2歳2ヶ月 8 ――― ソティという少女(前編)
かつてオークキングたちと対峙した際、私はリルルの首輪の力で、中学生くらいの外見に変身していました。
私の正体が赤ん坊だというのはリルルから伝わっている可能性もありますが、余計な混乱を招いてはいけませんから、一応当時と同じ姿になっておこうと考えたのです。
馬車の中で私に割り当てられている個室へと移動した私は服を脱ぐと、何かあった時のためにと持って来ていたリルルの呪いの首輪を取り出して、自身の年齢を中学生くらいまで成長させました。
そこでふと視界の端に姿見を捉えた私は、吸い込まれるように鏡の前に立ちます。そしてくるっと一回転。
よし、どこからどう見ても可憐な女子中学生にしか見えません。
いや全然“よし”じゃないぞ? 男子だぞ?
腰まで届く白金色の髪に指を通すと、一切の抵抗なく指が滑っていきます。
肌は陶磁器を思わせるほどにきめが細かく真っ白で、華奢な身体と相まって、吹けば飛びそうな儚さです。
こんな風に生んでくれたお父さんとお母さんには感謝ですけど、このどこか釈然としないもやもやは一体何なのでしょうか。
まぁいいや……今はとにかくさっさと着替えて、ボボロザ樹海に行ってこなくちゃ。
私はケイリスくんが用意してくれた、さながら妖精さんを思わせる可愛らしいワンピースを手に取ると、「あら可愛い」とにっこり微笑んで……
そのまま服をベッドにたたきつけました。
「ケイリスくん、ちょっと来なさい」
「なんでしょうか、お嬢様」
「もう一度チャンスをあげよう」
私が極力感情を押し殺しながら部屋の外へ呼びかけると、ケイリスくんは間髪入れずに男の子用の服を部屋に差し入れてきました。
次また同じようなことやったら、その三つ編みを引っこ抜いてやる……
私はメンズ服に着替えると、この成長後の姿に合わせて仕立ててもらった帝国軍規定の外套を羽織りました。普通ならこんな気温と湿度で外套とか正気の沙汰ではありませんが、自然現象を支配できる私にとっては些事にすぎません。あー涼しい。
それから私は部屋を出ると、私の髪を結いたがっている様子のケイリスくんをスルーして、みんなのところへ戻ってきました。
「ごめんね、お待たせ」
かなり変わり果てた私の姿に、初見であるリュミーフォートさんやロヴェロさん、それからソティちゃんはびっくりした様子でした。
特にソティちゃんは「ひゃえっ!?」と素っ頓狂な悲鳴を上げるくらい驚いていて、しばらく凍りついていました。いくらなんでも驚きすぎじゃない?
普段は幼児の姿に慣れているので、高くなった視点や伸びた手足の感覚に順応するのは時間がかかります。
準備運動でもするかのように身体の調子を確かめながら、私はソティちゃんに近づいていきました。
すると驚愕の波が引いたらしいソティちゃんは、すっっっごい嫌そうな顔で眉間に皺を寄せます。
えっ、なんですかその渋い顔は。初めて見ましたよそんな表情。
「えっと、ソティちゃん? 大丈夫?」
「……うん……大丈夫だけど……え、それで行くつもりなの……?」
「そうだよ? じゃあ出発しよっか」
私は軍用外套をなびかせながら馬車を後にすると、体重を減算した上で宙に飛びあがり、獣人族の里がある森を真上に抜けました。
慣れない魔族領で土地勘が無いため、なるべく地理や地形を把握しやすい上空を飛行していこうと考えたのです。
もしもこの時点でソティちゃんがついて来られないようなら次善の策も考えてありましたが、しかし彼女は問題なくついて来てくれました。
「ねぇソティちゃん。さっき移動魔法が使えるって言ってたけど、それってどれくらいのレベルなのかな? なんなら、私の魔法で一緒に連れて行ってあげようか?」
「……っ!! 別に、私のことは気にしなくていいよ! どんなに速くてもついて行けるし! 全っ然よゆーだし!」
光の加減で大きく色が変わる長い髪をなびかせながら、なぜか顔を真っ赤にさせて怒りだすソティちゃん。
私の移動魔法は「普通の魔術師が再現すると数分で死ぬ」と言われたことがあるので、それをちょっと心配しただけなのですが……その気遣いを、侮られていると感じてしまったのでしょうか? 意外とプライド高いのかな?
まぁ本人が大丈夫だと言っているのですから、特に私が気を遣う必要もないのでしょう。
そうこう話しているうちに、私たちはすぐ真上に雲が浮かんでいるくらいの高さに達していました。これ以上飛ぶと地上が見えなくなってしまいますので、この辺りで上昇を止めます。
私は人族領が見えている方角から、目的地までの大まかな方角を掴んで、速度制御魔法を発動します。
「それじゃあ、まずはゆっくり飛んで……徐々にスピードをあげていくからね?」
「……はいはい、わかったから早く行こ!」
それでもちょっとだけ気を遣ってみたところ、どうやら火に油を注いでしまったらしく、ソティちゃんは頬を膨らませながらジト目で睨んできます。
ひとまず私は、以前 帝都とアルヒー村を往復していた時くらいの速度で移動し始めました。
一応念のためにソティちゃんを振り返りますが、彼女は少し離れた距離をしっかりついて来てくれています。なるほど流石ですね。ビッグマウスは伊達じゃないようです。
これならお言葉に甘えて、スピードを上げても問題はなさそうですね。
私は「じゃあちょっと飛ばすね」と声をかけてから、飛行速度を音速くらいまで一気に上げます。遥か下方にある地表の景色すらも一瞬で後方へと流れていくほどのスピードです。
これはエクスリアたちと戦っていた時と同じくらいの速さですね。
あっ、エクスリアと言えば……ネメシィをボコボコにしちゃったことで怒ってないかと心配して、私はあの後こっそりと二人に接触しました。
エクスリアは怒ってこそいませんでしたが、無抵抗状態とはいえネメシィを痛めつけるほどの力を持つうちの子たちに、ちょっと興味を持ってる様子でした。
……お願いだから、戦いたいとか言いださないでね?
