2歳3ヶ月 4 ――― 墓守の試練 その21
ウニを擬人化したみたいなあの黒水晶の巨人が立ちあがった瞬間、私たち全員に異変が起こりました。
「きゃあっ!?」
「ぐおっ!?」
特に周囲へ散らばっていた獣人たちの変化が顕著で、突然衣服が引き裂かれたり、全身に切り傷や打撲痕が生じたり……また、そのほとんどが突然ガクリと地面に膝をつき、いきなり大量を汗を流し始めたりしていたのです。
もちろんそれだけに留まらず、私の後ろで身構えていたネルヴィアさんやレジィにも同様の細かい切り傷や突然の疲労が発生し、彼女たちも少なからず驚きの表情を浮かべていました。
「いたっ……」
かく言う私にも異変は例外なく発生し、肉体的な疲労こそほとんど生じなかったものの、まるで大規模魔術を連発したかのような脳疲労と、左腕に鋭い痛みを感じたのです。
痛む左腕を反射的に見た私はそこで、前腕部分の袖が血で汚れていることに気が付きました。
「……?」
なんとなくその汚れに違和感を覚えた私でしたが、その違和感の正体にまでは思い至りませんでした。
とりあえず傷の程度を確認するために袖をまくってみたところ、そこには『 正一 』とでも読めそうな引っかき傷が生じています。せーいち? しょーいち?
私はその痛みに耐えながらも、決して少なくはない動揺を感じざるを得ませんでした。
なにせ私の記憶する限りにおいて、もしかするとこれが初めての“出血”かもしれなかったからです。
しかもあの死神・エクセレシィの災害級の暴力にさえ完全に耐えきった最強の結界魔法も、現在進行形で展開されているはず。それなのに、その防御をかいくぐって傷と痛みを感じているこの状況は、私の冷静さを奪うに十分な衝撃だったのです。
「みんなっ、だいちょーぶ!?」
焦ってそんな呼びかけをすれば、周囲のみんなは返事や頷きを寄越してくれます。とりあえず今の謎の攻撃によって即死するなんて子はいなかったようです。
私がホッと小さく安堵の息を漏らすと、そこで「セフィリア様!」というロヴェロさんの声が響きました。
私がロヴェロさんの声へ振り返ると、そこでは疲労や負傷どころか衣服の乱れすらないロヴェロさんが、難しい表情を浮かべています。
「リュミィ……フォート様が、突然消えてしまわれました」
「は? ええっ!?」
言われて私は周囲を見渡しますが、先ほどまですぐ近くにいたはずのリュミーフォートさんが、影も形もなくなっていました。
まさかさっきの全体攻撃で木っ端みじんに消滅……? などと不穏な想像が脳裏をよぎり、私はかなり青ざめてしまいます。
「ほ、ほかにも、いなくなったひとはいない!? じゅうじんのみんな! いなくなったひとをかくにんして!!」
私の号令に、獣人族のみんなは動揺を隠しきれない様子ながらも、仲間同士で声を掛け合い安否を確認してくれました。
その途中、立ち上がった黒水晶の巨人が起動を完了したようで、その重厚な黒い足をズシリと一歩踏み出します。その音へ過剰に反応した獣人たちが慌てて臨戦態勢に入ろうとしますが、私は「かくにんがさき! いそいで!!」と悲鳴のように叫びました。
幸いにも獣人族の中でいなくなった人はいなかったようです。各所から「みんないます!」という言葉が返ってきてくれて、私は少しだけ落ち着きを取り戻しました。
しかしリュミーフォートさんがいなくなったというのは、あまりに不気味です。何か攻撃を喰らって吹っ飛ばされたのなら誰かが気が付くでしょうし……
またさっきの攻撃が来た時、誰かがいなくなったりするとしたら? いなくなった人が“無事”では済まないとしたら?
そんな私の動揺が表情に表れていたのでしょう。「セフィリア様」という少し咎めるようなロヴェロさんの声色に、私はビクリと肩を震わせます。
「リュミーフォート様は、これまで何度も“絶対死んだだろう”という攻撃を受けては、ケロッとした顔で戻って来るようなお方です。必ず無事ですので、どうか冷静なご判断を」
「……!」
ロヴェロさんに諭されて、私は動揺でぐちゃぐちゃになった頭の中が凪いでいくのを感じます。
……そうだ、この征伐隊のリーダーは私なんだ。私がしっかりしなくちゃ。
私たちが無事だったような攻撃で、あの『人族最強』がやられるなんてことはありえないでしょう。
これには必ずトリックがあるはずです。私の役目は、それを見破ること……!
