら破裂するんじゃないかと心配していたのです。

 まさかドラゴンキャベツ畑で子供を収穫できるわけでも、コウノドラゴンさんが運んで来てくれるわけでもないでしょう。だからボガルニアとヴェヌスはどうするつもりなのか、不思議に思っていたのです。


 竜王はそれから、自身の喉を指差します。そこには上向きに生えた金色の鱗が二枚、張り付いていました。

 もしかして、あれは……


「そう、これが儂の“逆鱗”じゃ。竜族はこの鱗に魔力を封じ込めることで、その体躯を縮めることができるわけじゃな。じゃから身体の大きい方が、小さい方に合わせることで子を成すことができる」


 私はちらりとヴェヌスの喉元へ視線を向けます。今は視力がかなり落ちているのでよく見えませんが、もしかしたら彼女の喉元にも、逆鱗が生えていたのかもしれません。


「まぁ、本来は身体がそのまま縮む程度のものなのじゃが、儂くらい熟練すると、縮んだ後の姿も思いのままじゃ。こうして完璧に人の姿になることもできるわけじゃの。……まぁ、伴侶の姿に合わせて化けるのが一般的なのじゃが」


 得意満面な竜王はその場でくるっと一回転。耳も丸くて、角や尻尾もありません。逆鱗以外はぷにぷにで真っ白な人間の皮膚ですし、羽根だって生えていません。この姿を見ただけで人間以外の存在だと見破ることは不可能でしょう。

 そして私はふと気になって、竜王の弁舌に口を挟みます。


「わざわざ にんげんのすがたになれるように、れんしゅうしたんですか?」

「いやな、じつのところ儂の妻は人間じゃったからのぉ」

『えっ!?』


 なぜか私たちよりも、少し離れたところで静かに話を聞いていたボガルニアやアルゴラの方が驚いていました。同じ竜族なのに知らなかったの?


「まぁ、数百年ほど昔の話じゃがな。……変わった娘じゃったが、心から愛しておった」

「そうなんですか……でも、どうしてそんなちっちゃなこどものすがたなんですか? もしかして、あいてもこどもだったんですか?」

「これ、見くびるでない。相手はきちんと成人しておったわ。ただ、なぜか儂がこのような姿でいると、それはもう機嫌が良くなってのぉ。夜もそれは燃え上がったものじゃった」

「……え」


 今、なんか不穏なこと聞いちゃったような……


「竜族は伴侶同士で身体を舐め合い、鱗の汚れを取ったりするものじゃが……きっと妻も、どこからかそれを聞いて知っておったのじゃろうな。いつも顔を合わせるたびに、肌がふやけるまで丹念に舐め回してくれるほど愛情深い娘じゃった……」


 なんだか美しい思い出を語るような表情と口振りですけど、それは、その、なんというか……いえ本人が良いって言うならいいんですけど。


 遥か長い時を生きる最強クラスの竜を少年(ショタ)の姿にさせた挙句、その全身をべろべろ舐め回す……なんて業の深いペロリストなのでしょうか……

 まぁ、竜王的には美談らしいので、お互いに本気で愛し合っていたというのは本当なのでしょうが。数百年も前の伴侶なのに、こうしてすぐに当時の姿になれるくらいには、その女性は竜王の心の中にずっと生き続けているのでしょう。


『……だから竜王様は、周りが何を言っても妻を娶らなかったのですね……』

「うむ。儂の妻は生涯、彼女だけじゃ」


 竜王様一途すぎぃ!! そりゃ人化も完璧ですわ!

 竜王の健気さと、そしてさっき聞いた酷すぎるエピソードを対比しないよう私が無心になっていると、竜王は喉に張り付いていた金色の逆鱗を、二枚とも躊躇なくペリッと剥がしてしまいました。

 えっ、あれ剥がして大丈夫なの?


