1歳4ヶ月 12
ですがその前に、首輪を外さないことには始まりませんね。
うーん、そっかぁ……首輪、もうすぐ外れるんですね。思えばこの首輪を嵌められてから、もう一ヶ月は経っていることになります。
ここへたどり着くまでに、森を越え山を越え、エルフの里で暴れたり、樹海でドラゴンと戦ったり、首都の闇を叩き潰したりと、いろいろ盛りだくさんな日々でした。
その間、今まで以上に仲間たちと仲良くなったり、ネルヴィアさんの才能がさらに覚醒しちゃったり、レジィが精神的に成長したり、ケイリスくんが心を開いてくれたり、ルローラちゃんが仲間になったり……
本当にたくさんのことがありました。
この旅の中で、私たちが助けになってあげられた人たちも少しはいるはずです。
何より、ケイリスくんの過去に決着を着けることができましたし……
この旅のきっかけをくれたリルルに感謝……の気持ちなんて微塵も湧いてはきませんが、まぁ今度見かけて捕縛するときは、ちょっとだけ優しくしてあげましょう。
私が『よいしょ』と椅子からジャンプすると、ケイリスくんが優しく受け止めてくれました。
そして先に外へ向かって行ったダンディ隊長を追いかけようと出口に視線を向けると、その途中にある傍聴席で困惑の表情を浮かべている人たちが目に入ります。
彼らにしてみれば、ミールラクスの悪行の証拠なんて実際に目にしたわけでもありませんし、まだどちらが悪者なのかなんてわかったものではないかもしれませんね。
今この場で説明しても伝わらないでしょうし、事の真相は後日、正式な裁判によって明かされることになるでしょう。
それまでは多少の混乱が起きるかもしれませんが、このままミールラクスなんかが大統領に収まっていた方が何百倍も悲惨でしょうから、そこは我慢してくださいな。
これからルグラスさんが新大統領として収まるのか、はたまた別の人が務めることになるのか……それはわかりませんが、ここはケイリスくんの大切な故郷ですし、少しでも良い結末になってもらわなければ。
まぁ、それはこの国の政治家が頭を悩ませればいいことです。
私にできることは、現在この共和国に向かっているという魔族の群れを追っ払うことくらいですしね。
それに成功すれば、私と手を組んでいたルグラスさんの信用にも繋がるでしょうし……逆に言えば、私がそれに失敗しちゃったら物理的にも政治的にも全部がパーになってしまいます。
うぅ……今更ながら責任重大だなぁ。安請け合いは死に直結するって、前世で散々思い知ってたはずなのに……
私がにわかに胃の痛みを感じていると、そこへ何やら騒ぎの音が耳に飛び込んできました。
どうやら裁判所の前で、何かが起こっているようです。
『……行こう!』
嫌な予感を感じながら私が言うと、ケイリスくんの通訳も必要とせずに仲間たちが一斉に駆け出しました。おおぅ、以心伝心。
ちなみに私はケイリスくんに抱かれていますが、私と同じく一歳児ほどの姿であるルローラちゃんは、ネルヴィアさんに抱きかかえられています。
私たちが連れてきた悪者四天王たちは法廷にいた警備兵とルグラスさんに任せて、私たちは傍聴席を駆け抜けると裁判所を飛び出しました。
するとそこでは、今にも雨が降り出しそうな黒く澱んだ曇天の下で……
「うおおぉぉッ!! クソが!! テメェら近づくんじゃねぇ!!」
頭からつま先まで甲冑を着こみ、大剣を振り回しながら声を荒げていたのは、三白眼を血走らせたゴルザスでした。
彼は付近の警備兵らしき人達に取り囲まれていましたが、一心不乱に暴れるゴルザスに誰も手を出せずにいるみたいです。
よく見れば、さきほどミールラクスを取り押さえて連行していたはずの騎士の一人が、肩から血を流して倒れていました。その傍にはもう一人の騎士と、それからダンディ隊長が寄り添っています。
ミールラクスは……ざっと辺りに視線を走らせた限りでは見当たりません。
どうやらゴルザスが何かのきっかけで暴れ出して―――まぁ十中八九、この裁判の結果を知って自身の立場が絶望的であることを察したのでしょうが―――それで自棄になって、こんな状況になっていると。
そしてその混乱に乗じて、ミールラクスは逃げ出したようです。
アイツ……どこまで私を苛立たせれば気が済むんでしょうか。
『レジィ』
私がレジィに鋭い視線を向けると、彼は小さく頷いて、それから音もなく一瞬で姿を消しました。
『おねーちゃん』
続いて私がネルヴィアさんに視線を向けると、彼女はルローラちゃんをケイリスくんに預けてロングソードを抜刀し、ゴルザスに向かって歩き出します。
「竜騎士殿……!」
肩を負傷した騎士が、ゴルザスに歩み寄るネルヴィアさんに気が付いて声を上げました。
その声に、大剣を振り回して暴れ狂うゴルザスを遠巻きに包囲していた兵士たちは、彼女に道を譲るかのようにして左右に避けます。
しばらくぶりに再び顔を合わせたネルヴィアさんとゴルザスは、互いに剣呑な雰囲気で向かい合いました。
「テメェら……よくも、よくもよくもッ……!! テメェらさえいなければ、俺は次の大統領だったんだッ!!」
何を言っているのかと思いましたが、もしかしたらミールラクスがそんなようなことをゴルザスに約束していたのかもしれません。自分が引退したら、次はゴルザスに大統領の座を譲る、と。
現状 政治家ですらなく、師団長としてさえ無能なゴルザスが、何をどうしたら大統領になれると思ったのでしょうか? あの虫螻蛄でさえ、無能なりに大統領として最低限の仕事はしていたっていうのに。
……って、ああっ!?
