1歳7ヶ月 12 ―――『熾天の弔旗』と『逆鱗の息吹』
「……真・砂鉄時計」
私は自身の速度を六〇〇倍に加速した。
物質消滅や時間加速はそれなりに疲れるから無闇に多用はできないけど、相手は超音速の怪物だし仕方ない。
エクセレシィの目の前へと瞬時に移動した私は、衝撃を操る魔法を発動しながら彼女のお腹を思いっきり殴った。
その瞬間、時間が加速している私から見ても結構な速さでエクセレシィが吹き飛んでいく。私は衝撃の余波で爆ぜた地面を空中で何度も蹴りながら彼女を追いかけて、まだ殴られたことに気が付いていなさそうな顔をしてるエクセレシィの横っ面を、さらに思いっきり蹴り飛ばした。
首がへし折れたのか脳みそが酷いことになっちゃったのかは知らないけど、どうやらエクセレシィが即死して魔法無効化が自動発動したらしい。この能力が発動すると、魔法による数値変化がしばらく無効化されてしまうので、同じ魔法で連続してダメージを与えることはできない。
だけど時間経過か、あるいは無効化できる数に上限数があるのか、以前無効化された魔法でもしばらくするとダメージを与えられるようになる。
つまり代わる代わる別の魔法で攻撃し続ければ、ダメージを与え続けることができる。
とてつもない速度で数百メートルは吹っ飛ばされていくエクセレシィに走って追いついた私は、三〇〇〇度に熱した爆風を彼女に叩きつけた。
私は大地を粉々に砕いて溶かすような大爆発でさらに吹き飛ぶエクセレシィを追いかけると、彼女の身体をマイナス二〇〇度で凍結させながら回り込み、隆起させた大地を鉄のような硬度にしてから秒速一〇〇〇メートルで撃ち出して激突させる。
エクセレシィの再生が追い付かないくらい徹底的に、何度も何度も叩きつけて、吹き飛ばした。
気が付くと、見渡す限り平坦だったはずの彼岸帯には、たくさんの山や崖ができあがってしまっている。
いろいろなものを撒き散らしながら空中に放り出されたエクセレシィの足首を掴んだ私は、一瞬だけ彼女の体重を減算して振り回すと、私の手を離れた瞬間に体重を五〇〇〇キロに、速度を秒速三〇〇〇メートルにしてブン投げた。
私は、最初に戦いを始めた巨大な岩山にエクセレシィを叩きつけると、山に巨大な亀裂を走らせて深々とめり込んだ彼女へと最大威力の蹴りをお見舞いした。その衝撃波で巨大な岩山の手前半分が木っ端微塵に消し飛んで、残りの半分が雪崩のように崩落してエクセレシィを生き埋めにしてしまう。
私は時間の加速を緩めると、ホッと一息ついた。やっぱり時間加速は疲れるね。
さて、ウォーミングアップは終わったし、そろそろ本格的に攻撃を始めようか。
と、張り切って攻撃の準備を整えたものの、いつまで経ってもエクセレシィが崩落した岩山から出てこない。ちょっと休憩してるのかな?
