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神童セフィリアの下剋上プログラム  作者: 足高たかみ
第五章 【魔族領】
258/284

2歳3ヶ月 10 ――― 白金の輝き

//流血などの生々しい描写が含まれますので、ご注意ください。



 ロクスウォードが自身の腰布に手を伸ばすと、そこからズルリと漆黒の大剣が引き抜かれます。

 その大剣が凄まじい速度で投擲されたのを合図に、敵勢力は一斉に襲い掛かってきました。


 まず先陣を切ったのは、全身が蒼い鱗と棘に覆われた竜のような姿の戦士でした。体長は一般的な成人男性より一回り程大きく、硬そうな外皮を押し上げる強靭な筋肉がその膂力を物語っています。

 これといった防具も着けず、武器らしい武器も装備していないその竜人は、リュミーフォートさんを避けるように大きく迂回して、私たちへと迫って来ました。


 そんな竜人のすぐ後ろを、激しい風切り音がいくつも通り過ぎていきます。

 さながら矢のような速度で飛来する不可視の攻撃は、魔法無効化空間から脱した執事のロヴェロさんへと殺到していました。


「あっはぁ! 避ける! 避けるねぇお兄さん!!」

「『空穿(くうせん)』のピリアナ……」

「正ぇ~解っ!! ほら! ほらっ! ほらぁ!!」


 入り口近くにいる魔族の内、毒々しい色合いをした蝶のような羽根を持つ幼い女の子が宙を舞っています。彼女は羽根と同色である紫色の髪を振り乱しながら小さな両手をかざし、おそらく急速に圧縮しているのであろう空気弾を無数に放ち続けていました。

 ルローラちゃんとソティちゃんを抱えるロヴェロさんは、さながら軽業師のようにアクロバティックな動きで、見えないはずの弾丸を回避し続けています。彼は非戦闘員かと思っていたのですが、戦える人だったのですね。

 しかし無数に降り注ぐ空気弾が一撃でも当たればどうなってしまうのかは、彼の背後の壁に凄まじい勢いで量産されていくクレーターが物語っていました。


 そんな攻撃を背景にして、獰猛な笑みを浮かべた蒼い竜人がこちらへと肉薄してきました。


「ご主人様は私たちが守るんだから!!」


 ロクスウォードを警戒して迂闊に動くことのできないリュミーフォートさんに変わり、まだ怪我の軽い方だった獣人の一部が迎撃のために駆け出します。

 ……そしてその瞬間に竜人が見せた笑みは、思わず背筋が凍るほど凄絶なものでした。


 竜人が腕を振りかぶった瞬間、その逆立つ竜鱗に覆われた刺々しい腕から、五〇センチに届こうかという細長い針のようなものが五本伸びました。あれは……もしかして爪?


「―――ッ!? バカ、避けろ!!」


 それを見た瞬間にレジィが血相を変えて駆け出しますが、私をすぐ近くで護衛してくれていた彼と竜人には若干距離があります。

 それでもレジィが凄まじい勢いで、竜人と対峙する獣人たちの元へ駆け出した……その時。


 竜人が指先から生やした五本の黒い爪を振り下ろす直前、すでに彼らの元へ駆け出していたアイルゥちゃんが獣人たちを裏拳で殴り飛ばし、他の仲間たちの方へと吹き飛ばしました。


 そして何かがアイルゥちゃんの身体から吹き飛ばされ、私たちの足元にボトリと落下してきます。


 それは―――アイルゥちゃんの右腕でした。


「アイルゥ!!」


 一瞬、目の前の光景が信じられずに放心してしまった私は、レジィの絶叫で再び視線を前へ戻しました。視線の先では、右腕を失ってよろめくアイルゥちゃんへ、竜人がさらなる追撃を加えようと黒い爪を振りかぶっていました。

