1歳7ヶ月 9 ―――半分の決着
私は右手をエクスリアに向けて、口を開きました。
「『風の槍』」
私の前方から放たれた突風が、地面を抉り飛ばしながらエクスリアに迫ります。
その直撃を受けた彼は、しかしこの魔法を無効化するでもなく吹き飛ばされると、勢いそのままに翼を羽ばたかせて空高くへと飛翔しました。
「ただ風を起こすだけの魔法が、この威力か……」
そう言って嬉しそうに笑うエクスリアが、指を一本立ててクルクルと回しました。同時に彼の翼が、右側は白に、左側は黒に染まります。
「……!」
するとそれに呼応するかのように、私の周囲……いえ、それどころか私が立っている岩山の全域を覆い尽くすような巨大竜巻が発生しました。
……まさか、三つめの能力!?
本来であれば巻き上がった石礫でズタズタに引き裂かれたり、一気に中心の気圧を下げることで酸欠に陥らせたり、あるいは単純に風で成層圏まで吹き飛ばしたりする技なのかもしれませんが……今の私は自身の周囲二メートルの空間を完全掌握しています。外部からの数値操作であれば、消滅魔法どころか温度や速度などのあらゆる支配を受け付けません。
山一つを覆い尽くす巨大竜巻の中で普通に歩いている私を見て、エクスリアはますます嬉しそうな笑みを深めました。
「……となると、これも効かないわけか?」
そう言うや否や、今度は彼の右翼が黒に、左翼が白に変化します。
直後、荒れ狂うように逆巻いていた竜巻や、高速で天に巻き上げられていく石礫や砂塵が、完全にピタリと停止しました。
あらゆる音が死んで、耳が痛くなるような静寂の中で私は愕然とします。
……ええっと、これってまさかとは思いますけど……“時間停止”? っていうか、四つめの能力!?
見ただけで対象を消滅させる能力、死んでからでも魔法を無効化して復活する能力、指先一つで自然現象を完全掌握する能力、準備も予備動作もなく時間を停止させる能力。
一つ一つがラスボスみたいな能力を当たり前みたいに使いこなす彼を、私はげっそりしながら見上げていました。
こりゃ魔族にも恐れられるわけです。間違いなく魔族最強……『死神』や『魔王』の二つ名は伊達ではありません。
翼の色によって能力を使い分けているという私の読みは間違いなかったようですが、しかしまさか左右の翼の色を別々にできるだなんて想定外でした。二つあるビットのオンオフで表現できる数は『○○』、『○●』、『●○』、『●●』の最大四つですから、さすがに彼の持つ能力も四つで打ち止めでしょう。
……しかしあれだけ強大な能力を四つも使えるだなんて、十分過ぎるくらい規格外です。
これ事前情報がなかったら私、間違いなく瞬殺でしたよね……?
「……『燃えない蝋翼』」
私は空中移動魔法を発動すると、止まった時間の中で地面を蹴り、そのままエクスリアに向かって高速で飛び出しました。途中にあった石礫や砂塵は私の周囲に張ってある結界に触れた瞬間に消滅して、私はあっと言う間に上空のエクスリアの目前に到達します。
「『熱狂の渦』!」
今度は三千度に熱した空気を叩きつけようと腕を振るった私でしたが、その寸前にエクスリアは翼を羽ばたかせて素早く身をかわします。
そして私の背後に回り込んだ彼はしなやかな足を振るいキックを繰り出してきますが、その足は私を蹴る前に結界に触れて消滅してしまいました。
「ちっ、結界は常時かよ。ますますデタラメだな」
いやいや、デタラメが服着て空飛んでるみたいな人にそんなこと言われるなんて心外なんですけど!
