2歳1ヶ月 7 ――― ファーストキス
今は一旦停止している高級馬車の内部は、絶妙な温度調節によって適温に保たれています。
なのにどうしてでしょうか……ネメシィを馬車に招き入れてからというもの、車内の空気が一気に冷え込んだ気がしてしまうのは。
とりあえずざっくりと、私とネメシィの関係はみんなに説明しました。
彼女がかつて“彼岸帯”という荒野で私と決戦を繰り広げた、“死神”の片割れであること。
実際にはもう一人、黒い翼の少年がセットで存在していること。
かつての決戦が終わってから、私たちは意気投合して友人となり、その後もネメシィとエクスリアには魔力を抑えてもらって、何度か帝都に招いたこともあること。
すべて話し終えると、まず真っ先に漆黒の執事・ロヴェロさんが困った顔で溜息をつきました。
「……セフィリア閣下。陛下にすら内密に魔族を帝都へ招き入れるというのはいただけませんね」
「あぅ……ごめんなさい」
私が素直に頭を下げると、ロヴェロさんも「まぁ過ぎたことは仕方ありません」と矛を収めてくれましたが。
しかし同じくエクスリアやネメシィの存在を秘密にされていたネルヴィアさんたちは、ちょっと不満げです。ネメシィと、さっきから彼女に抱かれたままの私に不服そうな視線が突き刺さってきます。
うぅぅ、あとでみんなにフォローを入れとかないと……。
「なんだかごめんね、セフィリアちゃん。魔族領の案内とかが必要になった時のために、とりあえず顔だけ見せておこうって思ったんだけど……」
「ううん、ありがとね、ネメシィ。そのときがきたら、こっちかられんらくするね」
ネメシィが持っている四つの開眼のうち一つに、『遠話』というものがあります。
これを使えばどれだけ離れていても声を届けることができますし、私の開発した『魔導携帯電話』だってあるのでいつでも連絡を取り合える状態なのです。
ちなみに私がケイリスくんを帝都に置いて行っても良いかなって考えていたのは、いざとなればネメシィの『空間接続』を使って、帝都までひとっ跳びさせてもらおうかと考えていたためです。
するとそこでルローラちゃんが、ぐーたらな彼女には珍しくソファに座ったままで口を開きます。
「……ねぇ、ゆーしゃ様。ゆーしゃ様は付き合いがそこそこ長いみたいだけど、その子とあたしたちは初対面なわけじゃない?」
「え? う、うん」
「じゃあ試しにさ。悪いこと考えてないか、心を読んでもいい?」
ルローラちゃんの提案に、私はなるほどと思いました。心を読めるルローラちゃんのお墨付きがあれば、この場の全員を納得させることもできることでしょう。
みんなも同じ考えのようで、ロヴェロさんが「良い考えですね」と感心したように呟きながら、ルローラちゃんの後ろにいたソティちゃんの傍に移動しました。
心を読まれるというのは恐ろしいことですが、しかしネメシィならきっと大丈夫でしょう。
いかにも魔族らしい考え方のエクスリアならともかく、温和なネメシィは心を読まれて困ることもないはずです。
「ネメシィ、ちょっとこころをよんでもいい?」
「心を読む、かぁ。へぇ~、エルフ族って面白い能力持ってるんだねぇ。もちろんいいよ!」
なにも後ろ暗いところのない自信があるのでしょう、ネメシィも笑顔で快諾してくれました。
それならばということで、ルローラちゃんは眼帯に手をかけながら、
「ほんとに知られて困ることはない? なに一つとしてマズイことはやってない? これまでのことを、よく考えながら振り返ってみて?」
声のトーンを少し落としたルローラちゃんが、そんな風に脅すようなことを言ってきます。
ネメシィは特に気負いもなく頷きかけますが……しかしそこで不意に「あっ!」と声をあげると、慌てたような声色で「ちょ、ちょっと待ってストップ!」と叫びました。え、どうしたの?