ほら、出ておいで。
「『北風と太陽』」
私が呟くのと同時に、崩落した岩山が大噴火を起こした。
とんでもない轟音と共に溶岩が雲の上まで打ち上げられて、周囲一帯にマグマや火山弾を降り注がせる。
するとオレンジ色に輝いていた地面が瞬時に黒っぽい岩に変わった。変化の中心部には、さっきまでとは別人みたいに鬼気迫る表情をしているエクセレシィがいた。
彼女は勢いよく翼を羽ばたかせて飛翔すると、その輪郭を大きくぐにゃりと歪ませる。
直後、左手に燃え盛る炎剣を携えたエクセレシィが十数人ほどに増えて、それらが火山弾の降り注ぐ中、超音速で私の周囲を飛び回った。
分身? 分裂? 本当に増えてるんだとしたら厄介だしすごいね。
関係ないけど。
「『見ざる聞かざる』」
魔法名を唱えた瞬間、私の頭上で光と音が炸裂した。
いや、それらを光とか音だなんて表現するのは生ぬるいかな。光は一瞬で網膜や皮膚を焼き焦がすレベルだし、音というよりは衝撃波そのものだから、鼓膜どころか肺が破裂する。
もしかしたら彼岸帯の外で私たちの戦いを見てる人たちにまでダメージを与えちゃったかもしれないね……私が主義を曲げて開発した“魔導兵器”は、その辺りの気遣いが欠如してるから。
光と音が止むと周囲の分身はすべて消えていて、空を飛んでいたらしいエクセレシィがまっ黒焦げになって血を吐きながら地面に落下していくのが見えた。
だけどあれくらいのダメージならすぐに再生するんだろうね。厄介な能力だ。
まぁ、でもそれは織り込み済み。今の魔法はダメージを与えることが目的じゃないからね。
落下していたエクセレシィは地面に激突する直前で再生を終えたらしく、翼を翻して左手に炎剣を生み出した彼女は、私に向かって突貫してきた。
対する私は懐から小瓶を取りだすと、その蓋を開けてエクセレシィへと向けた。
「『漂白空域』」
小瓶から放たれた“そよ風”は、風の槍のように暴風を生み出すこともなく、熱狂の渦のように周囲を焼き尽くすこともなかった。
だからエクセレシィは意に介さず突撃してきたのだろうけど、その浅慮を彼女はすぐに後悔することとなった。
「ぎゃああああああっ!?」
私に飛びかかってきたエクセレシィは、突然翼の制御を失って地面に激突した。彼女は顔を抑えながら地面にうずくまって、壮絶な悲鳴をあげ始める。
敵の目の前で無防備な姿を晒しているとか、そんなことにさえ頭が回らないほどの激痛なんだろうね。
そもそもこれだけ強ければ、彼女は普段ダメージを受けることさえ滅多にないはず。それでもごく稀に殴られたり焼かれたりすることはあっても、それらは一瞬で回復できるから我慢できないことは無いのかもしれない。
だけどこの魔導兵器は、そんな単純な攻撃とは一味違うよ。
「かッ、ゲホッ……!! うぇ、げふっ、がはっ……!?」
どうやらダメージが喉や肺にまで回ったらしい。涙や鼻水をたくさん流しながら苦しそうに喉と胸を抑えて、呼吸困難に喘ぐエクセレシィ。
……やっぱりすぐには回復できないんだ。エクセレシィの再生速度の基準が、なんとなく見えてきたな。
今までエクセレシィが即座に再生できたダメージは、熱による火傷と衝撃による欠損だ。逆に再生に時間がかかったのは、電撃による麻痺や火傷と、さっきの閃光と衝撃波、それに今の攻撃。
私はその差の線引きが何で行われてるのかと考えた末、“既知か未知か”であると判断した。
要するに、エクセレシィが理解している現象については即座に再生できる。ただし、エクセレシィが初めて見る現象だったり、何が起こっているのか、何によってどこへダメージが与えられているのか理解できなかったりした時、それが再生速度の遅さとなって現れるんじゃないかな。
おそらくだけど、再生速度の他にも消費魔力だって大きく変わってくることだろうね。なんせ、魔法を発動するのにも“現象に対する理解”というのは重要なファクターだとボズラーさんが言っていたし。それは魔族の開眼と言えど、そう変わりはないはず。
ただでさえ科学の発達が遅れているこの世界で、さらに科学とは無縁の生活を送っているであろう魔族。
そんなエクセレシィが、電気の存在や仕組みを知っているはずもない。静電気と雷を結びつけるのなんて絶対に不可能だよね。
