1歳8ヶ月 8 ―――姉の贖罪
ベオラント城からなりふり構わず逃げ出したルローラちゃんでしたが、もともと体力のない彼女はすぐにヘバって、城門近くの路地裏で蹲っていました。
ぜぇぜぇと肩で息をしながら膝を抱えるルローラちゃんは、地面に投げ出されている長くて綺麗な金髪が汚れることを気にする余裕もないようです。
そんな彼女に、私は意図して足音を立てながらゆっくりと近づきますが……とても深く傷ついているであろう彼女にどんな言葉をかければいいのかがわからず、ただ彼女の傍でおろおろと立ち尽くすことしかできませんでした。
それでも言葉をかけることはできずとも、せめてルローラちゃんの支えになってあげたい一心で……私は彼女の肩に手を回して、そっと身体を寄り添わせました。
するとルローラちゃんの真っ白な腕が私に伸びてきて、そのまま私の身体は地面に座り込んだ彼女によって抱きすくめられます。
……微かに震えるルローラちゃんの荒い息を肩に感じながら、私は彼女の汗ばんだ熱い身体に腕を回しました。
そうして薄暗い路地裏でしばらく抱き合って、やがて少しずつ彼女の息が整ってきた頃……不意にルローラちゃんは言葉を漏らします。
「……ごめんね、ゆーしゃ様」
彼女の口から発せられた謝罪の言葉に、私は混乱しつつもすぐに首を横に振りました。
「どうして、ルローラちゃんがあやまるの? あやまらなきゃいけないのは、わたしのほうで……」
「ゆーしゃ様は悪くないよ。……それに、ああなることはわかりきってたし」
「わたしは、わからなかったよ……だからむせきにんに、会ったほうがいいだなんていっちゃったの……」
ルローラちゃんはルルーさんに直接会わなくても、彼女が元気でやっていることを知ることができればそれで良かったのに……私がそれを台無しにして、二人の関係にさらなる亀裂を生んでしまったのです。
私はじわりと滲んできた涙をこらえながら、黙って胸の痛みに耐えていました。すると、正面から密着していた身体を少しだけ離して私の顔を見たルローラちゃんは、同じく涙を滲ませながら薄っすらと微笑みます。
「ほんと、優しすぎるなぁ……」
そんな呟きを漏らしたルローラちゃんは、小汚いレンガの壁に背中を預けながら、そっと私の頭を胸に抱き寄せました。
「ゆーしゃ様、さっき言ったよね。『ここまで来たんだから、ちょっとだけでも会っていこうよ』って。その通りだよ。本当にルルーが元気でやっていることを知りたいだけなら、なにも帝都に数ヶ月も残ることなんてなかったんだよ……あとで人伝てにでもルルーの様子を聞けばいいんだし」
「え……?」
「つまり、アタシも最初からルルーと会いたかったんだよ。もしも会えば、面と向かって罵倒されるってことはわかってた。……ううん、罵ってもらいたかったのかもしれない。里を抜けるまで、ルルーは何も文句を言わずに一人で全部抱え込んで、ある日突然 姿を消しちゃったから……」
そう言いながら、ルローラちゃんは少し自嘲気味に笑います。
「それにさ、もしかしたらアタシのことを受け入れてくれるかも……なんて甘い考えも、ちょっとだけあった。すごく傲慢だけどさ、どうしても期待しちゃってたところはあったんだ。けど、いざとなると覚悟がすっかり萎えちゃって……だからゆーしゃ様に背中を押してもらえた時は、すごく嬉しかったよ」
「でも、そのせいで……」
「ゆーしゃ様がどういう意図で背中を押してくれたのかは、なんとなくわかるよ。それに今、とっても胸を痛めてくれてることもわかってるし……ここからアタシたちの関係をどうにか修復できないか、考えようとしてくれてるよね?」
うっ……全部バレてる。相変わらず、魔眼を使わなくても人の心に敏感なようです。
「ありがとね、ゆーしゃ様。だけどこれはアタシたちの問題で、ゆーしゃ様が気を揉むことなんてないんだよ。さっき直接会ってみて、あの子が今どういう世界に生きているのか、アタシたちエルフ族をどう思っているのかはなんとなくわかった」
「……そうなの? たったあれだけで?」
「うん、仮にもお姉ちゃんだからね。それに、これからアタシがやるべきこともわかったよ」
いつの間にか、さっきまでの弱弱しかったルローラちゃんの表情は消え去っていました。
代わりに彼女の表情には、力強い意思が宿っています。
「ルルーの言う通り、アタシはあの子の前に二度と姿を現さない」
「えっ!? そ、そんな……!!」
「だけど、それでもアタシはあの子のために何かをしてあげたい。ルルーの助けになれるようなことをしたい。……それが、昔あの子たちを守ってあげられなかった、アタシの贖罪なんだ」
そっと私の身体を離したルローラちゃんは、エルフ族特有の恐ろしく整った顔をまっすぐ私に向けてきます。
「ねぇ、ゆーしゃ様。アタシがゆーしゃ様と一緒にいる理由は……目的は、もう果たしちゃったけどさ。その……もう少しだけ、一緒にいさせてもらっても……いい?」
ルローラちゃんは眼帯に覆われていない左目を上目遣いにさせて、少しだけ不安げに私のことを見つめてきました。
……そんな風に頼まれたら私は絶対に断れないって、わかりきっているでしょうに。
私の呆れたような表情に、ルローラちゃんはちょっぴりイタズラっぽく笑います。
そして私は、答えのわかりきった質問に、わかりきった答えを返すのでした。
「うん。すきなだけ、いっしょにいよう」




