1歳3ヶ月 61
数百人規模の騎士団による行進は圧巻なもので、蹄が地面を踏み鳴らす無数の音が響き渡るのを、私たちは最後尾から眺めていました。
ちなみにどうして私たちの馬車が最後尾かと言うと、言わずもがな私のせいです。
隊列の中ほどに私がいると、そこだけ大きく列が膨らんで乱れてしまいますし、私が先頭を歩いていると、後列の馬たちができるだけ距離を取ろうとしてノロノロ歩き出すのです。
『はぁ……どうして私って、こんなに動物に嫌われるのかなぁ』
思わずと言った具合に漏らした私の言葉をケイリスくんが拾い上げると、そこで同じ馬車に同乗していたダンディ隊長が顔を上げました。
ちなみに普段は馬車を御してくれているケイリスくんですが、こんなにたくさん人が居るので、運転を変わってもらっています。
最初はケイリスくんもいつも通り御者席へ移動したのですが、私がお願いしたら後部座席の方へ移動してくれました。
そしてなぜかダンディ隊長も、「せっかくの機会に、キミたちと話がしたい」と言って馬車への同乗をお願いしてきたので、肩幅の広い彼のせいで馬車の中が若干狭く感じられます。
ちなみにレジィが獣人であることはバレてしまっていますから、ドラゴン討伐の時の私と、赤ちゃんの時の私が同一人物であることも伝えちゃいました。このワイルドなおじ様が絶句する様は、なかなか見ごたえがありましたね。
私の呟きに反応したダンディ隊長は、上品に髭を生やした顎を一撫でしながら、
「それは、セフィリア殿の殺気によるものだろう」
『え……いえ、殺気なんて出してませんけど』
「言い方が悪かったか。魔術師にとっては、魔制圏と言った方が伝わりやすいか?」
ませーけん?
私が小首を傾げるのを見たダンディ隊長は、馬鹿にするでもなく真面目な顔で説明してくれます。
「簡単に言えば、魔術師が魔法を発動させる際、どれだけ遠くの者へ影響を与えることができるか、という領域を示すらしい」
はぁ、なるほど。ここで言う魔法の射程距離っていうのは、直接的な攻撃魔法のことを言っているのでしょう。
そうじゃないと、帝都にいても私の村の魔導罠を維持できる私は、その魔制圏とやらが百キロ以上もあるということになってしまいます。
要するに魔制圏というのは、今この瞬間に魔法を発動して、どれだけ遠くの敵を倒せるか、ってことですか。
「一般的な魔術師では、遠くの物がはっきりと見えるくらいの距離が平均とされているようだ。そしてそういった魔術師は、魔制圏のちょうど一〇分の一ほどの距離にいる動物ならば、手も触れずに威圧することができる」
え、そうなんですか? じゃあ私が動物に嫌われてるのって、それが原因?
でも今の話だと、意識して威圧しない限りは怖がられることなんてなさそうですけど……
「高位の魔術師ともなると、その身体から無意識に漏れる魔力によって、威圧と同じ効果が生じると聞いたことがあるが……それもせいぜい、直接手が触れるくらいの距離でしか起こらないと聞いている。だからセフィリア殿の実力を知るまでは、きっと別の理由なのだろうと考えていたのだが……」
『魔力が漏れてると怖がるって……べつに魔力に触ったら死ぬとかじゃないんですよね?』
「ああ、それはもちろんだ。しかし考えてもみてくれ……目の前に返り血まみれの男が近づいて来たら、普通は恐ろしいだろう?」
『え、あ、はい』
「しかしその男が“その場から動けない”と知っていたなら、手足の届かないところまでは近づいても、さしたる脅威ではない」
ダンディ隊長の例え話をそこまで聞いて、私はようやく彼の言わんとしていることが分かりました。
つまり、相手から漏れる魔力を意識的にしろ無意識的にしろ感じ取れた時点で、その場所は相手の『殺傷圏内』ということです。
素手の人間の殺傷圏内は、せいぜい一メートル。
ナイフや剣を持っていればその殺傷圏内は少しだけ広がり、さらにもたらす殺傷能力も遥かに向上します。
拳銃なんかは、たとえ十メートルは距離が離れていたとしても、その存在を認識しただけでかなりの恐怖を覚えることでしょう。
極端な話、自分に対して殺意を抱いている敵が戦闘機に載って接近していると知っていれば、数キロ先から飛行機の音が聞こえてきただけで怯えてしまうはずです。
魔術師はたった数秒ほど呪文を唱えるだけで、離れた相手を殺傷する能力を秘めています。
そして私に至っては、たった一言発するだけ、それも一秒未満の発動時間で、地形や天候さえ自在に操ることができます。
私の身体から漏れ出た魔力を感じ取ることで、動物たちがその事実を本能的に察知しているとすれば……彼らが私をここまで怯える理由にも納得がいきます。
むしろそれくらいの魔力感知能力がなければ、魔族が跋扈するこの異世界で今日まで生き残ることなんてできなかったでしょうしね。