『りゅ、竜王様!? 何をなさっているんですかっ!!』


 たまらずボガルニアが声を荒げると、竜王は不意に視線を鋭くさせます。

 その視線は小柄な少年から発せられているとは思えないほどの威圧感で、ボガルニアは口を引き結んで一歩後ずさりました。


「……時にボガルニアちゃんよ。わざわざこんな場所にヴェヌスちゃんを連れて来よってからに、何か儂に言わねばならぬことがあるのではないかのぅ?」


 そう言って、竜王はボガルニアとヴェヌスへ交互に視線を向けます。その視線の言わんとするところは明白で、だからこそボガルニアは一瞬戸惑うそぶりを見せました。

 しかしそれもすぐに抑え込んで見せたボガルニアは、傍らで顔を赤くさせているヴェヌスを愛おしげに見つめ、それから覚悟を秘めた目で竜王を射抜きました。


『はい。こちらの“逆鱗の巫女”であるヴェヌスを、譲り受けたく』

「ふむふむ、それは豪気なことじゃ。あの真面目すぎる優等生だったボガルニアちゃんが、一皮剥けてくれたようで儂は嬉しく思うぞい」

『……恐縮です』

「しかし、たしかボガルニアちゃんは、グラキデリアちゃんに勝てなかったように思うのじゃが? 逆鱗の巫女は代々、最も強き雄に嫁いできたと、知らぬわけではあるまいて」

『それは……はい、仰る通りです。しかし私はこれからすぐに旅に出て、誰にも負けない力を得て見せます……!!』

「いや、その必要はない」


 前のめりになって懸命に竜王を説得しようとするボガルニアを、竜王は何の感慨も見せずにぴしゃりと遮りました。

 私はその態度を見て、てっきりボガルニアの主張を突っぱねるのかと思ったのですが……


 竜王は先ほど剥がした二枚の逆鱗の内、その一枚をボガルニアに差し出しました。


「ボガルニアちゃん。これをお前さんに授けよう」

『なッ―――!?』

「これにはお前さんの言うところの、『誰にも負けない力』とやらが込められておるはずじゃ」

『それは、もちろんそうでしょうが……』

「その様子では、もうヴェヌスちゃんに想いは告げたのであろう? なれば迷うでない。強くなると言ったところで、何年待たせるつもりじゃ? おなごをそう待たせるものではない」


 竜王は困った子供に言い聞かせるようにそう告げたあと、どこか寂しそうな目で遠くを見つめました。


「ボガルニアちゃんよ、儂はもう疲れたのじゃ。身体などとうの昔に回復しておったが、もうここを出るつもりなど無かった。あとのことはすべて任せよう」

『し、しかし……』

「これらの逆鱗には、儂のほぼ全ての魔力が封じられておる。半分程度であれば、まだ若いボガルニアちゃんでも、時間さえかければ吸収して己の力とすることもできよう。これをお前さんに託す」

『私で……よろしいのですか?』

「これからの世は、人と手を取り合い生きていくことを求められるじゃろう。凝り固まった価値観や驕り高ぶった気位は、いずれ種を滅ぼす。改革には、若き風が必要なのじゃ。今回の一件が決め手となった。すでに儂の側近たちには話を通してある。お前さんが次の『竜王』となるのじゃ、ボガルニアちゃん……いいや、ボガルニアよ」


 ちゃん付けではなく、呼び捨てで名を呼ばれたことに。そして竜王に認められ、次の竜王を託されたことに、どうやらボガルニアは感激している様子です。口をパクパクさせて、二の句が継げなくなっていました。

 しかし拳を握りしめ、彼はようやく絞り出すように、迷いのない力強い言葉を発します。


『お任せ下さい、竜王様……! 必ずやご期待に応えて見せます!!』

「うむ、任せたぞ。―――それからヴェヌスちゃんよ、ボガルニアはまだ若い。伴侶としてしっかり支えておやり」

「は、はい! 竜王様、ありがとうございますっ!!」

「良い良い。二人とも、末永く仲良くのぅ」


 ボガルニアとヴェヌスは本当に嬉しそうに表情を輝かせ、それを見た竜王も嬉しそうに相好を崩しました。

 それから竜王は逆鱗を託してから二人に背を向けると、今度は私に向かってちょこちょこと歩み寄って来ます。


「人族が強力な魔力に当てられて体調を崩すという現象は知っておる。儂の妻もそうじゃったからのぅ。そして儂はその時、魔力をそれなりに込めた逆鱗を妻に飲み込ませ、彼女を救った」

「えっ……? まりょくのせいで、からだがわるくなっているのにですか?」

「儂にも詳しいことは分からぬ。ただ、このまま何もせず妻を失うくらいならばと、藁にも縋る思いで試してみたことだったのじゃ。竜族の禁忌を犯し、人の子に逆鱗を与えた結果、確かに妻を救うことはできた」


