1歳10ヶ月 5 ―――上に立つ者
私が何度も地面に叩きつけてしまったため、アイルゥちゃんはとても汚れてしまっていました。それにあんな重装備で帝都まで歩いて来たせいで、いっぱい汗もかいていたみたいですし。
なのでそのまま屋敷のベッドに寝かせるのも憚られ……かといって逆鱗邸のお風呂は私の製作した魔導家電によって時代を先取りしすぎているので、慣れていないアイルゥちゃんを一人で入らせるわけにもいきませんでした。お風呂場を壊されてもイヤですしね。
そんなこんなでお目付け役として、私は服を着たままアイルゥちゃんの湯浴みに付き添うこととなりました。さすがにレジィを同伴させるわけにはいきませんでしたし、パッフルやチコレットは余計に心配事が増えるだけですので。
仮にも男子である私の同伴をアイルゥちゃんは嫌がるかとも思いましたが……しかし彼女は、あんなマイクロビキニみたいな格好で走り回るような子です。あまりそういうのは気にしていないようで、脱衣所に着いたら躊躇なくすっぽんぽんになりました。
私が製作したシャワーからお湯が迸ると、アイルゥちゃんの頭上へ雨のように降り注ぎます。
最初はびっくりして警戒していたアイルゥちゃんでしたが、しかし程よい湯加減のお湯をしばらく頭から被っていると、エルフ族のように尖った耳をピコピコ動かしながら、幸せそうな表情でリラックスし始めました。短い尻尾もぷらーんと下に垂れ下がって、脱力してるみたいです。
「アイルゥちゃん、きもちいい?」
「ふわぁ~」
「ゆかげんはどう? あつくない?」
「ふわぁ~」
「アイルゥちゃん? きこえてる? アイルゥちゃん!?」
「ふわぁ~」
すごくだらしない表情でシャワーを浴びているアイルゥちゃんは、私が何を言っても反応しなくなっちゃいました。そんなに気持ちいいのでしょうか?
そういえばさっきパッフルが、アイルゥちゃんは水浴びが死ぬほど大好きで、ほっとくとずっと泳いでるとか言ってましたけど……水を浴びるとこんな風になるんですね。
私がそんなことを考えていると……不意に、アイルゥちゃんの身体に異変が起こりました。
なんと、しばらくお湯を浴びていた彼女の皮膚が、濡れた端からどんどん変色していくのです! さっきまで白っぽい青灰色だった皮膚は、もうかなり青黒くなってしまっています!
「アイルゥちゃん!? なんかお肌がすごいことになってるけど!?」
「ふわぁ~」
「もういいからそれは!!」
私がシャワーのお湯を止めると、気持ちよさそうに目を細めていたアイルゥちゃんが不満げに目を見開きました。
「な、なぜやめるのだ!? もっと湯を! 欲を言えばあと少しだけぬるめの湯を!!」
「いや、それはわかったから……それよりアイルゥちゃんのお肌が、すごいことになってるんだけど……」
「む? ああ、私の皮膚は乾燥に弱いから、水をよく吸うのだ。するとこんな風に、黒っぽい色になる。あと日焼けしたり泥浴びをすると茶色くなるぞ」
皮膚についた土とかの汚れがお湯と混ざりながら流れていくので、なんか皮膚が溶けだしてるみたいに見えるのですが……本人曰く大丈夫みたいです。ならいいんですけど。
というかあの鎧で全身を覆っていたのって、もしかしてお肌の乾燥防止とか、日焼け防止の意味も含まれていたのでしょうか? 女子力が高いのか低いのか判断に困ります。
私はシャワーの水温調節スイッチをポチポチ押して温度を下げながら、アイルゥちゃんの頭に生えた二本のツノに視線を向けました。
「ねぇねぇ、ところでアイルゥちゃん」
「む? なんだ?」
「そのツノって、骨なの?」
長い方で三〇センチほどになる大きなツノは、一見すれば皮膚と同化しているようにも見えます。
私の問いかけに対し、しばらく耳をぴこぴこ動かしていたアイルゥちゃんでしたが、
「……知らん。だが前に折れた時は痛くなかったし、しばらくしたらまた生えてきたぞ」
「へぇ~、そうなんだ。硬いの?」
