1歳7ヶ月 6 ―――いざ決戦へ
存外、一週間なんて時間はあっと言う間に過ぎ去ってしまうものです。
特に平穏暢気で怠惰な生活にすっかり染まっていた私にとって、忘れかけていた前世での奴隷生活に再び身を投じた日々が過ぎゆくのは、あまりに早すぎました。
『死神』との決戦は今日。約束の時は、陽が私たちを真上から照らす時刻です。現在は早朝で陽が昇ったばかりですので、まだ数時間は余裕があります。
目的地までの移動には一時間ほどを見ておりますので、私はまだ残されている時間をできるだけリラックスして過ごすことに努めました。
数ヶ月ぶりに六時間もぐっすりと寝た私は、まだぼんやりと霧がかかっている頭を抱えたままリビングへと移動します。すると珍しく、現在逆鱗邸に住んでいるほぼ全員がそこに集合していました。
いつも早起きなケイリスくんはもちろんのこと、ネルヴィアさんやレジィ、お母さん……それからいつもはベッドから蹴落としたって意地でも起きないルローラちゃんまでもがテーブルを囲んでいます。
そんな驚きの光景を見た私は、みんなが口々に朝の挨拶をしてくれる中、目をぱちくりとさせて固まってしまいました。
しかし今日という日にわざわざこうして早起きをしてくれている理由は、私の自意識過剰でなければ一つしかないでしょう。
「おはよう、みんな」
私は嬉しくなってニコニコと笑みを浮かべつつ、私専用のベビーチェアにちょこんと腰掛けました。
全員の表情を見渡すと、みんなどこかそわそわと落ち着かない様子です。まぁ、家族に心配をかけないように平然とした態度を装ってはいますが、じつは私が一番緊張してるんですけどね……。
今まで私が戦って来た敵を『丸めた新聞紙を装備した幼稚園児』とするなら、今回の敵は『機関銃を装備した兵士』って感じです。こちらもバッチリ完全武装をしているとはいえ、決して油断ならない相手です。下手をすればただでは済まないどころか、あっさりと死んじゃう可能性だってあります。
しかし敵が魔王級の実力者で、かつ気まぐれに戦場の前線を飛び回っているという、かなり危険な状況のせいで私も戦わざるを得ません。もしも敵の気が変わって戦場で暴れ出されたら、せっかく膠着している戦線が息を吹き返すばかりでなく、人族の戦力の半分くらいが消し飛ぶことになるでしょう。
そしてその消し飛んだ中には、今も命を懸けて戦ってくれているであろう、私のお父さんもいるかもしれないのです。もっと言えば、ネルヴィアさんのお兄さんたちや、魔導師様たちだっているかもしれません。
敵はあまりに強大で、過去最強の敵というよりはむしろ、まだ私が戦ったことのない魔族たちを含めたとしても最強かもしれません。
そしてそれは私の勇気や覚悟を萎縮させると共に、ささやかな希望を託してもくれるのです。
―――“こいつさえ倒せば、もう魔族を恐れる必要はない”という希望を。
実際には『死神』を除いた他の魔族たち全員に囲まれたらさすがに苦しい戦いになるでしょうが、それでもレジィ曰く魔族の中で最強と名高い『死神』を一騎打ちで打倒することができたのなら、もう魔族との戦いにおいてはほとんど怖いものなしのはず。
なんなら、自分たちの切り札が破られたと知った魔族たちが戦意を喪失する可能性すらあるのではないでしょうか。
それはもう、ほとんど戦争の終結に王手をかけたようなものです。
一回だけ……たった一回だけ大きなリスクを背負って戦場に立ち、後のリスクをすべて摘み取る。ハイリスクに見合ったハイリターンと言えましょう。
元より回避することのできない戦いなのであれば、いっそ開き直ってこの機会を最大限生かす可能性を模索するのが賢い生き方だと思うのです。
まぁ、それでも怖いものは怖いです……それは間違いありませんけどね。
「…………」
そして私はいつもお兄ちゃんが座っている椅子をチラリと見て、深々と溜息をつきました。