エクスリアは両翼を白く染めて消滅した足を再生させつつ、私から距離を取りました。
翼の色が変わって時間停止が解けた影響で、山を覆っていた竜巻が再び激しい音を響かせます。するとエクスリアは竜巻に向かって鬱陶しそうに手を振るい、それだけで風はピタリと止むと、上空へ舞い上げた岩を地上に降らせ始めました。
「…………。」
今の一連の流れで、私は一つの疑問を生じていました。
これまでの攻撃の中で、彼は一度も攻撃を躱したことがありませんでした。しかし今の熱狂の渦だけは明確に身を躱したのです。
……単に私が攻撃する瞬間は防御が疎かになるかもと考えたから、カウンターで攻撃するために回避したというだけの話でしょうか?
「『熱狂の渦』」
私から距離を取ったエクスリアに再び同じ攻撃を仕掛けました。触れれば身体がジュワッとなりかねない熱風を、エクスリアは腕を振るって生み出した烈風を叩きつけることで相殺しながら、地上に向かって下降していきました。
……うーん、また防いだ。
いやでも、いくら回復できるからってわざわざ痛い攻撃を食らうなんて変態だしなぁ……
私は疑問のパズルを脳内で組み立てながら空を駆け、下降していくエクスリアを追いかけました。
地上スレスレを亜音速くらいで飛行する彼の後を、私は引き離されないように追走します。
その中で私は、自身の首飾りの羽根を一枚カチリと傾けました。
「『量銃』」
そして私は前を飛行するエクスリアに狙いを定めて手をかざし、親指と人差し指をピンと伸ばした“銃”の形にします。
「ばん」
私が発射音を口で発しながら親指をクイッと曲げると、銃の射線上にあるすべての物質量が乗算されて爆発を起こしました。
本当はエクスリアの翼を狙ったのですが、射線はわずかに外れて彼のすぐ傍の地面を爆発させるに留まります。
うーん、さすがに十メートル以上離れてると命中は難しいかぁ。
爆発に驚いてこちらを振り返ったエクスリアに、私は先ほど傾けた羽根をもう一段階カチリと捻りました。
『多量銃』
さて、今度の銃口は四本分だよ。
私は右手の中指から小指までの三本もピンと伸ばしながら、エクスリアに向けて狙いを定めました。
「ばん。ばん。ばーん」
一度に四発撃てるようになった乗算弾が、顔色を変えて回避体勢となったエクスリアに襲いかかります。
すぐ近くの空気や地面が激しく爆発を起こす中、しかしエクスリアはそのすべてをギリギリで回避してみせました。ぐぬぬ、動かないでよ! 当て辛いじゃん!
やっぱり射線の太さが一センチだから当たらないのかな? と思い、私が脳内で射線の太さを直径一メートルに再設定していると、
「ふッ!!」
突然こちらを振り返ったエクスリアが軽く左手を振るうと、私の前方から無数の鋭利な巨石が大地を突き破るようにして飛び出して来ます。
私の周囲には結界があるのでそのまま突っ込んでも良かったのですが、私はそれを敢えて躱しました。もしかしたらさっきの私みたいに、“躱した意味”を敵が深読みしてくれるかもしれないと考えたのです。
するとそれを見たエクスリアは右手を天に掲げ
「おおおおッ!!」
直後、後ろ向きに飛ぶエクスリアの背後にあった地面が、轟音を響かせながら浮き上がりました。
ちょっとした高層ビルくらいの質量を持った巨石……というより引っこ抜かれた大地そのものが、
「おッ、ラァア!!」
エクスリアの振るった右手の動きに合わせて、こちらへ高速でブン投げられてきました。
「ちょっ……!?」
その辺の街くらいなら軽く滅ぼしかねない一撃に仰天しながらも、私は辛うじて反撃を行いました。
「『人為的不作為』!!」
こちらも地下にある岩や土の物質量を爆発的に増算することで地面を持ち上げ、それを前方に向かって高速で射出しました。
岩と土でできた二つの高層ビルが激突して、とんでもない衝撃波が発生します。その勢いはすさまじく、余波だけで地面が抉れて暴風が巻き起こったほどです。
彼岸帯のところどころにはもともと湖みたいな大きい水たまりが存在していたのですが、私たちが大地をごっそり抉った場所から新たな水源が噴き出して、いくつも湖が増えちゃっていました。
と、私が降り注ぐ瓦礫を躱しながらエクスリアへと肉薄すると、彼は逃げるそぶりも見せずに両手を勢いよく天にかざしました。
「よっ、とォ!!」
「……!」
