1歳9ヶ月 3 ―――お兄ちゃんとおねえちゃん(中編)
やがて店を出た私たちは、またメルシアくんを間に挟んで三人で手を繋ぎながら帝都の街並みを歩き始めました。
するとその途中、公園の前を通りがかった時に、メルシアくんが「あっ、ポルスくん! セシルちゃん!」と嬉しそうな声で叫びました。どうやら公園で遊んでいるお友達を見つけたようです。
ちょっぴり不安げな表情で、メルシアくんは私を振り仰ぎました。
「先生。ちょっとだけお話ししてきてもいい?」
「もちろん。それじゃあ私たちは、そこのベンチで休んでいるからね」
「はぁい!」
嬉しそうに小走りで駆けていくメルシアくんを見送った私たちは、近くに設置してあった木製のベンチに歩み寄ります。
するとボズラーさんはポケットから取り出した大きめのハンカチを、日陰になっている座面へと洗練された所作で敷きました。そしてボズラーさんはその隣、日向になっているところへ足を組みながらどっかりと腰を下ろします。
「あ、えっと……ありがと」
「ん」
私はちょっとだけ面映ゆい気持ちになりながらも、ボズラーさんが敷いてくれたハンカチの上へちょこんと座ります。
それから私たちはしばらく会話もなく、少し遠くでお友達と楽しそうに話しているメルシアくんのことを眺めていました。
どれくらいそうしていたでしょうか。突然訪れた沈黙は、破られる時もまた突然でした。
「……ありがとな」
「え?」
「弟のわがままに付き合ってくれて」
唐突に投げかけられた感謝に驚いてしまいましたが……どうやら今日のお出かけについてのお礼だったみたいです。
メルシアくんが魔法を使えるようになったことを記念して、何かお願いがあったら叶えてあげると私が言った時……ほとんど迷わずメルシアくんが提示してきたのが、今日のお出かけだったのです。
『休日に、こないだみたいに大人になったセフィリア様と、お兄ちゃんとぼくの三人で、お出かけがしたいです』というのがお願いの内容でした。……ただし、この姿の私を人前で“セフィリア”とは呼ばないということと、敬語をやめることを交換条件として提示しましたが。
以前、私は高校生バージョンの姿でボズラーさん宅にお泊りしたことがあります。どうやらその時に、メルシアくんは私のこの姿を気に入ったみたいです。
……男手一つで育てられてきたから、やっぱりお母さんが恋しいのかな?
「それから、悪かった」
またしても突然投げかけられた言葉に、私はボズラーさんへと顔を向けます。すると彼は、どこか儚げな微笑を浮かべながら俯いていました。
「夜獣盗賊団の連中をこの手で八つ裂きにしてやることが、俺の生きる目的になっていたんだ。だから騎士修道会に拾われてからは血の滲むような剣術の稽古に取り組んで、師匠に魔法を教えてくれと必死で頼み込んだりもした。いつの間にか手段が目的になって、復讐しか見えなくなっていた……」
「……ボズラーさん」
「だからあの黒い女の口車に乗って、お前との御前試合にまで発展しちまった。あの時はまるで、俺の唯一の生きがいを奪われたような気分でな。……だからかもな。きっとお前にぶっ飛ばされて、こてんぱんに負けることで、『納得』したかったんだ。こんなに強い奴が相手なら、仕方ないなって」
……そっか。ボズラーさんはあの時、そんな思いで御前試合に臨んでいたんだ。
それなのにベオラント城の会議室では、絡んできたボズラーさんを煽り倒して恥をかかせて、いざ試合となればわざと負けようと舐めプの限りを尽くして、挙句の果てにボズラーさんが吹っ切れそうになったところで理不尽に吹っ飛ばして病院送りにして……
あれ? 私いくらなんでも酷すぎない?
「ふっ……最初はとんでもない奴だと思ったけどな。だがそもそも俺たちが敵対したのは、メルシアの言うようにオレの八つ当たりで、身勝手だ。だから御前試合が終わって入院しているあいだに、メルシアとか師匠に怒られて、バカなことしちまったって反省したよ。まさかお前まで見舞いに来るとは思わなかったけどな」
「あ、うん……だって、いくらなんでもやり過ぎちゃったかなって思って……」
「まぁたしかに、死ぬかと思ったけどな。でも、今思えばあれで良かった。あれくらい思いっきり完膚なきまでに叩き潰されりゃ、嫌でも吹っ切れるってもんだ。何かの間違いでお前に勝っちまわないで良かったって、今では本当に思ってるよ」
私がわざと負けて、ボズラーさんが勝ってたら……どうなってたんでしょうか?
