2歳4ヶ月 1 ――― 強さの代償
ロクスウォード勢力の襲撃から二週間。
遠慮する獣人族たちを押し切る形で、私たちはみんなを人族領まできちんと送り届けるために馬車で移動していました。
本来なら今頃、捕虜から搾った情報を元にロクスウォード勢力へと逆侵攻をかけているはずだったのですが……知り合いの『死神』がピクニック感覚で各地の全拠点を壊滅させてくれちゃったおかげで、その情報はほとんど無意味となってしまいました。
敵に奇襲をかけている隙に全拠点が壊滅していたと知ったロクスウォードたちは、今頃どこで野宿しているのでしょうか……
とはいえ私たちから逃げ切ったロクスウォードたち数人を含め、たまたま外出中とかでネメシィたちの襲撃をやりすごすことができた敵勢力の残党は、まだ多少なり残ってはいるはずです。少なくともリルルは発見されていないそうですしね。
というわけで今後はきっと、各地で情報を集めながらロクスウォード勢力の残党を捜索し、もしどこかで襲撃があれば即座に駆け付けるということになるはずです。
現在は時間をかけてゆったり馬車で移動しながらも、合間合間でリュミーフォートさんの鍛錬という名の暴力が吹き荒び、毎日ボロ雑巾のようになってベッドに倒れ伏すネルヴィアさんとレジィ。
そしてもう一人の魔導師・ルルーさんはと言えば、姉であり怠惰代表であるルローラちゃんのお世話を、悪態を吐きながらも嬉々として行っています。ルローラちゃんがあんな風だからルルーさんが世話好きな性格に育ったのか、それともルルーさんがあんな風だからルローラちゃんがぐーたらになったのか……真相はどちらなのでしょう?
ちなみにルルーさんにお世話されるようになってから、ルローラちゃんは純白のロリータ服を着ている光景が良く見られるようになりました。なんでもルローラちゃんもそういう服は好きだったそうですが、頻繁に変わる体型と着るのに手間がかかってめんどくさいという理由で、今までワイシャツで過ごしていたそうです。
ケイリスくんは相変わらず私にベッタリなままですが、それでも多少は心の傷も癒えたのか、最近ではルルーさんに何かをこそこそ教わっているようです。お料理とかでしょうか?
そして特にやることもない私とソティちゃんは、様々な魔法術式やその応用法などについての考察を披露して、互いの見識を深めることに注力していました。
なんだか彼女の着眼点や思考展開は大いに私と似ているところがあるようで、ソティちゃんとは何を話しても盛り上がるんですよね。他の子たちだと「何ですかそれ?」みたいになる単語や話題なんかでも、当たり前のように知っていますし。それにこの世界の基準で考えれば、相当な教養も備えているようです。
ちなみに現在、かの『死神』の片割れ、大陸最強の魔族、白翼少女のネメシィも私たちの馬車で一緒に過ごしています。
あの後、謝罪の遠話を飛ばしてきたネメシィは私たちと合流したのですが、訪れた彼女を見るうちの子たちの視線は氷点下でした。
敵拠点をあらかた潰して敵戦力のほとんどを削いだ上に、黒い石もすべて強奪して新たな戦力の拡充も防止した……そこまではハナマル百点の大活躍でしょう。
しかし結果として、そんな大活躍ができるほどの実力を持つ黒翼少年のエクスリアが、私の天敵アイテムを大量に所持した状態で敵対してしまったのです。これは間違いなくロクスウォード勢力すべてを相手にするより、脅威の度合いが格段に上がっています。
しかもネメシィたちは私のファーストキスを奪った前科もあり、うちの家族から蛇蝎のごとく嫌われていたところへ、今回のこれです。
そのため償いの一環として、現在ネメシィはルルーさんに用意してもらったメイド服を着て、私たちを甲斐甲斐しくお世話してくれています。
ネメシィ自身は別に何も悪いことなんてしていないので、それはあんまりだと私は庇っていたのですが……しかし案外彼女も楽しそうに給仕しているのを見て、とりあえず様子を見ることにしました。この子は私が帝国をこっそり案内してからというもの、人族の文化に興味津々ですからね。