 しかしギリギリのところでレジィが迫る腕を蹴り飛ばし、さらにアイルゥちゃんが体勢を崩しながらも回し蹴りを放って、竜人を吹き飛ばします。

 しかし竜人は自ら後ろに飛ぶことで蹴りの衝撃を殺したらしく、特にダメージも感じさせない嗜虐的な笑みを浮かべました。

 歯茎を剥き出しにして敵を威嚇するレジィが、アイルゥちゃんを背に庇いながら声を荒げます。


「テメェ……『凶爪』のヨングだな!?」

「そういうおめぇは『疾風』のレジィか。いつか切り刻みたいと思ってた―――ぜッ!!」


 ヨングと呼ばれた竜人は、さらにもう片方の手からも五本の黒い爪を伸ばし、レジィへと襲いかかりました。


 私は地面に落ちたアイルゥちゃんの腕を、呆然と見つめます。身体から切り離された腕というのは現実味に欠けるものでしたが、その断面から溢れ続ける赤黒い液体が、私の現実逃避を許しませんでした。

 ランタンに照らされる中、流れ出る血液は……とても見覚えのある忌まわしい光景で……

 一年前に私たちの村を襲った悪夢を、ありありと思い出させるものでした。


「あぁぁ……ああああっ……!!」


 ずきずきと痛みだした頭を抱えながら身体を丸めた私に、ケイリスくんが「お嬢様……!」と悲痛な声色で呼びかけてきます。しかし今の私に周囲を気にするだけの余裕はありませんでした。


「ネルヴィア! ケイリス! セフィリアを逃がすから覚悟を決めなさい!!」


 するとそこへ、いつもの穏やかで丁寧な口調をかなぐり捨てたロヴェロさんが叫びました。


「ちょっとちょっと、お兄さぁん? 余所見なんて余裕だね!」


 途端にロヴェロさんを襲っていた空気弾の猛攻が苛烈さを増し、巻き上げられた黄金の床板や炸裂した土埃に紛れてロヴェロさんが見えなくなってしまいます。

 しかしロヴェロさんの叱咤に奮い立ったらしいネルヴィアさんが、顔色を真っ青にさせたケイリスくんの腕を掴んで洞窟の出口を睨み付けました。


 出口近辺には、空気弾を放つ蝶の羽根を生やした幼女と、三メートルに届こうかという岩のゴーレム、その足元に血まみれのアペリーラ、そして竜の鱗のようなものに覆われた闘牛が立ちはだかっています。……ゴーレムを操作している術者もいるはずですが、少なくとも洞窟内には見当たりません。自動制御なのでしょうか……?


 私は周囲を見渡しながら、早鐘を打つ胸を握りしめます。

 空気弾の猛襲を受けているロヴェロさんと、彼に抱えられているルローラちゃんやソティちゃん。

 獣人の仲間を背後に庇いながら竜人の黒い爪を避け続けているレジィは、すでに全身切り傷だらけの血塗れです。

 異常な膂力と身のこなしを備えるロクスウォードの猛攻から、リュミーフォートさんは私たち全員を守り続けてくれています。


 そんな彼らを残して、私だけ逃げるなんて……


「セフィ様! 今は生き残ることだけを考えてください! ケイリスさん、行きますよ!!」

「はい!」

「敵は私が命に代えても……―――ッ!?」


 駆け出そうとしたネルヴィアさんが突然ケイリスくんの腕を離したかと思うと、誰もいない場所へと剣を振るったのです。

 その瞬間、ガキィン、という甲高い音と共にネルヴィアさんの剣が弾かれ、同時に彼女の肩から鮮血が噴き出しました。


「ぐぅッ……!?」

「おねーちゃん!!」

「ネルヴィア様!?」


 ネルヴィアさんの血飛沫を浴びた私とケイリスくんが叫ぶと、彼女は苦しそうに呻きながらもケイリスくんの腕を乱暴に引っ掴み、出口の方へと駆け出しました。


「見えない敵がいます! 攻撃の瞬間まで殺気も一切感じませんでした!! 相当な使い手です!!」


 ネルヴィアさんの言葉を証明するかのように、突然走り出した私たちを追うような物音が背後から微かに聞こえたような気がしました。

 さっきまではこの混戦に乗じて気配を殺し、私の暗殺を狙っていたということ……?