先ほどの閃光と爆音も、あれほどの光量は見たことがないだろうし、物理的な破壊力を伴った音なんて聞いたこともないはず。もしかしたら、エクセレシィは今でも何をされたのかわかっていないかもしれない。
ましてや……私が前世の理科の実験で習った、食塩水の電気分解によって得られる元素なんて理解できようはずもない。
濃度一〇〇パーセントの“塩素”を吸引してしまったエクセレシィは、生きたまま眼球や体内を溶かされるという地獄の苦痛に耐えながら勢いよく腕を振るった。
それだけで半径五十メートルほどの地面が大爆発を起こして吹き飛んだけれど、私はそんな爆発の中でも平然と突っ立って、苦しみ喘ぐエクセレシィを冷たく見下ろしていた。
私はさらに懐から別の小瓶を取りだすと、蓋を外してエクセレシィに向けた。
途端にエクセレシィの喉から「ひっ!?」という引き攣るような声が漏れたけれど、私は気にせず魔法を発動する。
「『死負痛』」
私の声にビクリと肩を震わせたエクセレシィは、なりふり構わず上空に向かって飛び立った。また似たような攻撃をされると怯えたのかもしれない。
でも今のはただの二酸化炭素ガスだから、ただ意識を混濁させて数秒ほどで即死させるだけの優しい魔導兵器だよ。
私は周囲を見渡して、たった今エクセレシィが吹き飛ばして抉った地面から水が噴き出し、大きな水たまりができ始めていることに気が付いた。
そのため私は懐から十個ほどのガラス玉を取りだして、湧き水に放り込む。
「……『焼け水に石』」
それから私は上空のエクセレシィを仰ぎ見ると、彼女が荒く肩で息をしながら私を見下ろしているのを確認した。
よし、視力は回復してるみたいだね。
「『冤罪脚光』」
魔法の発動と同時に、私の周囲は完全にブラックアウトして闇に閉ざされた。
こうしないと、私自身でさえもこの魔導兵器の悪影響を受けてしまうからね。
数秒後、どうやら魔法無効化を発動したらしいエクセレシィによって私の周囲の闇は取り払われた。見るとエクセレシィは口元に手を当てて、とっても気分が悪そうだった。
超高速で明るい光と暗闇を交互に繰り返すこの魔法も、たしか中学の理科の実験で経験したものだった。この現象をジッと見てしまうと、何故かは知らないけれど即座に気分が悪くなる。
だけど現在エクセレシィを襲っているであろう体調不良は、それだけが原因じゃない。
さっき強烈な閃光と轟音を放った際、エクセレシィの感覚が麻痺しているうちに、私は別の魔法を発動していた。
『聴こえざる轟音』。
人の耳には感知できない超低周波の爆音を生み出す魔導兵器で、エクセレシィは気づいていないだろうけど、さっきからずっと発動している。注意深く地表面を見れば、砂がほんの少しだけ微振動しているのがわかる。
詳しいことは知らないけれど、この低周波音に長時間晒され続けると体調を崩すと前世で聞いたことがあった。だから私はその低周波音が耳に聞こえないのを良いことに、もしも可聴域だったら鼓膜が吹っ飛ぶような大音響で鳴らし続けている。
その威力がどれほどかはわからないけれど、エクセレシィのあの様子なら、多少なりともダメージは与えているみたいだね。
エクセレシィが理解できない現象による攻撃は、再生にかなり負担がかかる。
そして彼女が攻撃されていることにさえ気が付いていなければ、再生することさえできない。
けど、顔色を真っ青にさせて吐き気をこらえているエクセレシィは、まだ戦意が旺盛みたいだった。
負けたいとは言ってるものの、それは彼女たちの持てる全力を出し切っての敗北が望みであって、死力を尽くして戦わなければ意味はないんだろうね。その気持ちは何となくわかるよ。
だから私にしてあげられることは、彼女の切り札を一枚一枚破り捨てて、最後の最後まで徹底的にねじ伏せてあげることだけだ。
私が指をクイクイッと曲げて「かかってきなよ」と挑発すると、エクセレシィは少し引き攣った笑みながらも、なんだか楽しそうに笑っていた。
すると彼女は自身の右側に黒い板を生み出して、その中に飛び込んだ。私は自身の時間を加速しながら周囲に視線を走らせて、彼女の行方を冷静に追った。
さっきはパニックになってエクセレシィの思う壺になってしまったけど、今はかつてないほどに頭が醒めきっている。まったく心がざわつかないし、恐怖とか余計な感情もない。
