1歳6ヶ月 1 ―――“目覚めた男”
「あ、セフィリア様よ!」
そんな声が、帝都の城下町にある商店街に響き渡りました。
身長六〇センチ程度である私はそこまで目立つ方ではないと思うのですが、私が帝都を歩いていると必ず誰かがすぐに発見して、挨拶をしてくれます。
「こんにちは、セフィリア卿!」
「本日もベオラント城へ?」
「帰りは是非、うちに寄って行ってください! 珍しい品が入ったんです!」
「今日はネルヴィア殿と一緒ではないんですね?」
次々と私にかけられる言葉はどれも温かく、かつての迫害じみた扱いがまるで嘘のようです。
クルセア司教と『明星派』の修道士たちによって私のイメージアップ活動が為され、さらにそもそも私への悪意的な噂や印象はすべて、悪者によって操られたカルキザール元司教以下の『久遠派』修道士たちによる陰謀であると判明したのが数ヶ月前のことです。
私はその直後に共和国への旅に出てしまったため、それからのことはあまり詳しく知らないのですが……私が“声”を取り戻して帝都へ帰ってきた時、帝都の皆さんは私の帰還を盛大に祝福してくれる程度には好意的になってくれていました。
私が帝都にいなかった空白の一ヶ月の間、いろいろなことがあったそうです。
まず、私がカルキザール元司教を許して、彼の心を慰める手紙を渡したことや、『久遠派』の修道士たちや私を迫害していた帝都民が気に病まないよう、大々的に彼らを許す通達を出したことを、クルセア司教は嬉々として美談のように誇張しつつ帝都に発信したようです。
おかげで教会に訪れて勇者へ熱心に祈りを捧げる帝都民の数が、これまでの五倍以上になったと聞いたときは、何やら言いしれぬ悪寒を覚えたものです……。
しかも『久遠派』の修道士たちは私を本気で神様か何かみたいに信奉するようになってしまいましたし……私の住む逆鱗邸を勝手に聖地認定して、門の前で跪いて祈りをささげるのはやめてください。なんか怖いですし、お兄ちゃんの教育に悪そうです。
さらに、なんとあのヴェルハザード皇帝陛下が直々に帝都民を集め、スピーチを行っていたという話も聞きました。
その内容は、私の『逆鱗』という二つ名の由来と、その名が示す本当の意味……加えて、私が家族に強く執着するのは盗賊に襲撃された恐怖に起因することや、私が自分のことでは滅多に怒らない性格だということを説明するためのスピーチだったそうです。
べつにそんなこと頼んでないのに……もう、あの人は本当に過保護なんですから……。
聞けば、私が魔導桎梏を嵌められたという知らせを聞いた魔導師様たちは、それぞれ前線での仕事に一区切りがついたタイミングで、帝都へ飛んで帰ってきてくれたそうです。
そこで特に感情を露わにしていたのは、なんとルルーさんだったとのこと。……まぁ、今回の黒幕がリルルだったということは、彼女の姉妹であるルルーさんなら話を聞けばすぐにわかりそうなものですしね。
しかしルルーさんの怒りの矛先は、リルルの陰謀を防げなかった陛下やクルセア司教たち、そしてまんまと踊らされたカルキザール司教や久遠派の修道士たち、さらには迫害に手を貸していた帝都民たちにまで向けられ……ルルーさんを落ち着かせるのはかなり手を焼いたと、他ならぬ陛下がげっそりしながら仰っていました。
しかし、いつも私のことを不快そうな目で見るルルーさんが、なぜそこまで感情を荒立てたのでしょう……? やっぱりリルルが関わっていたことで、半ばパニックにでもなっていたのでしょうか?
