1歳6ヶ月 7
その日の夕方に、私はお兄ちゃんの部屋を訪ねました。
いえ、“私は”というよりも“私たちは”ですね。今日、教室でお兄ちゃんの状況をポロッとボズラーさんに漏らしたところ、彼は「俺も行く」と言いだしてついて来たのです。……私が思いっきり嫌そうな顔をしてやったのに、気にせずついて来やがったのです。
最近ようやくドアノブにギリギリ手が届くようになった私は、軽いノックの後で扉を開きます。
「おにーちゃん」
できる限りにこやかに、優しい声色を心掛けたつもりでしたが、ベッドに横たわっていたお兄ちゃんは私たちの姿を見るや、気まずそうに目を逸らしました。
ボズラーさんが後ろ手で静かに扉を閉じるのを横目に、私はお兄ちゃんのベッドに歩み寄ります。
「もうおなかはへーき?」
「……うん」
まぁ、朝の段階でお腹は治ったとか言ってましたしね。
しかし私の目的は、お兄ちゃんにそんな質問をすることではありません。
「ね、おにーちゃん」
私はお兄ちゃんのベッドによじ登って布団に潜り込むと、私のいきなりの行動に困惑しているお兄ちゃんの目を間近で見つめながら口を開きました。
「もう、魔術師はあきらめる?」
私の言葉に目を見開いたお兄ちゃんは、少しの沈黙の後、小さく口をばくばくさせてから……その普段は凛とした青い瞳に、じわりと涙を浮かばせます。
唇を引き結んで黙りこんでしまったお兄ちゃんの手にそっと触れた私は、一言一言を噛みしめるようにして言葉を紡ぎました。
「おにーちゃん、なんだかあせってない?」
私の言葉に、お兄ちゃんは涙で濡れた金色のまつ毛をパチパチと瞬かせました。
「焦ってる……? オレが?」
「うん。きょう一日かんがえて、ボズラーさんやメルシアくんにもいろいろときいて、そういう結論になったの」
今日の授業の合間を縫って、私はボズラーさんとメルシアくんに最近のお兄ちゃんの様子で変わったところはなかったかを尋ねてみました。
すると、お兄ちゃんがこれまで私には見せていなかった一面や、お兄ちゃんがふとした瞬間に漏らした弱音を聞き出すことができたのです。
私は最初、他の三人の生徒たちの存在が、お兄ちゃんの心を急かしているのだろうと考えていました。
そしてそれは実際、少なからず的中はしていると思います。
魔術師を兄に持ち、本人も魔術への適性の片鱗を見せ始めているメルシアくん。
ちょくちょく抜けた言動は目立つものの、基本的にすべてが高スペックなヴィクーニャちゃん。
一見すると目立ったところはない割に、じつは現在最も魔術師に近づいているリスタレットちゃん。
そんな三人と並べられて、文字の読み書きもできないお兄ちゃんは肩身の狭い思いをしていることだろうと考えていたのです。
しかしボズラーさんとメルシアくんの話を聞いた限りでは、現在お兄ちゃんがコンプレックスと呼べるレベルで気にしているもの……それは、
「おにーちゃんの“目標”は…………わたしなんだね?」
「……~~~っ!!」
私のその言葉を聞いた瞬間、お兄ちゃんは茹でダコみたいに真っ赤になって、枕に顔をうずめてしまいました。
私は思わずニコニコと破顔しちゃいながら、湯気の出ているお兄ちゃんの顔を悪戯っぽく覗き込んじゃいます。
しかしすぐに真面目な顔を取り繕った私は、真剣なトーンでお兄ちゃんに声をかけました。
「でもね、おにーちゃん。人には、それぞれその人のペースがあるんだよ?」
「……」
枕にうずめた顔をチラリと私に向けたお兄ちゃんが、潤んだ瞳で私を黙って見つめてきます。
私はお兄ちゃんの熱くなったほっぺたにそっと手を添えながら、我が子に言い聞かせるように語り掛けました。
「ひとが成長するタイミングは、それぞれだから。おにーちゃんだってコツをつかんだら、あっというまにすごい魔術師になっちゃうよ」
「……」
私の言葉を受けたお兄ちゃんは、しかしそれでも浮かない表情で、不安げな光を瞳に湛えています。
そんなお兄ちゃんの心を射止めるべく、私は今日一日考えに考え抜いた殺し文句を口にしようとして……
「なぁ、ログナくん」
しかしそこで、私の嫌そうな顔を無視してまで逆鱗邸へついて来たボズラーさんが口を挟んできました。
もぉーっ!! 今すっごいイイとこだったのに!! なんなのさっ!?