エクセレシィは黒い板から黒い板へと次々に移動を繰り返すことで、私を攪乱するつもりらしい。
また閃光と爆音で黙らせても良いけど……もうその必要はないかな。
私は周囲の湧き水からどんどん水が増していってるのを横目で見つつ、その水面に浮かんでるガラス玉が高速で泡を発生させているのを確認した。
そしてついに、私のすぐ背後で黒い板が出現して、その中からエクセレシィが飛び出してきた。
「!!」
私は驚いたような表情を浮かべながら振り返ると、エクセレシィから距離を取ろうと後ろに飛ぶ。
当然、そうはさせまいとエクセレシィは私へ肉薄しながら、左手を振るう“溜め”を行った。すでに彼女は、剣の柄に手をかけた状態となっている。
「うぉぉおおおおおっ!!!」
そしてエクセレシィにとっては千載一遇の好機。
いかに私が理解不能な攻撃を繰り出そうと、エクセレシィには私に対する有効打がある。
ガード不能の炎剣を私は防ぐことができず、当たれば即死。出し惜しみをする理由はない。
―――だからこそ、私はこの局面で彼女が炎剣に頼ると確信していた。
けれどもそれは、あなた自身の首を絞める結果につながるんだよ。
エクセレシィがその事実に思い至らないのも無理はない。彼女は日本の義務教育を受けたこともなければ、科学者に師事して研究に没頭していた過去もないだろうし。
だから当然、水に電気を流すことで“水素”と“酸素”を得られるだなんて……知る由もない。
エクセレシィが左手に炎剣を生み出した瞬間、辺り一帯を吹き飛ばすような大爆発が発生した。
もちろん結界などでばっちり防御している私は、ほとんど爆心地にいたにも関わらず髪の毛一本すらそよがなかった。
だけどエクセレシィは違う。
彼女は攻撃のための能力を発動した瞬間だった。強力無比な能力を多数備える彼女の数少ない弱点は、一度に複数の能力を発動できないことにある。だから私の攻撃が発動する条件が“エクセレシィの攻撃が発動する瞬間”である場合、確実に有効打となり得る。
二つ目の弱点が、彼女は瞬間的・非魔法的な損傷に弱いということ。魔法無効化が発動するのは彼女の意思によるものなので、彼女が攻撃を受けたと認識するまでの一瞬がタイムラグとなる。だから電撃や閃光などの速すぎる攻撃や、意識の外から加えられる不意打ちのような攻撃は緩和することができない。そして、そもそも攻撃が魔法による現象じゃない限り防ぐ手立てはない。
もっと言えば、同じ火傷でも熱風によるものと電熱によるものでは再生にかかる負担が大きく変わってくる。だから、たとえ単純な爆発であっても、そこに至るプロセスに未知の現象が関わっていた場合には大きなダメージを見込める。
つまり……私を仕留めるため攻撃へ意識が傾いて防御が疎かになった一瞬、彼女自身の左手が爆心地となる不意打ちで、魔法の関わらない未知の化学反応による完全物理現象がもたらす即死。
うん、これは我ながら良いダメージが通ったと思う。
私は気圧や温度まで完全に調整された結界の中で満足げに頷き、それから爆発によって生じた水が周囲に雨となって降り注ぐ中、エクセレシィを探した。
途中、そういえば私が水に投げ込んだ魔導兵器『洩血痛』を回収しようかとも思ったけれど、硬度を強化しているとはいえ所詮はガラス玉なので、さすがに溶けてなくなっちゃったかな。まぁいっか。
しばらく辺りを歩いていると、私はボロボロで地面にへたり込むエクセレシィを発見した。全身が黒焦げだったり、消し飛んだ左腕を再生してる途中みたいだけど、まだまだ瞳は闘志に溢れていて元気みたい。
「……認めてやる。お前は俺たちよりも強い」
徐々に左腕も生えてきて、もうほとんど見た目にはダメージが無くなったエクセレシィが、かなり疲弊した表情で呟いた。
しかしそう言う割には、敗北を悟った悲観的な雰囲気というものは感じられない。むしろ、これから切り札でも出さんばかりの勢いだった。
そして事実、どうやら切り札を出すつもりみたい。
「これは触れたことのある生物に変身する能力だけど、今まで役に立ったことは一度もない。なんせ俺らより強い生物なんて、ついさっきまで会ったことがなかったからな」
そう言って翼の色を変えたエクセレシィに、私はちょっと嫌な予感を覚えた。
「だけど今日、初めてこの能力が役に立ちそうだ……! セフィリア、確かにお前は強い! だけど“お前自身”を相手にしても、同じように圧倒できるか!?」