ネメシィの言葉も虚しく、ルローラちゃんは眼帯を取り去って、その下で輝く翡翠色の瞳でネメシィを射抜きました。
そしてしばらくネメシィを見つめていたルローラちゃんは眼帯を元に戻すと……一気に大学生くらいまで若返った彼女は、訥々と語り始めます。
「ええっと、うん、そうだね……悪いことは考えてないみたい。ゆーしゃ様のことは、ちゃんと大切なお友達だと思ってるみたいだし、また帝都でお買い物したり遊びたいって思ってる。エクスリアっていう男の子は、またゆーしゃ様と戦ってみたいって思ってるようだけど、今は“ショーギ”って遊びに夢中になってるから大丈夫そうだね」
だいたい私の思った通りの結果でしたね。エクスリアは戦闘至上主義の魔族らしく、まだ時々私と戦いたがったりするけど、今のところ問題視するほどではありません。
それに私も、現状二人しかいないお友達と遊ぶのは楽しいので、ネメシィもそう思ってくれてることは素直に嬉しかったです。
いやぁ、まったく問題なかったみたいで良かった……と安心した私が口を開こうとした時、少し顔色の悪いルローラちゃんが「でも……」と言い辛そうにしながら、
「ゆーしゃ様に無理やり『キス』したことがあるみたい」
この時、私もネメシィも魔法や能力なんて使ってないのに、確実に時間が止まりました。
キ、キスって……あの彼岸帯での決戦の最中のことですよね? エクスリアとネメシィが合体してる時に、私が呪文を口にするのをキスで封じた時の……
完全に静まり返った馬車の中で、私を抱いていたネメシィの顔が見る見るうちに真っ赤に染まっていくのが見えます。
対照的に、ネルヴィアさん、レジィ、ケイリスくんの顔色と表情が完全に消えてなくなりました。
リュミーフォートさんとロヴェロさんは微かに驚いた反応をしていて、ソティちゃんは顔を真っ赤にしながら「うわわっ、聞いちゃいけないこと聞いちゃった……!」とか呟いてます。
まず真っ先に動いたのは、ネルヴィアさんです。
彼女はゆらりと立ち上がって私たちに近づいて来ると、顔を真っ赤にしたネメシィの腕から私を抱き上げて、ケイリスくんに渡しました。
それから完全に感情の抜け落ちた瞳を私に近づけて、
「…………ファーストキス……だったんですよね?」
「えっ……あ、えと、はい、そうです……」
ネルヴィアさんのあまりの迫力に、私は思わず敬語になっちゃいます。
「ではセフィ様。もしも私が知らない男に無理やり辱められたと言ったら、相手の男をどうしますか?」
「ころす」
……はっ!? つい脊髄反射で返事しちゃった!
私の返事を聞いたネルヴィアさんは、これ以上ないってくらい良い笑顔をネメシィに向けると、
「ちょっと表出ろ」
そう言って彼女は、真っ赤な顔でおろおろしているネメシィの腕を掴むと、引きずるように馬車を降りてしまいます。
そしてなぜかその後に続いて、レジィとルローラちゃんも馬車を降りて行っちゃいました。
「え、ちょっ、みんなどうしたの? なにするつもりなの?」
なんだか並々ならぬ剣呑な雰囲気に、思わず私は後を追いかけようとしますが……しかし私を抱いているケイリスくんが、ちょっと苦しいくらいの力で抱きしめて離してくれなかったため、それは叶いませんでした。
ゾッとするような無表情のケイリスくんが閉めたカーテンの向こうからは、凄まじい破壊音と共にネメシィの悲鳴が聞こえてきます。
「ぎゃっ、痛い! ごめんなさい! でも身体は共有だったけど、やったのはエクスリアだから! あぐっ!? ちょ、ほんとに……ああっ!? ちょっとエルフちゃん、それは死ぬ! それはホントに死んじゃうから~!!」
……数分後、ボッコボコにされたネメシィと、清々しい顔をした三人が戻ってきました。
「ほんとにごめんね、セフィリアちゃん……」
「う、ううん! そんなにきにしてないから! やったのはエクスリアだったし、むしろネメシィはおこってくれてたじゃない!?」
私はみんなに聞こえるようにネメシィをフォローしながら、ぐすぐす涙ぐんでいる彼女を撫でてあげます。
しばらくしてネメシィが落ち着くと、彼女は空間の裂け目から帰って行きました。
……今回の出征では、エクスリアとネメシィにも力を貸してもらおうと思ってたんですが……これはちょっと無理かもしれません。