彼女が一緒に行動しているのはもう一つ、彼女なら半身であるエクスリアの接近をいち早く察知でき、かつ彼が私の説得に応じなかった場合に制圧を手伝ってもらうためです。さすがにエクスリアがいきなり殺意全開で奇襲を仕掛けてくるとは思いませんが、念には念をです。
そんな感じで、わりと穏やかな空気を取り戻しつつあった私たち一行。
けれどもそんな雰囲気を一瞬にして吹き散らす、とある事態が発覚したのです。
「あっ……」
「お嬢様?」
カラン、という甲高い音が響き渡り、私が使っていた幼児用のフォークがテーブルで跳ねました。
一旦飲み物を飲むために置いておいたフォークを再び手に取ろうとして、私が目測を誤ったためです。
べつにその程度なら誰にでもあることでしょうが、私を膝の上に乗っけているケイリスくんが心配そうに私の顔を覗き込みました。
「お嬢様、やっぱり調子が悪いんじゃないですか?」
「う、ううん、そんなことはないんだけど」
「でも今まではこんなこと滅多になかったのに、ここ最近はやけに多くないですか?」
ケイリスくんの言う通り、ここ半年……特にここ一ヶ月ほどは、食器を掴み損ねたり、家具に身体をぶつけたりすることが多くなりました。
他の人たちも同じようなことを思っていたのか、私のことを心配そうに見つめています。
しかしそう大した理由ではないので、私はみんなに心配をかけないように笑いながら首を振りました。
「ううん、だいちょうぶだよ。ちょっとさいきん、しりょくがおちてきただけだから」
「視力が……?」
「うん。こっちがわの目が、ちょっとね」
そう言って私は左目……みんなから見て右側の目を指差しました。それはかつて私がオッドアイだなんだとハシャいでいた時、ほんのり色が変わっていた方の瞳です。
するとケイリスくんは私の左目をジッと覗き込んでから、怪訝そうに目を細めました。
「お嬢様、ちょっと瞳に滲んでる青色が、大きくなってませんか……?」
「え、ほんと?」
私は両方の瞳がお母さん譲りの紫色なのですが、いつからかその紫の中にうっすらと青色が混じっていることに気が付きました。
日本人には馴染みが薄いですけど、前世でも瞳の色素が薄い外国の人とかは、加齢とともに瞳の色が変化したりすると聞いたことがあります。多分それと似たようなものなのでしょう。
私みたいに、まるで絵の具を垂らしたように瞳の一部だけが変色するというのは聞いたことがありませんが、まぁ異世界ですしね。そういうこともあるのでしょう。
……と、思っていたのに。
「ちょっとセフィリアちゃん、よく見せて!!」
突然慌て出したソティちゃんが、その光の角度で色が変わる不思議な髪を振り乱しながら飛んできて、私の顔を、正確には瞳を覗き込みます。
そして見る見るうちに彼女は青ざめると、「そんな……もうこの段階で……」などと呟きながら私から顔を離し、“それ”を口にしました。
「……遷移性虹彩斑症」
ソティちゃんが漏らした言葉に、食卓を囲う私たちから不穏な雰囲気が漏れ出しました。
「せ、せんいせい……こうさい……なに?」
「遷移性虹彩斑症。簡単に言うと、目の病気だよ」
「ええっ!?」
病気!? これ病気なの!? かっこいいオッドアイじゃなくて!?
病気と聞いて、その場の全員が目を見開き驚愕を露わにしました。そりゃそうです、そんなの寝耳に水ですから!
真剣な表情で頭を抱えているソティちゃんに、怪訝そうに眉をひそめたルルーさんが訊ねます。
「そんな病名、聞いたことないわ。それは確かなの?」
「うん、かなり珍しくはあるけど、私の住んでたところでは有名な病気だよ。あまりに強すぎる魔力が、身体に異常をもたらすことが原因なの」
「異常……それは目の色が変わったりということ?」
「色だけじゃないよ! 軽度のうちは虹彩に斑紋ができたり視力が低下するくらいだけど、そのうち失明とか意識混濁、記憶障害になったりもするんだから! それ以外の症状は個人差がかなり出るらしいけど、とにかく最後には全身がボロボロになっちゃうんだよ!?」
ソティちゃんの口から次々と飛び出してくる不穏なワードに、私は一瞬意識が遠のくのを感じました。
意識混濁に記憶障害に失明? な、なにそれ、ヤバすぎませんか?