「―――逃がすか」

「させないよ」


 見えない暗殺者から必死に逃げる私たちへ殴りかかろうとしたロクスウォードの拳を、とてつもない轟音を響かせながらリュミーフォートさんが受け止めました。

 続けてロクスウォードは獣人たちへ黒剣を投擲しようとしますが、リュミーフォートさんは投げられる前に剣を叩き落とし、さらに弾かれた剣を空中で蹴り飛ばしました。

 リュミーフォートさんに蹴られた巨大な黒剣は、私たちのすぐ後ろを通過しようとして……しかしその途中で見えない何かに激しく激突しながら火花を散らします。恐らくですが、不可視の暗殺者に直撃させたのでしょう。


 肩から血を流し続けながらも走っていたネルヴィアさんがケイリスくんの腕から手を離すと、彼女は出口の前に立ちはだかるゴーレムへと突撃していきました。

 ゴーレムは鈍重かつ機械的な動きで腕を振りかぶりますが、あの程度の攻撃がネルヴィアさんに当たるわけないはず……


 私がそう思った瞬間、突然ネルヴィアさんがガクリと膝をつき、そしてゴーレムの拳をまともに食らって吹き飛ばされてしまいました。


「お、おねーちゃん!?」


 私たちのすぐ足元へ転がってきたネルヴィアさんは、ゴーレムの一撃を防御したのであろう右腕が青黒く変色していて、皮膚がズタズタになってしまっています。

 鼻と口から血を流す彼女は弱弱しい呼吸を辛うじて繰り返しながら、それでも近くに転がった剣に腕を伸ばそうとしていました。


「うぐっ……ぶっ、うぇえっ……!!」


 突然地面に屈みこんだケイリスくんが、私から顔を逸らしながら胃液を嘔吐しました。

 涙や涎を垂らしながら咳き込む彼は、「イヤだ、また、また僕は……!」とうわ言を繰り返しながら自身の三つ編みを強く握りしめています。

 どうやら私が一年前の惨劇を想起したように、彼もまた故郷の惨劇がフラッシュバックしているようでした。先ほどから顔色を真っ青にさせていましたが、今にも死んでしまいそうなネルヴィアさんの姿に、とうとう耐え切れなくなったようです。


「おらおらどうした獣人、この程度かぁ!? だったらそろそろ刻んじまうぜ!!」


 背後に仲間たちを庇っているためろくに身動きの取れないレジィが、竜人の黒い爪に追い詰められて血飛沫を上げていました。


「あーあ、もう飽きちゃった! そろそろ特大ので吹っ飛ばしちゃおっかなぁ!!」


 魔法や能力を封じられて戦えないルローラちゃんやソティちゃんを抱えたロヴェロさんが、ボロボロな身体で憔悴しながらも空気弾の雨から逃げ続けていました。


「もう終わりだ、諦めろ」

「終わらせないよ、私が守る」


 ろくに戦えない私たち全員を守り続けているせいで、リュミーフォートさんの服もボロボロです。ダメージだって蓄積しているはずですし、このままでは確実に押し切られて全滅してしまうでしょう。


「や…………めろ……」


 ネルヴィアさんを殴り飛ばしたゴーレムが、地面を踏み砕きながら一歩ずつ近づいてきます。


 もはや息も絶え絶えなネルヴィアさんが、それでも死力を振り絞って私とケイリスくんに覆いかぶさりました。


「お嬢様だけは……お願いします、お嬢様だけは殺さないで……」


 ケイリスくんもまたそんなことを呟きつつ、私を苦しいくらいに抱きしめて守ろうとしてくれています。


 殺される―――


 ネルヴィアさんが。ケイリスくんが。みんなが。


「や―――」


 戦争を起こそうとしてる身勝手なこいつらに、私の命よりも大切な家族が……!!




「やめろォォオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」




 あの『門番』に抱きしめられて以降、私の身体から微かに漏れ出ていた金色の輝き。それが今、目も眩むほどの輝きとなって、周囲の暗闇を吹き飛ばした。

 その色は、私の髪と同じ白金色。まるで金色を塗りつぶすかのように私の身体からあふれ出てきた白金色が、この空間全てを埋め尽くさんとしている。


 だけどそんなことは、関係ない。

 今私がすべきこと、私ができることは、一つしかないんだから。


 私は頭の上に乗せていた黄金の……いや、今はなぜか白金色に変色していた王冠、神器『グラム』へと祈る。

 まだ使い方がわからないとか、扱いを誤って味方を傷つけてしまうかもとか、もはやそんなこと言ってられる状況じゃない!!