直後、私とエクスリアを囲うように無数の巨大岩壁が地面から生えてきて、私たちを外部から隔絶してしまいます。
一瞬で谷底のように薄暗くなった景色に面食らっている私に、エクスリアは畳みかけるように両手を振るって新たな現象を引き起こします。
私たちの周囲を覆い、天高くそびえる巨大な岩壁。そのところどころが突然爆発したかと思うと、そこから激しく溶岩が噴き出しました。
溶岩はエクスリアが指揮者のように振るう腕と指の動きに操られるようにして、そのすべてが竜のような形へと変化していきます。
「ふッ!!」
地面を蹴って飛び立ったエクスリアは、谷底から呆然と見上げている私に向かって両腕を振り下ろしました。それを合図に、大小さまざまな溶岩竜がとんでもない速度で私に迫ってきました。
私はどうしたものかと一歩後ずさると、そこで“ピチャリ”という音で、自分の足元が湧き水で満たされていることに気が付きます。
「『昇天氷柱』」
私の足元の水溜まりは一瞬で数千倍の大質量になると、さらに超低温で凍結しながら、勢いそのままに下降してくる溶岩竜と正面衝突します。
直後、私の想定していなかったレベルの大爆発が起こり、四方の岩壁が木っ端微塵に吹き飛ばされました。
……今の爆発はただの大質量同士の衝突による衝撃波って感じではなかったので、もしかして水蒸気爆発か何かでしょうか?
周囲の岩壁が無くなったおかげで風通しがよくなったのか、立ち込めていた土煙だか水蒸気はすぐに晴れていきます。
「!」
するとその時、白煙に紛れて接近していたらしいエクスリアが、私に向かってまっすぐに急降下で突っ込んでくるのが見えました。
このままでは私の周囲に張られている消滅結界に衝突してしまうであろうエクスリアはしかし、なぜか速度を緩めることはしません。
そして案の定、私の結界に触れた瞬間に彼の全身は跡形もなく消し飛んで―――
「なっ……!?」
直後、両翼を真っ白に染めたエクスリアが“私の結界の内部で”復活しました。
「やっと捕まえたぜ、人間」
あり得ないくらい強引な方法で私の結界を突破したエクスリアが、私の胸ぐらを掴んで地面に叩きつけてきました。
「あぐっ!?」
このエクスリア、見た目は女の子みたいな細腕なのに、ネルヴィアさんやレジィをも遥かに凌ぐとんでもない怪力です。ただ叩きつけられただけで、私のちっちゃな身体が地面に深々とめり込みました。
そのままエクスリアは私のお腹に拳を叩きこみ、そのあまりの衝撃に私の身体がさらに数十センチは地面にめり込んで、赤い大地に広範な亀裂が走りました。
しかし……
「……硬ってぇ。なんだコレ、魔法は無効化してるはずなのに……」
エクスリアが結界内に進入してきてから攻撃されるまでの刹那、私は辛うじて防御を完了させていました。
私の身体に生じる衝撃は、ネルヴィアさんの魔剣と同様の機構によって完全にゼロとなるように操作されています。そして私が現在嵌めている手袋の、親指と小指を接触させているあいだは私の肉体の硬度が鋼鉄と同等になります。
万が一にも結界を突破されたり、あるいは結界そのものが無効化される可能性を考えて、念のために近接防御魔法を仕込んでおいて助かりました……
エクスリアの両翼は真っ白に染まっており、魔法無効化の能力はたしかに発動しています。
しかし私の身体に関する数値には入念なプロテクトがかけてあるため、エクスリアが外部からの入力で数値を変動させることはできません。私の身体を消滅させることができなかったのと同様に、私の身体の硬度を元に戻すことはできないのです。
魔法無効化によって私の防御を突破できないと悟ったエクスリアは、片方の翼の色を黒く染めて自然現象を支配する能力を発動しようとしました。
「くちゅ……えろっ」
その一瞬を見逃さず、私は口の中で溜めた唾液でぬらりと光る舌を、エクスリアに向けてべーっと出しました。それに対して怪訝な表情を浮かべるエクスリアでしたが……
直後、“ピキュンッ!!”みたいな擬音を発しながら、私の舌からエクスリアの顔面に向けてレーザーのように唾液が射出されます。
その不意打ちをエクスリアは「うおッ!?」と叫びながら、辛うじて紙一重で回避しました。攻撃が掠った彼の頬から、赤い血が噴き出します。
今のを避けるとは大したものですが、しかし私の服から手を離さなかったのが運の尽きです。
ねぇエクスリア。さっき私が放った水魔法の飛沫を、たっぷり浴びちゃったみたいだね?