「つよすぎるまりょくって……そんなのあびたおぼえはないけど……」
「いや自分の身体から漏れてるじゃん! こないだの戦いでもとんでもない魔力放出を連発してたじゃん!」
「そんなのでもダメなの!?」
「そうだよ! 体温があまりにも上がり過ぎるとタンパク質が凝固したりするでしょ? それと同じで、あまりに強すぎる魔力は、耐性のない人間の細胞を変性させちゃうの! 魔力量とか濃度は、体温みたいなものだと思えばいいよ。上がり過ぎたら死んじゃうんだから!」
普段私の身体から漏れてる魔力がアウトなら、もうお手上げじゃないですか! というか私を抱いてることが多いネルヴィアさんとかケイリスくんもヤバいんじゃないですかそれ!?
そんな私の懸念に対しては、「一緒に暮らしてる程度なら大丈夫」とのことです。常にその魔力が体内に充満している本人以外には、ただちに影響はないのだとか。
しかし身体が未成熟な子供はこの病気の影響を特に受けやすく、乳幼児なんて論外。このまま症状が進行するようなら将来的に重度の障害が残る可能性もあると言われてしまいました。
「特にセフィリアちゃん、なんか獣王の陵墓で黒水晶のゴーレムに触られてから、身体がうっすら光ってるでしょ? それ多分、超高濃度の魔力だから」
「……え?」
「ただでさえ人間離れしてた魔力が、いよいよバケモノ染みてきてるよ……。この病気は肉体が魔族に近い性質に遷移していく過程の副作用だって言われてるから、これ以上魔力を高めると死ぬか、あるいは本当にバケモノになっちゃうからね」
私は自分の身体から仄かに放たれている金色の光を見つめます。
……そっか、本来あそこは魔族のための場所だから、“門番”が力を授ける相手に人間を想定してなかったのかもしれません。だからこそこれは人間に耐えられる魔力じゃないんだ。魔神の渦の力を吸収したのが、私じゃなくてレジィで本当によかった……
神話において、多くの魔族は『魔神の強力な魔力によって変異した既存の動物』とされています。
強大な魔力を浴びすぎると、人間も魔物になってしまう可能性はあり得るわけですね……
すると、顔色を真っ白にさせたネルヴィアさんがテーブルに両手を叩きつけながら身を乗り出し、ソティちゃんに詰め寄ります。
「どうやったら治るんですか!? それと病気の進行を止めるにはどうすればいいんですか!!」
「進行を止めるのは簡単だよ。これ以上魔力量が増えないように、魔法を一切使わないように気を付けてればいい」
「……それだけ、ですか?」
「魔力は体力と同じだからね。鍛えれば増えるし、ずっと使わなければ多少は減る。今日から極力魔法は控えて、魔力の満ちていない人族領の田舎とかで静養してれば、ひとまずこれ以上の進行は防げるはず」
魔法を使うなって、それはさすがにちょっと……。だって魔導師とか魔術幕僚長を拝命してるんですけど。
それに働かないでお金を得るという私の人生プランには、魔法がこれでもかと登場しちゃうのですが……
ソティちゃんが言うには、もしかしたら大規模魔法とかを控えて十年もすれば、細胞に魔力が馴染んで症状も収まるかもしれないし、身体が大人になれば多少は耐性もできてくるかもしれないそうです。……でもとにかく今はこれ以上魔法を使い続けるなら、将来 後遺症を覚悟した方が良いとのことです。
「それで、この病気の治療法は何なのですか!?」
続けてネルヴィアさんがそう問いかけると、ソティちゃんは少し気まずそうに視線を逸らして、
「周囲の環境が原因だったら、転地療法が有効なんだけど……本人の魔力が原因なんて聞いたこともないよ。治療法なんてないんじゃないかな。水に浸かっているせいで寒いなら外に出れば温まれるけど、身体の中から氷が生成され続けているならどうしようもないでしょ?」
「そんな……!?」
瞳に涙まで浮かべるネルヴィアさんを、痛ましげに見つめるソティちゃん。
しかしそこで、ルルーさんが再び口を開きました。
「だったら私の魔法で眼球を治療するわ。視力が低下する前の状態に戻せば……」
