2歳3ヶ月 7 ――― 獣たちの流儀
ケイリスくんとロヴェロさんが、それぞれ背負ったバッグから取り出したランタンを着火して明かりを確保しました。
暗闇にぼんやりと浮かび上がる巨大な黒い影は、淡く金色の輝きを放っています。
私たちが相手の出方を窺っていると、漆黒のキマイラはじつに機嫌良く喉を鳴らしました。
「クックッ……体中から力が漲る……!! これが魔神の渦の力というわけか!!」
そう独りごちるソイツは全身から金色の煙を立ち上らせながら、私たちのことなど眼中に無いかのように振る舞います。
するとケイリスくんに抱えられた私のすぐ脇を通って、全身を漆黒の重装甲冑に包んだアイルゥちゃんが私たちの先頭へ躍り出ました。
「貴様が、ヨナルポカか」
「む? なんだ貴様は。誰がこの私に話しかけることを許可した?」
もはや呆れるくらい上から目線のそのキマイラは、アイルゥちゃんの問いにも答えず馬鹿にしたような目でこちらを見下ろします。
とはいえわざわざ確認しなくとも、ヤツの姿はロヴェロさんが教えてくれた容姿そのもの。アレがヨナルポカという魔獣であることに、疑う余地はないでしょう。
と、アイルゥちゃんとヨナルポカが睨み合っていたところで、先ほどヨナルポカに吹っ飛ばされて黄金の山に突っ込んだのであろうレジィが、軽やかにひとっ飛びしてアイルゥちゃんの隣へ着地しました。
「あのデカ猫の名前が『ヨナなんとか』かどうかなんて関係ねぇよ。アイツの匂いは、族長が死んでた場所で嗅いだ匂いに間違いねぇ」
レジィの断定的なその言葉に、アイルゥちゃんや、私の後ろに控えている獣人たちから殺気のような圧力が膨れ上がりました。
対してヨナルポカの方は、そんな獣人たちをつまらなそうにチラリと眺めた後、馬鹿馬鹿しそうに鼻で笑いました。
「なるほど、あの時殺してやった獣人の仲間共か。せっかく見逃してやったというのに、わざわざ死にに来たというわけか?」
「貴様ッ……! 父上の仇だ! 今ここで叩き潰してくれるッ!!」
アイルゥちゃんは背中に担いだ巨大戦斧を黄金の地面に叩きつけ、憎悪をありありと滲ませた叫びをあげます。
しかしヨナルポカはどこ吹く風といった様子で、侮蔑と嘲笑の入り混じった表情を浮かべました。
「あの無能な獣人の男も、今の貴様のように馬鹿なことを吠えておったな。獣というのはどうしてこうも短絡的で考えが足らんのだ? 獣の王として、私はじつに恥ずかしい。無能なら無能なりに、黙ってこの私に忠誠を誓い従っていれば良いものを、どうしてこうも死に急ぐのか、理解に苦しむ」
「獣の王だと? 自惚れも甚だしい!」
「別段、貴様らのように下等な人族の混じった紛い物なぞに、理解など求めてはいない。この私こそが獣王の血を受け継ぐ偉大なる種族であることを、獣人風情に理解せよというのも酷な話だからな」
そのあんまりな言いぐさに、アイルゥちゃんは戦斧の柄を握り潰さんばかりの勢いでしたし、背後に控える獣人族だって今すぐにでも飛び出して行きそうな雰囲気です。
……そして獣人族を馬鹿にするアレが、レジィたちが決着を着けるべき怨敵じゃなかったら、今頃私の手でズタボロにしてやってるところでした。他のみんなも同じような心境でしょう。
そんな極限まで張りつめた空気の中において、似つかわしくないほど落ち着き払った声が響きました。
「落ち着けよ、アイルゥ」
