1歳7ヶ月 2 ―――『死神』の足音
その日は学校もお休みで、“とある呼び出し”さえなければ平穏な一日のはずでした。
「ただいま~」
私が少しぐったりしながら逆鱗邸の玄関をくぐると、ちょうどロビーを通りがかっていたらしいレジィが獣耳を“ぴょこん!”と立てて駆け寄ってきました。
「おかえり、ご主人!」
そう言ってレジィは私を抱え上げると、おっきな瞳をキラキラ輝かせながら尻尾を激しくぶんぶん振ります。
私が「ただいま、レジィ」と微笑みながら彼の頭を撫でてあげると、レジィの表情はますます蕩けてしまいました。
しかしレジィはすぐに真顔に戻ると、困ったように小首を傾げました。
「ご主人……疲れてるのか? 顔色悪いぞ?」
「あー、いや、つかれてるってほどでもないけど……ちょっとね」
レジィは意外と、他人のちょっとした変化に敏感です。
私は苦笑しながらも、そういえば今回の件はレジィに話を聞いてみても良いかもしれないと考えました。
「ねぇ、レジィとちょっとおはなししたいな。わたしのおへやにいこ?」
私がそう言うと、レジィは耳をぴこぴこさせながら、
「……しょーがねーなー」
なんて言いながら、にやける口元を隠しきれていませんでした。ふふっ、愛いやつめ。
私の部屋に着くと、私をベッドに降ろしたレジィは、ベッド脇の床にペタンと座って上半身をベッドに預けました。これがレジィのお決まりのポジションなのです。
そしてベッドにあごを乗っけるレジィのすぐ目の前で、私は枕を抱きしめながら彼と向かい合いました。
「さいきん、ほかの獣人たちと会ってないよね? こんどの週末くらいに、村にかえってみる?」
「んー、そうだな。あんましほっとくと、パッフルとかチコレットがうるさいからな」
あの寂しがり筆頭の二人だけじゃなくって、獣人たちはみんなレジィに会えないと寂しがってると思いますけどね。
故・族長の娘さんであるというアイルゥちゃんなんかは、レジィにぞっこんラブなので特に。……レジィ本人は、その恋心にまったく気が付いていないみたいですが。
おかげでレジィに懐かれてる私に対する当たりが強いんですよね、あの子……。
それからも私たちはしばらく、世間話のような他愛のないおしゃべりを続けていました。
その間、レジィは私と二人っきりの時しか見せない甘えきった表情で終始ニコニコしており……そろそろ私は本題を切り出そうと、さっきまでと同じ声のトーンで、何気ない話題を装いながら口を開きました。
「ところでレジィ。黒と白の、四枚のはねを生やした女って……しってる?」
単刀直入に切り出した私の問いに、レジィの表情が見るからに強張ります。
そしてレジィは落ち着きなく視線を泳がせていたかと思うと、やがて意を決したように再び私と目を合わせました。
「だ……だめだ、ご主人……アレと関わっちゃ……」
「……そっか。やっぱりレジィはしってるんだ」
そして私は、今日緊急招集された中央司令部上等会議において議題となった、“白と黒の翼の少女”についてレジィに話をしました。
曰く、「あらゆる魔法を操る」。
曰く、「あらゆる魔法が効かない」。
その少女は、現在も膠着状態が続いている戦場の前線地帯……その各地に次々と姿を現しては、応戦した騎士や魔術師を容易に一蹴してから“質問”を一つして、また姿を消すということを繰り返しているのだとか。
虫を適当に払うくらいの気軽さで蹴散らされた前線の精鋭たちは、しかし奇跡的に誰も命を落としてはいないそうです。けれどもそれは気遣いや優しさによるものではなく、邪魔だからと蹴った小石をわざわざ砕こうとはしないように、その少女にとって意に介する必要さえなかったから無視されただけのことだろうとのこと。
そんな規格外の少女が繰り返しているという質問……それが―――
『“セフィリア”って人間はどこにいる?』
そこまで話をすると、レジィは珍しく青ざめながら俯いてしまいました。
「……直接見たことはないんだ……だけど魔族領で暮らしてれば、強い魔族の噂ってのはどうしたって耳に入ってくる」
実力主義的な思想の強い魔族は、開眼という特殊能力を持っている個体などの“傑出した実力”を持つ者は、二つ名を付けられたりして知らず知らずのうちに有名になっていくそうです。……ちょうどレジィもそうであったように。
それは裏を返せば、魔族の中での“知名度”が、すなわち実力を推し量る一つの指標となるわけで。
「魔族にもいろいろいるけど、“白と黒の翼”と言ったらそれが指すのは一人しかいない。一人でいくつも開眼を持っていて、戦った相手を城や島ごと消し飛ばしたとかいうデタラメな噂ばっかり聞こえてくるんだ」
「……そんなにつよいんだね」
「ああ。魔族なら誰もが知ってて、誰もが『どうか実在しないでくれ』って願ってるバケモノだよ。……ホントにいたんだな、“アレ”が……」
