1歳7ヶ月 3 ―――泣き虫竜騎士ネルヴィア
私は戦うことを決めると、すぐに行動を開始しました。
まず最初にベオラント城へと足を運んだ私は、その足でセルラード宰相に会いに行きます。
ベオラント城の通路を歩いていたセルラード宰相は、私の突然の訪問を受けて驚いた様子でした。しかし私の表情を見て何かを察したのか、余計な口を挟まずに要件を聞いてくれます。
私は彼に、レジィから聞いた『死神』の圧倒的な強さのことを説明し、その上で私はソレと戦う覚悟を決めたことも一緒に告げました。
そしてそれにあたって、私は二つほどお願いがあることを打ち明けます。
一つは、すべての戦場へ速やかに伝令鳩を飛ばし、私が一週間後に『死神』をある場所で待ち受けることを伝えるということ。
もう一つは、それまでの一週間、私が『死神』との戦いに必要だと判断した人材や道具を、帝国に全面的にバックアップしてもらいたいということです。
「……なぜ、一週間後という日程なのだ?」
「魔族は短気ですから、それいじょうは時間をかせげないとおもったからです」
「時間を稼ぐというのはつまり、その魔族と戦うための人材や道具を用意するまでの時間かね?」
「いいえ。わたしがよういしてほしい人やどうぐは、一日もあればじゅんびできます」
「では、なぜ一週間の時間稼ぎを?」
「『禁書室』で、わたしがさがしている呪文をみつけるためです」
レジィは私が『死神』に勝てると言ってくれましたが、しかし私は今のままでは勝算が薄いと考えています。
だからこそ、きちんとした準備を整えて、綿密な計画を練って、勝算を限りなく百パーセントに近づける必要があります。
本当なら一ヶ月ほど時間を貰いたいところではありますが、それでは痺れを切らした魔族が再び私を探し始めないとも限りません。もっとも、一週間という時間を『死神』が待ってくれる保証などないのですが……しかし『魔王』という二つ名もあるというくらいですから、泥臭く闇雲に探し回るよりは、確実な場所で悠然と待ち構える方が好きなのではないかと思ったのです。
そしてその一週間という期限のうちに、『死神』の強力な攻撃能力や防御性能を攻略する新魔法をいくつも開発しなければなりません。
しかも『死神』の能力を直接見たこともない私は、その能力を又聞きの頼りない情報から推測して、その可能性をすべて潰す必要があるのです。
もしもそれができなければ、私は『死神』にチラッと見られただけで即死してしまいます。なので絶対にそんな間違いの起こらないように、微に入り細を穿つような研究が必要とされるわけです。
それから私はセルラード宰相からの了承を取り付けると、早速必要とする人員や器具の準備に取り掛かってもらいました。
必要なものとはずばり、“文字が読めて禁書室に立ち入りを許可できる魔術師ないしは学者を十人”と、“この世界で基本的に使われている化学の実験器具を一式”です。
用を済ませた私がセルラード宰相にお礼を言って帰ろうとすると、そこで「セフィリア卿」と静かな声色で呼び止められました。
「……どうか、あの子を……ケイリスを悲しませるようなことのないように頼む」
セルラード宰相は五年も前から、ケイリスくんの父親代わりとして彼の面倒を見続けてきました。ケイリスくんはあまり他人へ感情を見せることはありませんが、それでも彼がセルラード宰相にかなりの信頼を寄せていることは容易にわかります。
そしてセルラード宰相からケイリスくんに対しての感情もまた、元主人と元使用人という関係に留まるものではないのでしょう。
「はい、もちろんです」
私は当然のように頷くと、強い口調でセルラード宰相に応えます。
もう二度と、ケイリスくんから身近な人間を失わせるようなことはさせません。
ベオラント城から逆鱗邸に戻ってきた私はそこで、屋敷の門の前に仁王立ちしている金髪の少女を見かけました。ネルヴィアさんです。
そして私はそんな彼女の表情を見て、彼女がレジィから例の話を聞いてしまったのだということを察しました。
「セフィ様っ!」
私がちっちゃな足でちょこちょこ歩いてくるのを見かけたネルヴィアさんは、腰の二本の剣をガチャガチャと鳴らしながら駆け寄って来ると、そのまま私を激しく抱きしめてきました。
「お、おねーちゃん……?」
私が驚いて身動きできずにいると、ネルヴィアさんの腕が微かに震えていることに気が付きました。
頑張って首をひねって見上げてみると、なんと彼女は静かに涙を流していました。
「よかった……セフィ様……!!」
そうしてネルヴィアさんが震える声で安堵の言葉を漏らしたのを聞いた私は、そういえばレジィに「ちょっとお城に行ってくる」とは伝えたものの、「戦いは一週間後にする」ということまでは伝えずに家を出たことに思い至りました。
このネルヴィアさんの様子からして、私がお城に寄ったあと、すぐに『死神』と戦いに行くと思ってしまったのかもしれません。
私は取り乱す彼女を安心させようと、一週間かけて確実に勝てるように準備をすることを伝えました。それから、危険な戦いに行く前にネルヴィアさんへ伝えないなんてありえないことも。
