1歳7ヶ月 4
ある日の夕方、私は帝国図書館の日当たりの良い窓際で、優雅に読書と洒落込んでいました。……その本というのが禁書室から続々と運び出されてくる魔導書でなければ、心温まる日常の風景だったのですが。
本来であれば禁書室にある本はすべて持ち出し厳禁なのですが、今回は特例として帝国図書館を完全貸し切りにすることで、薄暗い地下書庫から魔導書を地上に持ち出すことが実現しています。
現在、セルラード宰相が厳選して信用できると判断した、かなり上級の魔術師や研究者さんたちが私の周りに集まっていました。人数の希望は十人で出したのですが、今回はスケジュールの都合で少数精鋭の七人です。
彼らには私から、「こういう呪文を探してください」とリクエストを出しています。まぁ普通の人にとっては呪文の解説文でさえも難解ですから、なんとなくそれっぽいな~と思ったら余さず私に報告してくれるようお願いしてあります。また、よくわからなかったり文字が掠れていて読めない場合もとりあえず私の目を通すように指示しています。
この世界の呪文は、私の前世におけるプログラミングとかなり似通ったところがあります。
だからこそ、私が前世の知識を元に探している呪文も、きっと探せばあるに違いないと考えたのです。
すでに前線のすべての戦場には連絡鳩を飛ばして、『死神』との決闘の通達はしてあります。
『死神』が私の居場所を片っ端から訊いて回っているのなら、そう遠くないうちに私からのメッセージが耳に入るはずです。
しかしそれも確実というわけではありませんから、万が一ということを考えて、なるべく早く目的の呪文を探し出さなければなりません。
そのため私は昨日の朝からこの図書館に籠り、かれこれ三十時間ほどぶっ続けで魔導書と睨めっこをしていました。頭脳労働の研究職とはいえ、私に付き合わせている魔術師や研究者さんたちは真っ青な顔をして働いています。
……あれ、ちょっとくらい休憩した方がいいかな? あんまり根詰めすぎても作業効率が悪くなっちゃうでしょうし。
と、そんな時。
「セフィリア!」
図書館の扉が開かれたかと思うと、その向こうからボズラーさんが姿を現しました。
いったい何の用でしょう? ご飯はケイリスくんが持ってきてくれてますし、そもそもまだそんな時間じゃありませんし。
でもちょうど良いタイミングだったので、私は呪文探索隊の皆さんに「ちょっと休憩しまーす」と呼びかけました。すると皆さん、糸が切れたようにテーブルに倒れ込んで動かなくなってしまいます。……あれれ、皆さんそんなに疲れてたの……?
私はこちらへ歩み寄ってくるボズラーさんに向き直ると、まず念のために一つ確認してみました。
「ここ、かんけーしゃ以外立ち入りきんしだよ?」
「わかってる。許可は取った」
ボズラーさんは前髪がかき上げながら私の傍までやってくると、私の周りで死んでる人たちを見てギョッとします。
「……おい、昨日の朝からこの図書館を使い始めたんだよな? その後、最後にここから出たのはいつだ?」
「まだでてないけど?」
「一回も!? おい丸一日以上ずっとここで作業してんのか!?」
「うん、そうだよ?」
何を驚いているんだろう、と思って小首を傾げた私でしたが、しかし言われてみればおかしいような気もします。そろそろ睡眠休憩を取らせた方がいいのかな?
「で、なにかよう?」
「……あ、ああ……早速お前の思い通りになったみたいだぜ。例の『死神』とかいうのが、餌にかかった」
「えっ!」
「お前からの通達をその女に伝えたら、そいつは嬉しそうに笑って魔族領の方に飛んでったらしい」
では、一週間の時間稼ぎには成功したわけですね。
これで「一週間なんて待ちきれーん!!」とか言って暴れ出されたらどうしようかと思いました。最悪、この図書館内の時間の速度を百倍にして、某戦闘民族の修行部屋みたいにしちゃおうかと思ってましたが、その必要はないようです。
ひとまず第一段階はクリア……これで呪文を探す時間や対策を練る時間がかなり確保されましたね。
「わざわざありがとね。でもどうしてボズラーさんが?」
私はボズラーさんにお礼を言いつつも、ふと頭をよぎった疑問を投げかけてみます。べつにこのくらいの伝言、いつものセルラード宰相ならケイリスくんを伝令役にさせるのに。
私の疑問に、ボズラーさんはちょっとバツが悪そうに顔を逸らして頬を掻きながら、
「……その、なんだ。生徒たちがお前のこと心配しててな。様子を見に来たっていうか……」
あー、なるほど。いきなり私の都合で学校を一週間も自習にしてボズラーさんに丸投げしちゃったわけですから、そりゃあ何事かと思いますよね。
『死神』についての詳細は、ごく一部の人にしか知らされていません。ボズラーさんにも「めちゃくちゃ強い」くらいしか伝えていませんし。
でもドラゴンだって瞬殺できるだろう逆鱗卿が、一週間もガチで準備するくらいの相手となったら、ちょっと不安にもなっちゃいますか。
「だいちょうぶだよ。みんなには心配ないよって伝えといて」
「お、おう……わかった」
私の家族ならともかく、私なんかのことでボズラーさんにまで面倒をかけてしまったのは本当に申し訳ないと思ったので、私は素直に頭を下げることにしました。
「ごめんね、こんなことのために足をはこんでもらっちゃって」
「いや、こんなことって……今回の敵は、ヤバイ奴なんだろ?」
「うーん、まぁ、ちょっとね」
やっぱり今回の件はこれまでとレベルが違うっていうのはバレちゃってますか。じゃあ無理に安心させようとして余裕ぶるのは逆に不安にさせちゃうかもしれませんね。
「もしわたしになにかあったら、生徒たちのこと、よろしくね」
「なっ……なにかってなんだよ! おい、そんなにヤバイ敵なのか!?」
そりゃもうヤバイですよ。なんたって『魔王』とか呼ばれてるらしいですよ。ラスボスですよ、ラスボス。
あれ、そういえば私って『勇者』ってことになってるんでしたっけ?
