1歳5ヶ月 8
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野菜などの名前は、わかりやすさ優先で地球準拠表記です。
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「あくてぃびてぃ?」
誰からともなく上がった疑問の声に、私は頷きました。
この世界には“アクティビティ図”なんて言葉も概念も存在しないでしょうから、彼らの疑問はごもっともです。
「ボズラーさん」
「ああ」
私の合図に従って、ボズラーさんが四人の机にそれぞれ紙と筆記用具を配布してくれます。紙の上部には黒い丸が、そして下部には二重丸が、それぞれ記号として書かれています。
それらが行き届いたことを確認したところで、私は教卓の上で足をプラプラさせながらレクリエーションの説明を始めました。
「これからやることは、かんたんです。みなさんにはそれぞれ、“サンドイッチ”のつくりかたを書いてもらいます」
ルールを説明されても、四人はいまいちピンと来ていない表情です。まぁ、無理もありません。これがどう魔法と関係するのかなんて、今の段階でわかったら普通じゃありません。
そして私は「ただし」と言いながら、ニヤリと笑いました。
「ひとつの“工程”を書いたら、それを丸で囲んでください。こんなふうに」
そう言って私がみんなに向けた紙には、(キャベツを挟む)という文字を丸で囲ってあります。……まぁ、私には文字は読めませんけど。
「あとは、丸で囲んだ“工程”を線でつないでいきます。サンドイッチをまったく知らない人が、みなさんの書いたそれを読んで、サンドイッチをつくれるような図にしてくださいね。ただしイラストをかくのはダメです」
私はボズラーさんに視線で合図を出して、彼をお兄ちゃんの隣に座らせました。お兄ちゃんは文字が書けませんから、ボズラーさんに代筆してもらうのです。
「いちばん上の黒い丸がスタートです、そこから線をのばして、ひとつめの“工程”につなげて、さいごはいちばん下の二重丸に線をつなげたらおしまいです」
私の説明に、四人は手元の紙に記された図形に目を注ぎます。
「そして大前提として、サンドイッチの材料……こんかいは、パン、キャベツ、トマト、ゆで卵のよっつが、それぞれ切られていない状態で用意されているということにします」
それから私は制限時間を十分と設定して、「よーい、はじめ!」と開始の合図を出しました。
さてさて、どうなりますことやら。楽しみです。
私の体感時間で、およそ十五分ほどが経った頃。
一番作図に時間をかけていたメルシアくんも出来上がったみたいなので、私は「はい、そこまで!」と作図タイムを打ち切りました。
「それじゃあ、ひとりずつ見ていきましょうか」
私はボズラーさんを呼び寄せて抱っこしてもらうと、四人の机に並んだ紙をざっと眺めました。そしてボズラーさんに、軽く図の概要をざっくりと説明してもらいます。……まぁ文字が読めなくても、大体何が書いてあるかなんてわかりますけどね。
自分たちの図をジッと眺める私の視線に、余裕の笑みを崩さないヴィクーニャちゃん以外の三人はちょっと緊張気味の表情です。
私はまず最初に、ヴィクーニャちゃんの図を指で示しました。
「ヴィクーニャちゃん。これ、せつめいしてくれる?」
「ククク……良いでしょう。まず最初の工程は(使用人を呼ぶ)よ」
「うん」
「そして次に、(サンドイッチを作るよう命じる)ね」
「うん」
「以上よ」
私は無言で指をパチリと鳴らすと、ヴィクーニャちゃんが作製した図を“ドボゥッ!!”と焼き尽くしました。
「え……」
一瞬で炭屑と化した自分の図を見たヴィクーニャちゃんは笑顔のまま表情を固まらせて、炭と私の顔を交互に見比べました。
「ボズラーさん。問題点をおしえてあげてください」
「……いや、まぁ……問題しかないわけだが」
そうは言いつつも、ボズラーさんは顎に手を添えながら真剣な表情で指摘を始めます。
「まずこれは“サンドイッチの作り方”じゃなくて“サンドイッチの作らせ方”だな。根本的に趣旨が違う」
ボズラーさんの指摘に、ヴィクーニャちゃんは静かに笑みを引っ込めました。
大公女殿下を怒らせてしまったかとビビるボズラーさんに、私は無言で先を促します。すると彼は渋々といった感じに、
「さっきセフィリア先生も言ってたが、この図は第三者に見せても成立するものでなくてはならない。百歩譲ってこの図の工程が適切だったとしても、この図の通りに工程を終えることができるのは、使用人を雇っている立場の人間だけだ。キミたち四人の中では、おそらくヴィクーニャ様……ヴィクーニャちゃんだけってことになる。それじゃあ論外だろう」
「……でも、結果は同じではないかしら……」
「同じではないな。言うなればこれは、“桶の水に魔法をかけて増やせ”と言われているのに、近くの川を魔法で爆発させて桶を水浸しにするようなものだ。たしかに桶の水は増えたが、だったら魔法なんて使わなくても桶に水を注ぐくらい誰にでもできる。それではいつまで経っても水を増やす魔法は習得できないぞ」
ボズラーさんからの指摘が終わると、ヴィクーニャちゃんは再び優雅に紅茶を……あっ、よく見たら紅茶を持つ手が震えてる!