「うむ、それなりに硬いぞ」
「さわってみてもいい?」
なんとなく好奇心が刺激された私は、アイルゥちゃんにそんなお願いをしてみるのですが……けれども彼女はそわそわしながら言い辛そうに目を逸らすと、
「こ、このツノは、戦いの時以外で気軽に触らせたりはしないのだ! 将来 番になる者にだけ触らせても良いと、父上が言っていたし……だからその……」
「そっか。じゃあレジィしか触っちゃダメなんだね」
「う、うむ。そういうことになるな」
アイルゥちゃんは照れくさそうに頷いてから、ピシリと硬直しました。
そして「なっ、なぁ……!?」と急に慌てふためきながら、
「にゃにを言っているのだ貴殿はそんなわけレジィのことなんて全然なんとも……!?」
「はいはい、シャワーあびましょうねー」
「ふわぁ~」
ちょうどいい具合のぬるま湯を浴びたアイルゥちゃんは、また表情を蕩けさせながら脱力状態になって静かになりました。
……性格は少し気難しい子みたいですが、操縦は意外と簡単のようです。
私は再びシャワーを止めると、不満げにほっぺを膨らませているアイルゥちゃんに問いを重ねました。
「ところで、“レジくん”ってなぁに?」
私がにっこりと微笑みながら投げかけた問いに、アイルゥちゃんは「うなっ!?」と妙な鳴き声を発します。
アイルゥちゃんもレジィも、普段はお互いを「レジィ」、「アイルゥ」と呼び合っていました。
けれども先ほどの決闘の終わり際、レジィはアイルゥちゃんを「アル」と、アイルゥちゃんはレジィを「レジくん」と呼んでいるのを確かに聞きました。
二人が幼馴染だということを勘案すれば、おそらく昔はそう呼び合っていたということでしょう。
アイルゥちゃんが思いっきり目を逸らしてもじもじし始めたのを見て、私はだいたい察していたその背景をズバリ切り込んでみました。
「なんかアイルゥちゃんって、へんにかたくるしい喋りかたをするよね。ほかの獣人たちはもっとかるい喋りかたなのに」
「うっ……」
「もしかして、『族長代理』としてがんばっているのかな?」
私が努めて優しい声色でそう問いかけると、アイルゥちゃんは言葉に詰まったように黙りこみ、気まずそうに視線を泳がせて……
それから、恥ずかしそうに小さく頷きました。
その反応に、私はクスリと微笑むと、
「獣人族のリーダーとして、みんなが不安にならないように、がんばって“族長らしい”たいどをこころがけているってことかな?」
「……」
「そのかんがえは、とってもりっぱだとおもうよ。だけどもし、どうしてもつらくなったら……わたしとかレジィにそうだんしてね。アイルゥちゃんだって、だれかをたよっていいんだよ」
私が諭すようにそう言うと、アイルゥちゃんはひどく意外そうに目を丸くさせました。
どんなに力があっても、一人で戦い続けることには限界があります。
どれだけ強くても、要領が良くても、いつかきっと壊れてしまうから。
頼れる人がいるのなら、好きなだけ頼ったらいいんだと思います。
アイルゥちゃんには、みんなを頼って、みんなに支えてもらうだけの価値があるんですから。
他人を頼るだけの価値がない人間なんて……まぁ、あんまりいないのですから。
アイルゥちゃんは遠慮がちに、自分の抱えている膝をジッと見つめながら、ポツリと呟きます。
「……貴殿はもっと、苛烈な性格なのだと思っていた。それに、私のことや……それから父上の仇についても、大した興味は抱いていないものかと……」
うーん、まぁ、アイルゥちゃんは私が獣人族を襲撃したりレジィをボコったりした当時のことを噂で聞いただけでしょうからね。私のことを誤解していても無理はないのかもしれません。
私が苦笑していると、アイルゥちゃんはちょっぴり上目遣いに私を見つめて、
「通りで、皆があれほど貴殿に懐いているわけか。上に立つ者として、貴殿にはいろいろと学ぶべきことがありそうだ」
そう言って、彼女は照れくさそうに破顔するのでした。




