1歳3ヶ月 55
レジィが匂いを辿るまでもなく、なぎ倒された木々の残骸や、そこかしこに飛び散っているどす黒い血痕によってドラゴンの行方は明白でした。
それどころか、遠くから破壊音が響いていますので、大体の距離までわかりそうです。
そんなわけで私たちは、薄暗い樹海を迷うことなく全速力で駆け抜けていました。
騎士団の人たち、お願いですから下手に応戦しないで逃げててください……なんて、本人たちが聞いたら怒りそうなことを願っていると、黒馬を駆るダンディ隊長が少しだけ振り返りました。
「……キミたちの中に、人間は何人いるんだ?」
私はダンディ隊長の言葉の意味がすぐには分からず、一瞬ポカンとしてしまいました。
しかしレジィが獣人だということが知られているはずなので、あるいは私たちも魔族なのではと考えられているのだと思い至りました。
獣人のレジィと、外見年齢五歳で馬を駆るルローラちゃんと、ドラゴンを一方的にボコボコにしたネルヴィアさん……そこまでは、まぁ人間離れしているのでわかります。ルローラちゃんは実際エルフですしね。
でも、私は!? ちょっと地味な魔法を使っただけで人外扱いって、酷くないですか!?
私は怒りを表明するために頬を膨らませてジトっと睨み付けつつ、ダンディ隊長に見えるように指を二本立てました。
すると彼は、「なるほど、ではそちらの剣士殿と、あの少女が人間なのか」と納得したように呟きます。
…………。
私が真顔で彼の背中に魔法を撃ちこもうとすると、ちょっと苦笑いしたレジィに後ろから優しく抱きすくめられて阻止されました。はーなーせーよー!
私とレジィが後ろの方でモゾモゾやっている間に、ネルヴィアさんが慌てて隊長さんに真相を伝えます。
すると誤解を指摘されたダンディ隊長は「す、すまない……!」と狼狽えながら非礼を詫びてきました。……次は無いぞ。
「しかしリルル殿の言った通り、全員恐ろしい実力者だ。ドラゴンと直接戦っていた二人は言わずもがな、ドラゴンの動向を先読みして私を避難させてくれた あの少女もそうだし、何よりあの場を支配していたセフィリア殿……キミが最も恐ろしい」
はい? あの場を支配していた? 私が?
ダンディ隊長の見当違いな言葉に私が首を傾げていると、彼の代わりにレジィが説明してくれました。
「あのドラゴン、ブチギレてからも、ネルヴィアにボコられながらも、それでも絶対にご主人を視界から外さないように動いてたんだぞ。それにご主人が殺気を飛ばすたびに、かなり警戒してた。ネルヴィアが大した怪我せずに戦えてたのは、それが大きかったと思うぞ」
え、そうなの? 本当に?
っていうか、殺気を飛ばしてたってなに!? そんなことしてたつもりは無いんですけどっ!
……あ、でももしかして、ネルヴィアさんが攻撃されそうになったり、実際攻撃されたりした時には、あのドラゴンにどうやって凄惨な死を与えるかを考えてました。それのことを言ってるんでしょうか?
いやぁ、でも殺気なんて出てなかったと思いますけど……? ほら、私って慈愛の心に溢れてますからね。見てよ隊長さん、私の博愛に満ちた目を!
「キミの『いつでも貴様を殺せるぞ』という、虫ケラを見下すような冷酷な目に射抜かれていたドラゴンには、思わず同情してしまったものだ」
ねぇ、やっぱりこの人 ここら辺に捨てて帰らない? だめ?
この隊長さん、ただ真面目なだけなのか、からかってるのか、それとも天然さんなのか、わかりづらいんですけど。
私が彼の処遇に悩んでいると、すぐ後ろでレジィが「見えた」と小さく呟きました。
その声に、私も前方に注意を向けると……彼の言葉通り、薄暗い樹海の奥に 揺れる巨大な影が薄っすらと見えてきました。大地を揺るがす足音も、かなり近づいています。
どうにか騎士団が到着する前に接敵できたようですね。これで追いついたときには騎士団全滅とか、寝覚めが悪いにもほどがあります。
ドラゴンは最初に遭遇した時よりもはるかに走るのが遅く、すっかり弱り切っていることが窺えます。
私たちが追い付いてきたことに気が付いたらしいドラゴンが、チラリとこちらを振り返って恨めしげに低く唸ります。
また黒炎を放たれたら正直面倒なのですが、しかしこの黒馬の速度なら、ドラゴンが走るのをやめてこちらを向き、炎を放つまでに追いつけてしまいそうです。
完全にチェックメイト。攻めも守りも、逃亡さえままなりません。
さぁ、トドメです!!
「いたぞ、ドラゴンだ! こっちに来る!!」
私が勝利を確信した瞬間、ドラゴンのさらに向こうに、たくさんの人影が見えました。
彼らは「全員散らばれ! 迎え撃つぞ!!」とか、「クソ、なんつーデカさだ!」とか、「え、なんであんなボロボロなん?」とか思い思いに騒ぎながら陣形を整え、武器を構えます。
彼らにしてみれば、この接敵は予定通りのことで、この後の戦闘も計画通り。
このまま余計なことをしないでくれれば無傷で勝てるだなんて知るよしもないわけですから、私たちの望み通りに逃げてはくれません。
まずい、と思った時にはすでに遅く、先ほどまで悲壮な雰囲気だったドラゴンがこちらを振り向き、“ニタァァ……!!”と引き裂くように笑いました。
その狂気的な歓喜に満ち満ちた笑みを見た瞬間、私は急いでレジィに合図を出しますが……けれどもそれより早く、ドラゴンは哄笑混じりの雄叫びをあげながら騎士団に大きな口を向けて狙いを定めました。
「逃げろ、お前たちッ!!!」
隊長さんの絶叫も空しく、彼らは騎士道精神に則って勇敢に戦おうと、誰一人逃げようとはしません。……それがドラゴンの最も望むことであるとも知らず。
そして私の合図に従い、レジィが私を抱えて飛び出そうとした、その直前……
待ち構える騎士団のすぐ前方に、突如として近くの茂みから馬が飛び出してきました。
騎士団を守るかのように立ちはだかった彼女―――ルローラちゃんは、金髪をなびかせながら眼帯を取り去ります。
『グォォォオオオオオッ!!!』
「がぁあああああああっ!!!」
血走った赤い瞳と、輝く翡翠色の右目が交錯し―――
直後、二人の口から放たれた莫大な“闇”が衝突し、黒炎は上下左右へと爆発的に拡散しました。
まるで樹海に黒い壁でも立てたように広がった闇色の奔流は、輝く紅蓮を伴いながら樹海の奥深くへ、あるいは天高くに消えていきます。
やがて、立ち上る黒煙と歪む景色の向こうには、まっすぐにこちらを睨む無傷のルローラちゃんと、腰を抜かしつつも被害の無い騎士団が見えました。
さすがはルローラちゃん、任せた仕事をきっちりこなしてくれました。
あとは、私たちの役目です。