 ソティちゃん曰く、私の好きな形状、好きな動きを実現する魔導具だというそれに、私は明確な殺意をもって願った。


「うぁぁああああああああああっ!!!」


 王冠から一瞬にして球体へと形を変えた白金色の塊は、目も眩むような輝きを発しながら、その形状をさらに変化させた。


 球体の表面から目にも留まらない速さで突き出した無数の“棘”が、私の仲間だけは辛うじて避けるようにして、室内の全方位へと同時に襲いかかった。

 明確にその一撃を回避できたのは、一瞬早く影に潜り込んで逃げたアペリーラただ一人。

 私の近くにいたゴーレムは全身を貫かれて木っ端微塵に爆散し、丈夫な外皮を持っていたらしい竜鱗の闘牛は棘の勢いに押されるがままに洞窟の内壁に叩きつけられ、十メートル以上もめり込んで動かなくなった。


 白金の棘を黒い爪で迎撃しようとした竜人は全身を数ヶ所貫かれて絶叫を上げ、蝶の羽根を生やした幼女は必死に回避しようとしたものの手足と羽根をいくつか貫通され、地面に落下して泣き叫び始める。

 全員綺麗に致命傷は避けているらしいのは、ヤツらの運がいいのか、はたまた私の意思なのか……


 そして私はぜぇぜぇと肩で息をしながら、ロクスウォードへと視線を向ける。ヤツは一瞬早く取り出した巨大な黒剣を盾代わりにすることで、壁に叩きつけられるだけで済んでいた。


 許せない……


 お前のせいで……お前のせいでみんなが!!


 白金の棘を一瞬で球体に戻した私は、再び神器(グラム)に願う。

 私の家族をこんな目に遭わせたアイツを絶命させる、死の形状を……!


 眩い輝きを放つ白金は瞬時に五メートルを超える巨大な斧槍(ハルバード)へと姿を変え、その先端をピタリとロクスウォードに定める。

 白金の棘によって粉々に崩壊した黒剣の向こうで、ロクスウォードが初めて焦りの表情を見せた。


「死ねぇぇえええええええええええええええええ!!!」


 私が全力で腕を振り下ろすと同時に、斧槍(ハルバード)は軌跡すら残さないほどの速度でロクスウォードへと迫った。


 殺す! こいつはここで殺しておかないとあとで確実に後悔することになる!

 それにどうせ一人殺したなら、何人殺したって同じだ。禍根は残さない! この場にいる敵全員を皆殺しにして、騒乱の種はすべて摘み取ってやる!!


 私の家族を傷つけたこいつらは絶対に許さない! 死をもって償わせてやる!!

 そして全部終わらせて、帝国に帰るんだ! 大切な人たちが笑顔で迎えてくれる、私の居場所に!


 そうすれば、お父さんやお母さん、それからお兄ちゃんと―――




 ピタリ、と……斧槍(ハルバード)はロクスウォードに直撃する寸前で、停止していた。




「なにっ……!?」


 ロクスウォードは私が斧槍(ハルバード)を止めるまでもなくギリギリで横に飛んで回避していたようで、斧槍(ハルバード)を寸止めしたことに驚いたようだった。

 そしてどうやら私が寸止めから斧槍(ハルバード)での追撃を狙っていると思ったらしく、ロクスウォードの意識が斧槍(ハルバード)への防御に向いた一瞬の隙をついて、ロクスウォードの脇腹にリュミーフォートさんの足が深々とめり込み吹き飛ばした。

 ロクスウォードは吹っ飛ばされる途中で竜人に激突しながらも、そのままノーバウンドで洞窟の一番奥の壁に叩きつけられている。けど、あれくらいじゃヤツはまだピンピンしてるはずだ。


