1歳9ヶ月 7 ―――先生として
ボズラーさんがルルーさんを連れて戻ってくると、私は教室へと移動させていたリスタレットちゃんをすぐに診てもらいました。
リスタレットちゃんの手を見たルルーさんは、その酷い損傷具合に眉根を寄せて険しい表情を浮かべましたが……そこまで狼狽するようなことも、余計な詮索や質問をすることもなく治療を始めてくれます。
人体の操作はかなり繊細な作業であることが想像できるため、私は治療の間ずっと口を噤んでいました。
治療には結構時間がかかるかと思っていたのですが、ルルーさんは呪文構築のためかしばらく瞑想をしていたかと思えば、リスタレットちゃんの手に触れた途端に、一瞬で綺麗な両手に戻してしまいました。
「……ふぅ」
治療が無事成功したことで、ルルーさんは安堵の息を漏らしながら額に浮かんだ汗を拭いました。
私はそんな彼女に歩み寄ると、私の接近に気が付いてこちらへ視線を向けたルルーさんに、深々と頭を下げます。
「レーラ閣下、ありがとうございました」
「え、えぇ……別に良いわよ、これくらい」
少し遠慮がちな声が私の後頭部に降り注ぐのを聞きながら、私はゆっくりと頭を上げました。
それからまっすぐにルルーさんの目を見据えて、
「あの、レーラ閣下の口から陛下につたえておいてくださいませんか。セフィリアが、公爵位はいらないと言っていたと」
「えっ!?」
ルルーさんだけでなく、リスタレットちゃんやボズラーさん、それから教室に残っていた他の生徒さんたちも、みんな一斉に驚きの声を上げました。
みんなを代表してか、ルルーさんが私に疑問を投げかけてきます。
「ど、どういうことよ? この子の怪我が原因なの?」
「はい。どうやらわたしに、こういうお仕事はむいていなかったようです。……先生もやめようとおもいます」
そう言い放った私に、話を聞いていたリスタレットちゃんが「そんな!?」と叫びながら、椅子を蹴って立ち上がりました。
「ど、どうしてですかセフィリア先生!? 私がちょっと手を怪我したくらいで、どうして先生をやめなくちゃいけないんですか!?」
「……ねぇ、リスタレットちゃん。あの手、いつケガしたの?」
「え? えっと……」
「ころんだとか言ってたけど、ウソだよね? あれ、魔法のれんしゅうしてるときのケガでしょ?」
私がズバリ核心を突くと、リスタレットちゃんは「うっ……」と言葉に詰まって黙りこんでしまいます。
……やっぱりそうだったんだね。
「ねぇ、リスタレットちゃん。先生、おやすみのまえに……みんなになんて言ったっけ?」
「え?」
「おやすみのあいだに、いっぱい魔法のれんしゅうをしてきてねって、言ったんでしたっけ? ねぇ……“なんて言ったっけ”?」
私は心に渦巻いている感情をなるべく表へ出さないように抑え込んで喋っているせいか、自分の声がどんどん温度を失っていくのを感じます。
そんな冷え切った声で問われたリスタレットちゃんは、私の質問に答えることができずに、意味をなさない呻き声をあげて狼狽するばかりでした。
そして彼女の煮え切らない態度に、私はついに声を荒げてしまいます。
「わたしはっ!! 『おやすみのあいだは、ぜったいに魔法はつかわないでください』って言ったよね!?」
「あ、ぅ、その……」
「言ったよねッ!?」
私の剣幕に、リスタレットちゃんは「は、はい……」と掠れた声を漏らしながら、ひどく怯えたような表情で俯きます。
そんな状況を見かねたのか、ボズラーさんはこちらへ一歩足を踏み出すと、すぅっと息を吸い込んで、口を開きました。
「セ―――」
「ボズラーさんはだまってて!!」
すかさず怒鳴りつけた私の声に、ボズラーさんはびくりと肩を震わせて、大人しく黙り込みました。
今は私とリスタレットちゃんがお話ししてるんだから、ちょっと静かにしててください。
私は改めてリスタレットちゃんへ視線を向けると、感情を懸命に抑え込みながら話を続けました。
「ねぇ、どうして言いつけをまもれなかったの? どうしてそんなことを言いつけられたのか、わからなかったの? それともわたしの言いつけなんて、どうでもいいやっておもったの?」
「ち、違いますっ!」
慌てて顔をあげたリスタレットちゃんに、「じゃあなんで?」と重ねて問うと、リスタレットちゃんは再び俯いて黙りこんでしまいます。
私は静かに溜息をつくと、自分の羽織っている帝国魔術師の外套の裾を、ギュッと握りしめました。
「……もしも、もっとひどいケガをしちゃってたらどうするの? それでなくても、きずぐちからばい菌がはいって、むずかしい病気になっちゃったらどうするの?」
「それは……その……」
「さっきの風魔法だってそうだよ。あんなにつよい風をおこす呪文なんて、わたしはおしえてないよね? リスタレットちゃんがかってに数値をいじったんだよね?」
「……はい」