まぁ、それはさておき。
おかげさまで今の私は、それなりに多くの人々に受け入れられていました。
しかし一度は根付いた恐怖が、そう易々と解消されるとは思えません。表面的には落ち着いているように見えるだけで、今も根本的なところでは私への恐怖が巣食っていると考えた方がいいでしょう。
そしてその恐怖を和らげていくのは、これからの私の行動に他なりません。せいぜい言動には気をつけて、いつか本当に帝都の人々から信頼を得られるように尽力しましょう。
私はそんな決意を胸に帝都を歩きながら、次々と私にかけられる人々の挨拶に応えていきます。
でもネルヴィアさんが一緒にいると、こうはいかないんですよねぇ……。
ネルヴィアさんは私と違って、私を迫害していた帝都民を完全には許していないようです。彼らが私に近づこうものなら子犬のように唸って威嚇し、小走りでベオラント城へ向かってしまいますから。
だから時折このようにして、私一人で帝都を歩いているというわけです。
彼女の気持ちは、それはそれでとっても嬉しいですけどね。
やがて私は、目的地であるベオラント城に着きました。
今回は陛下からの呼び出しではなく、中央司令部のザルトサッカー司令官からの緊急招集です。すなわち、中央司令部上等会議が再び開かれようとしているわけですね。
この中央司令部上等会議が最後に緊急招集をかけられたのは、レジィたち獣人の集団が帝都へ接近してきたことに対処するためでした。
すなわち、今回の招集もそれに類する悪い状況に対処するためというわけで……はぁ、胃が痛い。
私が会議室に到着すると、参加者である八人全員がすでに勢揃いしていました。
ザルトサッカー司令官、ベヘル副司令官、ミービル幕僚長、キュリア兵站主席幕僚。
そして帝都の東西南北をそれぞれ防衛する、ネックトータス北方守護主席幕僚、リュレイン東方守護主席幕僚、ライグ西方守護主席幕僚、バルザー南方守護主席幕僚。
そこに魔術幕僚長である私を加えた九人で、中央司令部上等会議は執り行われます。
「今回の議題は他でもない、共和国の鉱山都市、ヨグペジャロト遺跡で起こったという事件についてだ」
私が挨拶もそこそこに着席すると、ザルトサッカー司令官はふくよかな顎を撫でながら、神妙な面持ちで切り出しました。
ベヘル副司令や他の幕僚たちは当たり前みたいな表情で頷いていますが、私の耳にはまったく入っていません。なんですか、それ?
レグペリュムって、ドワーフみたいな人たちが住む閉鎖的な街なんですよね? そこでヨグなんちゃら遺跡の発掘作業が進められているっていうのは、ダンディ隊長から聞いたことがありますけど……
私が話題についていけてないことを察したのか、すかさずベヘル副司令がより詳細な説明をしてくれました。
「五日ほど前、レグペリュムのヨグペジャロト遺跡で、とある“人間”が発掘されたのです」
「……は?」
人間が……発掘? なんですか、その面白い響きは。
「それはつまり、ミイラってことですか?」
「いえ。まず遺跡から棺桶のようなものが発掘され、発掘隊の者がそれを開けた途端、中に眠っていた人間が目を覚まし、活動を始めたのだとか」
……棺桶の蓋が閉まっている間、棺桶内部の時間を止めておく術式を構築すれば再現は可能でしょうね。
もっとも、そのためには膨大な魔力が必要でしょう。どれだけの長い間眠っていたのかはわかりませんが、もしもその目覚めた人間とやらが術者だった場合はかなり厄介なことになりそうです。
そのことを私が即座に進言すると、幕僚たちは「さすがは魔術幕僚長殿だ」と驚き半分に呟きました。
私は不安になって、少し身を乗り出すような勢いで質問します。
「その人が、イースベルクであばれてるんですか?」
「いえ、その男は目覚めてすぐに遺跡内の宝物庫のようなところから岩の塊を持ち出すと、取り押さえようとした発掘隊を即座に叩き伏せ、そのまま逃亡したようです。報告を受けて追走したリバリー魔導隊によると、男はまっすぐに魔族領のボボロザ樹海方面へと逃げ込んでいったとのことです」
私はそれを聞いて、ホッと胸をなで下ろしました。レグペリュムから馬車で三日の距離には、イースベルクの首都プラザトスがあります。せっかく私たちが苦労して首都の腐敗を取り除いたというのに、そんなわけのわからないものに襲われては堪りません。