……二日ほど前、「もしも戦いにいくならセフィとは絶交だ」と言い渡されてから、それっきり一度もお兄ちゃんとは顔を合わせていません。噂によるとボズラーさんのおうちに泊まっているみたいです。
うああ~あぅあぅあぅ……お兄ちゃんホントに絶交するつもりなの本気なの? そりゃ「セフィを守る」っていうお父さんとの約束もあるし、そもそもお兄ちゃんが毎日脳みそ振り絞って勉強してるのは私を危険な目に遭わせないためで、だから私が超強い敵と戦いに行くのなんて絶対に認めるわけにはいかないだろうけどさぁ~……
私が憂鬱に苛まれてぐったりしていると、お母さんが金髪のセミロングをさらりと耳にかけながら、困ったように笑いました。
「ログナのことなら大丈夫よ。あの子だって本気じゃないわ」
「でもぉ……」
「前に魔導書を持っておうちを飛び出しちゃった時みたいに、セフィのことが心配すぎて無茶しちゃってるだけだもの。だから大丈夫」
そう言ってにっこりと笑うお母さんの顔を見ていると、私は少しだけ心が落ち着いてきたような気がします。
そっか、お兄ちゃんってば不器用だもんね。自分でも合理的じゃないって思いつつも、居ても立ってもいられなくってそんなことしちゃったのかな……?
でもそれなら、お母さんだって今回の私の行動は面白く思ってないんじゃないかな? なのにお母さん、今日まで文句の一つも言わずにニコニコして……なんでなんだろう?
そんな疑問が私の表情に出ていたのか、お母さんは私の考えを見透かしたような答えを返してくれました。
「セフィの性格は、パパ似だものね」
「……え?」
「一度こうと決めたら曲げないし、責任感の塊だから自分の危険も顧みずに誰かのために動いちゃう……でしょ?」
い、いえ、私は無責任だと思いますよ? 適当な性格ですし……
でもお母さんはそうは思っていないらしく、嬉しそうに言葉を続けます。
「セフィがパパに会いたい、帰ってきてほしいって連絡しても、パパが戦場から帰ってこない理由。セフィも聞いたでしょ?」
「う、うん……なかまをおいて、じぶんだけきけんな戦場から離れるなんてできない……って」
「セフィが今回、戦いに行く理由と同じじゃない。どんなに危険でも、大事な人のために戦うって」
お母さんがそう言うと、ネルヴィアさんやレジィ、ケイリスくんやルローラちゃんが微笑ましげな表情で私を見つめてきました。
私は「うっ……」と言葉に詰まりながらも、申し訳なさのあまり小さくなった声で訊ねました。
「……でも、ほんとはヤだよね……?」
「セフィが危ないことしたり、痛い思いをするのはもちろんイヤよ? でも、セフィが戦いに行くこと自体は、イヤじゃないわ」
「え?」
「大事な人が危なくなったら、危険を押してでも走り出しちゃう……私はパパのそんなところが好きになったから結婚したんだもの。そんなパパと同じ決断と行動ができるセフィのことを、私は心から誇りに思っているわ」
お母さんのその言葉を聞いた瞬間、私は鼻の奥のツンとした痛みと共に、ぶわっと涙を浮かべてしまいました。
体重を即座に減算した私は椅子を蹴ると、そのままテーブルを挟んだお母さんの胸へと一気にダイブします。
「おかあさぁぁあああん!!」
「あら! セフィの方から抱き付いてくれるなんて、珍しい……!」
私はお母さんの発展途上胸部に顔をうずめて、全力でぎゅーっと抱き付きました。そんな私のことをお母さんも力強く抱き返してくれて、しばしそのまま抱擁し合います。
私はぐすぐすと鼻をすすりながら、
「おかあさんは、おかあさんの鑑だよぉ……! それに最高のおよめさんだよ!」
「うふふ、ありがと。セフィもきっと立派なお嫁さんになれるわ」
「嫁じゃねぇわ」
天然なのかジョークなのか、お母さんのいつもの女児扱いにもツッコミを入れたところで……私もそろそろ朝ごはんを食べることにしました。
