1歳8ヶ月 7 ―――姉と妹
私は一度逆鱗邸に戻ると、ケイリスくんに髪を整えてもらいます。ぐちゃぐちゃに爆発した私の髪を見たケイリスくんは、「な、なにがあったんですか!?」と珍しく取り乱していました。
それからどんな髪型にして欲しいかとリクエストを受けたので「ケイリスくんの好きにしていいよ」と言ったら、彼は小さな三つ編みをたくさんこさえて、それを複雑に編み込むというすごい垢抜けた髪型にしてくれちゃいました。おっしゃれー!
それから私は、珍しくリビングで起きたまま待機していたルローラちゃんに声をかけます。
「ごめんね。おまたせルローラちゃん」
「ううん、大丈夫。……こっちこそ、ゆーしゃ様は忙しいのにごめんね」
珍しくそわそわしている様子のルローラちゃんは、床にまで届きそうな金髪を落ち着きなく弄びながら申し訳なさそうにしていました。
べつに、ルローラちゃんが負い目を感じることなんてないのに。これはルローラちゃんだけではなく、ルルーさんのためでもありますし、私が勝手にやろうとしていることですから。謝られる筋合いはありません。
……というようなことを伝えたら、ルローラちゃんは「相変わらずだねぇ」とか言って苦笑していましたが。なにが相変わらずなんでしょうか……?
それから私は、イースベルク共和国の首都プラザトスで買ってきた、魔導師様たちへのお土産もいっしょに持参しようと考えました。あれからあの三人は一度も帝都に帰ってこなかったので、渡すのがこんなにも遅くなってしまったのです。
さて、これで準備も万端。私はお土産の重量を減算して風呂敷に包み、ルローラちゃんに持ってもらいました。さらに私は体重を減算した状態でルローラちゃんの胸に抱き付きます。
普段、ルローラちゃんはどちらかと言うと抱き上げられる立場であることが多いためか、私を抱っこする手つきは少々危ういところがありました。バランスを崩しかけた私は、ルローラちゃんの胸に頭をぶつけて「いたっ」という声を漏らしてしまいます。
すると、なぜか急速に瞳を澱ませたルローラちゃんが、
「……ごめんね」
「えっ? なにが?」
「胸が硬くて……痛い思いさせてごめんねッッ……!!」
「いやそんなことだれも言ってないよ!?」
そういう意味の「いたっ」じゃないから! 被害妄想が甚だしいよルローラちゃん!?
その後、私たちは逆鱗邸を発ってベオラント城へと向かいました。陛下大好きなあの三人なら、きっとまだお城に居ることでしょう。
私の予想は的中しており、私たちがベオラント城の城門を潜ってすぐの中庭に、目当ての人だかりを発見できました。どうやら城の兵士や魔術師たち囲まれているらしい魔導師様の三人は、半年以上前に見た時とちっとも変わらない姿です。もしも大怪我なんてしていたら……とか、じつはかなり心配していた私は、ホッと胸をなで下ろしました。
マグカルオさんは相変わらずの巨躯を筋肉の鎧に包んでおり、その丸太のような肢体を覆うのはさながらバレリーナを思わせる、フリフリとピチピチのコラボレーション。パーマのかかったダークブルーの髪はオールバックにされていますが、それによって強調される顔はさながら仁王像……一瞬でお腹いっぱいになるような、濃すぎる味付けですね。
リュミーフォートさんは、襟足だけが長く伸ばされた白銀の髪が褐色肌に映えていて、相変わらず神秘的な外見です。目深に被った軍帽と同色のマントからは、どこからともなく次々と食べ物が出てきては彼女の口に吸いこまれて消えていきました。……黙って動かなければ、洗練され尽くした彫刻みたいな美しさがあるのに……あの無気力な暗金色の瞳には、そんな些末事は映らないのでしょう。
そしてルルーさんは、トレードマークである複雑精緻に編み込んだピンク色の長い髪と、全身を統一した甘ロリ姫ファッションは健在のようです。といっても、身長二メートル越えのマグカルオさんや、すらっと手足が長いリュミーフォートさんとは違い、小学生くらいの背丈しかないルルーさんは人混みに紛れてしまってほとんど見えていませんが……。
私は久しぶりの外出でゾンビみたいな顔色になっているルローラちゃんに、城門の陰で休んでいるように勧めました。数年越しの再会で、こんな息も絶え絶えでは格好がつきませんからね。
しかし私のそんな提案を聞いたルローラちゃんは、
「いや……そもそもアタシ、ルルーに会うつもり、ないし……」
「え?」
「あの子が元気でやってるってことを、遠くから確認出来たら、それでいいのよ」
「だ、だめだよ! ここまできたんだから、ちょっとだけでも会っていこうよ!」
「……でも」
私の言葉に、浮かない顔となるルローラちゃん。たしかに気持ちはわかりますけど、それでもここまで来たのですから一度は会っていった方がいいと思います。
「とにかく、わたしがよんだらすぐにでてきてね!」
彼女の返事を待たずにお土産の風呂敷を受け取った私は、ふよふよと宙に浮かびながら魔導師様たちへと近づいていきました。
まず真っ先に私の存在に気が付いたのは、リュミーフォートさんでした。
彼女が「……セフィリア」と呟くや否や、魔導師様たちに群がっていた人たちの視線が一斉に私へと集中します。
続いて、「あらァん、セフィちゅあぁぁ~~~ん!!」と野太い声が響き渡り、人だかりをかき分けてイカツい巨漢がこちらへと駆けてきました。ひぃ、なんかデジャヴ!!
