1歳9ヶ月 2 ―――お兄ちゃんとおねえちゃん(前編)
とある休日。
高校生くらいの外見に変身していた私は、左手に感じる小さな温もりに、思わず表情を綻ばせます。
私の隣には、ふわふわの銀髪と青い瞳を備えた、小学校低学年くらいの小さな男の子、メルシアくんが歩いていました。そしてさらにその向こう側には、彼のお兄さんであり金髪碧眼の青年、ボズラーさんも並んでいます。
私の左手とボズラーさんの右手をそれぞれ握っているメルシアくんは、とってもご機嫌です。
ふにゃっとした笑みを浮かべたメルシアくんが、本当に楽しそうに私の手を引っ張りました。
「先生! つぎはどこにいく?」
「んー、そろそろお昼だし、ご飯にしよっか?」
「うんっ!」
私が「いいかな?」と笑いかけると、ボズラーさんは「ああ」と微笑を浮かべながら頷きました。
それからメルシアくんに手を引かれた私たちは、近くのレストランへ足を踏み入れます。
そこは、ドレスコードがないのが意外なほどにお高い雰囲気のレストランでした。
仮にも貴族だしお金もある私ですが、ケイリスくんにおねだりすれば大抵の絶品料理を食べられる私は、あまりこういったお店に入ったことがありません。……なのでちょっぴり気後れしてしまいますね。
けれどもお金の使い道が弟を甘やかすことしかないボズラーさんの愛を存分に受けているらしいメルシアくんは、特に緊張した様子もなくお店の敷居を跨ぎました。
同様に、出迎えてくれたウェイターさんに堂々とした態度で接するボズラーさん。どうやらこのお店には常連のようで、特に何かを指定したわけではないものの、私たちは奥の個室へと通されました。
席は長方形のテーブルで、長辺に二つずつ椅子が備え付けられています。
入り口から向かって左手の椅子にボズラーさんが着席したのを見た私が、向かい側である右手の席に着くと……それを見たメルシアくんは、迷わず私の隣に座りました。
……えっ、なんで? そこはボズラーさんの隣じゃないの? ほら見てメルシアくん、お兄ちゃんすっごい目で私を睨んでるよ? 穴よ開けと言わんばかりの視線だよ?
私はボズラーさんの視線を避けるようにしてメニュー表を開くと、しかしすぐに自分が文字を読めないという事実を思い出します。……じつは時々ケイリスくんに文字の読み書きを教わってはいるんですけど、そもそもこういうお店の料理名って読めてもよくわからないことが多いですしね。
仕方がないので、私はメルシアくんにもメニュー表が見えるように椅子ごと身体を寄せながら、複数人で取り分けられるような料理を頼んでくれるようにお願いしました。
代わりと言ってはなんですが、私は運ばれてきた料理を小皿に取り分けて、ボズラーさんとメルシアくんに配ってあげます。
すると目を丸くさせたメルシアくんが、自分の目の前に置かれたお皿をとても嬉しそうに見つめて、
「ありがとう、お母さん!」
満面の笑みで、爆弾を投下してくれちゃったのです。
「………………。」
「………………。」
ピシリと固まって黙りこむ、私とボズラーさん。
そんな私たちの反応に小首を傾げたメルシアくんは、ちょっと遅れてから「あっ!」と声を上げると、一瞬で顔を真っ赤に染めました。
私としては、そんな言い間違いをしてしまうくらい気を許してくれているってことがすごく嬉しかったですけどね。
茹でダコみたいになってしまった顔を俯かせて、黙りこんでしまったメルシアくん。そんな彼をどうにかフォローしようと考えた私は、メルシアくんのふわふわの髪にそっと手を伸ばしました。
「あっ……」
「どういたしまして、メルシアくん」
そう言って彼の頭を撫でながら微笑む私に、メルシアくんは ふにゃっとした笑みを浮かべて、「えへへ」とはにかみます。……ほんとこの生き物かわいすぎてやばいです。私と同じ生命体とは思えません。
このやり取りによって、再びこの場の雰囲気は柔らかなものに戻ったようです。
しかしボズラーさんだけは、いまだに沈痛な面持ちで目を伏せていました。
……以前、ボズラーさんが入院している時にチラッとだけ漏らした、彼らの家庭環境。
ボズラーさんは言っていました。「今はメルシアだけが俺の家族なんだ」と。
その言葉をそのまま受け止めるなら、つまりボズラーさんとメルシアくんを産んだお母さんも今はいないということになります。
……あまり深く突っ込んではいけない話題だと思い、その時は何でもないことのようにスルーしたので詳しい事情はわかりませんが。
ボズラーさんの浮かない表情に気が付いたメルシアくんは、そこでふと思い出したかのように「あっ」と声を上げました。
「そういえばお兄ちゃん! 先生にお礼を言ってないんだよね!?」
「あ? なんのお礼だ?」
「夜獣盗賊団のこと! そのせいで先生、すっごく悩んじゃってたんだよ!」
悩む? 夜獣盗賊団って、かつて私の村を襲ってきて、私に返り討ちにされたあのモブ連中のことですよね?