「数分は保つかもしれないけど、またすぐに同じ状態になっちゃうよ? 原因は器官じゃなくて魔力による細胞の変性だから。それに細胞変性のメカニズムも解明されていないのに不用意にイジったら、それこそどんな副作用が起きるかわからないし」
「……っ」
ソティちゃんの答えに、ルルーさんは悔しそうにテーブルの上に視線を落としました。
私は縋るような視線をリュミーフォートさんに向けますが、いつもの無表情を少しだけ申し訳なさそうに歪めた彼女は、口を噤んだままでした。
打つ手なし……。
私は早くも自身の魔力喪失を半ば受け入れていると、そこでメイド服を身に纏ったネメシィがポンと手を打ちました。
「強すぎる魔力に人間の身体が耐えられないなら、もういっそ魔族になっちゃえばいいんじゃないかな?」
ネメシィが口にした、いかにも魔族らしい豪放磊落な言葉に、その場にいた全員が目を丸くさせました。
「ヴァンパイアみたいに人間を魔族に変えるような魔族を脅してさ。そしたら今よりもっと強くなれるし、魔力にも耐えられるかもじゃない?」
「そ、それは……試したことが無いから、なんとも言えないけど……」
ちょっと引き気味のソティちゃんはそんな風にお茶を濁してから、「どうしてもっていう時の最終手段としてはアリかな……?」と消極的にその案を認めました。
まぁ私としても、いきなり魔族になるっていうのはちょっと躊躇ってしまいます。
吸血鬼なら日光を浴びられなくなったりするかもですし、他の魔族でも何かしらのデメリットが発生しそうです。それに仮にも勇者ということになっている私が魔族になったと知られたら、勇者教の信者たちがえらいことになるかもですし。
何より魔族になってしまったら……生殖能力がどうなるかわかりません。
「……こどもはほしいんだけどなぁ」
私が誰にも聞こえないくらい小さな声で呟くと、なぜか急に目をギラギラさせ始めた家族たちが立ち上がりました。
「セフィ様が魔族になんてなる必要はありません! きちんと療養すれば問題ないのですから、私が支えていきます!!」
「ネルヴィア様の言う通りです。僕もそんな不確かな賭けに縋る必要はないと思います。人族として生まれたのですから、人族として生きるべきです」
「そうだぞ、ご主人を吸血鬼なんかにしてたまるか! ……だけどどうしてもって時は、獣人になる方法に心当たりがあるぞ?」
「ゆーしゃ様、早まっちゃダメだよ? ……ところでゆーしゃ様、エルフ族に伝わる秘薬に面白いものがあってね?」
ネルヴィアさん、ケイリスくん、レジィ、ルローラちゃんが次々に話し始めたかと思えば、直後に無言で睨み合い、言い争いを始めて、終いにはネルヴィアさんとレジィが取っ組み合いのケンカにまで発展しそうになってしまいました。みんな急にどうしたの!?
どうにか私の方から説得して四人を落ち着かせてから、話を本筋へと軌道修正します。
「と、とにかく、わたしはあんまりまほうをつかわないほうがいい……ってことでいいのかな?」
「うん。一度失った視力は回復しないと考えてね。神器なら使っても良いかもしれないけど、あの身体とかグラムが白く光るやつは二度とやっちゃダメだからね。あんな尋常じゃない魔力、一瞬で症状が進行しちゃうよ」
べつに光らせようとして光らせたんじゃなくって、なんか勝手にグラムが白金色に光り始めただけなんですけどね。
おそらくあれは私の感情が昂った時にああなってしまうのでしょう。ほら、今はグラムの形を変えたり動かしたりしても光ったりしませんし。身体の光も金色のままです。
「ではセフィ様、ロクスウォードのことは他の方にお任せして、セフィ様はこのまま帝都へ向かい療養を始めましょう!」
「……え?」
当たり前みたいにネルヴィアさんが口にした提案に、私は信じられない思いで聞き返しました。
しかし私以外のみんなは、当たり前のことみたいに頷いています。
え、私がおかしいんですか? いやいやいや! そもそもこのロクスウォード征伐を提案したのは私ですよ? その言い出しっぺの私が途中離脱して「じゃあ後はよろしく」って、そんな舐めたことできませんよ!?