 手元に戻した白金の形状を斧槍(ハルバード)から球状へと戻していると……先ほど私が洞窟の全方位を深々と棘で抉った際の亀裂が内壁全体へと広がり、不穏な振動が響き始めた。天井からパラパラと細かな欠片が落ちてくるのを見るに、もうこの洞窟は長く保ちそうもなさそうだ。


 するとロヴェロさんが黒い石の魔法無効化空間を避けるように迂回しながら、ルローラちゃんとソティちゃんを近くの獣人に預けて支持を飛ばす。


「全員、急いで脱出!! 動ける者は動けない者を担ぎなさい!! 急いで!!」


 ロヴェロさんの号令に従って、全身切り傷だらけで血まみれのレジィや、右肘から先を失ったアイルゥちゃんが、他の獣人たちに指示を飛ばして誘導し始める。

 リュミーフォートさんも私たちに駆け寄って来ると、ボロボロな姿で横たわるネルヴィアさんと憔悴し切ったケイリスくんごと、私を優しく抱き上げた。その際、リュミーフォートさんは私の耳元に唇を寄せて、


「……よく我慢したね」


 慈しむように優しい声色で、そう囁いた。


 今にも避難が始まりそうな雰囲気に、私はせめてロクスウォードを確実に捕らえようと思い、神器(グラム)に願う。

 鳥籠のような形状となった神器(グラム)は、次の瞬間にはロクスウォードと竜人の周囲に突き刺さり、彼らを白金の鉄格子で取り囲んだ。

 しかしその直後、竜人族の男の影から現れたアペリーラがロクスウォードと竜人の身体を影の中に引きずり込んでしまった。


「……っ!!」


 私は慌てて周囲を見回すも、あの蝶の羽根を持った幼女も、竜鱗に覆われた闘牛もいない。おそらく透明な暗殺者も含めて、すでにアペリーラが影の中に回収してしまったらしい。


「……ぐ、くっ、うううっ……!!」


 血管がブチ切れそうな怒りを必死で抑え込みながら、私を抱きしめているケイリスくんの腕にしがみ付いた。


 それから私たちは全員で元来た道を駆け抜ける。ご丁寧なことに道中にも黒い石が等間隔で配置されていたけれど、黒い石はリュミーフォートさんが蹴り飛ばしてくれたので、私は再び魔法が使えるようになった。

 早速、速度支配の魔法と物質消滅の魔法を併用してから真上に穴を開け、数百メートル上方に四角く切り取られた青空が見えることを確認した。

 私は薄く絨毯のように引き延ばした神器グラムに全員を乗せて、さながらエレベーターのように洞窟から脱出を果たした。足元の穴からは激しい崩落音が聞こえてきたので、獣王の陵墓は今後二度と人目に触れることはないかもしれない。


 私たちが青空の下に出た時、そこは険しい岩山の中腹だった。

 雑草もまばらな乾燥した地表に全員を下ろした私は、みんなの惨状を見渡してみる。


 ネルヴィアさんは右腕が青黒く染まり腫れあがっていて、これはおそらく骨が折れてしまっている。鼻や口から流れる血が痛々しく、呼吸も浅くて若干不規則だ。肋骨も折れているのかもしれない。

 抉られた肩は皮膚が裂けて、筋肉や脂肪が覗いている。この傷を受けてから彼女は動きがおかしかったような気がするし、もしかしたらあの暗殺者の武器には毒でも塗ってあったのかもしれない。


 レジィも全身切り傷だらけで、とめどなく血が流れ続けている。それもかすり傷とかじゃなくて、すべて縫わなきゃいけないレベルの裂傷だ。どう考えてもすぐに医者に見せなくちゃいけないレベルの傷に間違いない。


 心の傷が一番深いのは、間違いなくケイリスくんだった。

 外に出てからもずっと私のことを苦しいくらいに抱きしめていて、嗚咽を漏らして幼い子供のように泣き続けている。


 アイルゥちゃんも右腕を切断されるなんていう酷すぎる怪我を負っている。一応腕は他の獣人が回収してくれたようだけど、この世界の医療技術では元通りにはならないはず……

 獣人たちも明るいところで見てみると、かなり酷い怪我を負っている子も目立つ。後遺症も残ってしまうかもしれない。


 なんで……どうしてこんなことに……

 なんでせっかく終わった戦争を蒸し返そうとするの? どうして平気でこんなことができるの?