エクスリアとネメシィには現在、例の“黒い男”の捜索をお願いしています。これは私の方からお願いしているというのもそうですが、それ以前に二人は黒い男と因縁があるそうですからね。
なのでそちらはひとまずエクスリアたちに任せて、私たちは私たちでリルルの捜索に専念しましょう。
それにしても、リルルは今どこで何をしているのでしょうか? また良からぬことを企てていないと良いのですが。
これから会いに行くオークキングやアペリーラは、魔族にしては妙に理知的な振る舞いをしていたように記憶しています。リルルと手を組んでいたこともそうですし、私たちを利用してドラゴンを始末させたことや、リルルの裏切りを察知して制裁を加えようとしたり、およそ魔族らしからぬ言動が目立っていたように思えました。
ちょっと話してみて、嘘や隠し事をしていそうだと思ったら、改めてルローラちゃんを連れて来て話を聞くことにしましょう。
しかし今回は、オークキングたちがリルルからルローラちゃんの特徴や能力を聞いていた場合、ルローラちゃんを連れて行くことで警戒されたり、敵対されてしまう可能性があると考えました。なので念のために、ルローラちゃんを置いてきたのです。
それにいくら強力な能力とはいえ、ルローラちゃんの力をあてにしすぎるのも良くありませんしね。
おっと。考え事をしている間に、結構遠くまで来ていたようです。人族領寄りを飛行しているので、遠目に共和国の街が見えてきました。あれは商業街でしょうか?
かつて一ヶ月くらいかけて歩んだ旅路も、魔法が使えれば一瞬ですね。こんな力が一般に普及したら、戦争のあり方がおぞましいものに変貌しそうです。やっぱり魔法を教える相手は、厳選しなければなりませんね。
さて、ソティちゃんにそろそろ着くと伝えておきましょうか。
私は後方について来ているであろうソティちゃんを振り返りましたが……
「……あれ?」
ソティちゃんがいません。
えっ、どういうこと!? もしかしてはぐれた!?
まさか途中で私のことを見失ってしまったのでしょうか!? こんな広い空で音速飛行中にはぐれるとか、それはちょっとヤバいです!!
私は魔法を使って頭上に強烈な光を発しながら、来た道を引き返していきます。
これ合流できなかったらどうしよう……とか、ソティちゃんに何かしらの魔法をかけておけばよかった……とかいろいろ考えてしまいましたが、しかし十数分ほど空を飛び回っていたら、運よくそれらしき人影を見つけることができました。
真っ青な空にポツンと浮かぶ米粒のような人影に近づくと、それは間違いなくソティちゃんでした。
私は頭上の光を消しつつ、安堵の息を吐きます。
「ああ、見つかってよかった……置いてっちゃってごめんね」
私の姿を認めたソティちゃんの方も、心底ホッとしたような表情になりました。よく見ると目元に涙が浮かんでいるので、かなり不安にさせちゃったみたいです。
出発時のツンツンした態度からして、「なんで置いて行くのよ!」とか怒鳴られちゃうかな……と考えていたのですが、しかしソティちゃんはとてもしおらしい態度で目を伏せるだけでした。
しかし時折、何かを期待するような上目遣いでこちらを窺っているようにも見えます。……とはいえ彼女とは出会ってまだ日も浅いので、何を求められているのかまではさっぱりでしたけど。
「えっと、それじゃあ行こっか。目的地はもうすぐだよ」
私がそう言って、再びボボロザ樹海を目指そうとすると……ソティちゃんはちょっと傷ついたような表情をした後、「ちょ、ちょっと待って!」と慌てたように声をあげました。
何かと思って彼女の方を振り返ると、ソティちゃんはとても恥ずかしそうに頬を染めながら唇を噛んで、
「も、もう無理……です。ごめんなさい、魔力がもうないよ……」
聞けばどうやら、ここまでの音速飛行と、それから見失った私を捜してこの辺りを飛び回っていたため、もう魔力が底を尽きかけているそうです。
このまま魔力が尽きてしまったら、空中で高速飛行しながら失神するという最悪の事態にもなりかねません。ここは無理せず、私の魔法で運んでしまうとしましょう。
「それじゃあ、私と一緒に飛ぼっか」
そう言って私はソティちゃんの手を握ると、魔法の効果範囲を少し広げてソティちゃんも一緒に移動できるように調整しました。他人に補助魔法をかけるのって不慣れなので、失敗しないか少し緊張しちゃいますが……
私はそのままソティちゃんの腕を引いて、先ほどより少しだけ速度を落とした状態で飛行し始めました。