……しかし今回は、いつぞやの謁見の時みたいにマグカルオさんによる抱擁を受けることはありませんでした。
なぜならマグカルオさんが私の元へ到達するよりも速く、人間離れした速度でルル―さんが私の目の前に迫ってきたためです。……視界の端で、リュミーフォートさんに蹴られたマグカルオさんがあらぬ方向へと吹っ飛んでいくのが見えましたが。
なんだか鬼気迫る表情のルルーさんは、そのちっちゃな手を私の肩に置くと、
「ちょっとセフィリア! アンタ、この帝都で迫害されてたんですって!? 泥を顔にぶつけられたって聞いたわよ! どうして私に相談しないのよこのおバカっ!! しかも黙って共和国へ出発しちゃうし! 私が送って行けばすぐだったのに!!」
「え、いや、あの……」
「それに『死神』との戦いに一人で臨むなんて、無茶も良いところよ! 勝てたから良かったものの、ヘタしたら死んでたのよ!? なんのために私たち魔導師がいると思ってるのよ! 声くらいかけなさいよ!!」
私の肩を掴んだままガックンガックンと揺すってくるルルーさんを、後ろから近づいて来たリュミーフォートさんが襟を掴んでひょいっと持ち上げることで制してくれました。
「ルルー、うるさい」
「うるさいとは何よ!? そもそも魔族領深部に潜入してた私はともかく、戦線にいたアンタたちは助太刀に行きなさいよ! なんで助けてあげないのよ!!」
「んもぅ、ま~たルルーのヒステリーが始まったのぉ?」
そこへ、さっきリュミーフォートさんに蹴り飛ばされたマグカルオさんがのそのそと戻ってきて、リュミーフォートさんに襟を掴まれてぶら下げられているルルーさんを宥め始めました。
なんだかこのままだと長くなりそうだと思った私は、とりあえずとっとと要件を済ませてしまおうと思い、手にしていた風呂敷を開きました。
私の動きに気が付いた三人が目を丸くして注目する中、私は風呂敷の中身を見せつけるようにして、それらを三人へと差し出しました。
「えっと、共和国にいったので、そのおみやげです。ずっとおあいできなかったので、おわたしするのがおそくなっちゃいましたけど……」
私はそう言いながら、三人それぞれのために買ってきたお土産を差し出しました。
マグカルオさんにはシックなデザインのネックレス、リュミーフォートさんにはプラザトス名物のいろんな食べ物を買ってあります。ちなみに買った食べ物は魔導家電シリーズ『時間冷凍庫』に入れて保管しているため、何ヶ月経っても新鮮そのままなのです。
そしてルルーさんへのお土産は甘ロリ趣味な可愛らしいポーチと日傘のセットにしました。ポーチの中にはエルフ族の流儀に則って、私の家に生えている一番古い木の「枝」を入れておきました。
「きょうまで帝国のために、戦場のいちばんまえでたたかってくださったみなさんに、おつかれさまのいみもこめてプレゼントです。……うけとってもらえますか?」
さっきまで言い合っていたルルーさんたちは互いに顔を見合わせたりしながら、受け取ったお土産をまじまじと見つめていました。
そして次の瞬間、
「セフィちゅわぁ~~ん!! アンタもう、なんて可愛いこと言ってくれるのかしらこの子はホントにもぉぉ~~!!」
そんなことを言いながら、マグカルオさんが私に抱き付いて来て頬ずりをしてきました。……って、痛い痛いヒゲが痛いっ!! あなたの顎から頬にかけての質感、紙やすりみたいなんですよっ!!