憎悪と殺意に満ち満ちたアイルゥちゃんの肩部装甲にポンと手を乗せて、彼女をなだめるレジィ。
彼はあそこまで獣人族を好き勝手言われているというのに、なぜかヨナルポカよりも冷静に見える態度を保っているように見えます。
レジィは私たちの疑問や困惑を知ってか知らずか、なんとも気軽な調子で口を開きました。
「今ここで、こうして対峙するまでは……オレ様も、とりあえずぶっ殺してやろうと思ってたんだけどな……。なんか、今は不思議とどうでもいいって気持ちになってんだよな」
「……どうでもいい?」
どこか悲しそうな色を含んだアイルゥちゃんの疑問の声に、レジィは首を横に振りながら、
「族長が殺されたことがどうでもいいってわけじゃないぞ? あのヨナ……なんとかをどうこうしようって気持ちが、なくなったってだけだ。アイツを殺しても族長が生き返るわけでもねぇし、本来魔族同志で殺し合いをしたんなら、負けた方が悪いってのが常識だしな」
そのあまりにドライな物言いに私たちが言葉を失う中、ヨナルポカは少し目を見開いて愉快そうに口元を歪めました。
「ほう、獣人にも少しは見所のある者もいるのだな。これほど聞き分けが良ければ、特別に下僕としてやっても良いぞ」
「いや、お前に従うとかありえないだろ」
「……何?」
愉快そうにしていたヨナルポカが、レジィのさっぱりとした一言で一転して苛立ちを滲ませます。
しかしそんな様子にもまったく頓着しないレジィは、「だってよ……」と言葉を続けました。
「お前、その首に下げてる首輪、誰に貰ったんだ?」
「首輪ではない、首飾りだッ……!!」
「いやそんなのどうでもいいけどよ。その首輪についてる『黒い石』って、今オレ様達が追ってる戦争馬鹿が手下どもに配ってるヤツだろ?」
レジィの指摘通り、ヨナルポカの首に巻かれている銀色の鎖に繋がれているのは、子供の拳ほどの大きさの黒い石。
さきほど私の照明魔法を無効化して室内を真っ暗にしたのは、あの石の効果によるものでしょう。
そしてあの石を持っているということはすなわち、ヨナルポカが黒い男勢力に与しているということ。
「手下ではない! この私が、あやつらに手を貸してやっておるのだ!!」
「その石って、相手の開眼とか魔法を無効化するための道具なんだろ? 普通に戦ったら勝てないから、そういう道具に頼ってるわけだ。違うか?」
レジィの嘲るようなその言葉に、ヨナルポカは歯茎を剥き出しにするほど表情を歪めています。
しかしレジィは別にその事実を元にヨナルポカを追いつめようとしているわけではないらしく、すぐに興味を失ったような様子で次の話題に移りました。
「つーかお前、なんで戦争馬鹿どもに力を貸すんだ? 自分が強いと思ってんなら、一人で人族の国を襲いに行けばいいだろ」
「…………誇りある魔族として戦争を引き起こし、牙を抜かれた魔族共の目を覚まさせるためだ。そして人族を滅ぼし―――」
「いや、だからなんでその『牙を抜かれた魔族共』と一緒に戦おうとしてんだよ。一人で戦えよ。連れションじゃねーんだぞ」
「ふふっ」という声が聞こえて振り返ると、ネルヴィアさんが口元に手を当てて、おかしそうに笑っていました。見れば他のみんなも、淡々とヨナルポカを追い詰めるレジィの様子を面白そうに眺めています。そしてそんな私たちの様子を横目で見て、薄く笑うレジィ。
もしかしてレジィ、冷静さを欠いたみんなを落ち着かせるために……?
