2歳2ヶ月 9 ――― ソティという少女(後編)
飛び始めてからしばらくは黙りこんでいたソティちゃんでしたが、彼女はやがて遠慮がちに話しかけてきました。
「……ねぇ。あなたホントに二歳なの?」
「え? うん、まだ二年しか生きてないよ」
厳密に言うと“二歳”ってカテゴリに分類されるのか微妙だったため、ちょっとボカした回答になってしまいました。
こんな答え方をしたらもっと突っ込まれてしまうかとも思いましたが、しかしソティちゃんは私の答えにしばし沈黙した後、
「あの話はホントだったんだ……」
小さな声で、そう呟きます。
彼女の言う「あの話」がどの話なのかわからなかった私は、なんと返事をしたら良いものかわからず、とりあえず聞こえなかったことにしました。
するとソティちゃんは私と繋いだ手をキュッと握り、
「あなたは、あの人たち……ネルヴィアさんとか、レジィさんとかを家族だと思ってるんだよね?」
「う、うん……そうだけど」
私がオーガ族の集落に行っている間に、誰かから聞いたのでしょうか?
「それじゃああなたにとって、家族っていうのは“好きな人たち”ってこと?」
なんだか脈絡なく始まった難しい問いに面食らってしまう私でしたが、それでもソティちゃんがあまりに真剣な表情で問いかけてくるものだから、私は投げかけられた質問に対して真剣に考えを巡らせます。
よくわかりませんけど、きっとこの問いは彼女にとって、本当に大切なことなのでしょう。
私があの子たちを家族と称しているのは、もちろん好きだからというのもあります。深い絆で結ばれていると私が信じている相手に対して、家族という言葉を用いているのでしょう。
それか単純に、これから長い間一緒に暮らすつもりがある相手という風にも考えられるでしょうか。
そこでふと、私はルローラちゃんとリルルの関係について考えました。
二人は間違いなく姉妹であり家族ですが、リルルはルローラちゃんのことを毛嫌いしていましたし、ルローラちゃんはリルルを大好きというよりは、放っておけないといった感じで接しているように見えます。
世の中には仲の悪い家族だってたくさんいるでしょうし、ケイリスくんも実の兄に手酷く裏切られた過去があります。
ただ血が繋がっているということが、家族である証明ではないはずです。
「私にとっては……その人と一生付き合っていくと心に決めた人のことを、家族って呼ぶんだと思うな」
いろいろ考えた末に導き出した私の答えに、ソティちゃんは真剣な瞳で私を射抜いて、その真意を探ろうとしてきます。
彼女の瞳に促された私は、その先を続けました。
「もしかしたらこれから先ケンカしたりして、家族のことをイヤになっちゃったりするかもしれないけど……もしそうなっても、どんなことがあっても、ずっと付き合っていくっていう決意の表明みたいな?」
「嫌いでも、家族なの?」
「相手のことを大切に思っていれば、だけどね。まぁ私があの子たちのことを嫌いになるっていうのは、どうしても想像できないけど」
「そうなの? もし『嫌い』って言われたりしても?」
「それくらいで嫌いになんてなるわけないよ。……まぁ、すごく傷つきはすると思うけど」
何があっても、どうしても嫌いになりきれないっていうのが、私の考える家族なのかもしれませんね。
こういう思想になったのは、きっと私が周囲の人たちに恵まれて育ったおかげだと思います。
「ソティちゃんは、家族のこと嫌い?」
私がそう訊ねると、ソティちゃんは少しビクッと肩を震わせたように見えました。
それから彼女は、ちょっと気まずそうに目を逸らして、
「……こないだ、『大っ嫌い』って言っちゃった」
「そ、そうなんだ……。もしかして酷い人たちなの?」
私の脳裏に、伯父と兄に裏切られて殺されかけたケイリスくんの顔が浮かびます。
ソティちゃんがやけに家族の話に執心していたのは、自身の家庭事情に闇を抱えているからなのかもしれません。もしそうなら、私の家族論は彼女に不快な思いをさせてしまったのかも……
迂闊なことを言ったかもしれないと私が後悔し始めていると、そんな私の表情を見たソティちゃんが慌てたように首を横に振りました。
「ひ、酷くなんてないよ! すごい良い人たちだし! いっぱい好きって言ってくれるし、『姫』とか言ってすごく可愛がってくれるよ!」
「……そうなの?」
「うん! だから、その……ホントはね、嫌いじゃないの。ただ、勢いで言っちゃったっていうか……」
どうやらソティちゃんの家庭環境は劣悪なものじゃなかったようで、私はとりあえず安心しました。それどころか結構愛されているみたいで、何よりです。
しかしそこまで話を聞いたところで、私は「もしかして……」とソティちゃんに目を向けます。
「家族とケンカして飛び出してきて、それで今私たちと一緒にいるってわけじゃないよね?」
「…………チガウヨ?」
「ほんとに?」
「チガウヨ? ソンナコトナイヨ?」
絶対これ図星だ! この子、家出娘だ!!
さてはヴェルハザード陛下め、この子の家族と知り合いだな!? だからこの旅にソティちゃんを同行させたんだ!
私が深々と溜息を吐きながら「……気が済んだら、ちゃんと家に戻るんだよ」と言うと、ソティちゃんは思いっきり目を逸らしながら「はぁい……」と乾いた返事を寄越しました。まったく……
ヴェルハザート陛下の知り合いのお子さんだとしたら、貴族の可能性が高いです。いえ、というかそもそも、魔術師である時点で貴族であることは確定なのか……
あれ? さっきこの子、『姫』って呼ばれて可愛がられてるって言ってたけど……。それってマジモンのお姫様ってことじゃないよね!? まさか異国のお姫様とか、そんな事はないよね!?
この子に万が一のことがあったら、間違いなく大変なことになってしまうことでしょう……
私がこっそり胃痛を抱えていると、そこでソティちゃんは私の正面へふわりと回りこんでから、
「ホントに嫌いじゃないんだよ? ホントはね……だいすきなんだよ?」
頬を染めながら真剣な眼差しでこちらを見据えてくるソティちゃんの言葉に、私は「そ、そう……」と淡白な返事しか返せませんでした。そんなことを私に報告されても、どうしろと言うのでしょうか。
「そういうのは、家族の人に言ってあげなくちゃ。もしも私が大好きな愛娘とかに『嫌い』なんて言われた日には、ショックで身投げしちゃうかもしれないし」
「えっ、そうなのッ!?」
私の言葉を聞いたソティちゃんは絶叫すると、顔色が一瞬で真っ青になるくらい狼狽し始めました。
こんなに焦るだなんて、よっぽど家族のことが「だいすき」なのですね。この様子なら、きっと仲直りもすぐにできることでしょう。……本当に身投げとかしていなければですけど。
それからソティちゃんはしばらく、「そういえば泣いてたし……」とか「なんであんなこと言っちゃったんだろ……」とかぶつぶつ言っていましたが、やがて自分の中で折り合いがついたのか、しばらくするといつものように無邪気な笑みを見せ始めました。うん、この子にはこういう表情が似合っていると思います。
私も思わず釣られて微笑むと、そこでなぜかソティちゃんは私と繋いでいた手を引き寄せて、そのまま私の腕にギューっと抱き付いてきました。
「え? な、なに? 急にどうしたの?」
「えへへ、ナイショ! 教えな~い!」
ソティちゃんはなぜかすごくご機嫌な様子で、「なんか変な感じ~」などと言いながらころころと笑いだします。
そして私たちがボボロザ樹海へ到着するまでのあいだ、ずっとべったり抱き付いてきたのでした。