けれども私が何かをする前に、彼女はその能力を発動してしまう。
エクセレシィの周囲に風が逆巻き、彼女の姿を一瞬だけ覆い隠した。そして風が周囲へと拡散して吹き散った時、その中から現れたのは“私そのもの”だった。
身長や体格、髪や瞳の色はもちろんのこと、衣服や装飾まで完全に同じ。私のお母さんでも見分けがつくものか怪しいかもしれない。
そして先ほどのエクセレシィの言葉から察するに、あれは単に外見を真似するだけでなく、“強さ”まで完全に再現することができる能力なのだと思う。……もしそうであれば、かなり厄介な戦いになりそうだね。
私が警戒して腰を落とすと、けれどもそこで予想外のことが起こった。
「う、がっ……ああああああああああっ!?」
私の姿をしたエクセレシィが、突然頭を抱えてその場に崩れ落ちた。自分が苦しんでいる姿をまじまじと見せられるという稀有な経験をしながらも、私は一体どうしたのかと目を細めて困惑してしまう。
すると頭を抱えながら地面にうずくまって絶叫していた彼女が、恐怖や戸惑いにも似た表情で私を睨み付けてきた。
「ぐっ、ううっ……!? なんだ、これ……この呪文の量は……!! それにっ、なんだこの記憶は!? この世界はなんだ!? お、お前は一体……何者なんだっ!?」
そんなことを叫び出したエクセレシィに、私は内心でちょっとヒヤッとした。もしかしてあの変身能力は、記憶や魔法術式まで一緒に読み取れるの? だとしたら、私の前世の記憶を覗かれてしまったかもしれない。……いや、だからどうってことはないんだけどさ。
エクセレシィは堪らず変身を解除して、元の姿に戻った。全身からひどい汗を流している彼女は、見るからに顔色が悪くなっている。かつて私の頭の中を覗こうとして自滅したルローラちゃんみたいに、私の脳内に詰まっている呪文を一気に流し込まれて、大量の魔力を消費してしまったのかもしれない。
……ふーん、変身して私の脳みそを手に入れても耐え切れないんだ。やっぱり私の仮説通り、思考を行っている中枢は脳ではなく……
と、そんなことを考えてる場合じゃないか。
荒い息を吐いて膝をついているエクセレシィに向かって、私はおもむろに左手を向けた。
「『矯正経路』」
魔法が発動した瞬間、私の衣服で増幅された莫大な電流が、私の左腕の袖を通って発射された。
しかも私は発射の瞬間、私とエクセレシィの間にある空間を一瞬真空状態にすることで、電気をギザギザに蛇行させることなく、まっすぐ極太のレーザーのように収束させて撃ち出した。
今回私が生み出した電流は今までとは桁が違っていて、正真正銘“雷”と呼べるような威力になっている。
真空の道を通ったため雷は無音のまま一瞬でエクセレシィに直撃すると、そこでようやく彼女の背後にあった空気を爆発させながら大音響の雷鳴を轟かせた。レーザーのように収束していた雷は空気抵抗によって木の根のように枝分かれしながら大気に拡散していき、期せずしてかなり幻想的な光景を生み出してしまったみたい。
雷の直撃を受けたエクセレシィは、髪の毛を逆立てながら真っ黒に焦げていた。そしてやっぱり再生速度はちょっと遅い。
黒煙を立ち上らせながらうつ伏せに倒れたエクセレシィに、私はゆっくりと近づいて行った。
すると私が彼女のすぐ傍に寄ったタイミングで、突然彼女は弾かれるように上体を起こすと、左手に生み出した炎剣で私へ不意打ちを仕掛けてくる。
当たり前だけど、戦闘中の相手に接近しながら油断なんてしてるわけがない。私は自身の時間を加速させて、エクセレシィの炎剣がゆっくりと自分に近づいて行くのを眺めていた。
それからさっき思いついたアイデアを実現するために、ぽつりと呪文を唱える。
「『真・禁煙区域』」
私は自身の魔法が満足のいく成果をもたらしたことに喜びながら、エクセレシィの手元に手をやって、そのまま彼女の握る炎剣を素手で握り潰した。
「なっ……!? ボ、ボクのアペルヴィーシャを……!!」
どんな防御も無視するというのが特性だったのかもしれないけれど、私が使っている“真”魔法と同じ仕組みだったみたい。要はポインタ変数の応用か。
絶対防御貫通の攻撃も、タネが割れれば無効化も容易い。
そして―――逆もまた然りだとは思わない?