それでどうして私がお礼を言われるのでしょうか?
私が困惑しながら彼らのやり取りを眺めていると、ボズラーさんは少し慌てたように「お、おいメルシア!」と声を荒げました。
しかしそんな兄の反応なんてどこ吹く風といった様子のメルシアくんは、ちょっぴりほっぺを膨らませてから、断固とした表情で言い放ちます。
「お兄ちゃんが言うつもりないなら、ぼくが言うからね! いいよね、お兄ちゃん!」
「ぐっ、いや、でも……」
それでも往生際悪く唸っていたボズラーさんでしたが、メルシアくんはそんな兄の葛藤を相手するのは放棄したらしく、あっさりと私に向き直りました。
「一年くらい前に、先生が夜獣盗賊団をかいめつさせてくれたんだよね?」
「え、あ、うん」
「夜獣盗賊団は、いろんなところで悪いことしてたの。小さな村とかをおそって物を盗んだりして、最後はみんな殺しちゃうんだって」
「……うん」
実際にはただ殺すだけではなく、遊び半分に嬲って苦しめたり、女の人を辱めたりもしていたはずです。……幼いメルシアくんに、わざわざそんな補足をしたりはしませんが。
私はあの夜のことを思い出して震える指を、テーブルの下にそっと隠しました。
そしてちょっとだけ間をあけたメルシアくんは小さく深呼吸をしてから、低く静かな声色で、その事実を口にします。
「……じつはね、ぼくたちの故郷も、夜獣盗賊団におそわれたの」
「えっ!?」
あまりに衝撃的な告白に驚いて、私は思わず大きな声を上げてしまいました。
いや、でも、そっか……今までの話の流れから考えると、そういう、ことだよね……
え、じゃあつまり、メルシアくんやボズラーさんのご家族がいないのは……
「ぼくはそのとき、すごくちっちゃくて、だからあんまり記憶はないんだけどね。その日助かったのは、ぼくとお兄ちゃんだけだったの。お兄ちゃんが、ちっちゃかったぼくを抱えて逃げてくれたおかげで、今もこうしていられるんだ」
そう言ってどこか寂しげに笑うメルシアくんに、ボズラーさんが俯きながら小さな声で「……ちがう、そんなんじゃない……」と呟いたのが微かに聞こえてきました。
しかしその声が耳に届かなかったらしいメルシアくんは再び私に向き直って、
「先生が夜獣盗賊団をたおしてくれたおかげで、ぼくたちは救われたの……だから、ほんとうにありがとうございましたっ!」
ぺこりと頭を下げたメルシアくんに、私はどんな言葉を返したものか悩んでしまいます。
自分の意図しないところでたくさんの人の仇を討っていたらしいですが、あまり実感は湧きません。こんな状態で、彼の純粋な感謝の気持ちを受け取っても良いものかと、私は迷ってしまいました。
……けれども、そんな理屈っぽい考えでお礼を言われているわけではないのでしょう。きっとメルシアくんは、溢れてくる気持ちをそのまま言葉に出しただけなのです。
だから私も深く考えることなく、「うん。メルシアくんの助けになってあげられてよかった」と笑みを浮かべることで、その感謝に応えました。
そしてメルシアくんは少し申し訳なさそうに眉尻を下げると、
「お兄ちゃんは昔から、自分が夜獣盗賊団を捕まえるんだって意気込んでたの。それで、自分より先に夜獣盗賊団を倒しちゃった先生に、試合を申し込んじゃって……」
「ああ、それで……」
「うん。だから先生、御前試合でお兄ちゃんを倒しちゃったことは気にしないで? あれはお兄ちゃんの八つ当たりだったんだから」
メルシアくんにボロクソ言われているボズラーさんは渋い顔になりながら、マズそうに料理を口に運んでいました。ま、まぁ、目の前でこんな話されたらメシマズですよね。
その後、湿っぽくなっちゃった空気を払拭するために、私はなるべく明るい話題を提供し続けました。
その甲斐あってか、食事が終わる頃には二人のテンションもある程度は回復したようです。
せっかく今日のお出かけはメルシアくんへの“ご褒美”なのですから、今日は思いっきり楽しんでもらいたいですからね。