そういえばケイリスくんは武術や魔術への適性がなかったため、グラトスさんに憧れて政治に興味を持って、しかもその方面での才能を示していたらしいのですが……
もしかして、いずれケイリスくんが大統領になって自分よりも偉くなってしまうかもしれないと思って、それでミールラクスの陰謀に手を貸したのでしょうか? あ、ありえる……。
ネルヴィアさんは、奴の大剣の間合いギリギリに立っているというのに構えも取らず、無造作に突っ立ったままでいました。
そんな彼女に、ゴルザスは情緒不安定で歪な笑みを浮かべながら叫びます。
「竜騎士だなんだって持て囃されて、イイ気になってんじゃねぇぞ!!」
「……」
「この俺が、ただのコネだけで師団長まで登り詰めたと思うか? いいや違う! 師団長に相応しい、邪魔な奴らを黙らせるだけの実力があるからこの地位にいるんだ!!」
「……」
「俺は、かのディノケリアス様を輩出した名門道場で腕を磨き、三年前までは前線で数多くの魔族を屠ってきたんだ!! テメェのような小娘に後れを取る道理はねぇんだよ!!」
「……」
余裕がないためか、以前会った時よりも随分と粗暴な口調となったゴルザスが、プラザトス中に届けとでも言わんばかりの大声で吠え続けています。……その小娘相手に完全装備でドヤってるのは、恥ずかしくないのかな?
一方で、対するネルヴィアさんは鎧もなく、魔剣も抜かず、棒立ちで突っ立ったまま無言を貫いています。
そんなネルヴィアさんの反応に業を煮やしたのか、ゴルザスが大剣を構えながら、さらなる大声で叫びました。
「どうした、ビビって声も出せないか!? 何とか言ったらどうだ!!」
得意顔でそんなことを叫ぶゴルザスに、ネルヴィアさんはゾッとするほど無感情で平坦な声でポツリと、
「剣士なら、剣で語れ」
その簡潔なたった一言に、ゴルザスの何かがブチリと切れる音が聞こえたような気がしました。
直後、ゴルザスは兜の面を下ろして表情を隠すと、振りかぶった大剣を勢いよく横薙ぎに振り回します。
ネルヴィアさんはそれを後ろに軽く跳んでかわすと、ゴルザスが返す刀で再び剣を振るうよりも速く、一瞬で間合いを詰めて剣を振るいました。
どうやらその狙いは膝の裏側、甲冑の関節部分。身体を動かす上でどうしても構造上脆くなる部分を、ネルヴィアさんは的確に斬りつけました。
「……!」
しかしゴルザスはまったく怯む気配はなく、それどころか待ってましたと言わんばかりに再び大剣を振り回します。
どうして今のネルヴィアさんの攻撃が通じなかったのかと、私が疑問に思っていると……私を抱きかかえているケイリスくんが、「……鎖帷子」と呟きました。
なるほど、甲冑の関節可動部位を帷子で保護するという構造になっているのですか。
ただでさえ重い鎧がさらに重くなりそうですが、中身はあの野蛮な猟師みたいな男ですからね。無駄に筋肉だけはありそうですし、短時間ならそこまで動きに支障はないのかもしれません。むしろあの鎧を着るために、あれだけ身体を鍛えていたのでは……?