えっ!? じゃあこれって人族と魔族の、事実上の頂上決戦みたいなものなんですか!?
これって下手したら……いや下手しなくても、戦争の行く末を左右しかねない戦いですよね……?
「……お前一人で戦わなくちゃダメなのかよ?」
「わたしの魔法にまきこまれても死なない人だったら、つれてってもいいんだけど」
私がそう言うと、ボズラーさんは俯いて黙りこんでしまいました。
ちょ、ちょっとマジにならないでくださいよ。ちょっとしたジョークじゃないですか。
「ふふっ。まさかとはおもうけど、私のことをしんぱいしてくれてるの?」
私はちょっと冗談めかした感じで、ボズラーさんの真剣なトーンを茶化してみました。
今は皇帝陛下直々の命令で一緒にお仕事をしているとはいえ、ボズラーさんにとって私は憎き敵です。自分が苦労して登り詰めた魔術師という地位に突然居座ってきて、御前試合では吹っ飛ばされて恥をかかされただけでなく大怪我までさせられたのですから。
私はボズラーさんが「そんなわけねーだろ!」と言い返してくる前に、「なんてね。うそうそ」と言って肩を竦めました。
「とにかくごくろうさま。おかげでわたしも魔法の研究にせんねんできるよ、ありがとね」
私に労われたボズラーさんは、なんだか浮かない表情で小さく頷きました。……なにさ、そんなに怒ってるの? やだなぁもう。
それから彼はしばらく黙りこんでいたかと思うと、何かを言おうとして……けれども結局は何も口にすることなく唇を引き結びました。
「……じゃあ、またな」
「うん、ばいばい」
ボズラーさんは私の返事を聞いた瞬間、また何か言いたげな表情を浮かべました。
けれどもやっぱり何も言わずに、とぼとぼと帰って行っちゃいます。
……と、思いきや。
ボズラーさんは突然踵を返したかと思うと、ズカズカと大股でこちらに戻ってきました。
「セフィリア!」
「な、なに……? どうしたの?」
なんだか鬼気迫る表情のボズラーさんは、しばし逡巡した後……
「かっ……勘違いするなよな。べつにお前のこと、嫌いってわけじゃないんだからな!」
そう言うと、ボズラーさんは呆気にとられる私を置き去りにして、今度こそ早足で図書館を後にしました。
ええ……? なに今の? 逆ツンデレ?
「……えっと、じゃあそろそろ休憩おしまいにしましょう」
いろいろ思うところはあったものの、まぁそれは後で本人に聞けばいっかと判断した私は、呪文探索隊の皆さんに作業の再開を呼びかけました。
すると虚ろな目をした皆さんから、「…………はい」という掠れた返事が返ってきます。
あれ……? なんか皆さん、前世の鏡で見たことある目をしてますよ?
あ、そうだ!
「もうちょっとしたら、いったん切り上げておうちにかえりましょうか?」
その言葉に、探索隊の七人全員が“ガタッ!”と立ち上がりました。
うんうん、やっぱりゴールが見えないマラソンは辛いですもんね。きちんと“あとどれくらい走ればいいのか”を教えてあげなければなりません。
「じゃあ、あと八時間くらいしたら、今日はおしまいにしましょう!」
キラキラと輝いていた皆さんの瞳が、直後すごい勢いで澱んで光を失いました。
あ、あれれー? 八時間は長かった? じゃあ六時間! ああっ、みんな無言で血の涙を流し始めちゃってる!? ダメなの!?
その後、結局三時間ほど作業を続けていたところで目的の呪文が見つかったため、その日のお仕事はそこでお開きにすることにしました。作業終了を告げた瞬間、皆さん結構いい歳なのにすっごいはしゃぎようでした。
しかし「じゃあ三時間後にまたここで」と言ったら、みんな灰色になって白目を剥いちゃいましたけど……
そして解散から一時間後、なぜかわざわざ私のお屋敷に直接出向いてくださったセルラード宰相が、人員を三倍にするので八時間ごとにローテーションしてくれとお願いしに来ました。
べつに良いですけど、でもそれなら二十人でずっと働いてもらったほうが効率的じゃないですか? え、ダメ? あ、そう。