 やっぱり許せない……!! 私一人でだって、ヤツらを追いかけて、探し出して―――


「落ち着きなさい、セフィリア。深追いなんてしたら敵の思う壺よ」


 今にも上空へ飛び出しそうになっていた私は、そんな声に引き止められた。

 振り返るとそこには、立派だった執事服がボロボロになっているロヴェロさんが、不愉快そうな表情を浮かべている。


 急に人が変わったかのような彼の雰囲気や表情、そして口調に戸惑っていると、ロヴェロさんは地面に横たわっているネルヴィアさんの肩にそっと手を触れて……



 次の瞬間、ネルヴィアさんの身体の傷が、すべて跡形もなく治ってしまった。



「……はぇ?」


 思わず間抜けな声を発してしまった私を置いてけぼりに、ロヴェロさんは続いてレジィの重篤な裂傷も一瞬で治してしまい、さらにはアイルゥちゃんの右腕をいとも簡単にくっ付け、ついでとばかりに獣人たちのケガも全て治していった。


 そして最後に、私の腕に刻まれた『正T』の傷跡も、指で軽くなぞるだけで消してしまいました。


「……まったく。リュミィに任せなくて正解だったわね。私がついて来て本当によかった」


 そんな風に言いながらリュミーフォートさんを睨み付けるロヴェロさんの表情は、とても見覚えのあるもので……


 ちょっと不服そうなリュミーフォートさんが、ほっぺを膨らませながらロヴェロさんへと決定的な言葉を言い放ちました。


「事前に対処できなかったのは、あなたも同じだよ……ルルー(・・・)


 次の瞬間、ボロボロの燕尾服を身に纏っていた、長身のメガネ執事……ロヴェロさんの身体が“ギュルッ!!”と回転し、次の瞬間にはピンク色の小柄なシルエットに早変わりしていたのです。


 複雑精緻に編み込まれたピンク色の長髪。ピンクと白を基調とした甘ロリドレスに身を包んだ彼女は、頭上に戴く王冠ヘッドドレスの位置をくいっと直して、自信に満ち溢れた表情を浮かべました。


「ルっ……ルルーさん……!?」

「あら、やっぱり本当に気が付いていなかったのね」


 いけしゃあしゃあとそんなことを宣う魔導師閣下は、それから私と視線を合わせるように膝をついて気づかわしげな表情を浮かべます。


「いろいろ言いたいことはあるけど……とにかく敵の深追いはダメよ。あれだけ周到な準備を整えて奇襲を仕掛けてきた連中が、罠を仕掛けてないはずがないわ。……リルルが関わっているのなら、尚更ね」


 そう言ってルルーさんは、ルローラちゃんを横目でチラリと窺いました。しかし当のルローラちゃんは、今まで一緒に行動していた執事が突然妹に変身したショックから、まだ立ち直っていないようです。


 ルルーさんは私よりずっと長く戦場で戦って来た、帝国の英雄の一人です。そんな彼女が言うのですから、ここで追うべきではないという彼女の判断に間違いはないのでしょう。

 しかし私はどうしても、物申さずにはいられませんでした。


「で、でも、ヨナルポカはころされちゃいました! せっかくてきのじょうほうがえられるチャンスなのに……」

「確かにそうね。探してた敵がせっかく向こうから来てくれたんだから、せめて誰か捕まえて情報を吐かせたい気持ちはわかるわ」

「だったら……」

「でも、必要ないわ。ちょうどいいのがそこにいる(・・・・・)から」


 ルルーさんがそう言いながら顔を横に向けると、彼女の視線の先でほんの少しだけ地面の砂が崩れました。


 すると凄惨な笑みを浮かべたルルーさんの皮膚から真っ赤な()が無数に伸びて、何もない岩山の斜面を穿ちました。

 続いて、確かにさっきまでなにもいなかったはずのその場所に、ギョロリと巨大な目が飛び出した不気味な竜人が姿を現し、汚い絶叫を上げ始めたのです。彼の両足には、ルルーさんが放った棘が数十本以上も貫通しています。

 私たちに背を向けて倒れ込んだところを見るに、ルルーさんに見つかって慌てて逃げ出そうとしたってところでしょうか。

 もしかしてあれは、ネルヴィアさんを襲ってきた不可視の暗殺者……?