私が魔法でマグカルオさんを引きはがしていると、ちょこちょこと近づいて来てマグカルオさんを蹴り飛ばしたリュミーフォートさんが、私の頭にポンと手を置きながら「ありがと」と呟きました。リュミーフォートさんは珍しくも薄っすらと微笑んでいて、不覚にもちょっぴりドキッとしちゃいます。
そしてルルーさんはと言うと、しばらく放心したようにポーチと日傘を見つめていましたが、やがて怒っているみたいな微妙な表情を浮かべて、プイッとそっぽを向いてしまいました。……ありゃりゃ、あんまり気に入ってもらえなかったのでしょうか。
本当はこの後のことを考えて、今のうちに少しでもご機嫌を取っておこうと思っていたのですが……まぁ、こうなっては仕方ありません。
「あの、レーラ閣下。あってほしい人がいるんですけど、いいですか?」
「え?」
唐突な私の言葉に、ルルーさんは意表を突かれたかのように目を丸くさせました。
そんな彼女の反応に構わず、私は城門の方へ向かって大きな声で呼びかけます。
「でてきてー!」
突然そんなことを言い出した私に、魔導師様や周囲の人たちは不思議そうな表情を浮かべます。
そして彼らの前に姿を現したルローラちゃんの姿に、皆さんはますます「誰だ?」といった感じの顔になりました。……ルルーさんを除いて。
「ちょっと……ま、まさか……」
ルローラちゃんの姿を見たルルーさんは、ほんの一瞬で現在の状況を悟ったみたいです。
「ひ、久しぶりだね、ルルー。こんな姿じゃ、アタシが誰かわからないかな……?」
「……お姉……ちゃん」
掠れた声を漏らしたルルーさんは、青ざめた顔を一瞬だけ私に向けます。しかし数年ぶりに実の姉に会ったにしては、その表情は悲壮感に満ち満ちたものでした。
ルローラちゃんの外見年齢は現在、三十路手前くらいです。なのでいくら妹であるルルーさんでも、すぐには誰だかわからないかと思いましたが……リルルと同様に、ルルーさんも一瞬でルローラちゃんだと見抜いてしまいました。
「ルルー、あのね……」
そうしてルローラちゃんが緊張で強張った顔で、それでも無理に微笑みを浮かべながら口を開いた……その時でした。
「何しに来たのよ!!」
周囲一帯に響き渡るような大声が、ルルーさんの小さな口から発せられました。何事かと城の窓からこちらを見下ろすメイドさんたちを視界の端に捉えながら、私は唖然として身動きを取れなくなってしまいます。
「ル、ルルー……」
「今さらなに!? 私を連れ戻しに来たの!? どのツラ下げてこの場に顔を出せたのよ!!」
叫ぶルルーさんに、傍らでマグカルオさんが「ちょ、ちょっとルルー!」と宥めていますが、彼女の興奮は留まるところを知りません。
「消えて! 早く消えてよ!! もう私の前に現れないで! お願いだからっ!!」
その叫びは、怒りというよりもむしろ焦りや怯えすら感じさせるようなもので……今にも泣きだしそうな、押せば崩れてしまいそうなルルーさんの様子に、誰一人として口を挟むことができません。
「私の居場所を……壊さないで!!」
直後、ルルーさんの“人差し指”が急速に伸びて十数メートルもの“鞭”に変化すると、その鞭が空気を音速で引き裂くような音を響かせながら振るわれました。
ルローラちゃんの足元の地面が爆発して、刃物で深々と切り裂いたかのような傷が横一直線に刻まれます。……まるで、二人の間に横たわる“溝”を、そしてルルーさんの心に刻まれた“傷”を象徴するかのように。
……攻撃の直前、私はとっさにルローラちゃんの周囲へ防御結界を張り巡らせていましたが、幸いあの鞭が結界に叩きつけられた気配はありませんでした。
しかし、だからといってルルーさんに害意がないという証拠にはなりません。今にも襲いかかりそうな興奮状態の彼女を見ていれば、そう悠長に構えていられないことは明白です。
そして実の妹であるルルーさんによって明確な拒絶を受けたルローラちゃんは、とても悲しそうな表情で一歩後ずさると……
「……ごめん、なさい……そんなつもりじゃ……なかったの……。もう、二度と関わらないから……」
そう言い残して、ルローラちゃんは城下町の方へと駆け出して行ってしまいました。
「ルローラちゃん!」
私はそんな彼女を追いかけようと移動魔法を身に纏いますが、その直前……ルルーさんの様子を横目でチラリと窺います。
去りゆくルローラちゃんの背中を微妙な表情で見送っていたルルーさんは私の視線に気が付くと、かなり気まずそうな、傷ついたような表情を浮かべて俯いてしまいました。
周囲の人たちも、誰一人として声を発することができずにいます。
……この空気を作り出してしまった元凶は、間違いなく私です。
ルローラちゃんは、ルルーさんのことを遠くから見ているだけで良いと言っていたんです。それにもう一人の妹であるリルルの反応や、彼女たちがエルフの里を抜けた理由を考えれば、こんな対応をされることは明白だったじゃありませんか。
なのに私は、家族なんだからきっとわかりあえる、とか無責任で根拠のない考えをもとに、ルローラちゃんに不本意な再会を強要してしまったんです……
「……もうしわけありませんでした、レーラ閣下」
私はルルーさんに深々と頭を下げると、魔法で勢いよく飛び立ってルローラちゃんを追いかけます。
この場から私が去る直前、悲しそうな表情をしたルルーさんが「あっ……」と、こちらに手を伸ばしかけたような気がしましたが……それは私の見間違いだったのだと思います。