ヴィクーニャちゃんはしばらく黙りこんでしまって、私は彼女が逆ギレとか始めちゃったらどうしようかと内心でびくびくしていました。
けれども彼女は唇を噛んでプルプル震えだしたかと思うと、
「……ごめんなさい……趣旨を、はき違えていたわ……」
と、瞳に涙を浮かべて俯きながら、震える声で呟きました。
そんなヴィクーニャちゃんの意外と素直な対応に、私とボズラーさんは声を出さずにアイコンタクトだけで会話をします。
あくまで無言のアイコンタクトなので正確なところはわかりませんが、その会話は概ね以下のようなものだったと思われます。
『お、おいどうすんだこれ! 大公女殿下が泣いちまったぞ!?』
『あーあ、いけないんだー。ボズラーさん姫様を泣かせちゃったー。陛下に言いつけてやろー』
『お、おまッ……!? ふっざけんな!! お前が自分の代わりに言わせたんだろうが!?』
『言い方がキツかったんじゃないかなー。私だったらもっとやんわり指摘してたのになー』
『一人だけ助かろうとしてんじゃねーよ!! お前こそ、図を燃やすこたぁなかっただろうが!! 言っとくけど陛下からお叱りを受けたら、お前も道連れにしてやるからなーっ!?』
数秒の間、私とボズラーさんは見えない火花をバチバチと散らして……それから、私たちが争っていても仕方ないと結論して、すぐに思考を切り替えます。
他の子たちと同じ扱いを望んだのはヴィクーニャちゃん本人なのですから、陛下に怒られる謂れはありません。……いや、あの過保護な皇帝陛下なら、謂れはなくても怒り出すかもしれませんけど。
私は背中に嫌な汗を流しながら、続いてお兄ちゃんが描いた図に視線を向けます。
「えっと……それじゃあ次に、ログナくん。その図をせつめいしてください」
「は、はい……」
最初の一人目をボロクソに酷評したせいで、次鋒となるお兄ちゃんはかなり緊張しているみたいです。ま、まぁそうなるよね……
お兄ちゃんは自信なさげな小さい声で、自分の書いた図の一つ目の工程を指さしました。
「まず、(パンにキャベツを挟む)」
「うん」
「それから、(パンにトマトを挟む)」
「うん」
「で、最後に(パンにゆで卵を挟む)」
「うん」
「…………おわり、です」
お兄ちゃんは不安げに、私を上目遣いで見つめてきました。図を書いた紙からちょっと距離を取っている辺り、そのビクつきようが窺えるというものです。だ、大丈夫だよ、燃やしたりしないから……
私はお兄ちゃんを安心させるように大きく頷くと、優しい声色で口を開きました。
「うん、よくできました」
「……! は、はい!」
私の言葉に、お兄ちゃんはすごく嬉しそうに頬を上気させて、それからホッと息を吐きました。よほど緊張していたみたいです。
ただ、この図にもいろいろと問題があるので、心苦しいですけど指摘しなければいけないんですけどね……
私がボズラーさんを見上げると、彼はちょっと嫌そうな顔をしてから、深々と溜息を吐きました。こら、人の顔に溜息をかけるんじゃないよ!
ほら、さっさと指摘してあげて!
