1歳9ヶ月 10 ―――メルシアの想い(前編)
私がボズラーさんとメルシアくんの兄弟が住むお屋敷を訪ねた時、玄関で私を出迎えてくれたのはルルーさんでした。
まずは私が女体化する根本的な原因であるメルシアくんを説得してからルルーさんを探そうと考えていた私は、その予期せぬ遭遇に面食らってしまいます。
けれどもルルーさんの方は、まるで私がまっすぐにここへ訪れることがわかりきっていたかのように落ち着き払って口を開きました。
「……悪かったわね。でも安心してちょうだい、その魔法の効果はコレで解けるから」
「これは……腕輪ですか?」
ルルーさんが私に差し出したのは、銀色の輝きを放つスリムな腕輪でした。
その腕輪は接合部の留め金を外せば手錠のように開いて、手首に装着できるような造りとなっているようです。
「この腕輪が輪っか状になってる間だけ、魔法の効果が続くようになってるわ。だから元に戻りたくなったら、留め具を外して左右に引っ張ればいいってわけ」
そう言って、ルルーさんは私にその銀の腕輪を手渡してきました。
私はその腕輪をしばし見つめてから、
「……体が元に戻ったあと、またこの腕輪を輪っかにしたらどうなるんですか?」
「御想像の通りよ」
……リルルの年齢操作の首輪と同じように、また呪いのアイテムを手に入れてしまったようです。今度は性別まで超越してしまいました。
「あの子たちのこと、よろしく頼むわね」
ルルーさんはそう言い残して、お屋敷の玄関で立ち尽くす私の脇を通り抜けます。
「あ、あの、ルルーさん……!」
私がとっさに振り返って彼女の名を呼んだ時には、すでに彼女の姿は影も形もありませんでした。
「……」
私は気を取り直して玄関扉をそっと閉めると、ルルーさんから頂いた腕輪を、ワンピースの下に穿いているショートパンツのポケットに突っ込みます。
するとどうやら私たちのやり取りを窺っていたらしいメルシアくんが、すぐ近くのリビングに続く扉の隙間からちょこんと顔を覗かせました。
「……先生」
その表情はどこか不安げで、悪戯がバレてしまった子供を思わせるようなものです。
私はメルシアくんのすぐ近くへゆっくりと歩み寄ると、彼のふわふわの金髪をそっと撫でながらにっこりと微笑みました。
「お邪魔します、メルシアくん」
「あっ、は、はい! いらっしゃい、先生!」
私に撫でられた途端、ふにゃっと表情を綻ばせて微笑むメルシアくん。その瞬間、私の脳裏をよぎっていたのは前世での宗教画に描かれた幼い天使でした。油断すると、薄汚れた私の魂などは浄化されて消滅しかねません。
メルシアくんが私の腕に抱き付きながらリビングへ導くと、そこにはソファに腰掛けたボズラーさんがいました。
彼は真っ先に私の胸を二度見して驚愕の表情を浮かべてから、何事もなかったかのように無言で目を逸らします。
メルシアくんが私の手を引いてボズラーさんの隣に落ち着いたため、ソファには私とボズラーさんがメルシアくんを挟むようにして座ることになりました。
ボズラーさんはお茶を飲みながら私のことをチラチラと見てくるばかりで何も喋りませんし、メルシアくんは私の肩に寄り添ってニコニコしているばかりなので、ここは私が口火を切るしかないようですね。
私は特に気負いもなく、お天気の話題でも振るかのような気軽さで口を開きました。
「ボズラーさんは私と結婚したいの?」
「ごぼふぇっ!?」
飲んでいたお茶を盛大に噴き出したボズラーさんは、激しく咽てしまいました。
呆れた表情のメルシアくんに「もう、何やってるのお兄ちゃん?」とか言われながら背中をさすられる彼は、咳き込んだせいか顔を真っ赤にしながら声を荒げます。
「なっ、なに言ってんだいきなりお前はっ!?」
「だって、それがメルシアくんのお願いみたいだから」
私がそう言うと、ボズラーさんは「うっ……」と言葉に詰まって黙りこんでしまいます。
そう、メルシアくんが私に言った「おねえちゃんになってほしい」という願いは、「お姉ちゃんのような存在として可愛がってほしい」ということではなく、ボズラーさんと結婚することで「“お義姉ちゃん”になってほしい」ということだったのです。
まさか男として生まれた私にそんなことを願うとは思いもしなかったため、あの時は全然気が付きませんでしたが……メルシアくんが私を女の子にすることをルルーさんに願った今となっては、その本気の程が窺えるというものでしょう。
私とメルシアくんにジッと見つめられたボズラーさんは、バツが悪そうに顔を逸らすと、
「……今は、結婚なんて考えてない」
ちょっぴり頬を染めて、そう呟きました。
メルシアくんはその言葉に「ええ~?」と不満げな反応を見せていましたが、一方で私は当然のように頷きました。
「うん、まぁ、そうだよね。ボズラーさん、好きな女の子がいるもんね」
「はっ? えっ!?」
そんな私の反応に対して、ボズラーさんが目を見開きながら驚きの声を発しました。
するとメルシアくんが私のワンピースの袖を引っ張りながら、
「先生、お兄ちゃんの好きな人知ってるの!?」
「べつに確信があるわけじゃないんだけどね。ただ前々から、なんとなくそんな感じがしてたっていうか……」
「誰!? それって誰なの!?」
「うーん、多分、メルシアくんも良く知ってる女の子だよ」
「え? ボクがよく知ってて、お兄ちゃんと仲のいい女の人って、ルルーお姉さんくらいしかいないよ?」
メルシアくんがそう言った瞬間、ボズラーさんは耳まで真っ赤にしながら勢いよく立ち上がりました。
「ちっ、違う! あの人はそういうんじゃない!!」
「……」
「……」
突然声を荒げたボズラーさんに、私とメルシアくんはしばし無言で顔を見合わせた後、とても優しげな微笑みを彼に投げかけながら、
「うん、そっか。勘違いしてごめんね、ボズラーさん」
「わかったよお兄ちゃん。ちがうんだね、ごめんね」
「おいお前ら全然わかってないだろ!? その優しい微笑みをやめろ今すぐにッ!!」
私たちは微笑みを絶やさないままに、「うん、わかってるわかってる」とか「大丈夫だよ、何も心配いらないから」とか優しい言葉をかけながら、二人で手を繋いで静かにリビングを後にしました。
私たちの背後ではボズラーさんが何か叫んでいたようですが、その言葉が私たちの耳に届くことはありませんでした。