しかし今頃は、大統領代理であるルグラスさんは大忙しでしょうね……ちょっとあとで、様子を見に行ってみようかな。
「その一連の事件における問題点は、三つある」
ザルトサッカー司令官は、太くて短い腕を組みながらそう言いました。
「一つめは、その男が秘めていたという恐ろしい身体能力だ」
ダンディ隊長も言っていましたが、レグペリュムの人々は背がかなり低い代わりにとんでもない身体能力を備えているそうです。
そんな彼らで構成された発掘隊が、たった一人の人間に手も足も出ずに制圧されたという事実……それを帝国は非常に危惧しているみたいでした。しかもその男は目に見えて魔法らしい魔法も使わず、あくまで身体能力のみで彼らを圧倒したと言うのです。
この事件の詳細がレグペリュムの外部に認知されているのは、その“目覚めた男”によってもたらされた被害が甚大で、彼らがプラザトスに助けを求めたからなのだそうです。
現在、プラザトスの病院にはレグペリュム出身者が十数名ほど入院しているそうで、これらの情報は彼らによってもたらされたものなんだとか。
「二つめは、その男には“魔法が効かなかった”ということだ」
レグペリュムで暴れたその男は、街を出るとまっすぐに魔族領へと駆け出しました。その脚力は凄まじく、馬をも振り切るほどだったそうです。
しかしその緊急事態に対応したのが、リバリー魔導隊というイースベルクの切り札とも言える部隊でした。全員が女性の魔術師で構成されているという魔導隊は、どうにかその男が魔族領へ逃げ切る直前に追いつき、攻撃を仕掛けたそうです。
けれども彼女たちが仕掛けたすべての魔法攻撃は、まるで掻き消されたかのようにして、男に届く前に“無効化”されてしまったとのだとか。
それは私の『絶対領域』のような魔術結界が作用しているような感じではなく……阻まれているとか、弾かれているとかではなく、“打ち消された”というのがリバリー魔導隊の見解なのだそうです。
……その話が本当なら、私にとって最悪の敵ということになりますね。
そして最後に、ザルトサッカー司令官は頭を抱えながら、最後の問題を指摘しました。
「そして三つめは……“棺桶は二つあった”という事実だ」
謎の男が目覚めた棺桶の隣には、“既に開かれた”棺桶が一つ存在していたそうです。
棺桶の形状や装飾はまったく同一のものであったことから、この棺桶に入っていたであろう人間が、目覚めた男の仲間である公算がかなり高いというのが帝国と共和国に共通する見解です。
そして問題の焦点は、この二つめの棺桶がいつ開かれたのか? 中に入っていたであろう人間が、今も生きているのか? 生きているのだとすれば、それはどこにいるのか?
目覚めた男は、覚醒してからすぐに魔族領へと向かって行きました。ではその理由は?
じつは彼こそが現代に蘇りし勇者で、魔族を討ち滅ぼさんとしている……なんて希望的観測は、捨てた方がいいでしょう。
リバリー魔導隊は、一応攻撃を仕掛ける前に対話を試みたそうです。けれども彼は一切のコミュニケーションを拒絶し、まったく相手にしなかったのだとか。
魔族だからといって人族に敵対するとは限らないように、人間だからといって人族に味方するとは限りません。ましてや封印されていた古代人なんて、尚更です。
詳しいことが分からないうちは、最悪を想定して対策を練るのが良いでしょう。
私たちはその後、魔法が通用しないというその男が帝国に襲いかかってきた場合、どう対処するかということを話し合いました。
もしも本当に一切の魔法攻撃が通用しないのだとすれば、そんな怪物に対処するためには選りすぐりの騎士たちを集団でぶつけるか、あるいは人族の切り札であるリュミーフォートさんを担ぎ出すしかないというのが、幕僚たちの結論みたいです。
そして彼らは遠慮がちに、私を案じるような視線を向けてきました。
「魔法を無効化するという話が事実であれば、セフィリア卿はその男とは接触しないよう気をつけてください」
「……。……ええ。そうしましょう」
私は喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、曖昧な笑顔で首を縦に振りました。
まぁ、働かなくていいと言うのであれば、お言葉に甘えるとしましょう。




