1歳12ヶ月 3 ―――ルナヴェント邸
その日私は、ネルヴィアさんの実家であるルナヴェント邸へとお邪魔していました。
ネルヴィアさんは放っておくと、ず~っと私の傍に侍りたがります。
そのため何か特別なことがない限り、ネルヴィアさんの方から進んで実家に顔を出しに行くということがないのです。
ネルヴィアさんの父上であるソーディル侯爵にしても、一度はネルヴィアさんを帝都から追放したという負い目のためか、あるいは騎士として主に仕えようというネルヴィアさんの意思を尊重してか、たまには帰って来てくれなどと連絡を寄越すこともないらしく……
逆鱗邸からルナヴェント邸までは余裕で歩いて行ける距離なんだから、週一くらいで帰ったらいいのに。
と、そういった事情により、私は「ソーディルさんに騎士団の近頃の動きについて訊きに行く」という建前で、ネルヴィアさんを伴って定期的にルナヴェント邸を訪れているのです。
正直お節介というか、余計なお世話なんじゃないかと思うこともありますが……しかしルナヴェント邸へ行くと聞いた時のネルヴィアさんは嬉しそうにはにかんでくれるので、そうまんざらでもないのではないかと勝手に解釈しています。
そんなこんなでルナヴェント邸。昼食を食べてからしばらくが経った、昼下がり。
リビングに通された私は建前通りに、近頃の騎士団の動きをソーディルさんに伺っていました。現在は人魔戦争も終戦したとはいえ、またいつ新たな戦いが始まるかわからない状況ですので、もっぱら軍事演習に精を出しているそうです。
例の『黒い男』が動きだしたら、一体どうなってしまうのでしょうか……。せっかく手に入れた平和を乱される前に、できればこちらから攻めて叩き潰せたらベストなのですが。
……そんなことを、眉間に皺を寄せながら考えていたからでしょうか。
不意に、私の視界にクッキーが現れました。
「セフィ様、あーん」
見れば、私を胸に抱いたネルヴィアさんがにこにこと微笑みながら、クッキーを差し出してきていました。
私はちょっとだけ恥ずかしいなと思いつつも、現在の私の外見年齢を思い出して、苦笑してしまいます。もうじき二歳になるばかりの子供が、このくらいで何を恥ずかしがることがあるのでしょうか。
私はネルヴィアさんが差し出してくれたクッキーを半分ほど齧ります。口がちっちゃいので、一口では無理でした。
ネルヴィアさんがお皿のようにして添えた左手に、ぽろぽろとクッキーの欠片がこぼれます。
そうやって私たちが仲良くしていると、その様子を眺めていたソーディルさんは嬉しそうに目を細めていました。主と従者というよりは、歳の離れた姉弟のようで微笑ましいとでも思われているのかもしれません。……あるいは“姉妹”のようだと思われてるかもしれませんが。
なにはともあれ、こうしてルナヴェント親子が顔を合わせる時間を取ってあげるという目的は果たせました。
今日は学校もないし、このまま夕方までゆったりしようかなぁ……なんて思っていた時。
「おっす、ただいまー! あっ! セフィリ―――」
突然リビングの扉を開け放ち、ズカズカとこちらへ近づいて来ようとしたのは……ネルヴィアさんのお兄さんであり、ルナヴェント家次男。ザシーカ・ルナヴェントさんです。
ツンツンと尖らせた金髪と、ひと目で武闘派とわかる立派な体格の青年。そんなザシーカさんは、挨拶の途中でピタリと静止すると、そのままビデオの一時停止みたいに動かなくなってしまいました。
「……ザシーカ?」
怪訝な表情になったソーディルさんが、動かなくなった息子を案じるように声をかけました。
一方、停止してしまったお兄さんを一瞥したネルヴィアさんはと言えば、私の顔をチラリと窺って、悪戯っぽく笑みを零しています。
ええ。お察しの通り、私が魔法で彼の速度を停止させましたとも。だってあの人、いつも会うたびに私の頭を激しく撫でて、頭皮に甚大なダメージを与えてくるんですもん。そしてその直後、ネルヴィアさんがブチギレて過激な報復を行うというところまでが一連の流れです。