私は魔術師見習いに格下げされて後方支援任務に就いて、ボズラーさんは引き続き戦争に従事して……
「あれ? そういえば、陛下になにかをお願いしてたとか言ってなかった? もしもボズラーさんが試合に勝ったら、どうとか……」
「ああ、それな。もしも俺が御前試合で勝ったなら、お前が生け捕りにした夜獣盗賊団を、この手で全員皆殺しにさせてもらえるようにお願いしてたんだ」
「えっ!!」
「あの時は、それで俺も先に進めると思ってたんだ。あいつらを殺して俺たちの過去を清算して、そこから新しい人生を歩み出せるかもしれないって……そう思い込みたかったんだ」
どこか寂しげな乾いた笑みを浮かべたボズラーさんは、うんざりしたように首を横に振りました。
「ははっ、だから師匠はお前に『全力で戦ってくれ』ってお願いしてたんだろうし、試合の前にお前がわざと負けようとしてることを、俺に教えてくれたんだろうな」
「そっか、それでルルーさん、あんなに……」
「それに俺がお前に本気を出させるために、勝利報酬を“セフィリアの前線送り”にすると言い出した時……陛下もすぐに賛同してくださった……あれもきっと、俺のためだったんだろうな」
「あ……そういうことだったんだ」
てっきり陛下はいつものドSが発症しちゃっただけかと思ってました。いや、事実そうである可能性もまだ捨てきれないですけれど……!
ジッと自分の膝に視線を落としていたボズラーさんが、卑屈な表情で呟きました。
「最終的には俺もお前に本気を出してほしいと思ってたってことは、俺自身がどうしたいのか、どうするのが正しいかを自覚してたってことなんだろうな」
「……強いね、ボズラーさんは」
「あ?」
「私はお兄ちゃんがいなかったら、きっとあの盗賊たちをみんな殺してたよ」
家族が命の危険に晒されて暴走してしまった私は、お兄ちゃんが止めてくれなかったらあのまま盗賊を嬲り殺しにしていたことでしょう。
そしたらネルヴィアさんのところに駆けつけるのも遅れて被害が広がって、残りの盗賊たちも残酷な魔法で肉塊に変えていたはずです。
あの夜、私なんかよりもお兄ちゃんの方がよっぽど村の防衛に貢献していたのでしょう。
「……俺だって同じだ。メルシアがいなかったら、とっくに壊れてた。俺が今もこうしてられるのは、あいつのおかげだ」
「でも、メルシアくんがああして無事なのは、ボズラーさんがメルシアくんを守ったからなんでしょ? だったらお互い様……」
「違う!」
突然大きな声を発したボズラーさんに、私はビクリと肩を震わせました。
するとボズラーさんは少し申し訳なさそうな顔をしてから背中を丸めると、頭を抱えてしまいます。
「違う、違うんだ……俺は、メルシアを連れて、自分だけ逃げたんだ……!」
「う、うん。だからそのおかげで、メルシアくんが助かったんでしょう?」
「他の村人たちは戦ってたんだ……! 血まみれで、必死に、みんなが助かるために! なのに俺だけ……俺だけ、逃げたんだ……みんなを、俺たちの母親さえも見捨てて……!!」
ギリギリと音が鳴るくらい強く歯を食いしばったボズラーさんは、必死で絞り出すようにして言葉を紡いでいました。
その姿はまるで、懺悔をするかのようで……そしてどこか、誰かに罰してもらうことを望んでいるかのようにも見えました。
私はどうしたらいいのか、どんな言葉をかければいいのか悩みました。
私はルローラちゃんじゃないので、相手がどんな言葉を望んでいるかなんてわかりっこありません。それに相手の気持ちを想像しようにも、これだけ悲惨な過去を背負って、今日までずっと苦しみ続けてきたボズラーさんの気持ちなんてわかりません。
どんな言葉をかけても無責任になってしまうような気がしましたし、果たして本当に正解があるのかさえも疑問で……
……いいえ。綺麗ごとでも、無責任でも、見当違いでも……
言葉にしなくちゃ、何も伝えられないよね。




