2歳3ヶ月 1 ――― 執事の矜持
黒い男についてと、獣人族の前族長殺しの犯人について。その二つの聞き込みを行いながら広大な魔族領の各地を旅し始めて、早くも二週間ほどが経とうとしていました。
獣人族の里を発った私たちが足を運んだ場所は多岐に渡ります。鬱蒼と茂る森の奥深くから始まり、峻厳な岩山や毒ガスの満ちる活火山、巨大な魚や海蛇が蔓延る毒々しい湖沼、果ては渓谷の底に栄える地下集落にまで足を運びました。
そしてその道程の中で私が感じたことと言えば、戦争の終結に対する魔族たちの受け止め方の温度差です。
基本的にどいつもこいつも戦闘狂じみている魔族は、戦いこそが生きがいであり最大の娯楽。となれば多くの魔族が人族との戦争に対して積極的だったはずだというのが人族側の見解でしょう。
けれども魔族の間でも戦いに対する認識や心構えといったものは大きく異なり、つまるところ必ずしも戦争の存在をありがたがってはいなかったというのが実情でした。
大多数の魔族においては正々堂々と戦いに興じることが好きなのであって、べつに相手を殺すことが目的というわけではないのです。むしろ戦った後は互いに健闘を讃え合うというのが、魔族本来の健全なあり方だといいます。
そしてそもそも、人族は数と策略を武器にじわじわと有利を確立するいやらしい戦い方が大半なので、そんな爽快感のない戦いを好む魔族はほとんどいません。かつて共和国で対峙した黒竜のように、弱い者を虐殺するのが大好きという歪んだ性格でもないかぎり、わざわざ人族領の近くまで足を運んだりなんてしないのです。
……と、そういった事情のおおまかなところはネメシィからも聞いていましたが、やはり話に聞くのと自分の目で見てみるのは違いますね。
こちらを睨んだり陰口をたたく者、感謝の言葉をかけてきたり崇拝の眼差しで見てくる者、戦争がどうこうなんて関係なく戦いを挑んで来る者など、多様な歓迎を受けた二週間でした。
そして聞き込みの収穫はまずまずといったところ。
黒い男の台頭より前後、唐突に姿を消した名のある魔族たちの一部が判明しました。少なくとも聞き込みをした限りで信憑性の高い噂があったのは三人。
オークキングの確たる証言で動きがわかっているヴァンパイア、『女帝』のアペリーラ。
ロクスウォードが目撃された近辺で何度か目撃されているデュラハン、『灼刃』のザグラス。
ロクスウォードに協力すると周囲に公言して姿を消したゴーレム、『土塊』のエゼアルコア。
それぞれがどのような意図でロクスウォードに協力しようなどと考えたのかは知る由もありませんが、噂に上がるような魔族たちは全員開眼を備えた二つ名持ち。つまりかなりの実力者であることは間違いありません。
そんな連中がこぞって妙な鉱石を手にして、こちらの魔法や開眼を一方的に無効化しつつ襲い掛かってくると考えると……これはゾッとしますね。
そして私たちは現在、魔族領のそこそこ奥地にあるジャングルへと足を踏み入れていました。
以前までは馬車を引いてくれている馬を怖がらせないよう、極力一番後ろの席から動かないようにしていた私。けれども現在は馬たちもいい加減少しは慣れてくれたこともあり、前の方のソファに座っています。
というのも、こういった自然豊かな場所は野生の獣も多くなってくるため、馬が襲われてしまう可能性があるのです。なので異常なまでに動物から恐れられている私が馬の近くにいることで、それを予防しているわけですね。
まるで防虫剤か何かみたいな扱いを受けていますが、念のために言っておきます。私の職業は帝国魔導師であり、公爵であり、そして勇者です。
ともあれ、いい大人である私はそんな些末なことで文句を言ったりはしません。ジャングルを進んでいく馬車の進行方向から動物たちの恐怖に染まった悲鳴を聞きながら、私は死んだ目でクッキーを頬張りました。
ちなみにこのクッキー、謎に包まれた魔法少女のソティちゃんが作ってくれたものです。ケイリスくんの絶品お菓子に慣れた私の舌も納得の、結構なお手前。というかどことなくケイリスくんの味付けに似てるような気がするので、二人は意外と仲良くなれるかもしれません。
と、そこで……クッキーをもそもそ食べていた私は視線を感じて、顔を上げました。するとそこには少し眉をひそめているケイリスくんが、こちらを見つめています。
「……ケイリスくん? どうかした?」
「いいえ、べつに」
珍しくポーカーフェイスを崩していたケイリスくんが気になって問いかけましたが、返ってきたのはつれない答えでした。
私は不思議に思いながらもクッキーをもう一枚食べ始めると、そこでまたケイリスくんが少し嫌そうな顔をしたことに気が付きます。一体どうしたというのでしょうか?