ボズラーさんは私の怒りの視線に一瞬動揺したような素振りを見せつつも、構わずお兄ちゃんに向けて口を開きました。
「ログナくん、キミは騎士になるために剣術を磨こうとしていたことがあるそうだな?」
「え……うん、まぁ」
「その興味は今も薄れてはいないか?」
突然のボズラーさんの問いかけに、お兄ちゃんだけでなく私も困惑して固まってしまいました。
しかしボズラーさんはそんな反応にも構わず、先を続けます。
「じつは俺も、以前は騎士志望だったんだ。俺の魔術師としての師匠に出会うまではな」
「……! そうなの?」
「ああ。だから魔術だけじゃなくて、剣術についても多少は教えてやれる。……ログナくん、もしキミさえ良ければ、“魔法騎士”を目指してみないか?」
ボズラーさんの申し出に、お兄ちゃんは目を見開いて、ベッドに横たえていた身体をゆっくりと起こしました。
「魔法……騎士?」
「騎士でもあり魔術師でもあるなんて前代未聞だが、もしも実現すれば帝国でも唯一無二の存在になるだろう。キミならその“唯一無二”になれると、俺は思っている」
“唯一無二”……その言葉に、お兄ちゃんの瞳に輝きが灯りました。
「それに、毎日勉強勉強じゃあ息が詰まるだろう? たまには思いっきり身体を動かしてリフレッシュしないとな。そうは思わないか?」
そう言ってニッと笑うボズラーさんに、お兄ちゃんも釣られて微笑みながら、「うん」と頷きました。
「よし決まりだ! キミが成人して、今よりずっと背が大きくなる頃には、剣と魔法を自在に操るキミの名前を帝国に轟かせてやろうじゃないか。なぁ、ログナくん」
「……うんっ」
お兄ちゃんはボズラーさんの言葉に感極まったのか、はたまた安心したのか、その目に浮かんだ涙をごしごしと擦りました。
そしてさっきよりもずっといい表情になったお兄ちゃんに、ボズラーさんは拳を突き出して微笑みます。
「辛くなったらいつでも吐きだせ。一人でくよくよすんな。……家族を守れるように、強くなるんだろ?」
ボズラーさんの激励に、お兄ちゃんは大きく頷くと、
「……ありがと、ボズラー先生」
そう言って照れくさそうに笑いながら、突き出された拳に自分の拳を合わせました。
……。
えっ……私の出番は……?
すっかり落ち込んじゃってるお兄ちゃんを立ち直らせるような優しい言葉をかけて、お兄ちゃんに「やっぱりセフィがいないとダメだな」なんていわれちゃったりなんかしつつ頭をなでなでしてもらって、家族の絆をより一層深めるっていう私のプランは……!?
ちょ、ちょっとお兄ちゃん? なにボズラーさんと熱い視線を交わしてるの? その尊敬と信頼の視線はなに? わ、私だって剣術くらい教えられると思うよ!?
た、たしかに以前、ネルヴィアさんにお願いしてお兄ちゃんに剣術を教えさせようとして、でもネルヴィアさんがあまりにも感覚派の天才だったから教え方が下手過ぎて企画倒れしたっていう過去はあったけど……で、でも、今度はちゃんとやるよ!? もう一度チャンスを頂戴!?
しかしその後、お兄ちゃんはすっかりボズラーさんに懐いてしまったようで、私がすぐ傍にいてもボズラーさんを目で追いかけたり、教室でも放課後でもボズラーさんとばっかり話すようになってしまいました。
……お、お兄ちゃんのバカーっ!!