 竜王の言葉に、私やその家族たちは、希望を見出したとばかりに表情を明るくさせます。

 しかし、一方で竜王の表情はなぜか優れませんでした。


「いや―――救った、などとは胸を張って言えぬか。それは『回復』を意味するものではなかったのじゃからのぅ」

「……?」

「視力の低下や、その他の症状を抑えることはできよう。けれどもその代償に、お前さんの身に何が起こるかは分からぬ。儂の妻の時とは歳や状況があまりにも違うからのぉ、確実なことは何も言えぬ」

「それはいったい、どういう……?」

「これは竜族の禁忌じゃて、あまり詳しくは語れぬ。じゃが、この逆鱗を服用するならば、相応の覚悟が必要じゃろうとだけ言っておこう。どうしても進退窮まるその時に、不退転の信念をもって飲み下すことじゃ」


 そう言って、竜王は私のちっちゃな手のひらに、金色に輝く綺麗な逆鱗をそっと握らせました。


「ひっひっ。これでほぼすべての魔力を失ってしもうたわ。今の儂はほとんど人の子と変わらぬ。これでようやく隠居できよう」

「……よかったんですか?」

「良い良い。しばらくは儂の子孫たちの世話になるとしよう」


 子孫って、やっぱり竜なのでしょうか? それとも人? 人との間に生まれた子供は、一体どうなるのでしょうか?

 ともあれ、これで魔族最強種であるドラゴンたちが、敵対する人族に全勢力で強襲してこない理由がわかりましたね。竜王がバリバリの穏健派みたいですから。

 そしてボガルニアが竜王の間も、きっとそのようなことは起こらないことでしょう。

 ……ただ、人族の女子に対する壮絶な偏見だけは、なんとしてでも解決しておかなければいけませんね。竜王の奥さんみたいな突き抜けた変態は、そうそういませんから!


「ところで、セフィリアちゃんよ。聞くところによると、お前さんは男児だとか?」

「はぁ……まぁそうですけど」

「うむ、なればきっとお前さんこそが、今のこの不安定な世界の鍵なのじゃろう。儂の逆鱗を託すだけの意義もあるといったものよ」

「え? どういうことですか?」


 なんか私が男の子であることが、世界にとって重要な出来事であるかのような口ぶりです。気になって私が聞き返すと、竜王はふざけたところの一切ない、ひどく真面目くさった表情で、厳かに語りました。


「儂の妻が常々言っておったからのぅ……―――『男の子は世界を救う』と」


 ……あっ、はい。


 くそっ、真面目に聞いて損した! その奥さん、変態(オークキング)の親戚なんじゃないの!?

 なんかそれを一切疑うこともなく真に受けている竜王が、もはや哀れを通り越して可愛らしく思えてきました。

 ボガルニアたちから竜王はキレ者だと聞いていたのですが……愛した相手に対してはどこまでも盲目なタイプなのでしょうか? 愛が重いというのは、竜族共通の特徴なのかもしれません。


 するとその時、横からボガルニアが一歩進み出て、竜王へと訊ねました。


『……竜王様。私の手勢に命じて、セフィリア殿のために情報収集を行おうと考えているのですが、よろしいでしょうか?』

「うむ、すでにお前さんが竜王となったのじゃ、誰に伺いを立てる必要もない。儂の側近も好きに使うが良い。それに儂はもう、お前さんに逆鱗を譲った身。竜王ではないのじゃからのぅ」


 そう言って、竜王―――もといゼルギルガルドが困ったように笑うと、ボガルニアは恐縮したように一度頭を下げて、私たちへと向き直りました。


『セフィリア殿、聞いた通りだ。これより我らは貴方たちに協力する。世の平和を乱さんとするロクスウォードとやらに、共に立ち向かおう』

「ありがとう、ボガ―――りゅーおーさん」

『む……その呼び名は慣れぬ。今まで通りで頼めるだろうか』


 落ち着かない様子でそわそわし始めたボガルニアに、私とゼルギルガルドは顔を見合わせて苦笑します。どうやら彼が竜王として立派に振る舞える日は、まだしばらく先のようですね。


「では、ゼルギルガルドさん。げきりんは、たしかにいただきました。ありがとうございます」

「気にするでない。『男の子には優しく』が儂のポリシーじゃ」

「……そ、そうですか」


 多分、奥さんの遺言か何かなんだろうなぁ……


 私はなんとも言い難い感情に蓋をしながら、頼もしい味方ができたことを喜びつつ、慰癒の竜泉を後にしたのでした。



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