レジィの言っていた『死の匂い』というのはつまり、敵から漏れ出ている魔力の感覚という意味だったのでしょう。
私が一人で納得していると、ダンディ隊長は「しかし……」と浮かない顔になります。
「魔族と戦うために特別な訓練を施した騎馬をあれ程までに怯えさせ、魔力の感知能力がほとんど無いはずの人族にさえ寒気を覚えさせ、さらにはドラゴンまで激しく警戒させるというのは、正直言って異常だ」
『うっ……』
「共和国が誇る、魔法封じの『魔導桎梏』を装着しながら魔法を操る時点で相当な魔術師であるとは察するが……一体、貴女は何者なのだ? リルル殿やあのオークキングが口にした“帝国の勇者”という言葉は、本当なのか?」
単純に興味本位での質問とも考えられますが、しかし彼は共和国を守護する騎士団を率いる隊長さんです。
きっとこの問いは、これから共和国の首都へ連れて行く私が、得体の知れない存在ではないことを納得したいということでしょう。
そして彼のそんな問いには、私に変わってネルヴィアさんが答えました。
「はい。セフィ様は、この世界を救うために誕生された勇者様です」
ネルヴィアさんの答えを聞いたダンディ隊長は目を見開き、それから「やはり、そうだったか……」と目を伏せると、座席から立ち上がり、私に向かって跪きました。
ちょ、やめてやめて! そういうの要らないですから! っていうか図体のデカい隊長さんが馬車の中でそんなことしたら、足元が狭くなるでしょう!?
もう、ネルヴィアさんも大袈裟な言い回ししないで!? 世界を救うつもりなんてまったくないですから!
それについ昨日までクリヲトちゃんが勇者だって騙されてたのに、私が勇者だなんて話をこんなに簡単に信じていいんでしょうか?
……いえ、私たちの実力を初見で見抜いていた彼のことですから、案外クリヲトちゃんが勇者だという話は、本気で信じてはいなかったのかもしれませんけど。
なんとか彼に座席へ座り直すよう説得した私は再度、私の首に嵌められた首輪について言及します。
『この首輪、外すことはできるんですよね?』
「もちろんです。魔導桎梏が持ち出されて使用されたという事例は過去にないため、書類上の手続きに多少は時間がかかるかもしれませんが……貴女の正体と活躍を話せば、どんなに遅くとも三日のうちには完了するかと」
うーん、やはり共和国というだけあって、いろいろ面倒くさい業務上の手続きとか、議会の承認とかが必要なのでしょうか。
もしこれが帝都ベオラントだったら、ヴェルハザート陛下がオッケーしたら五分以内に終わりそうなんですけど。
……あ、いえ、普通の帝国だったらそんなことはないか。うちの陛下がおかしいだけでした。
『プラザトスに着いたら、その辺りのことは任せても良いですか?』
「はい、もちろんです。お任せください」
いい歳したダンディなおじ様が、一歳児に大真面目な顔で敬語を使うさまは、客観的に見てシュールな光景です。
しかし隊長さんはむしろ誇らしげな顔つきですらあって、その辺りの感覚はネルヴィアさんと通じるものがあるのかもしれません。
……でも、さすがによその国の隊長さんに敬語を使われるのはむず痒いので、それだけはやめてもらうようにお願いしました。
あ、そうだ。これも聞いておかなくちゃ。
『リルルに聞いたら知らないって言われたんですけど、この首輪を魔法で壊したらどうなるんですか?』
「……普通は首輪を嵌めた上で、厳重な拘束を施してから牢屋に放り込まれる。そして首輪を嵌められた時点で、普通の人間は魔法など使えなくなる。つまり……」
あー、つまり、誰もそんなことやったことはないから、何が起きるかはわからないと。
それならやっぱり、手続きを待って平和的に外してもらうのが良いですね。せっかくここまで来たんですし、共和国の首都とやらを見学していきましょう。
……ん? ちょっと待ってください。
『共和国には、これを作った魔術師がいるんじゃないですか?』
私の問いに、ダンディ隊長はハッとしたような顔になります。
しかし彼は悩ましげに唸ると、
「たしかにこれを造った魔術師ならば、詳しいことを知っているだろう。何せ、共和国で三本の指に入るほどの魔術師だからな。しかし彼は非常に気難しい性格で、まともに会話をするのも困難なのだ。彼以外に首輪の詳しい性能を知らない理由も、そこにある」
え、そんなイカレた人が造ってるんですか、この首輪……?
それじゃあ尚更どんなぶっ飛んだ機構が備わってるかわかったものじゃありませんね。
しかし、共和国で三本の指って……帝国で言うところの魔導師様みたいな存在じゃないですか。
まぁ、普通に外せるっていうのなら、普通に外しちゃいましょう。
私は首輪を破壊するのはやっぱり最後の手段にしておくことにして、まだ見ぬ共和国首都・プラザトスに到着する日を楽しみに待つこととしました。