「『凍る焔』」
私の握っていたエクセレシィの左腕が、真っ白に凍結した。
慌てて私の手を振り払ったエクセレシィは、私から距離を取りながら魔法無効化を発動したけど……
「温度が戻らない!? それに再生もしない……! な、なんでだ!?」
どんな防御も貫通する攻撃を無効化できるんだから、どんな防御も貫通する攻撃の再現くらいできて当たり前でしょう。
それでもエクセレシィは翼の色を変えると、すぐに左腕の凍結を解除した。
へぇ、すごい。無効化と再生以外にも、まだ回復手段を持ってたんだね。
左腕を治したエクセレシィは、けれども大量の汗を流しながら荒い息を吐いていた。消費魔力の多い能力だったのかもしれない。
エクセレシィは、もう見るからに残りの魔力が少ないのが見て取れた。
私だって余裕を見せられるような魔力量ではないけれど、さすがにあれだけ疲弊しているエクセレシィよりも先にガス欠になることは無いと思う。
それは彼女自身が一番良くわかっているのか、なんだか観念したように脱力してから、エクセレシィは薄い笑みを浮かべた。
「……最後にこの開眼を使った時は、手加減して撃ったコイツで南の“腐敗大陸”を半分くらい消し飛ばしたっけな」
そう言ってエクセレシィは爆発的な速度で上空へ飛び立つと、地上から彼女を見上げる私へ向かって全力で叫ぶ。
「今までコレを全力で撃ったことは一度もねぇ! この世界を壊しちまうかもしれないからな! だから俺にもどうなるかはわからねぇ!!」
叫ぶエクセレシィが地上に向かって両手をかざすと、途轍もない轟音と共に、空間に亀裂が走り始めた。
いや、それはよく見ると真っ黒な放電のようなもので、それを全身から放つエクセレシィの周囲はどんどん空間が歪んでいく。
「逃げるなら逃げろ! 躱すなら躱せ! 防げるもんなら防いでみろ!!」
明らかに私の知ってる物理現象じゃない。なんの数値を操っているのか、想像もつかない。もしかするとエクセレシィは莫大な魔力に物を言わせて、完全に未知の物質や現象を生み出しているのかもしれない。
もしそうなると、果たして私の魔法で防げるかどうか……撃ち出されるのが重力のような質量を持たない力だとしたら、私の消滅魔法でも防ぎきることはできない。
私は一瞬悩んだ末、周囲数キロの地表面に薄く消滅結界を張った。気休め程度だけど、さすがに私の大切な人たちが生きるこの大陸を消し飛ばさせるわけにはいかない。
その結界の上にふわりと浮かんだ私は、莫大なエネルギーを纏うエクセレシィをまっすぐに見据えて対峙する。
敵である私を心配していたあの二人が、本気で私ごと大陸を消し飛ばそうとしているとは思えない。
きっと私なら防げると思ってるんだ。
……その信頼に応えてやろうじゃない。
やがて空間の歪曲や亀裂が爆発的に膨れ上がった瞬間、それは放たれた。
「熾天の弔旗に伏して死ね!!」
空気の爆ぜる轟音と共に、一瞬で私の視界が真っ白に染まる。それと同時に、私の脳にとんでもない負荷がかかるのを感じた。
おそらく私が周囲に張り巡らせた物質量減算が一斉に作用しているからだと思うけど、これだけの広範囲攻撃をずっと続けていたら、先にバテるのはエクセレシィの方だと高を括っていた。
しかし時間が経つにつれ、この光の勢いは衰えるどころかむしろ増していくのを感じた。私の脳にかかる負荷が大きくなっていくことからも、そのことは明白だ。
……このままじゃマズイ。
理屈はわからないけど、おそらくこれはエクセレシィの魔力残量に関わらず長時間の大規模攻撃を可能にする能力だったらしい。
たとえ敵にこの攻撃を防ぐ術があったとしても、そのために使った防御魔法で魔力を使いきらせて焼き殺すという能力なのかもしれない。
とにかくこのまま防いでいても、先に力尽きるのは私である可能性がある。
私の魔力も無限じゃないし、こうなったら切り札を使うしかないかな。