今朝のごはんはなんだかあまり見たことのない食材と料理で、でもたしか共和国を旅している時に、どこかでちょっとだけ見た覚えがあるような気がするものでした。ちなみにケイリスくんのいつもの料理は帝国風なので、共和国風の料理はかなり珍しいのです。
私は彼に「これ、イースベルクのお料理?」と訊いてみると、ケイリスくんは気まずそうに「ま、まぁ……」とそっぽを向いてしまいました。……もしかすると“お嬢様”という呼び方に意味があったみたいに、この料理にもなにかしらの意味があるのかもしれません。今度ルグラスさんに訊いてみよっと。
それからは、ネルヴィアさんとレジィが珍しく喧嘩することもなく私を可愛がってくれたり、ケイリスくんが髪を梳いてくれながら、「あ、あの……三つ編みにしても良いですか……?」と遠慮がちに訊いてくるのにほっこりしたりして、穏やかな時間を過ごしていました。
途中、今やすっかり大人の肉体になったルローラちゃんが真面目な表情で、「ゆーしゃ様の命って、多分ゆーしゃ様が思ってるよりずっと重いよ」などと言って抱きしめてくれたのがちょっぴり驚きでした。もうすぐルルーさんが帰ってくる予定なのですから、二人を引き合わせる役目がある私が無事に帰らないわけにはいきませんね。
やがて出発の時刻が近づくと、私はこの一週間で開発した魔導具の数々を外套の内側に詰め込んで、武装を完成させました。……なるべく生物相手には使用したくないものもたくさんありますが、相手が噂通りかそれ以上の強さだったらそう甘いことも言ってられません。
積極的に相手の命を奪おうとするような魔法はやはり禁じていますが、それでも今回は“相手が『死神』じゃなければ余裕で死んでる”くらいの魔法はバンバン使っていく所存です。
それから私は逆鱗邸の庭に出ると、お見送りに出てきてくれたみんなを振り返って、小さく手を振りました。
「それじゃあ、いってくるね!」
私の言葉に、みんな口々に「行ってらっしゃい」という返事を元気に返してくれました。
さて、それじゃあ行きますか……と私が空へ飛び立とうとした、その直前。
「セフィ!」
逆鱗邸の庭から外に通じる門の辺りで、聞き馴染みのある声が響きました。私が驚いて振り返ると、なんとそちらからお兄ちゃんが駆け寄ってきて、そのまま私に激しく抱き付いてきました。
「お、おにーちゃん……?」
私が目を白黒させていると、同じく門から庭へ入ってきたメルシアくんやヴィクーニャちゃん、リスタレットちゃんが駆け寄ってきて、私を取り囲みます。
さらにその向こうからは、ボズラーさんやクルセア司教、しまいにはヴェルハザード皇帝陛下やセルラード宰相までもがこちらに歩いてくるのが見えました。
え、えっと……もしかしてみんな、お見送りに来てくれたの?
私が言葉を発せずに固まっていると、「先生!」「先生……」「先生っ!」と、私の生徒たちが心配そうに私へと呼びかけてくれます。
ああっ、なんかコレすごい幸せな気分! 卒業式のときの先生ってこんな感じなのかなぁ……!?
そして私を苦しいくらいに抱きしめたお兄ちゃんが、
「ぜったい、ぜったい無事でかえってこいよっ! ぜったいだぞっ!!」
「……うん。がんばるね」
そんな風に涙声で怒鳴るお兄ちゃんを、私は思わずうるっときながら抱き返しました。
できればずっとこうしていたかったのですが、待ち合わせの時間もありますので、私は名残惜しい気持ちを抑えながらお兄ちゃんから離れます。
それから改めて私を見送りに来てくれた人たちにお礼を言うと、私はふわりと身体を浮かせながら、努めて元気な声を発しました。
「いってきます!!」
直後、私は帝都が一望できるくらいの高さへ飛び立つと、そのまま目的の場所である決戦の地の方角を見据えました。
死神さん。今日の私は、一味違うかもよ。




