0歳9ヵ月 7
ある日の昼下がり。
私がこっそり家を抜け出しての実験から帰ってくると、家の中でネルヴィアさんが声を殺して泣いているのを見かけました。
驚いた私は「おねーちゃん!?」と声をあげて、すぐに駆け寄ります。
すると、私の声にビクリと肩を震わせたネルヴィアさんが、ゆっくりと振り返りました。
目元を腫らしたネルヴィアさんは、私の顔を見るなり「セフィ様ぁ……」と呟くと、私の体を抱え上げて、そのままきつく抱きしめました。
そして子供のように声をあげて、泣き出してしまいます。
……私の柔肌には手甲や肘当てがとても痛いのですが、そんなことにも気が回らないくらい取り乱しているようです。
私は「よしよし。だいちょうぶだからね」と努めて優しい声をかけながら頭を撫でようとして……しかし手が届かなかったので、頬を撫でてあげました。
しばらくそうしてあげていると、やがて泣き声はすすり泣きへと変わり、少しは落ち着いてくれたみたいでした。
私は折を見て、彼女に何があったのかを聞き出そうとしてみます。
「おねーちゃん、かわいそう。かなしいことがあったんだね。わたしじゃ、ちからになれない?」
「いえ……ぐすっ……私が、弱いから、いけないんです……」
「おねーちゃんはよわくないよ? だって、“きしさま”だもん」
「い、いいえ……私……私は、出来損ないなんです……戦えない、騎士なんて……」
戦えない?
私は、彼女がいつも腰に提げているロングソードへと目を向けました。
戦えないというのは、どういう意味なんでしょうか?
気にはなりましたが、すぐにそれを問い詰めるのは可哀想に思って、一旦、疑問を飲み込むことにしました。
「わたしのだいすきなおねーちゃんの、わるくちはやめて。かなしいよ……」
慰めるつもりで言ったこの言葉でしたが、それを聞いたネルヴィアさんは、再び泣き出してしまいました。
何か地雷を踏んでしまったのかとかなり焦りましたが、ネルヴィアさんは嗚咽を漏らしながら感謝の言葉を口にしていたので、どうやら嬉し泣きだったみたいです。し、心臓に悪いよ……
それからさらに時間を置くと、ようやくネルヴィアさんは落ち着いてくれたみたいです。
腫れた目元が痛々しくはありますが、いつものキラキラとした青空のような瞳に戻っています。
と、同時に、今まで完全装備で私のことを抱き潰していたことにも気が付いてくれたみたいで、「ぴえっ!? ご、ごめんなさいセフィ様!!」と言って私を解放してくれました。
もう、痣になったらどうするんですか。そんなことになったら、多分お母さんにすごい怒られますよ?
そしてようやくいつもの調子を取り戻したらしいネルヴィアさんに、私は「それで、なにがあったの?」と訊ねました。
もし誰かに虐められてるとかだったら、アレだよ? 私がそいつをアレして、アレしてあげるからね?
しかしそういうことではないらしく、ネルヴィアさんは大層言いよどんだ挙句に、とうとう白状してくれました。
「……と、鶏を……絞められ……なかったんです」
は? 鶏?
私は口をポカンと大きく開けた間抜け面で、ネルヴィアさんの顔を見つめることしかできませんでした。
「それって……ベラムさんのところのトリさん?」
「は、はい、そうです……」
聞けばネルヴィアさんは今日、いつもの村仕事のお手伝いの一環として、この村で畜産を担当してくれている、恰幅の良いおばちゃんであるベラムさんのところに行っていたのだとか。
そしてそこで、おそらくベラムさんは新顔であるネルヴィアさんにいろいろと体験させてあげようと気を遣って、鶏を絞めるように勧めたらしいのです。なんでだよ。
さすがに普通の女の子にそれは厳しいだろうとは思いますが、きっと『騎士様なら大丈夫だろう』とか思ったに違いありません。
たしかに騎士様なら、魔物や、場合によっては人を斬り殺す立場ですからね。鶏の一匹や二匹、取り乱さずに捌いてくれそうなイメージがあります。
けれどもそこはネルヴィアさん。普通の騎士とは違います。
彼女はまず鶏を捕まえる時点で腰が引けていて、見かねたベラムさんが捕まえてあげても、一向に動けない。
じゃあまずは代わりにやってあげようと、ベラムさんが手際よく鶏を吊るしたところ、逆さ吊りで暴れる鶏を見たネルヴィアさんはその場で泣き崩れてしまったそうです。
鶏を吊るしたままというのも残酷なので、ベラムさんはそのまま鶏の首を切ったのですが、そこで死にゆく鶏と滴る鮮血を見てしまったネルヴィアさんはその場で嘔吐。
すぐさまご近所の人に連れられて、ここまで逃げ帰ってきたのだそうです。
これ、ベジタリアンになりかねない心の傷なのでは……。
ベラムさんは昔から豪快な人だったそうなので、帝都育ちのお嬢様であるネルヴィアさんの繊細な心を慮ることはできなかったようです。
しかし屠殺の経験も知識も、教えるなと言うには複雑なので、ベラムさんに文句を言うのは憚られます。
でも屠殺なんて、前世の私でもできるか怪しいですし、ここまで落ち込むことはないと思うのですが……。
ちょっとショッキングなものを見て、気持ちが滅入っているのでしょう。
「おねーちゃんは、よわくないよ。だいちょうぶだよ」
「いえ……私は、すごく弱い、人間で……だから、帝都を追い出されて……」
「……ていとで、なにがあったの?」
私の問いに、再び泣きそうな顔になってしまうネルヴィアさん。
しかしそれでも私がじっと彼女の目を見つめていると、ネルヴィアさんは意を決したように、恐る恐る頷きました。
私は彼女の手を握ってあげながら、真摯に耳を傾けます。
「……私が……帝都で、『騎士失格』とされた、理由は……」
ネルヴィアさんは今にも消え入りそうな声で……それを告白してくれました。
「魔物を……殺すことが、できなかったんです……」




