1歳8ヶ月 6 ―――ネルヴィアのお兄さん
相も変わらずご立派な白亜の邸宅、ルナヴェント侯爵家。
私も何度かここを訪ねてはいますが、外観や内装はいつ見ても上品で洗練されています。
そんなお屋敷の豪奢なリビングに通された私は、ネルヴィアさんのお膝に抱かれながら、ルナヴェント家現当主にしてネルヴィアさんの実父であるソーディルさんと談笑していました。
「戦争終結への尽力、騎士団を代表して感謝いたします。セフィリア卿には美味しいところを全て持って行かれてしまいましたね」
「いえ、そんな……魔族のひとりと、一対一でたたかっただけですから」
「しかしその戦いは天地を揺るがすほどの決戦だったと聞きますよ」
「お、おおげさですよ……あはは」
どうやらソーディルさんは、娘であるネルヴィアさんの主人である私が活躍してくれると大変嬉しいようで、何かにつけてベタ褒めしてきます。
褒めてもらうのは好きなんですけど、あんまり公的な感じに褒められるのはちょっと萎縮しちゃいます。
あと立場的にはソーディルさんは侯爵で、私は男爵なので明確な上下関係が存在するのですが……なぜかソーディルさんはいつも私を対等な感じで扱ってきます。私が魔導師候補だからかな?
と、そんな風に私たちが時間を潰していると、不意にソーディルさんとネルヴィアさんが廊下の方へと視線を向けました。
「おや、この気配は……どうやらうちの息子たちが帰ってきたようです」
「まっすぐこっちに走ってきてるのは、ザシ兄様ですね」
……音なんてまったく聞こえないんですけど、ソーディルさんとネルヴィアさんには何かが感じ取れているみたいです。この人たち怖い。
実際、その後すぐにリビングの扉が勢いよく開かれて、その向こうから一人の青年が姿を現しました。
「おっす、ただいまー! やっべー久しぶりの実家だわ! 超懐かしいーっ!!」
その青年は短い金髪をツンツン尖らせた、いかにも体育会系といった雰囲気の人物でした。私の苦手なタイプです。
身に纏っている軍服はいかにも上位階級といった装飾で、さすがはルネヴェント家の次男といったところでしょうか。軍服も鎧もところどころ汚れていて、今日まで過酷な戦場で生き抜いてきた事を思わせる出で立ちでした。年齢は……二十歳かそこらでしょうか?
すると彼のクリッとした目が私を捉えるや否や、その瞳に好奇心の光がキラリと差し込みます。
「うおっ、なになに!? 誰の子供だよそれ!? まさかネリーの子か!?」
「ち、違います! このお方はセフィリア様! 勇者様です!!」
顔を真っ赤にしながら訂正したネルヴィアさんの言葉に、青年は「おおっ!!」と驚嘆の声を上げました。
「マジかよ、これが勇者様!? すっげー! マジで赤ん坊なのな! 俺はザシーカ・ルナヴェント! よろしくなっ!」
ザシーカと名乗った青年は軽い足取りでこちらへ近づいてくると、私の前に屈んで、そのまま遠慮のない手つきで「よーしよし!」とか言いながら私の頭をくしゃくしゃと撫でてきます。
「い、痛っ……!」
ちょっとちょっと! まだ頭皮弱いんだから乱暴に撫でないでっ!