「ちょっと欲張り過ぎたわね……『隠伏(いんぷく)』のファジリアーク。他の連中と一緒に、大人しく逃げてればよかったのに」

「ギ、グギ、なっ、何故、俺の隠伏がッ……!?」

反響定位(エコーロケーション)。超音波を飛ばして周囲を探知する能力よ。私の知覚から逃れたければ、超音波を避けないとね」


 なんかむちゃくちゃなことを言い出したぞこの幼女……。


「黒い石を持ってないのは、広域魔法で簡単に居場所がバレるからかしら? 暗殺者としては正しい判断だけど、今回はそれが裏目に出たわね」


 足から血を噴き出しながらも這いずって逃げようとする暗殺者の竜人ファジリアークを、ルルーさんは嬉々として追いかけ、穴だらけの足を踏みつけてへし折りました。……多分体重も操作してますね、あれは。


「グギィヤァァアアアアアアア!?」

「あら悪いわね、ゴミかと思って踏み潰しちゃった。でも安心なさい―――どれだけグチャグチャに壊れても、また治して、それから丁寧に壊し直してあげるから。何度でも、何度でも」


 地べたに這いつくばるファジリアークを冷徹な女王の瞳で見下ろして、舌なめずりをするルルーさん。その目を見てしまったファジリアークは、可哀想なくらいガクガクと全身を震わせています。

 私もぞくぞくっと背筋に悪寒が走って、思わず身震いしてしまいました。


「……む。あれは……」


 思わず、といった感じに漏らしたリュミーフォートさんの呟きが聞こえました。

 見ればリュミーフォートさんの視線の先には、広大に続く森の切れ目があります。鬱蒼と茂る大森林が途切れ、赤々と乾燥した大地が長らく続いていました。

 そんな見通しの良い大地を、いくつかの小さな人影が走っているようです。私は最近妙に片目の視力が落ちているけど、それでもあれがロクスウォード勢力の敗走であることはわかりました。


 ……逃げる?


 私たちがこれだけの被害を被って、身も心もたくさん傷ついて……もとはと言えばあいつらが戦争を再び起こそうと工作活動じみた真似をしなければ、今頃私たちは帝都で平和に笑って暮らせていたのに……


「ふっ……ふふ、あはは……」


 突然のルルーさんの登場で冷えかけた(ハラワタ)が、再び沸騰する。

 ざわざわと髪の毛が持ち上がり、再び全身が白金色に輝き始めた。


「セフィリア、深追いは……!」

「……わかってます……おいかけたりはしません」


 でも、でもさ……もしルルーさんがいなかったら、大変なことになってたんだよ?

 今にも死んでしまいそうな家族の姿が、網膜に焼き付いて離れません。



 これだけ……一方的な暴力を振るっておいて。これだけ好き放題しておいて……




「ただで帰すと思うのかァァアアアアアアアアアア!!!」




 移動用魔法によって一瞬でこの山の頂上へと飛んだ私は、山頂に手を当てて魔法を発動した。

 深追いはしない。私はこの場所から動かない。


 ただしやっぱり、“追撃”はさせてもらう!!


「『(アンチ)対魔法(アンチマジック)魔法(マジック)(バレット)』!!」


 巨大な山頂が一瞬で消失し、私の小さな手のひらに収まる大きさまで縮小された。山頂の物質量を除算して、一センチ×一センチ×二センチの直方体へと圧縮させたということだ。重量も除算しておく。

 さらにこの小さな直方体の“弾頭”に気体の物質量をゼロにする術式を組み込み、さらに弾頭から一ミリ×一ミリの光線がまっすぐ放たれ続けるようにしてやる。硬度指定子でこの世のあらゆる自然物質よりも遥かに硬くしておくことも忘れない。