気になった私はケイリスくんのことをジーっと見つめていると、やがて根負けしたかのようにケイリスくんが口を開きました。
「そのクッキー、美味しいですか」
「え? うん、おいしいよ?」
「最近の食事に、不満はありませんか」
「ふまん? えっと、べつにないけど」
この征伐隊が結成されて馬車生活になってから、ほとんどの食事はロヴェロさんが用意してくれています。彼はリュミーフォートさん付き執事の一人らしく、家事全般を完璧にこなしてくれていました。まぁあの腹ペコ魔導師のリュミーフォートさんに仕えているなら、料理は嫌でも上達しますよね……
ともあれロヴェロさんの料理に不満なんてありませんから、私はそのように答えました。
するとケイリスくんの方こそ不満そうな表情になると、彼はちょっとムキになったような強い口調で訴えてきます。
「ボクも執事ですし、たまには料理したほうがいいと思いますよね?」
「んー、そう? ロヴェロさんはリュミーフォートさんのためにいつもたくさん料理をつくるから、そのついでにわたしたちのぶんもつくってくれてるらしいよ?」
「……いつもいつも大変だと思うんですよね! しばらくボクが代わってあげた方が良いと思いませんか!」
「そうおもって、わたしもきいてみたことがあるんだけど、だいちょうぶですっていわれたよ?」
どうやらケイリスくんは、同じ執事仲間のロヴェロさんの負担を軽減してあげたいと思っているみたいですね。なんて優しい子なんでしょうか。
そんな彼の心配を軽減してあげるため、私は以前ロヴェロさんと交わした会話などを引用して、彼を安心させようとしました。
しかしなぜか私が言葉を重ねれば重ねるほど、ケイリスくんはいつものポーカーフェイスをぴくぴくと引き攣らせていきます。
そしてとうとうケイリスくんは、かなり珍しいことに声を少しだけ荒げました。
「お嬢様の料理はボクが作りたいって言ってるんですよ!」
その言葉を聞いた瞬間、私はなんとも胸を締め付けられるような、甘酸っぱい幸福感に満たされました。
あのいつも素っ気ないケイリスくんが、私のためにムキになってる! 真っ白なほっぺを赤くしながら!
昔に比べて随分と打ち解けてくれているとは感じていましたが、よもやここまでとは……!
なんだか反抗期の息子が、不器用に日頃の感謝を伝えてくれたみたいな……そんな感じ! そんな感じっ!!
嬉しくなった私は、いつもネルヴィアさんとかにやるみたいに抱きしめようと、ついついすっ飛んで行きそうになりますが……しかしギリギリで踏みとどまります。
私は口の端がひくひくとニヤけそうになるのを全力で抑え込みながら、心の奥底から染み出してきた邪悪な囁きに耳を傾けました。
……一回だけ。一回だけ、すっとぼけてみようかな……?
いや、ダメか……? いくらなんでもこの状況でそれは人としてダメか……!?
ううん、きっとイケる! 私たちの信頼ならイケるよ!!
「そ、そう……たしかに、あんまり料理しないと、うでがなまっちゃうしね? ケイリスくんのしんぱいも、もっともだよ」
私は顎に手をあてながら、なるほど納得、みたいに何度も頷いてみせます。あくまでケイリスくんの「私の料理を作りたい」という言葉を、「腕が鈍るし、誰のでも良いので料理がしたい」というニュアンスに曲解した呟きを漏らしながら。
それからさりげなく、ちらっとケイリスくんの表情を窺います。……さて、どうかな?
するとケイリスくんは、先ほどよりもさらに顔を赤く染めながら唇を引き結んで、涙目でぷるぷると震えていました。
あっ、やばい……さすがに怒らせちゃった。
私が慌てて先ほどの言葉を取り繕おうと口を開きかけた、直前。
ムキになった子供みたいな仕草で、ケイリスくんが叫びました。
「ボクが作った料理以外、お嬢様には食べてほしくないってことですよっ! 鈍感ですかっ!!」
広いとは言っても所詮は馬車という閉鎖空間。彼の叫びは全員の耳に入るくらい反響し、そして豪奢な内壁に吸い込まれていきました。
先ほどからそれなりに大きな声でやり取りしていたので注目は集めていましたが、今の大声でついに全員が手を止めて、その視線をケイリスくんに集中させます。
「あっ……う、あ……」
そこでようやく周囲の状況に気が付いたらしいケイリスくんが、顔を真っ赤にさせながら目を見開き、口をパクパクさせました。
それから硬く口を引き結ぶと、ケイリスくんは湯気が出そうな顔を俯かせながら、早足でリビングの出口へと向かいます。
しかし私は魔法で瞬時にケイリスくんへ追いつくと、その背中にふわりと引っつきます。すぐ近くに見える首筋はしっとりと汗ばんでいて、三つ編みにまとめた色素の薄い茶髪が張りついていました。ちなみに首筋は触ってみるとかなり熱かったです。
それから備え付けのダイニングキッチンでお皿洗いをしていたロヴェロさんの前を通った時に、
「ロヴェロさん、今日からわたしのごはんは、ケイリスくんにつくってもらいますので! なんせケイリスくんのごはんしかたべられませんので!」
それはそれはもう喜色満面な私がそう言うと、ロヴェロさんは「そ、そうですか……」と引き攣った苦笑を返してきました。
その後、「一人になりたいんですけど……」と耳まで真っ赤にさせたケイリスくんの懇願を華麗に無視した私は、とうとう頭から布団を被って丸まってしまったケイリスくんに「ケイリスくんのお料理が一番」「じつは他の料理じゃ物足りないと思ってた」「ケイリスくんは最高の執事だよ大好きだよ」などと延々と褒めそやし、その日の私は終始ご機嫌に過ごしたのでした。
そんな私たちの馬車が進むジャングルの、その奥地。直近の目的地である『囁きの洞』に到着したのは、その日の夕暮れ頃のことでした。




