1歳6ヶ月 5 ―――セフィリア先生の魔法実験
帝都魔術学園の寂れたお庭で、現在私は生徒たちを伴って実験を行っていました。
「はい、じゃあみなさん、このお水に手をいれてみてください」
私が魔法によって即席で作った“池”の傍に集まった生徒たちが、恐る恐るといった様子で池に手を突っ込みます。
「わっ、なにこれ!?」
真っ先に手を突っ込んだリスタレットちゃんが、池に入れた手でぐるぐると水を掻き回します。
その水は半ば重力に逆らうような挙動でふわふわと空気中に飛散すると、まるで鳥の羽のようにゆっくりと地面に向かって落下していきました。
他の子たちも、この不思議なお水の感触に驚きの声を上げています。
私はボズラーさんに抱かれながら得意げに笑いつつ、
「どうですか? まるでこのお水、“空気”みたいじゃないですか?」
私の言葉に、生徒たちは躊躇いがちに首肯します。
そう、この実験の主題は、水と空気の境界を曖昧にすることによる『空気の存在証明』なのです。
どうにも彼らは、空気が存在している空間には“なにも存在しない”と思い込んでいるらしく、“空気”という概念を教えてもあまり理解や納得を示してくれませんでした。
風魔法を扱えるボズラーさんですら創造神の四属性だとか意味不明な戯れ言をのたまうくらいですから、無理もありませんが……
まぁボズラーさんの場合は、理屈や言葉で説明するだけの知識を有していないだけで、感覚的には空気の概念を理解しているはずなんですけど。じゃないと彼が風魔法を得意としている理由に説明が付きませんし。
というわけで私は“何もないように見える空間にも何かはある”ということを証明するために、この魔法の池を作成したのです。
この池の水には、重量というものがありません。……昔テレビで、「無重力下における水は迂闊に触れると窒息する」というような説明を見た気がするので、生徒たちの手や腕以外の部分に触れた水は消滅するように設定していますが。
加えて、水の温度を微調整して気温と全く同じにしました。
つまりこれは、『触れてもほとんど触っている感覚が無い水』なのです。
「これでわかってもらえましたか? 空気というのは、かぎりなく軽いお水のようなものなんです。わたしたちは、空気という海の海底で生きているというわけですね」
その説明を聞いた生徒の皆さんは「なるほど……」と真剣な表情で“エア水”を興味深げに触っています。
しかしそこで、お兄ちゃんは控えめに手を挙げながら、私に質問をしてきました。
「あの……でも先生。水の中じゃ、オレたち息ができないんじゃないのか?」
お兄ちゃんの問いに私が答えようと口を開きかけた、その直前。
お兄ちゃんのすぐ傍にいたメルシアくんが、
「でも、空気には“サンソ”があるって先生が言ってたよね? ぼくたちの呼吸は“サンソ”を得るためらしいから、“サンソ”のある空気を飲み込めば、息ができるんじゃないかな?」
メルシアくんの説明に、私は思わず拍手をしました。
「すごい! そのとおりです、メルシアくん!」
「あ、あぅ……ありがとうございます……」
メルシアくんは顔を真っ赤にして、嬉しそうにはにかみました。
するとそんな様子を見たヴィクーニャちゃんが、手にしている可愛らしいデザインの日傘をくるくる回しながら口を開きました。
「クク……魚が水を飲んで息をするように、地上で生きる生物は“空気”という軽い水を飲んで生きているというわけなのね。そして空気には、サンソという生命力の源のようなものが含まれている……と」
「うん、ほとんどそのとおりです。でもお水にも酸素はふくまれてますけどね?」
「……え?」
「魚は“エラ”という器官で、お水から酸素をえることができるんです。で、人間などは“肺”という器官で空気から酸素をえることができます。ほとんどすべての動物は酸素をえることで生きているのですが、しかしその酸素をえる方法がそれぞれちがっているというわけですね」
私が説明を補足してあげると、ヴィクーニャちゃんは余裕の笑みのまま固まってしまいました。
とりあえず私は「あはは……まぁ、これはまだよくわからなくてもだいちょうぶですよ」とフォローしてあげます。
「とにかく、これでわたしたちのまわりには、目には見えないだけで、たくさんの“空気”というものがあることはわかりましたね?」
私がそう訊ねると、生徒たちはこくりと頷いてくれました。
「それじゃあ、また座学にもどりましょう! こんどは、どうやって空気がうごくのかについて、お勉強します」
私の指示に従ってぞろぞろと学び舎に戻って行く生徒四人を横目に、私は魔法で軽くした水の重量を元に戻しておきます。風に飛ばされたこの水を誰かが吸い込んじゃったら事件ですからね。
そして私も校舎に戻ろうと、ボズラーさんに「よし、もどろう」と言ったところで……
先に校舎へ向かっていた生徒たちの最後尾を歩いていたお兄ちゃんが一瞬、なんとも言えない表情で私を振り返ったのが見えました。
……お兄ちゃん?