「あぶないからそういうことしちゃダメだって、なんども言ったでしょ!? どうしてそれがまもれないの!?」
私はとうとう感情の歯止めが効かなくなって、こみ上げてくる涙を抑えることができなくなりました。
リスタレットちゃんが驚きに目を瞠っている中、私はぽろぽろと涙をこぼしながらも先を続けます。
「さっきの風でっ! みんながたおれたところにおっきな石があって、あたまをぶつけちゃったら……ひっく……死んじゃってたかもしれないんだよ!? ぐすっ……それに、増えた風の量がもう一ケタ多かったら、リスタレットちゃんの腕がなくなっちゃってたかもしれないんだよ!? わかってるの!?」
一通り叫び終えると、私は服の袖で涙を拭いながら、自身の嗚咽が収まるのを待ちました。
教室にいる誰もがすっかり黙りこんで、呼吸の音さえ忍ばせているみたいな静寂が辺りに満ちています。
やがて鼻をすする音と共に、リスタレットちゃんまで涙を零し始めました。
「ごめっ、なさい……ごめんなさい……ごめんなさいっ……!」
ひたすら謝り続けるリスタレットちゃんに、私はどんな言葉をかけようかと考えていると……突然背後から伸びてきた手が、私のちっちゃな肩を優しく包み込みました。
驚いて振り返ると、そこにはボズラーさんの顔がありました。
「……教師は、続けろよ」
「ボズラーさん……?」
「中途半端に魔法を教えたまま投げ出したんじゃ、余計に危ないだろ? ちゃんと安全に魔法を使えるようになるまで教えてやって、それからどうするか決めろよ」
そうやって私に語り掛けるボズラーさんの顔は、なんだかとても辛そうで……何かを懸命に堪えているかのようでした。
「……ボズラーさんは、わたしに先生をつづけてほしいんだ?」
私がまだ涙を浮かべたまま、ちょっぴり悪戯っぽく微笑むと、
「あーそうだよ、その通りその通り」
ボズラーさんは投げやりな棒読みでそう答えながら、くしゃくしゃと私の髪をかき混ぜました。私の笑みに釣られてか、ボズラーさんも辛そうな顔は引っ込んで、口元が綻んでいます。
でもさ……ちょっと嬉しかったから今のは見逃してあげますけど、次またケイリスくんがセットしてくれた髪をグシャったら、湖を縦断させますからね。
……と、その時。
ふと視線を感じた私が振り返ると、私とボズラーさんのやり取りを眺めていたルルーさんが、なんだか慈しむような優しげな目でこちらを見守っていました。……まだルローラちゃんの一件でルルーさんと顔を合わせるのが気まずい私は、すぐに視線を逸らしましたが。
ボズラーさんの腕から抜け出した私は、教室の前方に飾ってあった花瓶のところまでふわりと飛んで移動すると、その花瓶を魔法で二つに増やしました。
それから増やした方の花瓶を持ってリスタレットちゃんの机の上に着地すると、全員が不思議そうに私を見つめる中、空っぽの花瓶に左手をかざします。
そして私は、魔法で左手の甲を切り裂きました。
「ちょっ……!?」
「先生!?」
「おい、セフィリア!?」
みんなが驚きの声を上げるのを聞き流しつつ、私は激痛に耐えながらも滴る血液を花瓶の中に落とし続けます。
そうしてしばらくすると、私は花瓶の中に落とした少量の血液に魔法をかけて、花瓶がいっぱいになるまでその量を増やしました。
目尻に涙を浮かべたまま呆気に取られているリスタレットちゃんに、私はなみなみと血液が注がれた花瓶を差し出しながら、
「……もしも、こんどまたリスタレットちゃんとか、ほかの子たちが魔法でケガをするようなことがあったら……そのときは、ほんとうに先生をやめます。魔術師もやめて、村にかえります」
「あの、先生、手が……血が……!?」
「血液をつかう魔法をれんしゅうするときは、この花瓶の血液をつかってください。このやくそくをやぶったときも、おんなじです」
かなり狼狽えた様子のリスタレットちゃんが、血まみれになった私の左手を見ながら再び泣きそうな顔になっています。
私はそんな彼女に、ぽたぽたと血を流す左手を見せつけるようにかざして、
「もしもこのわたしの手をみて、リスタレットちゃんが心をいためているなら……もう二度と、おんなじことはしないでね。リスタレットちゃんが傷ついたら、わたしだってつらいんだから……」
その言葉を聞いたリスタレットちゃんは、ハッとしたような表情を浮かべました。なんとなくですが、やっと初めてリスタレットちゃんの心に私の言葉が届いたような手ごたえを感じます。
それからリスタレットちゃんは、いつぞやクルセア司教が私にやったように、私の目の前で跪くと……綺麗になったばかりの両手を胸の前で組んで、神様に祈りでも捧げるように目を伏せました。
「……はい。セフィリア様の仰せのままに」
掠れた声でそう呟いたリスタレットちゃんは、それから涙を流したままの顔で、柔らかく微笑んだのでした。