そしてこの時私は、レジィのお尻から伸びる細い尻尾の毛並みが逆立っていることに、ようやく気が付いたのです。
それは私の知る限り、彼が“激しい怒り”を胸の内で滾らせている時の反応に他なりません。
「さっきだって、オレ様たちがこの場所に続く道を見つけるまで、ずっと外で隠れてたんだろ? あの黒いデカブツを、お前じゃ倒せなかったから。だからさっき部屋で渦巻いてた魔力の塊を、横取りするしかなかったんだ。自分じゃ何度挑んでもダメだったから」
「グゥゥ……言わせておけばッ!!」
「大体な。さっき『獣王の血を受け継ぐ偉大なる種族』とか言ってたけどよ。なんだそれ、意味わかんねぇよ」
「はっ! これだから下等な種族は……。良いか、獣王ラキフェールは獅子と鷲の合成獣で―――」
「いや、そんなこと聞いてねぇよ。オレ様が聞いてんのは、なんで魔族が『実力』じゃなくて『血統』を誇ってんのかってことだっつの」
そのレジィの言葉に、ヨナルポカは呆気にとられたように目を見開き、固まってしまいました。
「自分の持ってる力が強いかどうかを重視すんのが魔族の流儀だろうが。親が強いとか、昔の先祖が強かったとか、そんなの関係ねーだろ。んなもんを誇るのは、お前らが見下してる人間だけだぞ」
「…………ッ!!」
「強い魔法を使われたら勝てねーから。一人で戦っても勝てねーから。戦争馬鹿共に頭を下げて仲間に入れてもらって、魔法とか能力を無効化する石を譲ってもらって、ホントかどうかもわかんねー大昔の血統を偉そうに自慢して……。さっきから下等な人族とか、誇りある魔族とか、ご大層なことほざいてるけどよ。……お前、魔族じゃなくて人族に生まれた方が良かったんじゃねーか?」
「貴、様…………貴様ァァアアアッ!!!」
ヨナルポカの四肢から巨大な爪が伸びて、黄金の床板に深々と食い込みます。身体を低く沈ませたその姿勢は、今にもこちらへ飛びかかって来そうです。
そんなヨナルポカの様子を退屈そうに眺めるレジィはと言うと、
「いや、だからこっちは別に戦う理由もないんだけどな。お前なんか殺しても、べつになんともならねーし」
ひらひらと鬱陶しい虫でも払うような手振りをしたレジィは、それから決定的な一言を言い放ちました。
「オレ様がお前を許してやる。だから感謝してさっさと消えろ」
ヨナルポカの金色の瞳が、目に見えてわかるほど血走り、理性の色を完全に喪失しました。
先ほどまで終始一貫して、獣人族を『格下』として扱っていたヨナルポカ。
そんなヤツが、自分よりも遥かに小さな獣人相手に言い負かされた挙句、当たり前のように『格下』として扱われたのです。ヤツにとってこれほど屈辱的なこともないでしょう。
『許す』っていうのは立場が上の者が、相手に慈悲をかけることで成り立つ行為なのですから。
「グォォオオオオオオッ!!!」
完全に理性を蒸発させたヨナルポカが、憎悪に満ちた壮絶な咆哮を上げながら、こちらへ突進してきます。
そして直後、けたたましい轟音と共にヨナルポカの巨体が真横に吹き飛ばされ、積み重ねてある金塊の山へと頭から突っ込んでいきました。
レジィに対するヨナルポカの突進を妨げたのは、自身の身体が隠れてしまうほどの巨大戦斧を振るったアイルゥちゃんでした。
「レジィ、族長の私を差し置いて勝手なことを言うな。私はあやつを許しておらぬし、あやつは今ここで息の根を止めてやる」
「悪い悪い。ま、オレ様もアイツを生かして返すつもりはなかったけどな」
レジィはちっとも悪びれずにそう言うと、後ろに控える獣人たちを振り返りました。
「アイツはオレ様たち二人でぶっ飛ばす。文句はあるか?」
「おう、やってやれレジィ!」
「ぶっ殺せー!」
「族長の仇を取ってください!」
獣人たちからの物騒な声援を受けたレジィは「おう、任せとけ」と笑い、それから私をまっすぐに見つめてきました。
「ご主人、今回は手出し無用で頼む」
「……うん。無茶だけはしないでね?」
「おう!」
嬉しそうに目を細めたレジィは元気に返事すると、黄金の山をガラガラと崩しながら這い出てきたヨナルポカに向き直りました。
その狂気に染まる血走った双眸にもまったく怯まず睨み返したレジィは、不敵な笑みを浮かべつつ、アイルゥちゃんと並び立ちました。
「さぁて、ここは『獣王の陵墓』らしいし、ちょうどいいな」
「うむ。“自称・獣の王”を葬るにはおあつらえ向きというわけだ」
弾かれるように飛びかかってきたヨナルポカを迎え撃つように、二人は凄まじい勢いで駆け出して行きました。