再びズシリと響く足音に目を向ければ、黒水晶の巨人が二歩目を踏み出したところでした。
一歩はかなり大きいものの、随分と足が遅いようなので、まだこちらの体勢を整える余裕はありそうです。
「ぜーいん、わたしがイイっていうまで、こうげきはしないこと!!」
私は特に獣人たちへ向けて待機を命じると、改めて周囲のみんなの状況を確認しました。
まず私。肉体的な疲労なし、発汗なし。魔術を使用したような軽度の脳疲労、左腕に謎の引っかき傷。それ以外は特に負傷なし。
私の真後ろにいるネルヴィアさん。少し息が乱れていて、白い肌がピンクに色づいています。顔や首筋、両手によく見ないとわからない程度の細かな切り傷が走っている他は、これといって負傷もないようです。またその傷が文字に見えるなんてことはありませんでした。
彼女の隣に控えているレジィ。少しだけ息が荒いような気がしますが、疲れているというほどではなさそうです。ただし肘から指先にかけて細かい切り傷がいくつも走っていて、血が滲み出しているのが見えます。
その反対側にいるケイリスくん。見たところ疲労も負傷もないようです。まったく息も乱れていませんし、髪の乱れすらありません。一応私と同様に服の下に傷を負っていないか訊ねてみましたが、彼はやや困惑気味に否定しました。
そのすぐ隣に立っていたルローラちゃん。彼女も負傷は見当たりませんでしたが、ルローラちゃんの場合は明らかに若返っており、その外見年齢は中学生ほどまで戻ってしまってました。私と同様に魔力を激しく消耗しているようです。
ネルヴィアさんたちに聞いてみたところ、レジィも少なからず脳疲労を自覚しており、ネルヴィアさんやケイリスくんは特に何も感じなかったそうです。
ルローラちゃんの隣に控えていたロヴェロさん。負傷なし、疲労なし。脳疲労もこれといってないそうです。ケイリスくんとまったく同じ状態ですね。
リュミーフォートさん。消失。
そのすぐ近くで浮いているソティちゃん。これといって外傷は見当たりませんでしたが、彼女曰くそれなりに脳疲労……つまり魔力の消耗を感じるとのことです。
レジィの隣に佇むアイルゥちゃん。着込んでいる重装甲冑はところどころ引っかき傷のように削れてはいましたが、アイルゥちゃん本体にはダメージはないそうです。ただ、肉体的な疲労はかなりのものらしく、甲冑越しでも荒い息遣いが聞こえてきました。脳疲労はなし。
他の獣人族たちは、みんなどこかしら切り傷や、場合によっては決して軽傷ではないような刺し傷、打撲痕などが見られました。脳疲労は誰も感じていないようでしたが、肉体的なダメージは無視できるレベルではありません。
私はレジィへと近づいて、獣人たちにいくつかの指示を出すよう命じました。すぐに頷いたレジィは、声を張り上げて私の指示を伝令してくれます。
「全員入り口の近くまで戻って来い! 今ケイリスとロヴェロが立ってる所よりも後ろに行け! それから怪我や疲れがひどい奴は右側、そうでもない奴は左側に集まるようにしろ! 急げ!!」
レジィの良く通る声を聞いた獣人たちは、謎の攻撃にやや尻込みしながらも指示には従ってくれました。
なぜか無傷だったケイリスくんとロヴェロさんは、私たちの中で一番後ろに立っていました。後ろって言ってもかなり微妙な差でしかありませんでしたけど。
それでもあの黒水晶の巨人が放ってきた不可視の攻撃には射程圏がある可能性があったため、下がらせることにしたのです。
ズシンズシンとゆっくりこちらへ近づいて来る巨人を遠目に見ながら、負傷度や疲労度によって左右に分かれていく獣人たちの顔ぶれを窺いました。
負傷や疲労が激しい人に共通点はないかと思って観察していると、なんとなく強そうな外見の獣人ほど消耗が激しいような気がします。あと傷を負っているのは男に多く、あまり好戦的ではない子犬の獣人少女であるチコレットなんかは、ほとんど傷を負っていませんでした。
……ダメージを受けた要因は、好戦的かどうか? あるいは危険度とか? それなら非戦闘員の執事二人がノーダメージなのも、リュミーフォートさんが真っ先に退場したのも納得がいく……?
もしくはあの巨人に対してどれだけのダメージを与えることができるか? いえ、それなら私やネルヴィアさんはもっとダメージを受けても良かったはず。
……待てよ、“魔法や魔導具なしで”どれだけダメージをということだったら……いやいや、それじゃあ私がダメージを受けた理由がわかりません。
敵意や害意をダメージとして反射する能力? いや、これも微妙ですね。
現状では、前衛が負傷と疲労。後衛が魔力の消耗。私が両方。非戦闘員が無傷。リュミーフォートさんが消失……という状況。
リュミーフォートさんだけ異様な結果なので、彼女は例外と考えるとして……
では、『もしもあの巨人と一対一で戦った場合に受ける負傷や疲労』を前払いで押し付けられているという可能性は?
うぅ~ん、なかなか良い線行ってるような気もしますが、チコレットを筆頭とした、あまり好戦的ではない獣人族の子供たちほどダメージが少ないのは引っかかります。ケイリスくんだって一人じゃ勝てないでしょうし。
じゃあ、このまま全員で一斉に襲い掛かった場合のダメージが前払いされた?
さすがにここまでみんな負傷するか? という疑問は残りますが、今のところこれが一番可能性としては高いでしょうか。あの巨人が滅茶苦茶強いって可能性もあるわけですし。
しかしもしも逆に、このまま全員であの巨人へ襲い掛かった時、『敵に与えたダメージ』をこちらの陣営へとランダムに反射されてたりした場合……迂闊に強力な攻撃魔法なんて撃とうものなら、大惨事になってしまうかもしれません。
案外リュミーフォートさんがいなくなったのも……いえ、悪い方向に考えるのはやめましょう。あの人ならきっとピンピンしながら戻ってきます。今は目の前の敵に集中です。
「……ご主人。もうアイツ、けっこう近づいて来てるぞ」
レジィが前を見据えたまま呟いた声に、私は思考の海から浮上して前を見ます。先ほどまでずっと遠くにいたはずの黒水晶の巨人との距離が、最初の半分くらいまで縮まっていました。もう一分ほどすればここまで到達することでしょう。
「セフィ様、まだ敵の能力についての情報が不足しているのですね?」
私の後ろにいたネルヴィアさんはそう言うと、魔剣フランページュを構えたまま私の前に歩いて行きました。
それと同時に、レジィもネルヴィアさんに並ぶようにして前に進み出ました。
「考えるのはご主人に任せるぜ」
「私たちが突破口を切り開きます」
頼もしい二人はそう言うが早いか、黒水晶の巨人へと駆け出して行きました。
―――そしてこの時、私はクラッと揺れる視界の中で、言いようのない既視感に襲われるのでした。