周囲で戦いを見守っていた人々が、心配そうな表情をネルヴィアさんに向けていました。
きっと彼らから見れば、ネルヴィアさんが押されているように見えているのかもしれません。
しかし私は、ネルヴィアさんが負けるなんて可能性は微塵も考えてはいませんでした。
それはいざとなれば例の“魔剣”があるということもそうですが、それ以前に……
おそらくは実家で学んだのであろう、いつもの剣術の構えも取っていないネルヴィアさん。
ゴルザスの攻撃を紙一重で回避し続ける、そんな彼女の口角が……ほんの少しだけ持ちあがるのが見えました。
彼女の中で、ゴルザスは完全なる『悪』と認定されたのでしょう。
ドラゴンを一方的に追い詰めた、ネルヴィアさんの“スイッチ”が入ったようです。
“ギャギャリリッ!!”という金属の悲鳴が響き渡り、黒雲のせいで薄暗い街中にオレンジ色の火花が瞬きました。
いったい今の一瞬で何回攻撃したのかもわからないほどの速度による連撃。
ネルヴィアさんの仕掛けた攻撃は的確にゴルザスの頭部―――兜にすべて叩きこまれて、兜の前面を覆っていたパーツを吹き飛ばしてしまいました。
……も、もしかして今のって、パーツの接合部を狙って叩き壊したの? 戦闘中で、相手だって動いてるっていうのに?
兜にぽっかりと空いた穴から、ゴルザスがポカンと口を開けている間抜け面が見えました。
狙って兜を壊すことができるのなら、兜に空いた穴に剣を突っ込むことだって朝飯前でしょう。もはや完全に勝負はつきました。
周囲の騎士や兵士たちが感嘆の声を漏らす中、ネルヴィアさんは喜ぶでもなく退屈そうにロングソードを納刀すると、ゴルザスに背を向けて歩き出します。
……あれ? なんかこの光景、見たことあるような……
私が既視感の根源を記憶から引っ張り出すより早く、わなわなと身体を震わせたゴルザスが、狂ったような絶叫を上げながら横薙ぎに大剣を振るいます。
「ウォォオオオオオァァアアアアアアアアアッ!!!」
そして直後―――、ズガァァンッ!! という、まるで爆発みたいなとんでもない音が炸裂しました。
ゴルザスの持っていた大剣が宙を舞って、数メートル離れた地面に突き刺さります。
ネルヴィアさんの振り下ろした“魔剣”は、大剣を振るおうとしたゴルザスの両腕を防具ごと容赦なくへし折り……それだけに留まらず、魔剣は勢いそのままに地面に直撃すると、ちょうどそこにあったゴルザスの足の甲に深々とめり込んでいました。
うっわぁ……地面にクレーターができてますけど……!?
ゴルザスが悲鳴をあげるよりも先に、再び鐘を鳴らすような轟音が響き渡りました。
ネルヴィアさんが横薙ぎに振るった魔剣に腰を強打されて、サッカーボールのように吹っ飛ばされるゴルザス。彼は錐揉み回転しながら裁判所の壁に叩きつけられると、ぐしゃりと落下して動かなくなりました。
甲冑があれだけ変形しちゃったら、脱がせるのは苦労しそうですね。
魔剣を納刀して、なんだかスッキリしたような表情でこちらに戻ってきたネルヴィアさんは、チラリとケイリスくんの顔を見て、
「えっと、ささやかですけど……これで少しは溜飲が下がったでしょうか……?」
遠慮がちにそう訊ねたネルヴィアさんに、ケイリスくんは驚いたように目を丸くさせながらも、
「……はい。ありがとうございます、ネルヴィア様」
そう言って彼は、照れくさそうに微笑んでお礼を述べました。
それから私は真横に視線を移すと、そこにはミールラクスの白髪交じりの薄い髪を鷲掴みにして、ズルズルと引きずってくるレジィの姿が。
……レジィの嗅覚と速度から逃げられるとでも思ったのでしょうか、こいつは。
そのまま無造作に投げ捨てられたミールラクスは、身体を丸めながらみっともない声で喚き出します。
「ひぃぃ! か、勘弁してくれぇ……!! 助けてくれぇ!!」
『……お前が今も生きていられるのは、ケイリスくんの慈悲と、それから法の裁きを受けさせるとルグラスさんに約束したからだ。……それがなければ、とっくに生かしちゃおかないところだよ』
私がミールラクスを見下ろしながら、吐き捨てるようにそう言うと……
視界の端で、こちらへと駆け寄ってくる影に気が付きました。見ると、どうやらダンディ隊長率いる騎士団の一員みたいです。
こちらに向かって馬を駆ってきた彼は、ダンディ隊長や私に聞こえるように大きな声で叫びました。
「伝令!! 首都外周防壁より、遠方に魔族の群影を発見! 接敵まで、推定十五分!!」
えっ!? 魔族の軍勢って、まだ数時間は余裕があるんじゃなかったんですか!?