神話で語られてる『逆鱗竜』の奥の手であり、あの勇者様を殺しかけたっていう“透明な炎”。シャータンドラゴンがどんな窮地に陥っても“決して横には撃たなかった”というその滅亡の息吹を、私は今日のために魔導兵器として再現してきている。
全てを覆い尽くす光の中で、さっきエクセレシィが見えていた場所に向かって右手をかざした私は、ありったけの魔力を篭めたその一撃にすべてを託した。
「『逆鱗の息吹』」
私の手から光速で放たれた“透明な炎”は、一直線にエクセレシィを撃ち抜いた。
直後、この彼岸帯を覆い尽くさんとしていた莫大な光は嘘のように掻き消えて、私の視線の先でエクセレシィが真っ逆さまに落下してきた。
私は周囲に張った消滅結界を解除しつつしばらく様子を窺っていたけれど……ピクリとも動かなくなったエクセレシィに、恐る恐る近づいて行く。
地面に手足を投げ出して仰向けに横たわるエクセレシィは、一切の外傷もなく眠るように死んでいた。呼吸が完全に止まっていなかったら、寝ているだけにしか見えない。
もしかして本当に死んじゃった……? とかなり不安に思っていた私だったけれど、三分ほど辛抱強く待っていると、
「……ぅ」
か細い声と共に、エクセレシィはかすかに目を開いた。
よ、よかった~! 死んでなかった!! いや死んでたけど! 何度も死んでたけど、本格的に死んではいなかった!!
……だけどさすがにやりすぎちゃったかな。いくら再生能力があるとはいえ、あの魔法を浴びたら全身の細胞が壊死してDNAがズタズタに引き裂かれるはずだし。
目を覚ましてからも身体を動かす気配のないエクセレシィに、私は恐る恐る質問してみる。
「どうする? まだやる?」
「……勘弁してくれ……俺たちの負けだ……」
「そっか、よかった」
私が心底ホッとしながらそう言うと、エクセレシィは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべました。
正直私ももう限界が近くって、徹夜五日目みたいな脳の疲労度でした。クラクラしちゃって、気を抜いたら今にも意識を失ってしまいそうです。
私が深々と溜息をつきながらエクセレシィの隣に座ると、彼女は横たわった姿勢のままで口を開きました。
「……手も足も出ないってのは、まさにこのことだな」
「あなたもじゅうぶんつよかったよ。ただ、わたしは負けられなかっただけ」
すると、なんだか弱弱しい表情を浮かべたエクセレシィが、
「……約束は約束だ。戦争推進派の魔族たちは俺がぶっ飛ばしといてやるよ」
「ありがとう。でも殺さないでね」
「はぁ? ……ん~、わかった。セフィリアがそう言うなら」
喋っているうちに、エクセレシィは全身の再生を終えたみたいでした。彼女はおもむろに身体を起こしたので、私はびっくりして彼女に訊ねます。
「なんか、けっこう元気そうだね? じつはまだまだ戦えたり?」
「ううん、もう魔力がすっからかんだよ。次は多分、なにを食らっても死んじゃうよ」
じゃあ今生きてるのは、かなりギリギリの綱渡り的な状態なんでしょうか。本当に死ななくてよかったです……
と、そんなことを考えていると、エクセレシィはなんだか泣き出しそうな表情を浮かべていました。
「……ずっと負けたいって思ってたからなのかな……こんなにこっぴどく負けたのに、全然悔しくないんだ」
ちょっと卑屈な笑みを浮かべるエクセレシィのそんな言葉に、私はちょっとだけ同情心が湧き起りました。
強さが絶対とされる魔族において、強すぎるあまりに疎外されて孤独となった異端の存在……それが彼女なのです。
そんなエクセレシィの独白に対して、私はちょっとだけわかったようなことを言ってみることにしました。
「あなたは、ほんとにわたしと戦いたかったの?」
「……え?」