ネルヴィアさんが落ち着くまで、私は彼女へ優しい言葉をかけ続けました。
数分後、ネルヴィアさんがある程度落ち着きを取り戻したため屋敷の中へ移動すると、彼女は開口一番に、
「……セフィ様のお気持ちもわかりますが、やっぱり危険です。私はこの戦いに反対します」
私をギュッと抱きしめたままのネルヴィアさんは、自室のベッドの上でそう呟きました。
……うん、ネルヴィアさんなら絶対にそう言うと思ってましたよ。なんせレジィでさえ「逃げよう」なんて言ってたくらいですからね。
しかしここで戦わないということは、帝国や共和国を見捨てるのと同じことです。いずれ『死神』が暴れ出した時にも、見て見ぬふりをするということなのですから。
それに今や、私が守りたい人の数はたくさん増えてしまいました。その人たち全員を連れてどこかへ逃げるなんて現実的ではありません。
ネルヴィアさんもそういった事情はさすがに分かっているのでしょう。そして、私がどういった結論を下すのかも。
だから散々悩ましげに唸っていたネルヴィアさんは、やがて絞り出すような声色で呟きました。
「どうしても戦うと仰るのなら、私も連れて行ってください……!」
彼女のその言葉に、私はどう答えようか迷ってしまいました。
いえ、結論は出ていますから、悩んだのはその結論の伝え方ですね。
私がしばらく複雑そうな表情で押し黙っていると、そんな私の様子から、ネルヴィアさんも私の言わんとしていることを察したみたいでした。それとも、彼女自身も最初からそう思っていたのでしょうか。
「足手まとい……なんですね」
「…………。」
私は肯定も否定もせずに、黙って真っ白なシーツの皺に視線を落としました。
それからネルヴィアさんの私を抱く力が強まったのを感じて、気持ち程度のフォローを試みます。
「おねーちゃんだけじゃないよ。レジィも、ルローラちゃんも。ボズラーさんたち帝国魔術師も……ヘタしたら魔導師様たちだって、わたしはついてきてほしくない」
主に諜報や潜入が主な任務らしいルルーさんや、後方支援の要らしいマグカルオさんだって、まともに戦っていい相手ではないと思うのです。
戦闘特化であり人族最強のリュミーフォートさんならわかりませんが……しかし彼女は今、ずっと離れた別の戦場にいるらしいです。
それに何より、その戦いにおいて私が用いる魔法は『回避不可・防御不能・超広域攻撃』が主となります。敵が使ってくる攻撃も似たようなものでしょう。なので実力以前の問題として、誰かと共闘するなんて土台無理な話であるわけでして。
格闘ゲームで言ったら、全画面ガー不即死をノーゲージの予備動作皆無で撃ちまくるような戦いになるのです。
しかしそれでもネルヴィアさんは、私と共に戦えないことが悔しいみたいで……抱きしめられた私が彼女を見上げると、私の頬にぽたりと雫が落ちました。
ネルヴィアさんも今や竜騎士と呼ばれるほどの実力者なわけで、今回の敵が例外というか規格外すぎるだけなので、そこまで気に病む必要はないと思うのですが……
私はどんな言葉をかけたものかしばらく悩んでから、やがてそっと口を開きました。
「おねーちゃん、わたしと村ではじめて会ったときみたいだね」
その言葉に、ネルヴィアさんはハッとしたように息を呑みました。
たしかネルヴィアさんが私の村へ左遷されてきた当初も、こんな風にぐすぐす泣いてばかりいたように思います。
あの頃の泣き虫お姉ちゃんが帰ってきちゃったのでしょうか? ……まぁ、これもこれで可愛いんですけどね。
でもやっぱり……
ネルヴィアさんが私を抱く力が少し弱まった隙に、私は彼女の顔に手を伸ばし、その目尻を指でそっとぬぐいました。
「ネリーは笑ってるほうが、ずっとかわいいよ」
まるで軟派男のような口説き文句と共に、私はさりげなくネルヴィアさんを、彼女のお父さんが口にしていた愛称で呼んでみました。彼女の“家族だけ”が口にする愛称で、です。
するとネルヴィアさんは見る見るうちに顔を真っ赤に染めあげて、泣いているのか笑っているのかわからないおかしな表情になっちゃいます。
それからネルヴィアさんは私をベッドの縁に座らせると、まるでレジィみたいにベッド脇の床にペタンと座り、そして私の胸に抱き付いてきました。
ぐりぐりと私の胸に顔を押し付けている様子からして、さっきのは相当嬉しかったようです。彼女の身体からちっちゃなハートがふわふわ飛んでくのが見える気がします。
……もうすぐ私たちが出会って一年になるけど、まだまだ甘えんぼさんなんだから。
私はさっきまでのお返しとばかりに、ネルヴィアさんの頭を思いっきりぎゅーっと抱きしめました。
そして私はさらに、共和国の首都プラザトスでネルヴィアさんが私を黙らせた魔法の言葉をお返しします。
「だいちょうぶ、まけないよ。おねがい、わたしをしんじて」
するとネルヴィアさんはハッとしたように肩を震わせて……それから潤んだ瞳を上目遣いにさせながら、ちょっぴり唇を尖らせました。
「……ずるい、です」
そう言って再び私のお腹に顔をうずめてしまったネルヴィアさんに、私は彼女の頭を優しく撫でながら苦笑しました。




