0歳9ヵ月 4
お母さんが出かけてすぐに、私はハイハイでネルヴィアさんへと近づいて行きました。
まだ食事中だったらしいネルヴィアさんはそれに気が付くと、「んぐっ!?」と食べ物をのどに詰まらせたような声をあげています。
うーん、まだ食事中だったなら、ちょっかいはかけない方がいいでしょうか。
私はネルヴィアさんが食べ終わるのを待ちながら、ジーっと彼女の足元で視線を送り続けました。
ネルヴィアさんは私の視線がよほど気になるのか、三秒に一回はチラチラとこちらを見て、変な汗をかいています。
やがて食事が終わると、今度は食べ終わった食器をどうしようか迷っているみたいでした。
べつに何もしなくていいですから……。帝都に住んでるお嬢様じゃ、貧乏村での皿洗いなんてわからないでしょうに。
私はそろそろ、ネルヴィアさんにモーションをかけることにしました。
「う~、う~!」
「えっ、えっ!? なんですか!? 何かお気に障りましたかお嬢様!?」
……お嬢様ではないです。
私は唸りながら両手をネルヴィアさんに差し出して、「抱っこ!」と仕草で伝えます。
私はばっちり彼女の目を見ているのに、「え、私!?」とか言いながらキョロキョロ周りを見渡していました。いや、他に誰がいるんですか。
「うーっ!」
「あああっ! わかりましたごめんなさい! 怒らないでください!」
ネルヴィアさんは可哀想なくらい狼狽えながら、すぐに席を立って私に手を伸ばしました。
……が、私に触れる直前で「あっ」と手を引っ込めてしまいます。
「て、手甲つけたままじゃ痛いかな……剣も危ないし……で、でも外したら……」
「う~!!」
「ぴゃあ!? ごめんなさいすぐに外しますぅ!!」
ネルヴィアさんは手甲や肘当て、胸当てや剣などをガチャガチャと素早く脱いで、身軽になりました。
甲冑の下には薄くて黒い肌着しか着ておらず……
……えっ、おっぱいでかっ!!
「え、えっと、セフィ……ちゃん……? ごめんなさい、失礼しますね……?」
ネルヴィアさんはかなり腰が引けた姿勢のまま、私をそっと持ち上げて、優しく抱きかかえました。
まるでガラス細工でも扱うような慎重さと、どんなミスも犯してなるものかという真剣さに、彼女の性格が滲み出ているような気がします。
私は、村の人たちに天使の笑顔と評される、とびっきりの笑顔を浮かべました。
すると、
「かっ……かわいい……」
思わず漏れてしまった、といった感じに呟いたネルヴィアさんは、わなわなと震えながら、そっと椅子に座りました。
そして恐る恐る、おっかなびっくりといった手つきで、私の頭をそっと撫でます。
それに対して、私はネルヴィアさんの手を握ると、自分の胸に引き寄せてぎゅっと抱きしめました。
これもご好評を頂けたみたいで、ネルヴィアさんの表情はますますだらしなくなります。
ネルヴィアさんは私を優しく抱きしめると、ちょっとだけ泣きそうな顔になって、
「セフィちゃんは可愛いし、マーシアさんも、村の人たちもみんな優しいし……もうダメかと思ったけど、やなことばっかりじゃなかったなぁ……」
“もうダメかと思った”……?
私は不思議そうに、ネルヴィアさんの顔を見上げました。
するとネルヴィアさんは、何かを押し殺したような声で続けます。
「……セフィちゃんは、賢くて良い子ですね。……それにくらべて……私は、良い子じゃないから……ぐすっ……だから……追い、出されて……」
私はその言葉を、最後まで聞くことはできませんでした。
ネルヴィアさんは途中で堪えきれなくなったのか、とうとう嗚咽を漏らしながら泣き始めてしまったのです。
……なるほど、事情は大体わかりました。
盗賊退治というのはただの建前。帝都だって、この村に盗賊が現れるだなんて思ってはいなかったのですね。
ようするに、体の良い“厄介払い”。
理由はわかりませんが、ネルヴィアさんは、帝都か騎士修道会か、はたまた彼女の実家から役立たずの烙印を押されて、こんな僻地に飛ばされてしまったというわけでしょう。
何かの試験に落ちたか、悪い戦績しか残せなかったか、あるいはよっぽどの大失態をやらかしてしまったか。
ともあれ、もう帝都に彼女の居場所はないも同然でしょう。
なぜなら今回の盗賊退治というのが、そもそも無理難題だからです。
二ヵ月も前から噂があって、しかし実際に何が起こったわけでもありません。
存在さえも疑わしい盗賊を退治せよなどと、絵に描いた虎を捕えよと言われる様なものでしょう。
「もう帰ってくるな」と、言外に言われているも同然です。
あまつさえ、もし万が一に盗賊が現れたとしても、彼女一人で何ができるというのでしょうか。
そんな実力があるのなら、こんな場所に飛ばされはしなかったはずなのですから。
今度は盗賊にさえ後れを取るできそこないとして、さらに酷い環境へ左遷されてしまうことでしょう。
「うぅ、ぐすっ、ご、ごべんなざい……うぇぇえええん……!」
たった今、ほんの少し事情を聞きかじっただけの私でもわかることです。当事者の彼女に、この事が理解できていないはずがありません。
だから彼女は、こんなにも卑屈になってしまったのでしょう。びくびくと怯えて、いつも泣きそうな顔をしていたのでしょう。
そして今、ずっと我慢してきたものが、ついに決壊してしまったのでしょう。
「なかないで、おねーちゃん」
私が優しい声で呼びかけると、むせび泣いていたネルヴィアさんは目を丸くして辺りを見回しました。
そして、それからゆっくりと視線を私に戻して、「ひっく」としゃくりをあげます。
彼女の事情は大体わかりましたし、それに彼女が悪い人間じゃないということも、よくわかりました。
私も正体を隠す必要はないでしょう。
なにより……正体を隠したままでは、彼女を慰めてあげることができません。
「だいじょうぶ。だいじょうぶだよ、おねーちゃん」
私は精一杯 体を伸ばすと、ネルヴィアさんの頭を包み込むように抱きかかえます。
しばらく呆然としていたネルヴィアさんは、やがて、再び声をあげて泣き始めました。
ネルヴィアさんに力いっぱい抱きしめられるのは少し苦しかったですが、彼女の抱えていた苦しみを思えば、これくらいは喜んで引き受けます。
私は彼女が泣き止むまでのあいだ、ずっと彼女の頭を撫でながら励ましの言葉をかけ続けました。