「……ログナくん、キミの頭の中では、綺麗なサンドイッチになっているんだろう。だけど、この図を見る限りでは、綺麗なサンドイッチにはならないんだ」
「え……?」
「最初にセフィリア先生が言っていた言葉を覚えているか? サンドイッチの材料は“切られていない状態で”用意されているんだぞ」
ボズラーさんの言葉に、お兄ちゃんは「あ……」と声を漏らしました。
「そうだ。サンドイッチを知らない人間がこの図の通りに作ったら、トマトとキャベツとゆで卵を、パンに丸ごと挟むことになる。……まぁ常識的に考えてそんなことはしないだろうが、少なくともログナくんの頭に思い浮かべているサンドイッチと同じ形にはならないと思うぞ」
きっとお兄ちゃんの頭の中では、ちゃんとパンや具材は挟む前に適切な形と大きさに切られる工程を経たのでしょう。
しかしそれを明示的に文章化しないことには、他者に伝わりっこないのです。
魔法は思った通りに動くのではなく、書いた通りに動きます。そのことを理解せずに適当な呪文を構築して魔法を発動させれば、思い通りの効果は発揮してくれないことでしょう。
私はお兄ちゃんに苦笑を向けつつ、
「いまのまま魔術師になったら、きっとひどい事故がおこっちゃうね?」
「は、はい……すいません……」
今はそれを知るための授業中なのですから、謝ることなんてありません。これからゆっくり成長していけばいいのです。
私は続いて、リスタレットちゃんの図に視線を移しました。
「それじゃあリスタレットちゃん。せつめいしてくれる?」
「はいっ!!」
リスタレットちゃんはちょっぴり慌てつつも、図を私に向けながら、一つ目の工程を示しました。
「まず最初に、(パンを薄くスライスする)、(キャベツを一枚剥がす)、(トマトを薄くスライスする)、(ゆで卵を薄くスライスする)……」
「うんうん。それから?」
「えっと、それからはログナくんとおんなじで、(パンにキャベツを挟む)、(パンにトマトを挟む)、(パンにゆで卵を挟む)でおしまいです!」
ふむふむ、なるほど。まぁ及第点ではないでしょうか。
私は「はい、よくできました!」と言って、リスタレットちゃんに笑顔を向けました。
すると彼女は両手を頬に添えて、嬉しくって仕方がないといった感じに身をよじり始めます。……やっぱり、勇者信仰にどっぷり浸かっちゃってる系の子っぽいですね。
私を抱いているボズラーさんに向き直りながら、私は彼にリスタレットちゃんの図を示します。
「どうかな、ボズラーさん? これならバッチリ?」
「うーん、まぁ良いんじゃないか?」
「……ほんとうに?」
私が目を細めながら念を押してみると、ボズラーさんは数秒ほど考え込んでから「あ」と声を漏らしました。どうやら気が付いたみたいですね。
彼は(パンにキャベツを挟む)という工程の部分を指でトントンと示しながら、
「この書き方だと、パンにキャベツだけを乗せた状態で挟んでるな……。これじゃあ、キャベツだけを挟んだパンと、トマトだけを挟んだパン、ゆで卵だけを挟んだパンの三つができると解釈することもできる」
「……!!」
「それから同じパンに対して三つの処理を行うとしても、具材を一つ乗せるたびに“挟む”必要はないな。まずパンを下に敷いてから、具材を一つずつ“乗せて”、最後に挟めばいいんだ」
ボズラーさんの言葉に、リスタレットちゃんは目を見開いて驚きを露わにしていました。
その隣ではヴィクーニャちゃんが「なるほど……」と涙で潤んだ目を真剣に細めながら頷いていて、お兄ちゃんは難しそうな顔で首を傾げつつ唸っていました。
まぁ、この図の通りに作ればちゃんとしたサンドイッチができる可能性もあります。しかしそうでない可能性も少なからずある以上、完璧とは言い難いでしょう。
この書き方だと、ボズラーさんが指摘したように、具材一つだけを挟んだサンドイッチが三種類できる可能性もありますし、パン、キャベツ、パン、トマト、パン、ゆで卵、パンという順番で交互に挟んだ異様なサンドイッチが誕生する可能性もあります。
難しいことですが、プログラムはなるべく『誤解の余地がない』ように作らなければいけません。それでいて、なるべく明快に簡潔に書かれていれば尚ベターなのです。
