1歳7ヶ月 5
逆鱗邸の自室で作業に没頭していた私は、控えめに扉がノックされる音で顔を上げました。
「お嬢様、失礼します」
そんな断りとともに足音もなく入室してきたのは、我らが万能執事のケイリスくんです。
彼の手には、私の大好きなお菓子が盛られたお盆が載せられていました。どうやら三時のおやつの時間みたいです。
私は執務机の上で電流を流しているビーカーや試験管をガガーッと脇に押しやりながら、
「わぁ、クッキー? ありがとう!」
「いえ……」
ケイリスくんは表情を変えずに短く返事をしながら、チラリと私の部屋を見渡しました。
現在、私の部屋には呪文を走り書きした紙片や、魔導書を転写した紙束などで雑然と散らかっています。
そんな散らかりようをしばらく無言で見つめていたケイリスくんは、おそらく執事としての習性でベッドの上に散らばった紙に手を伸ばして……
「ああっ、だめ!!」
「!」
そして思わず叫んだ私の声に、ケイリスくんはビクリと肩を震わせました。
「それ、ちらかってないから! ちゃんと意味がある配置だから!」
「そ、そうだったんですか、すみません……」
「ううん、わたしこそびっくりさせちゃってごめんね?」
私は結構、部屋が汚いタイプの人間です。片付ける時は塵一つ残さないくらい徹底的にやるのですが、それ以外の時って結構さぼりがちになっちゃうんですよねぇ。
でも仕事机とかの作業スペースは、汚いように見えて計算し尽くされた配置なのです! あらゆる用途やシーンに対応できるように最適化されているのです!
……でも普段はそもそも仕事なんて滅多にしないので、綺麗好きなケイリスくんが勝手にお掃除してくれるのは大助かりです。
というか、助かりすぎてダメになっちゃいそう! 私は家事全般をケイリスくんに依存しているので、もう彼がいない生活は考えられません。人をダメにする執事です!
ケイリスくんが執務机の隅に置いてくれたクッキーを一枚手に取った私は、早速口に放り込みました。
もぎゅもぎゅ。
「……うん! いつもながら、すっごくおいしいよ」
「ありがとうございます」
私の絶賛にも顔色一つ変えないケイリスくんは、小さくお辞儀をしました。
お菓子だけじゃなくてお料理も絶品ですし、もう私の胃袋はすっかり掴まれちゃっています。
その他の家事も完璧ですし、もう言う事なしですね。
「ケイリスくんがいると、どんどん結婚願望がなくなっちゃうよぉ」
私が少し冗談めかしてそう言うと、ケイリスくんは片眉を“ぴくっ”と反応させました。
「……光栄です。でもお嬢様が結婚について考えているとは意外ですね」
「そう? わたし、けっこう関心あるよ?」
私は家族大好き人間なので、いつか自分の家庭も持ってみたいと思っています。もちろん、今の私の家族や、私が勝手に家族だと認識してる子たちのことも愛してますけど。
なので私もいつか結婚とかするのかな~、なんて思ったりすることも稀ではなかったりするわけで。
「ねぇねぇ、わたしは結婚できるとおもう?」
「お嬢様にそのつもりがあるなら、間違いなくできると思いますよ」
ケイリスくんがあまりに確信じみた断言をしたので、私はちょっと面食らってしまいました。
「そ、そうなの……? 貴族だから?」
「貴族であることもそうですし、世界屈指の魔術師ですからね。たとえ世界の情勢がどうなろうと絶対に食いっぱぐれることはありえません。それにお嬢様はお金や名声にすこし無頓着すぎますが、もし本気でそれらを得ようとしたら簡単に手に入れられる立場のお方ですから」
「えぇ~? それはちょっとおおげさじゃない?」
「これでも控えめに言ってるんですけど」
うーん、ちょっと身内の贔屓目フィルターがかかりすぎじゃないかなぁ。もちろん嬉しいけどね?
でもたしかに、私が食いっぱぐれることはなさそうですね。魔法を使えばどんな仕事でも数千人分くらいの働きができちゃいますし。……だからって、絶対に働こうとは思いませんけど。
「さすがにお嬢様はまだ一歳ですから縁談は来ていませんけど、きっと三歳くらいになったらそういう話も持ちかけられると思いますよ」
「三歳で!?」
「ええ。それにお嬢様は今でも大人並みの知性と精神年齢ですから、縁談相手は子供だけじゃなくて大人からも選出されるでしょうね」
ああ、それはたしかにありそうですね。というか私は中身の年齢のせいか、うちのお母さんでさえ子供にしか見えないんですよね……。いやお母さんの見た目のせいっていうのも大いにありますけど。
仮に私の肉体年齢に合わせた縁談相手が選ばれても、その子と本気で恋愛ができるビジョンが浮かんできません。
「……そうかんがえると、なんかちょっといろいろメンドーかも」
「まぁ普通は成人する前後で考えることですから、あと十年以上も先の話です。今はあまり考えなくても良いと思いますよ」
「ちなみにケイリスくんは、結婚とかかんがえてないの?」
「えっ……!」
何気なく私が発した質問に、ケイリスくんは大袈裟なくらいの驚きを示しました。。それとほんのりほっぺが赤らんでいます。
あれれ? この反応、もしかして……?
それからしばらく言葉を選ぶように黙りこんでいた彼は、珍しくごにょごにょと小さな声で、
「……け、結婚までは考えていません……恐れ多いですし」
恐れ多い? 結婚が恐れ多いってどういうこと? 相手は貴族の令嬢か何かなの?
思わず小首を傾げた私の視線から逃れるように、顔を逸らしたケイリスくんが大きな声で話題を変えました。
「そ、それはともかく! お嬢様、探していた呪文は見つかったそうですが、これで『死神』というのには勝てそうですか?」
「かてるかどうかは、まだなんとも。でもわたしが死んじゃうかのうせいは、これでだいぶ減ったかな?」
私が率直な感想を述べると、ケイリスくんは神妙な面持ちで「……そうですか」と呟きました。
「お願いですから、どうかご無事で……。もしもお嬢様が逃げると言い出しても、ボクは喜んでついて行きますから」
「……ありがと、ケイリスくん」
きっと今の私の仲間たちなら、本当に私が逃げ出すと言ってもついて来てくれるでしょう。
でも、彼らにも大切な家族や仲間たちがいるわけで、でもその人たちみんなを連れて行くことなんてできっこありません。……ですから彼らを心から大事に思っている私が、そんな辛い選択を彼らに強いるつもりも当然ながら皆無なわけで。
私の仲間の大切な人は、つまり私の大切な人でもあります。
だからみんな、私が守ってみせるのです。