私が苦情を発しようとするのと、ソーディルさんが怒気を滲ませながら口を開こうとするのはほぼ同時でした。けれどもその前に、私の頭をガシガシと撫でているザシーカさんの手首を、“ガシッ!!”と凄まじい勢いで掴む手がありました。
「んあ? ど、どうした、ネリー?」
ネルヴィアさんのとんでもない握力によって、掴まれた手首から先が一瞬で真っ青に変色していくのを見ながら、ザシーカさんは少し困惑したような声を発しました。
私はボサボサにされた頭を押さえながらネルヴィアさんの顔を仰ぎ見ると……そこには凄絶な怒りに歪んだ表情が。
次の瞬間、ネルヴィアさんが素早く手首をひねると、それだけでザシーカさんは激しく吹っ飛びました。空中で一回転しながら宙を舞った彼は、そのままソファの向こう側に辛うじて着地します。
「あ、あっぶねーな!! 跳ぶのが一瞬遅れてたら腕が折れてたぞ!?」
「……セフィ様に無礼を働く腕なんて、一度粉々になった方がいいんです」
ネルヴィアさんはどこからか取りだした櫛で私の乱れた髪を整えてくれながら、お兄さんのことを瞳孔の開いた瞳でギロリと睨み付けます。
ザシーカさんは青紫色の手形が浮き上がった手首をさすりながら、
「お、親父! ネリーが反抗期になっちまった!」
「いや、今のはお前が悪い」
ソーディルさんは青年の訴えに対して にべもない返事をすると、そのまま私に深々と頭を下げました。
「セフィリア卿、息子がとんだご無礼を」
「いえ、そんな……! わたしはべつに、きにしてませんから」
本当はケイリスくんがセットしてくれた髪が乱れたことで軽くイラっとしましたが、他ならぬネルヴィアさんのお兄さんということもあり、事を荒立てないことにしました。立場的に言えば、彼の方が偉いですしね。
それに人間は脆いから、喧嘩はしたくありません。
するとソーディルさんは彼に「そこに座りなさい、ザシーカ!」と厳しい口調で怒鳴ってソファに座らせると、
「お前はどうしてそんなにも落ち着きがないのだ。ルミーチェがお前くらいの頃には、今のお前よりもずっと落ち着きがあったぞ。このセフィリア卿は見た目こそ普通の子供のようだが、お前よりも遥かに強い。それにセフィリア卿は今でこそ男爵だが、すでに公爵になることが決まっているようなものなのだぞ。そもそもお前は貴族としての……」
「だーっ、わかったわかった! 悪かったよ親父!」
「それからいい加減に親父という呼び方も止めないか! そんな下品な言葉遣い、どこで覚えてくるのだ!」
「わ、わかったって、父上! すみませんでしたー!」
お説教攻撃を食らってうんざりした顔つきのザシーカさんは、不満そうに唇を尖らせてそっぽを向いてしまいました。そんな彼の子供っぽい反抗に、ソーディルさんは頭を抱えて深い溜息を漏らします。
う、うーん……なんか私がついて来たせいで、変な空気になっちゃったかな……? ホントはもっと、感動的な親子の対面を想像していたのですが……
せめてこの空気をフォローしなければと思った私は、ネルヴィアさんに髪を梳かれながら苦笑交じりに口を開きました。
「き、貴族の人って、かたくるしい人ばっかりだとおもってましたけど、したしみやすい人もいらっしゃるんですね。若さと元気にあふれたおにいさんみたいな人がいたら、つらい戦場でもみんな元気でいられそうです」
私が少ない情報から精一杯のフォローを試みると、お兄さんは途端に瞳を輝かせて身を乗り出してきました。
「そう! そうなんだよ!! ムードメーカーっていうのか? 俺ってそういうトコあるからな! だからこの性格とノリが戦場でも重宝されてたんだぜ!? いやー、お前わかってるなーっ!」
そう言いながらザシーカさんは、再び私の頭をくしゃくしゃと撫でまわしてきます。だから痛いってば!
……するとネルヴィアさんは、私を膝から降ろしながらおもむろに立ち上がると、無言でリビングの壁際に向かって歩き始めました。そして壁に飾ってあった木刀を一本抜き取ると、それをお兄さんに向かってすさまじい勢いで投擲します。
「うぉあっぶね!? こ、殺す気か!」
辛うじてそれを掴んで止めたお兄さんに、ネルヴィアさんは同じく壁に飾ってあったロングソードを手に取りながらにっこりと微笑みました。
「ザシ兄様。久しぶりに稽古をつけてくださいますか?」
「え、あの、ネリー? なんでロングソードを持ったんだ? 兄ちゃんコレ木刀だぞ? なんかおかしくない?」
「安心してください、ザシ兄様。戦争は終わりましたから、ちょっとくらい大怪我をしても問題はありません」
「ネリー!? 兄ちゃんを稽古にかこつけて処刑しようとしてないか!?」
「うふふ。そんなまさか。うふふふふ」
稽古場への移動を待たずして斬りかかりそうな勢いのネルヴィアさんに、私はどうしたものかと慌てていると……
「二人とも、騒がしいぞ」
そこで突然リビングの扉が開き、その向こうから新たな青年が姿を現しました。
