0歳9ヵ月 8 ―――ネルヴィアと『騎士失格』
ネルヴィアさんは途切れ途切れながらも、一生懸命に自身の過去を語ってくれました。
ネルヴィアさんの家は代々、優秀な騎士を輩出してきた由緒正しき侯爵家なのだとか。
二人いる兄は、両者とも既に騎士としてそれなりの功績を上げているらしく、これからの活躍が期待されているらしいです。
そして末っ子長女であるネルヴィアさんもまた、その飛びぬけた才能により将来を嘱望されていたのです。
実際、模擬刀を用いた訓練などでは、優秀な兄にも劣らない輝かしい成績を残していたらしく、両親からの期待も大きく、また騎士修道会からの覚えもめでたい。まさにエリート街道を突き進んでいたようです。
そんな輝かしい人生を歩んでいたネルヴィアさんは、そのすべてをたった一日で失いました。
帝国領地内での防衛や要人警護が主任務となる騎士修道会は、魔族との戦闘も視野に入れた訓練を行わねばなりません。
そこで例年、実地任務を間近に控えたある日、魔族との戦いの感覚を養うために、模擬戦闘試験が行われるのだそうです。
その内容は、“ボールウルフ”と呼ばれる中型犬ほどの弱い魔物と剣で戦い、斬り殺すというものでした。
ボールウルフは魔物の中でもとりわけ弱く臆病で、人間によって容易に捕まってしまいます。
しかし食用にも向かない肉質のため、こうして模擬訓練のたびに引きずられてきては殺されるのだとか。
ネルヴィアさんも、二人の兄から試験の内容自体は聞いていましたし、ボールウルフがどういう魔物かも知っていました。
その上で、自分なら間違いなく合格できると確信していたそうです。
……しかし、結果は惨憺たるものでした。
ネルヴィアさんが戦ったボールウルフは、既にそれまでの試験で殺された仲間の血の匂いで萎縮しきっており、震えながら頭を抱えてボールのように丸くなっていたらしいです。……その臆病さこそが“ボール”ウルフたるゆえんなのだとか。
ボールウルフが“窮鼠猫を噛む”を体現して必死の抵抗をするケースもあるため、試験は決して油断ならないものらしいのですが……
なまじネルヴィアさんの実力が飛びぬけて高かったために、ボールウルフは抵抗の意思さえ持てなかったみたいです。
そしてネルヴィアさんは、目の前で怯えて震えるボールウルフを前にして、自分の持っている剣が、あまりに“重い”ということに、今更ながらに気が付いたそうです。
今までは模擬刀で、命のやり取りの介在しない“練習”しか経験してきませんでした。
しかし、ここで初めて命を奪う“本番”を迎えた時、足が竦んで動けなくなってしまったのです。
そして結局、ネルヴィアさんはボールウルフを殺すことができませんでした。
当然ながら試験は失格。
ボールウルフも殺せないような騎士に、帝国のために戦うことなどできようはずがないと判断されました。
代々優秀な騎士を輩出してきた彼女の家の名にも泥を塗る形となり、ネルヴィアさんは帝都での居場所をすべて、たった一度の失敗で失ってしまいます。
そして盗賊討伐命令という事実上の追放によって、ネルヴィアさんはこの村へと飛ばされてきたのです。
「……私は、出来損ないです……みんなが当たり前にできたことが、私だけ、できなくって……」
手甲を嵌めた両手で顔を覆いながら、ネルヴィアさんは悲壮な声を漏らします。
「だ、だから……今度こそ、今回の任務は、絶対に……何があっても、成し遂げないといけないんです……」
まだ高校生くらいの女の子であるネルヴィアさんが、重く無骨な甲冑を一日中着こんで、怜悧に輝くロングソードを肌身離さず持ち歩いているのは、そんな覚悟によるものだったのでしょう。
「騎士は……敵を、殺さないといけないんです……私も……私だって……」
ネルヴィアさんの独白を聞いた私は大きく溜息を吐くと、半ば呆れたように口を開きました。
「それは、ちがうでしょ?」
私の言葉に、俯いて顔を覆っていたネルヴィアさんが、ゆっくりと顔をあげます。
そのボロボロな表情に私は心を痛めつつ、続く言葉を継ぎました。
「きしさまのおしごとは、ころすことなの?」
「……そ、そう、ですよ……だって、そうしないと……」
「ちがうよ。きしさまのおしごとは、みんなをまもることだよ?」
私がそう言った時の、ネルヴィアさんのポカンとした表情は、忘れられそうにありません。
目を真ん丸に見開いて固まってしまったネルヴィアさんに、私はさらに続けます。
「よかったね、おねーちゃん。あいてをころすことしかできないなんて、そんなところ、おいだされてよかったよ」
「……え、あの……」
「たたかえないボールウルフをころすような人たちは、『きししっかく』だよ! そんなひとたちとつきあってちゃ、だめなんだよ? おともだちはえらびなさいって、おかーさんいってたもん」
「う、ぁ……」
「ころさなくたって、いいんだよ。おねーちゃんはつよいから、ころさなくたって、たおせちゃうんだから!」
まだ口をパクパクさせて混乱しているネルヴィアさんの頬に手を当てて引き寄せると、私はまたいつかのように、ネルヴィアさんの頭を胸に抱えるようにして優しく抱きしめました。
「いつもみんなをまもってくれてありがとう。そのかわりに、おねーちゃんは、わたしがまもるからね」
これは慰めなんかではなく、私の偽らざる本心。
こんなに優しくって……優しすぎるくらい優しい彼女のことを、私は決して見捨てたりしません。
帝都に居場所がないというのなら、私が彼女の居場所になります。
ネルヴィアさんは、今日何度目かになる涙を流しながら、私の背中に腕を回しました。
泣いて、泣いて、気が済むまでひたすらに泣いて……
そしてその日以来……彼女は涙の代わりに、晴れ渡るような笑顔を見せてくれるようになったのです。