1歳8ヶ月 9 ―――暗躍の駒組み
『セフィは無茶ばかりするから目が離せない』と言って憚らないお兄ちゃんとお母さんは、どうやらこれからも帝都で私と一緒に暮らすつもりみたいです。
まぁ、お兄ちゃんはうちの生徒さんなので、毎日アルヒー村と帝都を往復するのは辛いでしょうからね。それは容易に想像できたことです。
この際だから魔法を学ぶなんていう危険なことはやめたらどうかと思ったのですが、お兄ちゃんにそんなつもりはさらさらないみたいでした。なんでも、守りたい人が増えたとかなんとか。
そしてお兄ちゃんとお母さんが帝都に残るにあたって、お父さんはどうするのかという問題が浮上し、さらに言うならお兄ちゃんが魔法を習得したらどうするのか等、話し合うべきことはたくさんあります。
その辺りのことは今夜、私がアルヒー村へ戻ってから話し合って決めるとして……
私の屋敷に案内した男性陣や私の家族を魔法で村まで送り届けた私は、すぐにまた帝都へとUターンしました。勇者としてやらなければならないお仕事があったためです。
お仕事とは言っても、たった数分喋って、あとは座ってるだけなんですけどね。
帝都に戻るついでに、ネルヴィアさんの様子も見に行こうかな。それから、今日は一人になりたい気分だからと逆鱗邸に残ったルローラちゃんの様子も見ておかなくっちゃ。
レジィは久しぶりにアルヒー村の獣人族たちに顔見せするために村に残って、ケイリスくんは村の人たちに遠慮して逆鱗邸に残ると言っていたけれど、「ケイリスくんはわたしの家族なんだから遠慮なんてすることないんだよ」と説得したら折れてくれました。
ということで私は村から帝都への道のりを超特急で走り抜けると、いつものように帝都の外周防壁を関所ごと飛び越えて帰還しました。帝都の人たちにとって私の行動はもはや日常の一部と化しているので、幼児が空を飛び回っていても「あらあら、またセフィリア卿が何かやっているわ」で済んでしまいます。慣れって怖い。
とりあえず勇者として教会でお話をするまでには時間があるので、私は逆鱗邸へと一度戻ってきていました。
ルルーさんとの関係に亀裂が生じてしまったため、他の魔導師様たちや魔術師の人たち、それからボズラーさんとは顔を合わせ辛いですし、はてさて何をして時間を潰したものかと悩んでいた……その時。
私の羽織っている外套の内側で、小さく振動する物体がありました。
私はそれを手慣れた仕草で取り出してパカっと開くと、おもむろに耳へと当てます。
「もしもし?」
『あっ、セフィリアちゃん! もしもし~!』
今ではすっかり聞き馴染んだ声を聴きながら、私は“もしもし”を挨拶だと勘違いしているらしい彼女の朗らかな声に苦笑します。
「どうしたの? なにかあった?」
『ううん、何にもないよ! だから遊びに行ってもいい?』
「うん、いいよ」
『やったぁ! 今ってセフィリアちゃん、自分のお部屋?』
「そうだよ?」
『じゃあすぐに行くね!』
ちょうど時間をどうやって潰そうかと思っていたので、彼女の申し出は渡りに船でした。
私が魔導家電シリーズ『魔導携帯電話』をぱたんと閉じて懐にしまうのと同時に、私の部屋の壁が一瞬で黒く染まると、その正方形に切り取られた闇の中から少年と少女が現れました。
ウェーブのかかった長めな金髪に、真っ赤な瞳。白いネグリジェだけを羽織って、靴下さえ穿いていない下半身には白い翼を巻きつけている少女、ネメシィ。
ショートカットの銀髪に、碧い瞳。黒のタイトパンツとブーツを穿いて、一糸纏わぬ上半身には黒い翼を巻きつけている少年、エクスリア。
「えへへ、また遊びに来ちゃった」
そう言って照れくさそうに微笑むネメシィと、仏頂面で目を逸らしているエクスリア。ネメシィはベッドに転がっていた私に近づいて来ると、ベッドの縁に腰を下ろしました。
そして彼女はおもむろに中空を見つめながら、不思議そうに目を丸くさせると、
「あれ? いつもより街に人が多いね? でもこのお屋敷にはほとんどいなくなってる……何かあったの?」
ネメシィはそう言うと、顎に人差し指を当てながら小首を傾げました。……なんでみんな当たり前みたいに気配とか察知できるの?