とても落ち着いた深みのある声が響くと、さっきまで騒いでいた二人がピタリと口を噤んで黙りこみました。
髪質はネルヴィアさんと同じく、まるで金属かと見まごうばかりの光沢。長い髪はポニーテールに結われており、長いまつ毛の下の瞳は怜悧で、すべてを見通すような威厳に満ちていました。
かなり高い身長にスラリと長い手足を備えて、おまけに顔どころか声までイケメンで、侯爵家長男で、傑出した剣術の才能……? なにこれ、なんかのバグじゃないの? どれか一つでいいから分けてくださいよ。
リビングに姿を見せた青年に、ソーディルさんは安心したように微笑みました。
「ルミーチェ、帰っていたのか」
「はい。先に私の部屋に寄って、汚れた服を着替えておりました。父上、息災のようで何よりです」
「ああ、お前もな」
ルミーチェと呼ばれた青年は室内へ視線を走らせると、その瞳は真っ先に私を捉えました。
「……もしや、セフィリア卿でしょうか?」
「あ、はい! はじめまして、セフィリアです!」
「やはりそうでしたか。お初にお目にかかります、私はルミーチェ・ルナヴェントと申します。前線から戻る前に、彼岸帯の戦跡を見てきました。あれが勇者の力というわけですか」
「い、いえそんな……あはは」
ま、まぁ彼岸帯ではいろいろやっちゃいましたからね……。
あ、いや! でもほとんどはエクセレシィが暴れた痕跡ですし! 私は過激な魔法とかはなるべく控えてましたから、あれを私が暴れた痕跡みたいに言われるのは不本意です。
私が視線を泳がせて苦笑いを浮かべていると、ルミーチェさんはぺこりと軽く頭を下げてきました。
「それと、妹がお世話になっているそうで。感謝いたします」
「いえ、そんな! こちらこそ、ネルヴィアさんにはいつもたすけられてます」
私が慌てて手を振りながらそう言うと、視界の端でネルヴィアさんが頬を染めながら身悶えていました。今の発言はネルヴィアさん的にポイントが高かったようです。……機嫌が直ったのであれば、その手に握られているロングソードをしまってくれないでしょうか。
そんなネルヴィアさんの姿を、ルミーチェさんは横目でチラリと見ると、
「……では、私は少し休ませてもらいます。セフィリア卿、どうぞごゆっくり」
そう言った彼がリビングを出て行く一瞬、私はルミーチェさんと目が合いました。けれどもその視線は、心なしか敵意を感じさせる冷たさを秘めていたような……
き、気のせい、ですよね……?
バタンと閉じた扉を私が呆然と見つめていると、同じく視界の隅でルミーチェさんが消えていった扉を見つめるネルヴィアさんが、小さく溜息をついたのが見て取れました。
少し元気がないように見えた彼女でしたが、直後私と目が合った途端ににっこりと笑みを浮かべると、
「セフィ様、このあとルローラちゃんとのお約束があるのですよね?」
「あ、うん……」
「私のことはお気になさらず、どうぞ次の予定に向かってください」
うーん、一応はネルヴィアさんのお兄さんたちにご挨拶をするっていう目的も果たせましたし、ネルヴィアさんがそう言うならお言葉に甘えちゃいましょうかね。
「ありがと! おねーちゃんは、このあとどうする?」
「私はこれからザシ兄様を処……稽古を付けていただくつもりです。夕飯までには帰りますね」
“処”? 処って何?
たっぷりと含みのある微笑みを浮かべるネルヴィアさんに、私は苦笑を返しつつ……それでもささやかな気を回しておくことにしました。
「……せっかくお兄さんがかえってきたんだから、きょうはこっちでたべたら?」
「え?」
「家族がそろうのって、ひさしぶりなんでしょ? だったら……ね?」
私がそう言うと、ネルヴィアさんはソーディルさんやザシーカさんの顔をチラリと横目で窺って、
「……は、はいっ」
嬉しそうに微笑んで、頷きました。
すると、なんだか良い感じにまとまりかけた空気をぶち壊すように、
「いいこと言うなぁ、お前~!」
なんて言いながらザシーカさんが私の頭をがしがしと撫でました。
それを見たネルヴィアさんはすごく良い笑顔で、
「……ではザシ兄様、私たちは中庭に向かいましょうか」
「なぁネリー? よく考えたら兄ちゃん、戦争帰りなんだけど……」
「いいから早く」
ちょっと宥めるようなザシーカさんの声色を、ネルヴィアさんは有無を言わせない口調で強引に黙らせます。
私は乱れまくった頭に触れながら、ネルヴィアさんにハンドシグナルで『やっちゃって』と命じました。……仏の顔も三度までって言うしね。
私の黒い笑みに、ネルヴィアさんもハンドシグナルで『お任せください』と応えます。
ついでに、さりげなくザシーカさんの右腕に触れた私は、彼の手首に魔法で『速度制限』を設けました。これくらいはちょうどいいハンデですよね?
こうして私はぐしゃぐしゃ頭のまま、とてもいい笑顔でルネヴェント邸を後にしたのでした。