……ちょうどいい感じに身体が濡れてるよっ!!
「『真・騒電気』」
「がッ!?」
バヂヂィッ!! という音と共に私の衣服が青白く光ると、エクスリアは身体を激しく仰け反らせながら叫び、仰向けに倒れました。
私の衣服に溜まっていた静電気の電流と電圧を一気に上げたため、服に触れていた彼は感電してしまったのです。……さながらゴムみたいな電気抵抗が設定してある私と違って、水で濡れた彼の身体はよく電気を通すことでしょう。
それでも人間なら失神じゃ済まないかもしれない電流を浴びながら、エクスリアはまだ仰向けに倒れた身体を起こそうとしていました。恐らくは電流が流れた直後にすぐ無効化したのでしょうが、けれども見たところ電流によるダメージはまだ全然回復していないように見えますし、さきほど私が放った不意打ちで負傷した頬の傷もそのままです。
……やはり、彼が元に戻せるのは“数値の変動”だけであり、それによって生じたダメージまでは元に戻せないようです。
物質量をゼロにされて消滅しても、ゼロにされた物質量を元に戻せば復活できます。マイナス二五〇度で凍結されても、温度を元に戻せば復活できるでしょう。
しかし数千度の熱風を浴びた場合、ダメージを受けてから魔法を無効化しても、それによって受けた火傷などは回復できません。熱いお湯を浴びてしまった箇所を常温になるまで冷やしたって、火傷が治るわけではないのですから。
だから私が熱狂の渦で熱風を放った時、エクスリアは迷わず回避や防御に徹したのでしょう。消滅魔法や凍結魔法と違い、こちらのダメージは回復することができないから。
まだ身体が痺れて仰向けに横たわっているエクスリアの顔にそっと足を乗せた私は、ゆっくりと噛みしめるような声色で囁きました。
「わたしの体重は、あなたの能力にえいきょうされない。……なにがいいたいか、わかるよね?」
先ほど、エクスリアの魔法無効化能力で私の肉体の硬化を無効化することはできませんでした。それは私がconst修飾子という特殊な方式で、私の持つ数値を防御しているためです。
そして私の“体重”にもconst修飾子でプロテクトをかけているため、エクスリアは私の体重の増減を行うことができません。
つまり何が言いたいかといいますと、『このまま体重を増やして頭を踏み潰してやろうか?』ということです。
「……はは……探せばいるもんなんだな、こんな強い人間も」
電流による麻痺のせいかちょっとだけぎこちない喋り方のエクスリアが、なんとも晴れ晴れとした表情を浮かべます。
「なぁ、人間。お前の名前はなんだったっけ?」
「……セフィリア」
「ん、そうか」
エクスリアは私の瞳をまっすぐに見つめると、
「降参する。とりあえず俺との……“エクスリア”との戦いは、お前の勝ちだ―――セフィリア」
なんだか妙に引っかかる言い回しをした彼は、心から嬉しそうに、無邪気な笑みを浮かべました。