驚愕に目を瞠る私やダンディ隊長に、伝令役の騎士は説明を補足してくれました。
「軍勢の規模が、報告にあった数の半数以下であることから、おそらく途中で足の速い魔族のみが先行して進軍してきた模様です! そのため、予想到着時間に誤差が生じたと思われます!!」
えっと、それじゃあ今こっちに向かってる軍勢はそこまで多くないのでしょうか?
しかし戦っているうちに後ろから続々と魔族たちが駆けつけてくるのは厄介です。何より、まだ私の首輪が外れていませんから、こちらの体勢は万全ではありません。本当なら、こっちが先手を打つつもりだったのに……
と、そこで裁判所から出てきたルグラスさんが、こちらに近づいてきました。
彼はダンディ隊長に向き直ると、
「リルマンジー大隊長。セフィリア殿の首輪の件は私に任せ、貴方は迎撃の準備を」
「はっ!!」
敬礼もそこそこにダンディ隊長は駆け出すと、裁判所の近くに繋いでいたあの黒馬に飛び乗りました。
よし、私たちも急いで首輪を外しに行こう……! と、私が意気込んでいると、ネルヴィアさんが真剣な面持ちでダンディ隊長に向き直って、
「私も、魔族の迎撃を手伝います」
……え?
何かの聞き間違いかと思ってネルヴィアさんの顔をまじまじと見つめる私でしたが、どうやら聞き間違いではなかったようです。
時間もないので私はちょっと焦りながらも、
『な、なに言ってるのおねーちゃん? 私が全部片付けるから、そんな危ないことしなくていいんだよ? 私が駆けつけるまでくらいなら、きっと騎士団に損害も出ないよ』
「しかし、もしもそれで騎士団の誰かに死者が出たら、きっとセフィ様はとても悲しまれますよね?」
『いや、まぁそれは……』
そ、それはそうだろうけど、でもだからってネルヴィアさんが魔族の軍勢に立ち向かうことないじゃない!
私がすぐ近くにいる状況なら、対策を練ったドラゴンくらいなら戦わせてあげても良いですけど……今回は“軍勢”です。それにどんな種類の魔族かさえもわかっていません。何かの間違いで、致命的な大怪我だって負ってしまうかもしれないのです。
だから私はなんとしてでもネルヴィアさんを説得して引き止めなければ……と考えていたのですが、
「ご主人、オレもコイツについてく。ネルヴィア一人じゃ心配だけど、オレがいれば安心だろ?」
レ、レジィまで……
なにやら酷い言われ様に、ネルヴィアさんは「余計なお世話です」とむくれていました。
たしかに二人は強いし、ドラゴンだって圧倒するし、二人が組んだら下手すれば私より強いかもしれませんけど……
それでも私が心配そうに二人を見つめていると、おもむろに近づいてきたネルヴィアさんが私の小さな手を握って、
「大丈夫です。私を、私たちを信じてください」
……信じて、って。
そんなこと言われたら、これ以上ゴネられないじゃないですか……もう。
私は思わず『うぅ~~!』と頭を抱えて唸りながら、
『わかったよー! でも、ぜったい無茶はしないでね!? できれば怪我もしないこと!! 良いっ!?』
「はいっ!!」
「おう!!」
嬉しそうに頷いたネルヴィアさんとレジィの行動は迅速でした。
ネルヴィアさんは伝令役の騎士の後ろに素早く飛び乗り、レジィはその場から軽く三メートルくらいジャンプすると、ダンディ隊長の駆る黒馬の背中に着地します。黒馬は一瞬不満げに背後を振り返りましたが、チラッと私を見ると、そのまま黙って走り出しました。
そして二人を乗せた馬たちが駆け出していくのを見送った私は、すぐにルグラスさんを振り返ると、
『……行きましょう!』
「ああ! こっちだ!」
案内役として前を先行してくれるルグラスさんを追って、私とルローラちゃんを抱えたケイリスくんは勢いよく走り出しました。