「わたしと戦うためにわたしをさがしてたってきいたけど、ほんとにわたしと戦うためだったの? わたしと戦って、どうしたかったの?」
私の問いに、エクセレシィは地面にへたり込んだまま目を白黒させています。
たしかに魔族にとって戦いはとても重要なものです。それは魔族が強さを重んじる生き物であるためで……しかし強さそのものが絶対の価値であるとは、どうしても思えないのです。
事実、エクセレシィは強すぎるという理由で魔族に敬遠されています。強いからといって、問答無用で敬われるわけではありません。
強さというのは魔族にとって、コミュニケーションツールの一つなのかもしれません。それを通じて他者と繋がるための、一つの要素。
だからこそ、他者と関係を築くつもりのない強いだけの存在は疎まれ、強さによって誰かを守ったり、喧嘩して絆を深めたりする者は支持を集めるのではないでしょうか。
ではエクセレシィは、その強さを通じて、私の強さに惹かれて、それで最終的にどうなりたかったのかと考えるに……
「ね、エクセレシィ。ううん、エクスリアと、ネメシィ。よかったら、わたしと“おともだち”にならない?」
私がそう言うと、エクセレシィは呆気にとられたように固まってしまって、それから「えっ」と間抜けな声を漏らしました。
そしてしばらくすると彼女は微かに発光して、肉体を二つに分離します。
少年の方のエクスリアは慌てたようにそわそわとしていて、ネメシィは顔を赤くしてあわあわしちゃってました。
「と 友達って、あの友達か? 俺たちが?」
「……いいの? さっきまで戦ってたんだよ、ボクたち……?」
「うん! ……だめかな?」
「だ、だめじゃないよ! でも、どうして……?」
「うーん。ふたりは、わたしがつよいってきいて、戦うためにわたしをさがしはじめたらしいけど……ほんとはあなたたち、“仲間”がほしかったんじゃないかな~っておもって」
「……仲間?」
エクスリアとネメシィが声を揃えて聞き返してきたのに、私は「うん!」笑顔で応えます。
「いままでさびしかったんじゃない? おんなじくらい強い魔族もいないし、みんなこわがってちかよってこない。だからあなたたちは、自分をこわがらないあいてをさがしてたんじゃないかな?」
「……そう、なのかな。セフィリアちゃんの強さを聞いた時、ボクたちすごく嬉しくなったんだ。なんだか、ボクたちの他にも、同じような子がいるんだって」
そう言って照れくさそうに頬を掻くネメシィと、私は笑い合いました。
すると彼女の隣で仏頂面をしているエクスリアが、
「と、友達って、なにするんだ? 戦うのか?」
「たまにケンカしたりもするけど、戦いはしないかな。けどね、戦いよりもずっとたのしいことが、世の中にはいっぱいあるんだよ。わたしがふたりに、それをおしえてあげる!」
私がそう言うと、二人はちょっぴりほっぺを赤く染めながら目を丸くさせて、それから顔を見合わせていました。
それから二人は小さく頷き合うと、私に向かって身を乗り出して、
「えへへ……ありがと、セフィリアちゃん!」
「……よ、よろしくなっ、セフィリア」
あれだけボコボコにされたり何度も殺されたりしておきながら、意外なくらいあっさりと誘いに応じてくれたところを見ると、やっぱりこの二人はずっと寂しい思いをしていたみたいです。
この二人が魔族の間でどんな扱いを受けてきたのかは知りませんが、彼女たちと対等な関係を築けるのは、人族や魔族を含めても多分私だけだと思います。
それに、これだけ強い彼女たちを野放しにしておくのは危険ということもありました。だから私が監視の意味も込めて、目の届くところに置いておきたかったのです。
だけど友達になると言ったからには、ちゃんと彼女たちに戦い以外の楽しいことを教えてあげて、孤独から救い出してあげたいと、私はそう思うのです。
こうして、私にこの世界で初めてお友達ができました。