「い、いやいや……なにいってるの? そんなのだめにきまってるでしょ? そうだよね?」
私がみんなを見回しながらそう問うものの、もう彼らの表情だけで私が少数派だということは明らかでした。
……いえ、べつにわざわざ死地に向かいたいとか戦いたいとか、そういうわけではないのですよ? むしろ働かないのは万々歳です。
ただ、自分が発端となって始まった命の危険を伴う任務を、他の人たちに丸投げするというのはあまりに寝覚めが悪いと言いますか……
それに自惚れるわけではありませんが、あの獣王の陵墓の“門番”は、私以外じゃ攻略できなかったと思います。まぁ攻略する意味が本当にあったか? と問われると答えに窮してしまいますが、それは結果論でしょう。
今後もああいったギミックが立ちはだかったり、あるいはロクスウォード勢力の中にも似たような能力者がいるかもしれません。
たとえ魔法が使えなくても、私に出来ることはたくさんあると思います。
ましてや敵が再び潜伏している以上、安全な場所なんて存在しません。夜になればどこからでも出現できるアペリーラの影に怯えて暮らすよりも、魔導師閣下の二人やネメシィと一緒に行動していた方が遥かに安全なのですから。
「セフィリアさえ仕留めれば人族は崩せる」とまで豪語していたロクスウォードのことです。むしろ私が戦力の手薄な後方へ引っ込むことは、敵にとって歓迎すべきことでしょう。
今回、我々が獣王の陵墓という袋小路に入った瞬間を、我々に悟らせずにピンポイントで狙って見せたわけですから、どこに隠れたところで安心ということはありえません。むしろ非戦闘員の多い帝都なんかで襲われた日には、大惨事待ったなしです。
他にもいくつか理由はありますが、とにかく私はもう少しこの旅に同行したいと思っています。
……と、いうような内容で説得を試みたところ、みんなは概ね私の意見に納得してくれたみたいでした。敵が自衛のために戦力を差し向けたというよりは、明確に私を狙って来ていたという点が後押しになったのでしょう。
私が征伐隊に参加しているという事実は、攻防において有意義な結果となると判断されたわけです。
これに納得していないのは、特に感情面で拒否反応を見せているネルヴィアさんとケイリスくんでした。
それもこれも、先の奇襲によって脆弱性を露呈させてしまった私に原因があるということは自覚しています。この失態はこれから挽回していくしかありません。
反対派の二人の様子を見るに、ケイリスくんの方はあとでゆっくりと説得していけば問題ないように思います。今夜は彼のベッドに潜り込んで、夜通し語らいましょう。
問題はネルヴィアさんですね。彼女の場合は、やや意地になってしまっている部分もありそうです。ここできちんと説得しておかなければ、何か無茶を始めてしまうかもしれません。
私はケイリスくんの膝の上から頑張って床に着地すると、そのままネルヴィアさんの足元へと移動して、よじよじと膝の上へ乗っかりました。
「おねーちゃん♪ ねぇねぇ、わた―――」
「だめです」
私が精一杯甘えた声を出して彼女に誘惑を仕掛けようとしたところ、それを察知したネルヴィアさんは厳しい口調と表情でぴしゃりと阻みました。
くっ、負けるか……!
「ねぇおねーちゃん? いつもリュミーフォートさんとのくんれんでつかれてるよね? だからきょうはわたしがおね―――」
「だめです!」
普段のネルヴィアさんだったら目の色が変わるような条件を出そうと思ったのですが、どうやらそれを最後まで聞いたら意思が揺らぐかもしれないと思ったのか、ネルヴィアさんは聞く耳を持たずに私の言葉を遮りました。
むむ、手強い。
「おねーちゃん……」
「そ、そんな目で見ても、だめなものはだめです!!」
今度はネルヴィアさんの胸に縋りつきながらの涙目と上目遣いの合わせ技、クルセア司教直伝の篭絡四十八手『一人にしないで』を発動してみますが、ネルヴィアさんは大いに動揺しながらも顔ごと私から目を逸らし、誘惑を跳ねのけました。
これが効かないとなると、もうこの路線では希望はありませんね。
仕方ありません、説得の方向性を変えましょう。
「……ネルヴィア・ルナヴェント。あなたは、わたしの“騎士”だよね?」
「え……は、はいっ!」
「ヴェリシオンていこくにほこる“勇者”であり、ていこくさいこうほうの“魔導師閣下”でもあるこのわたしのみぎうで……いちばんさいしょの、ちょくぞくのぶかであり、ゆいいつにしてさいきょうの“騎士”だよね?」
私がもったいぶった口調で尊大な言い回しをしてみれば、ネルヴィアさんはちょっと頬を赤く染めて誇らしげな顔をし始めます。
いかにも騎士が好きそうな言い回しをして彼女の自尊心をくすぐり、精神的な防壁を綻ばせる作戦です。