どうやらとんでもない相手に目を付けられてしまったようです。“セフィリア”なんて名前はそこまで珍しい名前でもないので、赤の他人だと思いたいものですが……おそらく現在この大陸で、一番有名な“セフィリア”は私でしょう。
リルルのせいでボボロザ樹海の魔族たちには私の名前は知られちゃっていますし、その怪物少女の耳に届いていたって不思議ではありません。
そして各地で私の居場所を訊いて回っているということは、敵はそう遠くないうちに“帝都ベオラント”という名に辿り着くと見ておいた方がいいでしょう。
その時、もしも帝都が戦場となるようなことがあれば、未曾有の大惨事が引き起こされることは想像に難くありません。
だからこそ私は、その怪物を……
「……逃げよう、ご主人」
しかし神妙な面持ちでレジィが呟いた言葉に、私は思わず目を丸くしてしまいました。実力至上主義である獣人族のレジィから、そんな言葉が出るとは思わなかったのです。
「ヤツの二つ名はいくつかあるけど、その中で一番有名なのが『死神』だ。ヤツは見ただけで相手を“消す”ことができるらしい。今まではあんまり信じてなかったけど、ご主人が似たようなことやってるのを見て、本当かもしれないと思うようになった」
見た相手を消す……つまりルローラちゃんの読心と同じく魔法の発動条件が“視認”であり、その効果が物質量をゼロにするというものなのでしょう。すなわち視界に入っただけで即死。
確かにそれを聞くと、とてつもなく恐ろしい相手だということがわかります。その上、彼女と対峙した人たちからの報告では、彼女は地震を起こしたり暴風を巻き起こしたりと強大で多彩な魔法も操り、そのくせこちらの魔法はまったく通用しなかったそうです。
それらの能力のどれか一つだけでも規格外だというのに、そのすべてを備えた、まさに怪物。
「他にも『魔王』なんて二つ名もある。たしかに噂が全部本当なら、間違いなく魔族最強だ。……だけどそれでもオレは、本気でやればご主人が勝つって信じてる。でも、いつもみたいに殺さないように手加減してたら……万が一ってことがあるかもしれないだろ……!」
そう言って、レジィは今にも泣きだしそうな顔になっちゃっています。
私はレジィを安心させるために頭を撫でてあげながら、彼の心配ももっともだと納得していました。
たしかに相手を殺さないように戦うというのは、かなりのハンデになります。通用するかどうかはさておき、相手の命を奪ってもいいのであれば『半径一キロの空間をすべて消滅させる』という乱暴な攻撃だって許容されるのですから。
しかもこちらが手加減をしなければならない一方で、相手はいくらでもこちらへ致死攻撃を連発することができます。
今まではそのハンデを差し引いても圧倒できるほどの実力差があったので何とかやってこられましたが、今回の相手はそうもいかないようです。
……じつを言うと、中央司令部上等会議での結論も“戦わない方がいい”というものでした。敵は人族と魔族の戦争のために戦っているというよりは、単純に個人の思惑で私を探しているようにも見えます。
そのため、魔導師候補でもあり帝都の最終防衛ラインでもある私を失うリスクを考えれば、両者の激突は極力避けたいということのようでした。
それにヴェルハザード陛下からも直接、「絶対に無茶は考えるな。自分の命を最優先に考えろ」と有難いお言葉を頂きましたしね。
しかしそれでも私は……
「しんぱいしてくれてありがとね、レジィ。でもやっぱり、わたしはたたかおうとおもってるよ」
「ご主人、でもっ……!!」
「それだけすごい敵がわたしをさがしているなら、いつかみつかっちゃうよ。それに、敵がいつまでも本気であばれないともかぎらないしね」
帝都に私がいることを聞きつけた敵が、私を炙り出すために帝都を消し飛ばそうとするかもしれません。
敵が昼間から堂々と姿を現して、「さぁここでは被害が大きくなってしまうから場所を変えましょう」なんて紳士的なことを言ってくれる保証なんてどこにもないのです。
敵が襲撃してきたその時になってようやく戦う意思を見せても、私の家族が住んでいる帝都が戦場ではますます本気が出せませんし……私が帝都にいたせいでたくさんの死人が出れば、その精神的ショックによって負けてしまうかもしれません。
それならいっそのこと、万全の体勢でこちらから迎え撃った方がよっぽど安全ですし、精神衛生上よろしいのです。
私だって、戦わなくて済むのなら戦いたくなんてありません。これがお仕事であれば、間違いなくボイコットしているところです。
だけどこれは私の意思で、私の守りたい人たちのための戦いです。それならば万全の準備と周到な計画でもって、戦いに臨むまで。
ああ、もう……私ってば前世からまったく成長していませんね。
ですけど今の私が守りたいものは、前世よりも遥かに大きくてかけがえのないもので……
そして今の私には、それらを守れるだけの力があるのです。