 続いて私は神器(グラム)に願った。あのふざけた連中に裁きを下すための、現代兵器の生成を。

 白金色に輝くグラムは即座に形を変え、私が前世で見たことのある形状をある程度踏襲した姿となってくれた。


 細長い筒に、持ち手が付いただけの単純な形状だけれど……軍事愛好家(ミリオタ)でもない私にはこれが限界だ。とりあえず私の思い通りの動きさえしてくれれば形状は問題じゃない。


 私は先ほど作り出した『(アンチ)対魔法(アンチマジック)魔法(マジック)(バレット)』を(グラム)に装填し、さらに新たな魔法を重ねがけする。


「『胎物小銃アンチマトリクスライフル』」


 この白金色の物質がかなりの強度を誇っていることはわかったけれど、念のためさらに硬度を乗算。衝撃と反動を除算。さらに銃口を通過した物質の速度を秒速三〇〇〇メートルに加速。装填した銃弾のすぐ後ろに作ったポケット内に存在する気体の物質量を、引き金を引くと同時に一〇〇〇倍に乗算するように設定。


 設定完了。安全装置を解除。銃口の保護キャップを除去。


 遥か遠くの荒野を走るロクスウォードたちは、その先に広がる森へと駆け込むつもりだ。アペリーラの転移は影同士が接触しているところにしか移動できない。だから森の中ならともかく、日陰のない荒野は走って移動しなければならない。

 私たちが本気になれば、影に潜んで隠れたとしても、陽が沈むまでに森を消し飛ばして居場所を探し出すだろう。いや、光を支配できる私がいる以上、時間すらも関係ない。この森に隠れているだけでは、いずれ必ず見つけ出して追い詰めることができる。

 だからヤツらはリスクを背負ってでも、私たちが体勢を立て直す前に逃げなければならなかった。


 その判断が、運の尽きだ。


 私の思い通りの動きをしてくれる神器(グラム)に念じて、一キロ以上も離れたロクスウォードたちの背中に狙いを定める。この銃に手ブレという概念はない。

 銃弾の先端から前方へとまっすぐに伸びる光線が森林を縦断していき、やがて荒野を走るロクスウォードたちの背中……正確には『魔法無効化空間』をロックオンした。


 その頃にはさすがに異変に気が付いたらしいロクスウォードたちはこちらを振り返り、何かを叫びながら慌てて散らばる素振りを見せるけれど……もう遅い。


「―――ショット」


 (グラム)の引き金を引いて、魔法を発動させる。

 トリガーが起動したことにより、銃身内部……銃弾のすぐ後ろに作ったポケット内の空気が炸裂して大音響の銃声が響き渡る。

 高速で撃ち出された銃弾は、銃口の加速術式によって秒速三〇〇〇メートルに加速。弾頭の気体消滅術式と重量除算術式によって空気抵抗や重力の影響を完全に無視しながら、光線で照準を定めた地点へ寸分の狂いなく着弾した。


 銃弾はロクスウォード勢力の持つ黒い石の効果により、魔法による数値の操作をすべて無効化される。

 それによって銃弾は魔法の影響を受ける前の状態……つまり、小さな銃弾は瞬時に『巨大な岩山』へと戻り、その大質量が『銃身内での爆発によって射出された瞬間の速度』となって、ロクスウォード勢力に直撃することになる。


 その勢いは凄まじく、大地が抉れ、空気が震え、視界に広がる広大な森のあらゆるところから、無数の鳥たちが逃げ惑っていた。まぁ山をブン投げたんだから納得の威力か。

 射出された山頂は荒野を抉りながら砕け散り、その先の大森林に降り注いでいく。一応、森の生物たちが死んでしまわないように、魔法で山頂の残骸は消滅させてフォローしておく。


「……ふぅ」


 多少は溜飲が下がったかな。いずれ奴らには地獄を見せてやるけど、今日のところはこれくらいで勘弁してあげましょう。

 さて……敵はロクスウォードがかき集めた魔族の精鋭集団なわけですから、あれくらいで倒せるとは思っていませんが……運が良ければ一人くらいは見捨てられていて確保できるかもしれません。


 私は神器(グラム)の銃口にフッと息を吹きかけながら、仲間たちの元へと戻って行きました。



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