思うにザシーカさんは、好きな子には意地悪したくなるタイプの男子なのだと思います。なのでネルヴィアさんに構ってほしいがために、私の頭皮を攻撃しているのではないでしょうか。
けれどまぁ、そんな事情は私たちには関係ありません。嫌なら嫌で、それを拒否する権利が私にはあります。
ちょっと黒い表情で笑い合う私とネルヴィアさんに、ソーディルさんはやや引きつった苦笑を浮かべました。
すると程なくして、今度は半開きになったリビングの扉から、すらりとした背丈の青年が現れました。
ネルヴィアさんと同様の金属光沢の美しい金髪をポニーテールに纏めた、切れ長の瞳が涼しげなイケメン騎士。
ルナヴェント家長男、ルミーチェ・ルナヴェントさんです。
「父上、ただいま戻りました。―――ザシーカ? 何をしている?」
扉の近くでマネキンのように固まっているザシーカさんに、怪訝そうな視線を向けるルミーチェさん。
しかしリビングで仲良く笑いあっていた私たちに気が付いたルミーチェさんは、何かを察したように小さくため息をついて、それ以上の詮索はしてきませんでした。
ルミーチェさんはマネキンとなった弟君を見なかったことにしたようです。あっさりと視線を私たちに向け直した彼は、ネルヴィアさんにちらりと視線を向けてから顔を顰めて、さらに彼女の胸で抱かれている私に対して鋭い視線を突き刺してきました。
いつもルミーチェさんに会うたびに思いますけど、あの人私のこと絶対嫌いですよね?
ネルヴィアさん曰く「ルミーチェ兄様がお嫌いなのは、出来の悪い私です」とのことですが、むしろネルヴィアさんよりも私への視線の方が敵意が強烈な気がします。
……まぁ、今でも帝都の一部の人たちには不気味な化け物扱いされているというのは知っていますし、ルミーチェさんが私のことを気持ち悪いと思っていても無理はないとは思いますけどね。
そんな風に、少し醒めた考えでルミーチェさんとの和解を半ば諦めかけていたのですが……
「セフィリア卿。時間があるのであれば、少々私と話せませんか」
耳を溶かしそうなくらい色っぽい声でルミーチェさんにそう問われた時、私はもちろんのこと、ネルヴィアさんやソーディルさんも非常に驚いていました。
私はネルヴィアさんとしばし顔を見合わせていましたが、やがて我に返ると、すぐに返事をします。
「も、もちろん。わたしもルミーチェさんとは、いちどゆっくりとおはなししたいとおもっていましたから」
「では、私の部屋へお越し頂けますか。二人でゆっくりとお話しいたしましょう」
そう言ってリビングの扉を半身で示したルミーチェさんに私が従おうとすると、そこでネルヴィアさんが私を抱いたまま、慌てて立ち上がりました。
「あ、あの、ルミーチェ兄様! 私も……」
「セフィリア卿と二人きりで話すというのが趣旨だ。控えろ」
「うっ……で、でも……」
にべもなく拒絶されて泣きそうな表情になるネルヴィアさんに、私は彼女の頬をそっと撫でながら笑いかけました。
「だいちょうぶだよ、おねーちゃん。ちょっとまっててね」
「セフィ様……」
「しんぱいしてくれて、ありがとね」
私がネルヴィアさんの耳元でこっそり感謝の言葉をかけると、すぐに顔を真っ赤にしたネルヴィアさんは、私を床に降ろしてくれました。
それから私はソーディルさんに「すこし、せきをはずします」と会釈をしてから、ルミーチェさんの元へと歩いていきます。歩いてっていうか、体重減算してふわふわ跳ねてるっていうのが正確なところですが。
今の私たちのやり取りを見ていたルミーチェさんは、いよいよ不快げな表情を露骨に浮かべていました。
しかし彼はこの場では何も言わず、「こちらです」とだけ口にして廊下へと歩き出しました。
私は最低限の警戒はしつつも、彼の背中を追いかけます。
一体何を言われるのかはわかりませんが……受けて立とうではありませんか。