「わたしは、ゆるせない。せっかくわたしがいのちをかけておわらせたせんそうを、ふたたびひきおこそうとする、みがってなロクスウォードを。きょうもへいわにくらしている、わたしたちがまもるべきヴェリシオンやイースベルクのたみをおびやかし……あまつさえわたしのかぞくをきずつけたあいつらを、ぜったいにゆるすことはできない」
「……セフィ様」
「もちろんおねーちゃんのしんぱいは、ごもっともだとおもうし、うれしくもおもう。だからわたしはおねーちゃんたちにきょかなく魔法をつかわないとやくそくする。きょうからわたしも神器をつかって、みをまもるためのくんれんをするよ。もちろんそれだけでじぶんのみをまもれるだなんて、うぬぼれてはいない。だけどしんぱいはしていないよ。だって―――わたしの“誇り”でありみぎうでである、ネリィがそばにいるんだもの」
「……セフィ様っ……!!」
「だからわたしもこの―――」
「だめです」
ネルヴィアさんは毅然とした態度で私のお願いを一蹴しました。
「……だめなの?」
「だめです」
……下手に出てもダメ、上から行ってもダメ。となると、もうこれしかありません。
私はネルヴィアさんの膝から静かに降りると、床に寝そべって手足を投げ出しました。
そして……
「やだやだやーだぁーっ!! わたし てーこくにかえらないからぁーっ!!」
全力で手足を暴れさせながら、駄々をこねました。
「ちょっ……!? セ、セフィ様……!?」
「なんでそんなイジワル言うのぉー!? かえりたくない かえりたくなぁーい!! わたしがこの手でロクスウォードをちまつりにあげるのーっ!!」
これでもかと手足を振り回し、デパートのおもちゃ売り場で泣き喚く幼児さながらに暴れる私ことセフィリア。
中身の年齢を考えると痛々しいことこの上ありませんが、幸いにも私の本当の年齢を知っている者はこの中にいません。私は二歳児。むしろこういった“交渉”の方が自然です。
より一層激しく手足を振り回す私に、ネルヴィアさんはおろおろしながら席を立ち、近づいてきました。
「セフィ様、わがままを仰るのはやめてください!」
「やぁぁぁだぁぁぁーっ!! ほしいほしいー! ロクスウォードの首がほしいのぉー!!」
「では私だけ征伐任務に同行して、首を持ってきますから! ですから帝国に帰りましょう!」
「びゃぁぁあああああ~~~っ!」
そちらが意地なら、こちらも意地です。もはや聞く耳を待たないまでの強硬な態度を、身体全体で主張します。
するといよいよ困り果てたネルヴィアさんが、「わ、わかりました! わかりましたからぁ!」と半泣きで白旗を上げました。
そして大いにため息をついたネルヴィアさんが、私の傍にへたり込みます。
「……セフィ様から見て、さきほどの私はそんな風に見えていたのですね……」
え? いえ、べつに今の駄々っ子モードに、そんな身体を張ったメッセージ性は含ませてはいませんでしたが……
しかしネルヴィアさんの目には、私が恥を忍んでまで、彼女の意固地になった態度を客観的に見せることで改めさせようとしている風に見えたようです。ネルヴィアさんは悔しそうに、恥ずかしそうにうな垂れてしまいました。
ひとまず彼女の好きなように解釈してもらうに任せていると、ネルヴィアさんは不意に真剣な表情で私の肩を掴み、ジッと目を合わせてきます。
「セフィ様。さきほど約束してくださったこと、どうか忘れないでください。私たちに黙って魔法を使ったり、戦ったりしないでください。常に一番後ろの安全な場所にいてください。……それが、それだけが私の願いです」
「……うん、わかってる。もうひとりでたたかおうとするのは、おわりにするね」
鮮血の処刑人と呼ばれて、逆鱗の称号を得て、魔導師閣下となって……いろいろと血生臭い経歴を重ねる私をいつまでも心から心配してくれるのは、私の家族だけです。それがとてもありがたいことだというのは、常々思っているのですから。
私がそんな思いを込めてネルヴィアさんを抱きしめれば、彼女も苦しいくらいに抱き返してくれました。
もちろん守られるだけじゃなくって、私にできることで彼女たちを守っていけたらと思っています。
私だって先の奇襲で、ただやられたい放題されてたわけじゃないんですから。
獣王の陵墓でロクスウォード勢力を退けてからのドサクサに、私は二つの戦利品を手にしていました。
一つは、敵が私の魔法を封じるために使用していた、いくつかの『黒い石』です。
ルルーさんが捕虜を拷……優しく聞き出してくれた、黒い石の正確な効果と使用法。それを今度はこちらが逆に利用してやれば、身を守るのに大いに役立つことでしょう。
もう一つは、例の“門番”が操っていた……そして魔獣たちの王、分靈のラキフェールの持つ能力、その真髄に迫る力。
―――『無限』を司る術式です。