「ネメシィとエクスリアのおかげで、戦争がおわったからね。たたかいにでてた人たちが、かえってきたんだよ」
「そうなんだ。それってセフィリアちゃん、嬉しい?」
「え? う、うん。うれしいよ」
「そっかぁ。えへへ、よかった」
私の答えを聞いたネメシィは、本当に嬉しそうに微笑みました。
基本的に気性が荒かったり暴力的だったり直情的だったりすることの多い魔族ですが、このネメシィは例外的におっとりした子なので、なんだか一緒にいると癒されちゃいます。
そして対照的に、ザ・魔族といった落ち着きのなさを見せてくれるのがエクスリアです。
彼は部屋の隅へと足早に歩いて行くと、そこに置いてあった将棋盤―――私とケイリスくんによる手作りです―――を手にして、そのまま私の元へと戻ってきました。
「セフィリア! ショーギやるぞショーギ!」
鼻息荒くそう言い出すエクスリアに、私とネメシィは顔を見合わせながら苦笑します。
“楽しいこと”を知らないエクスリアに人間の遊びを教えてあげようと考えた時、まず肉体を用いる遊びは論外でした。なぜなら彼は世界最強の魔族。当たり前のように亜音速で飛行し、素手で岩盤を粉砕し、馬に蹴られても馬の方が怪我をするような怪物です。脆弱な人間が楽しむことを想定した遊びで彼が満足できるはずもありません。
そういった事情もあり、私がまずエクスリアに教えたのは“将棋”でした。本当はもっと簡単なオセロとかの方が良いのでしょうが、オセロはまぐれ勝ちとかもありますし、戦況の把握も難しいので、強くなっても成長が実感しづらいのではないかと考えたのです。
その点、将棋なら強くなっていく過程が明確です。生まれた瞬間から絶対的強者だったエクスリアに成長の喜びを感じてもらおうと思い、わざわざケイリスくんにお願いして将棋盤まで作製しました。
ちなみにネメシィとは、一緒に並んでお喋りをしたり、変装してショッピングに行ったり、二人でお菓子作りをしたりしています。
パチパチと将棋の駒を並べ終えたエクスリアは、私が自作した『駒の動かし方マニュアル』を見ながら、たどたどしい手つきで駒を動かし始めました。
私はうんうん唸りながらも楽しそうに駒を動かしているエクスリアに応戦しつつ、同時にニコニコとその様子を眺めているネメシィとお喋りをします。
「ねぇ、ネメシィ。すがたをけした魔族たちっていうのは、みつかったの?」
「ううん、全然。ボクも心当たりは探したんだけど、見つからなかったの」
「そっか……」
ネメシィの答えに、私は小さく溜息をつきます。
エクスリアとネメシィによって戦争推進派の魔族が一掃される直前、唐突に姿を消した魔族たちがいたそうです。
彼らは特に共通点も接点もなく、強いて言うなら実力のある魔族たちだったということしかわかりません。そして彼らが姿を消す以前、その近辺で『肌の黒い男』が目撃されていたそうです。
その男は異常な身体能力と開眼を無効化する能力を見せたということで、まず間違いなく、いつぞや鉱山都市レグペリュムの遺跡で発掘されたという謎の男で間違いないでしょう。
暗躍する謎の男と、姿を消した少数精鋭の実力派魔族たち……こんなに不穏な要素が揃っていて、いい気分はしませんね。
ようやく手にした平和で、現在の人族はすっかり気を抜いてしまっています。きっと戦争反対派の魔族たちも同じことでしょう。
例の男の目的が何かはわかりませんが、こちらの戦闘準備が停滞しているうちに着々と戦いの準備を整えられてしまっては、いつか手遅れにならないとも限りません。
一応、陛下やセルラード宰相、それから中央司令部上等会議のメンバーにはこのことを通知してあります。近いうちに魔導師様たちや、一般の魔術師や騎士たちにも通達されることでしょう。
戦いは、まだ終わってはいないのです。
……とはいえそんなことを考えている間にも、盤上でのエクスリアとの戦いは終わりを迎えていました。
「王手。はい、おしまい」
「ああっ!? ……うぅぅ~~~!! もっかい!! もっかい勝負だ!!」
本当にくやしそうに、けれどもどこか嬉しそうに駄々をこねるエクスリアに、私とネメシィはクスリと笑みをこぼします。
今まで『負けたい』と願い続けてきたエクスリアが、『勝ちたい』と……『強くなりたい』と願う様は、どこか感慨深いものがありますね。
エクスリアが散らばった駒をパチパチと初期配置に並べ直していくのを眺めながら、ネメシィが上機嫌に微笑みました。
「ねぇ、セフィリアちゃん。これ終わったら、またどこかにおでかけしよ?」
「いいよ~。こないだはショッピングだったよね。じゃあこんどは、としょかんにいってみる?」
「図書館って、人族が作ってる“本”っていうのがいっぱいあるところだよね!? わぁ、ボクそこ行ってみたかったんだぁ!」
紅い瞳をキラキラと輝かせながら喜ぶネメシィは、再び対局を始めたエクスリアの肩を揺すりながら、「ほらエクスリア、早く負けてよー」とか言いだしたため睨まれていました。
……あの、気持ちはわかるけど、邪魔しないであげてね? こないだあなたが空間接続の能力を使って、エクスリアの駒台にあった手駒をこっそり私の駒台に転移させたせいでエクスリアがブチギレたこと、忘れてないよね……?
キミたちの喧嘩はほっとくと国の一つくらい余裕で滅ぶんだから、平和的にいこう? ね?