私は最後に、一番作図に時間をかけていたメルシアくんの図を示しました。
「このなかで、いちばんすばらしい図を書いてくれたのは、メルシアくんですね」
私がそう言うと、メルシアくんは「えっ、あっ……!」と顔を真っ赤に染めました。
周りの子たちが席を立ってメルシアくんの机に集まると、彼の書いた図を見てみんなが感嘆の声を上げました。
メルシアくんの書いた図は、ここまで私やボズラーさんが指摘してきたことをすべてクリアしていたのです。
最初に材料をスライスして、パンを敷き、具材を一つずつ乗せて、最後に挟む。無駄がなく、また誤解の余地のない十全な回答と言えましょう。さすがは現時点で魔法を少し齧っているだけのことはあります。
すっかり照れて小さく縮こまってしまっているメルシアくんに、ボズラーさんが誇らしげな視線を向けていました。まぁ気持ちはよくわかります。
……そこに水を差すのは気が引けましたが、しかし私は敢えて心を鬼にして、メルシアくんの図に指摘を行うことにしました。
「サンドイッチをつくるのは、これでオッケーです。しかし、もっとすばらしい図にできるとはおもいませんか?」
「……え?」
「たとえば、このなかでトマトがきらいな子はいませんか?」
私がそう訊ねると、お兄ちゃんとヴィクーニャちゃんが無言で目を逸らしました。わかりやすい……。
「もしもトマトがきらいな子がこれをつくるなら、この図のとおりには作りたくありませんよね?」
「!」
「だったら、(トマトをパンに乗せる)のまえに、トマトを乗せるか乗せないかを“選択”させる工程があったらいいとおもいませんか? そしてトマトがきらいなら、(トマトをパンに乗せる)の工程をとばして、(ゆで卵をパンに乗せる)にいってしまえばいいんです」
私はボズラーさんに指示して、メルシアくんの書いた図の(トマトをパンに乗せる)の直前に(トマトが必要か選択する)という工程を加えさせました。さらにそのすぐ下に◇という図形を加えると、その図形から線を“二本”伸ばし、そこから伸びる一本を(トマトをパンに乗せる)に繋げて、もう一本を(ゆで卵が必要か選択する)という工程に繋げました。
ようするに、キャベツ・トマト・ゆで卵の三つを、好きな組み合わせで入れられるようにしたのです。
まぁこれはあってもなくても構わないおまけ的な部分なのですが、こういった細かな気遣いができるかどうかがプログラマーの腕の見せどころなのです。指示されたことだけをこなしてハイおしまい、ではいつまで経っても成長は望めません。
与えられた課題を一〇〇パーセント達成するのは“当たり前”であって、一二〇パーセントのものを納めて初めて実力を評価されるのです。
すると今までちょっと大人しくなっていたヴィクーニャちゃんが、余裕の笑みを引っ込めた真剣な面持ちで口を開きました。
「先生、もう一枚紙を頂けるかしら……! 今度こそ、完璧な図を書いてみせるわ!」
おおっ? ヴィクーニャちゃん、やる気満々ですね。さっきの失態を取り戻したいっていうよりは、単純に今得た知識をアウトプットしたいって感じに見えます。純粋ですねぇ。
この作図は直接的には魔法に関係しない、基礎の基礎みたいな部分ですが……ここにやる気を見せてくれるのは頼もしい限りです。どんな物事においても、基本を疎かにしない人間は成長が早いものですからね。
「ふふっ、あんしんしてください。“本番”はここからですよ?」
そう言って私が悪い笑みを浮かべると、生徒たちは目を丸くさせました。
言われなくたって、こんなヌルい作図で終わるわけがないではありませんか。こんなのは軽い準備運動ですよ。紙もお題も、昨日の夜にたくさん用意してありますとも。
「つぎは、みんなで話し合ってひとつの“アクティビティ図”をつくってもらいましょう。さて……こんどこそ、おもわず わたしも うなってしまうような、すばらしい図が書けるでしょうか?」
私が挑戦的な笑みを浮かべると、四人の瞳には、目に見えてやる気の炎が燃え上がったように見えました。
それからは、みんな時間を忘れてアクティビティ図の作成に没頭してくれました。
そして陽が沈んだせいで教室に明かりが必要になった頃、ようやくこの日の初回授業は幕を閉じたのでした。




